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第8回三顧会午後1


  • 2008年3月31日(月) 12:45 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,404
場所 ノートPC+プロジェクターからスクリーン上へ映し出された映像<目次>
http://cte.main.jp/newsch/article.php/858

<前記事>第8回三顧会午前2
http://cte.main.jp/newsch/article.php/859


●三国志講演会 「三国時代の食」

 2008年3月23日13時。山口県の三国志城。

 特別企画展示場の西側の壁(というより今、常設で神籠石関連の展示しているのでパネルを布で覆ったもの)に向かって右側にスクリーンがあって、そこに写真のようにノートPC+プロジェクターからタイトルが映し出されている。
 左側には今回、講師として名乗りを上げた、『人形劇三国志』の諸葛亮に扮する一条さんが立っており、講演会が始まる。
 一条さんは左手にノートPCを操るマウスを持ち、右手に巻物を持っており、どうやら巻物に縦書き(ここらへんがちゃんとしてある)の原稿が書かれてあるようだ。
 ただ諸葛亮の恰好をしているだけでなく、諸葛亮になりきって発表するという今までの三顧会にはなかった面白い演出をされていた。戦評定をするとし「英雄の食卓~美味天下三分の計~」と題し食の重要性を説くという流れ。右のスクリーンには豊富な図や写真が適時表示されていた。
 食を通じて話が多岐に渡っていたので、以下、覚えている分を箇条書き。※記憶があやふやな出典は()付けにしている

・黄巾の乱→董卓専横の流れで民は飢餓状態にあった。
・袁紹や袁術の食に困ることに触れ、さらに曹操が中原を回復し許昌で屯田を行ったことに触れる。
 →『三国志』魏書武帝紀の注に引く『魏書』
自遭荒亂、率乏糧穀。諸軍並起、無終歳之計、飢則寇略、飽則棄餘、瓦解流離、無敵自破者不可勝數。袁紹之在河北、軍人仰食桑椹。袁術在江・淮、取給蒲[贏の貝→虫]。民人相食、州里蕭條。公曰:「夫定國之術、在于彊兵足食、秦人以急農兼天下、孝武以屯田定西域、此先代之良式也。」是歳乃募民屯田許下、得穀百萬斛。於是州郡例置田官、所在積穀。征伐四方、無運糧之勞、遂兼滅群賊、克平天下。

・曹操の食に関するエピソードの紹介。曹操が食料の確保を第一に考えていた
 →『三国志』魏書武帝紀の注に引く『曹瞞伝』
常出軍、行經麥中、令「士卒無敗麥、犯者死」。騎士皆下馬、付麥以相持、於是太祖馬騰入麥中、敕主簿議罪;主簿對以春秋之義、罰不加於尊。太祖曰:「制法而自犯之、何以帥下?然孤為軍帥、不可自殺、請自刑。」因援劍割髮以置地。
常討賊、廩穀不足、私謂主者曰:「如何?」主者曰:「可以小斛以足之。」太祖曰:「善。」後軍中言太祖欺衆、太祖謂主者曰:「特當借君死以厭衆、不然事不解。」乃斬之、取首題徇曰:「行小斛、盜官穀、斬之軍門。」其酷虐變詐、皆此類也。

※追記。アクセスログを見ると2012年11/21 (水) 10:02:40に「曹瞞伝曰、操在軍庫、穀不足。 和訳」という検索語句の後に同じIPアドレスから10:11:00「三国志演義 曹瞞伝 注釈 訳 穀不足」という検索語句があってその後何度も検索があった。そんなに検索しておいて、基本的な知識である、史書『三国志』と小説『三国演義』の区別の付かない、つまりネット検索に溺れる典型的なネット・リテラシーの足りない残念なお方なのだろうか。

・曹操が袁紹の軍の烏巣の食糧を焼かせたエピソード
 →『三国志』魏書武帝紀の注に引く『曹瞞伝』
攸曰:「公孤軍獨守、外無救援而糧穀已盡、此危急之日也。今袁氏輜重有萬餘乘、在故市・烏巣、屯軍無嚴備;今以輕兵襲之、不意而至、燔其積聚、不過三日、袁氏自敗也。」公大喜、乃選精鋭歩騎、皆用袁軍旗幟、銜枚縛馬口、夜從間道出、人抱束薪、所歴道有問者、語之曰:「袁公恐曹操鈔略後軍、遣兵以益備。」聞者信以為然、皆自若。既至、圍屯、大放火、營中驚亂。大破之、盡燔其糧穀寶貨、斬督將[目圭]元進・騎督韓[艸/呂]子・呂威[王黄]・趙叡等首、割得將軍淳于仲簡鼻、未死、殺士卒千餘人、皆取鼻、牛馬割唇舌、以示紹軍。

・曹操周辺の人物の食に関するエピソード。夏侯惇。卞皇后
 →『三国志』魏書夏侯惇伝
時大旱、蝗蟲起、惇乃斷太壽水作陂、身自負土、率將士勸種稻、民賴其利。
 →『三国志』魏書后妃伝の注に引く『魏書』
太后左右、菜食粟飯、無魚肉。其儉如此。

・兵による屯田の話→満寵が孫権の屯田を攻撃したエピソード
 →『三国志』魏書満寵伝
三年春、權遣兵數千家佃於江北。至八月、寵以為田向收熟、男女布野、其屯衛兵去城遠者數百里、可掩撃也。遣長吏督三軍循江東下、摧破諸屯、焚燒穀物而還。詔美之、因以所獲盡為將士賞。

・収穫した穀物を輸送する重要性→橋に空いた穴に馬が足を落とした罪で鍾会が許儀(許[ネ'者]の子)を斬った事例
 →『三国志』魏書鍾会伝
先命牙門將許儀在前治道、會在後行、而橋穿、馬足陷、於是斬儀。儀者、許[ネ'者]之子、有功王室、猶不原貸。

・船で運ぶ効率性→運河を開いた鄧艾の事例
 →『三国志』魏書鄧艾伝
時欲廣田畜穀、為滅賊資、使艾行陳・項已東至壽春。艾以為「田良水少、不足以盡地利、宜開河渠、可以引水澆[シ既]、大積軍糧、又通運漕之道。」乃著濟河論以喩其指。又以為「昔破黄巾、因為屯田、積穀于許都以制四方。今三隅已定、事在淮南、毎大軍征舉、運兵過半、功費巨億、以為大役。陳・蔡之間、土下田良、可省許昌左右諸稻田、并水東下。令淮北屯二萬人、淮南三萬人、十二分休、常有四萬人、且田且守。水豐常收三倍於西、計除衆費、歳完五百萬斛以為軍資。六七年間、可積三千萬斛於淮上、此則十萬之衆五年食也。以此乘呉、無往而不克矣。」宣王善之、事皆施行。正始二年、乃開廣漕渠、毎東南有事、大軍興衆、汎舟而下、達于江・淮、資食有儲而無水害、艾所建也。

・蜀漢の桟道の話
 →李白『蜀道難』
噫吁[口戲]。危乎高哉。蜀道之難。難於上青天。

・流馬と木牛の話→三国志城で展示

・いろんな食材の話→孫策と牛肉の事例
 →『三国志』呉書孫破虜討逆伝の注に引く江表伝
策時年少、雖有位號、而士民皆呼為孫郎。百姓聞孫郎至、皆失魂魄;長吏委城郭、竄伏山草。及至、軍士奉令、不敢虜略、鶏犬菜茹、一無所犯、民乃大悅、競以牛酒詣軍。

・晋の貴族の贅沢に走った事例
 →『晋書』石崇伝
愷以〓澳釜、崇以蝋代薪。
 →『世説新語』汰侈
王君夫以[米台]糒澳釜、石季倫用蝋燭作炊。君夫作紫絲布歩障碧綾裹四十里、石崇作錦歩障五十里以敵之。石以椒為泥、王以赤石脂泥壁。
 →『世説新語』汰侈
武帝嘗降王武子家、武子供饌、並用琉璃器。婢子百餘人、皆綾羅[衣庫][衣羅]、以手擎飲食。烝豚肥美、異於常味。帝怪而問之、答曰:「以人乳飲豚。」帝甚不平、食未畢、便去。王・石所未知作。
 →『世説新語』紕漏
王敦初尚主、如廁、見漆箱盛乾棗、本以塞鼻、王謂廁上亦下果、食遂至盡。

・→司馬炎の子、衷の贅沢を表す逸話。
 →『晋書』恵帝紀
及天下荒亂、百姓餓死、帝曰:「何不食肉糜?」其蒙蔽皆此類也。

・その後の歴史の流れの説明→三国鼎立まで話を戻す

・魏に話題を移し、曹植の詩に見られる豪勢な宮廷料理。スッポン([敝/魚]?)や熊の手(熊[足番]、熊掌)など。
 →『文選』第二十七 詩 樂府上 樂府四首 曹子建 名都篇
我歸宴平樂、美酒斗十千。膾鯉[月雋]胎〓、寒[敝/魚]炙熊[足番]。
 →『藝文類聚』卷第九十五 獸部下 熊
孟子曰.生魚我所欲.熊掌亦我所欲.我所欲二者不兼.舍魚取熊掌.義者我欲.生亦我欲.二者不得兼、舍生取義.

・果物など。さらに粉食→小麦を粉にして食べる。胡餅の霊帝の事例。

・何進の孫、何晏字平叔の湯餅(ラーメンの原型)の事例
 →『世説新語』容止
何平叔美姿儀、面至白;魏明帝疑其傅粉。正夏月、與熱湯餅。既[口敢]、大汗出、以朱衣自拭、色轉皎然。

・牛心炙(牛はつを焼いたもの)はまず主賓が食べる。
( →『晋書』王羲之伝
年十三、嘗謁周顗、顗察而異之。時重牛心炙、坐客未[口敢]、顗先割啗羲之、於是始知名)

・現在に伝わってない料理の事例

・曹操が酪(ヨーグルト?)を貰って飲んでいた事例
( →『世説新語』捷悟
人餉魏武一[木否]酪、魏武[口敢]少許、蓋頭上題「合」字以示衆。衆莫能解。次至楊脩、脩便[口敢]、曰:「公教人[口敢]一口也、復何疑?」)

・呉に移り、左思(晋)の『三都賦』に見られる長江の漁の様子。
 →『文選』賦 丙 卷第五 京都下 呉都賦
鉤[金耳]縱橫、網罟接緒。術兼詹公、巧傾任父。筌〓〓、[魚麗][魚嘗][魚少]。罩兩[魚介]、[四/巣][魚高]〓。乘[學の子→魚][元/黽][(口口)/田/一/黽]、同[四/瓜]共羅。沈虎潛鹿、[馬/中][有龍]〓束。[魚(山/一/魚)攵]鯨輩中於群[牛害]、[巉の山→才]搶暴出而相屬。雖復臨河而釣鯉、無異射鮒於井谷。

・現代の中国と違ってこのころは刺身を食べていた→膾(なます)のこと

・華佗と膾のエピソード
( →『三国志』魏書方技伝
廣陵太守陳登得病、胸中煩懣、面赤不食。佗脈之曰:「府君胃中有蟲數升、欲成内疽、食腥物所為也。」即作湯二升、先服一升、斯須盡服之。食頃、吐出三升許蟲、赤頭皆動、半身是生魚膾也、所苦便愈。佗曰:「此病後三期當發、遇良醫乃可濟救。」依期果發動、時佗不在、如言而死。)

・蟹がどれだけ好まれていたかの事例
 →『世説新語』任誕
畢茂世云:「一手持蟹螯、一手持酒[木否]、拍浮酒池中、便足了一生。」

・呉に欠かせない甘味の事例→広州から果物(龍眼など。龍眼の味はライチに似ているそうな)が建業に貢がれる
 →『三国志』呉書士燮伝
燮毎遣使詣權、致雜香細葛、輒以千數、明珠・大貝・流離・翡翠・玳瑁・犀・象之珍、奇物異果、蕉・邪・龍眼之屬、無歳不至。

・孫亮の甘蔗(さとうきび)や蜜に漬けた梅が出てくる事例
 →『三国志』呉書三嗣主伝の注に引く『江表伝』
亮使黄門以銀碗并蓋就中藏吏取交州所獻甘蔗[食昜]。黄門先恨藏吏、以鼠矢投[食昜]中、啓言藏吏不謹。
 →『三国志』呉書三嗣主伝の注に引く『呉歴』
亮數出中書視孫權舊事、問左右侍臣:「先帝數有特制、今大將軍問事、但令我書可邪!」亮後出西苑、方食生梅、使黄門至中藏取蜜漬梅、蜜中有鼠矢、召問藏吏、藏吏叩頭。

・魏にも甘蔗が出てくる例
 →『藝文類聚』卷第八十七 果部下 甘蔗
魏文帝典論曰.常與平虜將軍劉勳奮威鄧展等共飲.宿聞展有手臂.曉五兵.余與論劍良久.謂余言.將軍法非也.求與余對.酒酣耳熱.方食干蔗.便以為杖.下殿數交.三中其臂.左右大笑.

※後日追記。キャンキャンの「那覇黄門」というネタでこれを思い出した。


・蜀の話題に移る。蜀は霧深く日が出ることは稀で犬は日を見て吠えるという
 →柳宗元(唐)「答韋中立論師道書」
僕往聞庸蜀之南、恆雨少日、日出則犬吠。

・雨が多いので米の栽培が行われた。

・蜀のスパイスで有名なもの。椒(山椒、サンショ)。椒を壁に塗り込む事例
( →『藝文類聚』卷第八十九 木部下 椒
應劭漢官儀曰.皇后稱椒房.取其實曼延盈升.以椒塗室.亦取其温煖.)

・→「蜀椒」と呼ばれるほど。

・薑(生姜)と蜀の事例
 →『捜神記』
左慈、字元放、廬江人也。少有神通。嘗在曹公座、公笑顧衆賓曰:「今日高會、珍羞略備。所少者、呉松江鱸魚為膾。」放曰:「此易得耳。」因求銅盤貯水、以竹竿餌釣於盤中、須臾、引一鱸魚出。公大拊掌、會者皆驚。公曰:「一魚不周坐客、得兩為佳。」放乃復餌釣之。須臾、引出、皆三尺餘、生鮮可愛。公便自前膾之、周賜座席。公曰:「今既得鱸、恨無蜀中生薑耳。」放曰:「亦可得也。」公恐其近道買、因曰:「吾昔使人至蜀買錦、可敕人告吾使;使增市二端。」人去、須臾還、得生薑。又云:「於錦肆下見公使、已敕增市二端。」後經歳餘、公使還、果增二端。

・孫権の蜀薑(ミョウガ)?のエピソード(前述の曹操と左慈との話に似ている)
 →『三国志』呉書劉惇伝の注に引く『葛洪神仙伝』
葛洪神仙傳曰:仙人介象、字元則、會稽人、有諸方術。呉主聞之、徴象到武昌、甚敬貴之、稱為介君、為起宅、以御帳給之、賜遺前後累千金、從象學蔽形之術。試還後宮、及出殿門、莫有見者。又使象作變化、種瓜菜百果、皆立生可食。呉主共論鱠魚何者最美、象曰:「鯔魚為上。」呉主曰:「論近道魚耳、此出海中、安可得邪?」象曰:「可得耳。」乃令人於殿庭中作方[土(ク/臼)]中、汲水滿之、并求鉤。象起餌之、垂綸於[土(ク/臼)]中。須臾、果得鯔魚。呉主驚喜、問象曰:「可食不?」象曰:「故為陛下取以作生鱠、安敢取不可食之物!」乃使廚下切之。呉主曰:「聞蜀使來、得蜀薑作齎甚好、恨爾時無此。」象曰:「蜀薑豈不易得、願差所使者、并付直。」呉主指左右一人、以錢五十付之。象書一符、以著青竹杖中、使行人閉目騎杖、杖止、便買薑訖、復閉目。此人承其言騎杖、須臾止、已至成都、不知是何處、問人、人言是蜀市中、乃買薑。于時呉使張温先在蜀、既於市中相識、甚驚、便作書寄其家。此人買薑畢、捉書負薑、騎杖閉目、須臾已還到呉、廚下切鱠適了。

・その他、胡椒など香辛料

・左思(晋)の『三都賦』に見られる蜀の様子。
 →『文選』賦 乙 卷第四 京都中 蜀都賦
百藥灌叢、寒卉冬馥。異類衆夥、于何不育?其中則有青珠黄環、碧[奴/石]芒消。或豐綠[艸/夷]、或蕃丹椒。麋蕪布[シ(艸/隻)]於中阿、風連莚蔓於蘭皋。

・様々な山の幸がある。

・こんにゃく芋

・晋の時代から普及し始めたお茶。はやづみが茶、おそづみを茗と呼ばれる
 →『藝文類聚』卷第八十二 草部下 茗およびその注(括弧内)
爾雅曰.[木賈].苦茶.(早採者為茶.晩採者為茗.)

・呉の孫皓の茶が出てくる逸話
 →『三国志』呉書韋曜伝
皓毎饗宴、無不竟日、坐席無能否率以七升為限、雖不悉入口、皆澆灌取盡。曜素飲酒不過二升、初見禮異時、常為裁減、或密賜茶[艸/(夕ヰ)]以當酒、至於寵衰、更見[福のネ→イ]彊、輒以為罪。

・最後に、「春雷驚龍」(中華おこげの料理名)の調理の動画を見る。雷のような音が入っている。

・「春雷驚龍」(春の雷が龍を驚かせる)は三国志にゆかりのある名前。その逸話の紹介
 →『三国志』蜀書先主伝およびその注(括弧内)
是時曹公從容謂先主曰:「今天下英雄、唯使君與操耳。本初之徒、不足數也。」先主方食、失匕箸(華陽國志云:于時正當雷震、備因謂操曰:「聖人云『迅雷風烈必變』、良有以也。一震之威、乃可至於此也!」)。

 13:42終了。

 質問コーナー。谷館長が龍眼を食べたことがあるそうで、すごく美味しいとコメント。
 谷館長から「蜀ノ会(食の会)」(2008年2月10日)の紹介や諸葛菜や諸葛亮が使っていた壷の説明などが行われた。

 というわけで英傑群像岡本さんから終了をつげられ満場拍手。
 それから一条さんから「南蛮王の贈り物」と称してトマトが皆に振る舞われた。食べたけどかなり美味しかった。

 また英傑群像岡本さんから次回講演の講師を募集しているとのこと。興味のある方は三国志城へご連絡を。

・石城の里 三国志城
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/


 というわけで次のプログラムまでの休憩時間。

 次のプログラムの「三国志壁掛けお面づくり」は本来、外でやる予定だったけど、雨のため、第一展示場と第二展示場の間の屋根のある部分で行うとのこと。
 そのため、一度に全員が参加できず十人ずつの参加となり、プログラムを前倒しし、順々に開始するとアナウンスされていた。


<次記事>第8回三顧会午後2
http://cte.main.jp/newsch/article.php/863

サイト「馬岱の字は伯瞻」


  • 2008年3月29日(土) 18:37 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    6,473
ネット ・サイト「馬岱の字は伯瞻」
http://batai.koyuki000.soragoto.net/
※二月の段階でWikipedia(日本語)にも移植されているようだね。

この手のやつでネットにおいて広がったケースとして私が知っているのは、いずれもサポ板において。
思い出す限り列挙すると

 馬氏の五常
 凌統の妻の名
 周瑜の諡号

ってのがあって、それらは出典のことや原文のことでツッコミどころだった。それを考えるとより強力(ネットでの伝播力が強い)になってきている気がする。あたかも耐性ウイルスと新薬開発との関係を彷彿とさせる。


仮にそういう文献があってそういうことが載っていたとしても、素人ながら「陜西省って書名につく文献は時代が浅くないか?」と思ってしまうんだけど、こんなこと書いていたら、また強烈なやつが来るかもしれないね(汗)
そのうち聞いたこともないような碑文が出てきたりするんだろうか。

<6/1追記>
とりあえず件の地方志は清代のもので出典は明記されていないとのことで。

※関連記事 三サポ板五周年記念オフ会二次会

第8回三顧会午前2


  • 2008年3月29日(土) 00:14 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,075
場所 三国志ジェンガ大会開催中<目次>
http://cte.main.jp/newsch/article.php/858

<前記事>第8回三顧会午前1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/858


●三国志ジェンガ大会

 2008年3月23日11時、山口県の三国志城。
 清岡はバルコニーに入って、自己紹介の時と同じ席に座る。そうするとテーブルに何やら木の直方体が幾つか規則正しく積み上げられていた。
 これはもしやパーティーゲームで使われる道具で、全体として崩れないように木のブロックを抜いていくやつでは? と思っていて、よく見ると、木のブロックの一つ一つには「JENGA」と書かれてある。
 「あぁ、これがジェンガか」と清岡は合点がいく。というのも清岡はずっと「ジェンガ」を「ジェンカ」と勘違いしていて、「どうやって三国志と結びつけるんだ?」と思っていたので(恥)
 おかげでそれがジェンガだと認識するまでずっと頭の中では「レッツ! たこやきジェンカ」がエンドレスに流れていた(今、手元の資料を見ると、『たこやきマントマン』のグリーンの声優は今をときめく水田わさびさんだったんだね)
 そんな清岡の密かなる動揺とは裏腹に、企画は進行している。

 まずノッチさんからルール説明。基本的にはジェンガと同じだけど、ブロックには三国志の人物の姓名が振られており、それぞれ点数が付けられている。参加者が順番にブロックを一つずつ取っていって、この点数の合計点を競うとのこと。
 タワーを倒した者が失格となり、所定時間内であれば、積み上げて続行することが可能とのこと。

 テーブルにはルールと得点表の書かれた紙が貼ってある。その得点表が面白いので以下に転載。

●その他
 呂布 50
 董卓 20
 貂蝉 10
 袁紹 20
 谷館長 50
 張角 20
 華雄 20
 顔良 20
 文醜 20
 何進 5
 公孫[王賛] 20
 蔡瑁 5

●魏
 夏侯惇 20
 典韋 30
 許[ネ'者] 30
 夏侯淵 20
 張遼 20
 司馬懿 20
 徐晃 10
 張[合β] 10
 曹仁 10
 曹丕 5
 于禁 10
 郭嘉 20
 荀[或〃] 20
 程昱 10

●呉
 周瑜 20
 陸遜 10
 太史慈 30
 孫尚香 5
 孫権 20
 呂蒙 20
 甘寧 10
 黄蓋 30
 孫策 20
 周泰 10
 凌統 10
 朱然 20
 丁奉 10
 魯粛 20

●蜀
 趙雲 20
 関羽 30
 張飛 30
 諸葛亮 20
 馬超 20
 黄忠 20
 姜維 5
 魏延 20
 [广龍]統 20
 王平 10
 周倉 10
 馬謖 10
 馬岱 10
 厳顔 10

 何か三国志の人物とは思えないブロックがあって、しかも呂布と得点が同じだというところが笑いどころ。
 清岡が参加したグループは、泊まり組からHiroHiroさんを抜いた八名の面子。

 清岡はジェンガ自体初挑戦だったので、それだけでも楽しめたんだけど、よくあるパーティーゲームでみんなは楽しめるのか?なんて思っていたが、意外や意外、どのテーブルでもみんな大盛り上がり。
 というのもみんな欲しいブロック(つまり三国志の人物)がそれぞれあって、それがゲームへの想像力を刺激する。

 途中で英傑群像岡本さんから追加ルールとして同じ勢力を4個集めると50点プラスされるとのこと。
 おぉ、なるほど三国志っぽい。

 というわけでプレイ中に写真を撮る。

 しかし、二回目でいきなり一番下の層の三つあるブロックのうち真ん中を残して二つも取るだなんて鬼だった。
 いつの間にか、三つ並ぶ内の中のブロックを抜くことを「ドドンパ」という呼び名が付けられて居るんだけど(笑)

 それでうちのグループから勝ち抜いたのは、はなおさん。我らの期待を背負って、決勝戦へと進む。決勝戦は各グループで勝ち抜いた三人による戦いだ。
 他の二人に一条さんが居た(もう一人は名前失念)

 決勝戦は特別ルールで、プレイヤーに三国の君主のうち一人に扮してもらい、自勢力のブロック、あるいは「その他」勢力のブロックしか点数が加算されず、それ以外の勢力のブロックをとると逆に点数が減算されるというルールだ。
 一条さんは諸葛亮コスなのでそのまま劉備に決定し、はなおさんは曹操になった。
 曹操扮するはなおさんだと、魏の人物や「その他」勢力でしか得点にならない。
 孫権がほとんど間を置かずすぐブロックを取っており、かなりの強敵っぷりを周りに示していた。

 中間発表を聞くと、はなおさんがトップだったが、最終的には孫権の独走状態となった。三位に一条さん、二位にはなおさん。三人に賞状と賞品が授与されこのプログラムは終了となる。ちなみに一位は横山三国志のポスター。
 それにしても決勝戦の後半ではタワーの崩れるか崩れないかの緊張が走り、ブロックを取る前は一回一回静寂が訪れ、取った後には一回一回どよめきが起こっていた。三顧会でそんな静かになることなんて初かもしれない。


 というわけでお昼休みに突入。
 清岡は普段、一日二食であり、食費を一食分浮かす意味も込めて、特に食券は購入しないでいた。そのため、特別企画展示場に行き、そこで待機することとなる。

 時間つぶしに、ノートPCを開け、普段通り、UTF-8のテキストファイルに漢文をピックアップして貼り付け、訳していた。確か『後漢書』袁紹伝の初平元年や二年あたり。
 寝不足で余計なことを考えられないせいか、妙にはかどっていた。

 そういう風にイスの上でくつろいでいると、12:50ぐらいに三顧会について(今回はなぜ三月に開催されたとか)質問をしてくる人が居た。メモを取りつつ尋ねていたのでこの人、何だろう?って思っていたらどうも読売新聞の記者さんとのこと。あまりにも自然な入り方なんで気付かなかった。
 それで三顧会にはどういった人が参加するかって話の流れになり、ちょうど清岡がノートPCの画面上に漢文を読んでいたので、流れでなぜかその画面を見せつつ時には『字通』CD-ROM版で漢字を引きつつ説明していた。三国志ファンに対して記者さんに変なイメージを与えてなければ良いが、と懸念していた。
 だけど、その後、記者さんはコスプレの皆様の集合写真を撮っていたので、記事としてはそちらが使われるだろうと少し安心する。

 後日、ネットには三顧会の記事が挙げられることがなかったので、どんな記事か、あるいは記事が載せられなかったのか確認することができなかった。
 過去の三顧会では間近でみた取材状況とその結果としての記事とを比較し随分、楽しませて貰ったので、それを思えば判らないのは残念といえば残念だ。

※参照記事 中国新聞に三顧会の記事


 記者とのやりとりをしていると特別企画展示場で周りに人が集まってきており、いよいよ次のプログラムの三国志講演会が始まる空気になっていた。
 というわけで、スクリーン前に座る場所を確保し、開始に備える。


<次記事>第8回三顧会午後1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/861

第8回三顧会午前1


  • 2008年3月28日(金) 12:54 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    4,280
場所 山口県光市で「石城の里 三国志城」という資料館が1998年9月13日に設立された。名前の通り、『三国志』や『三国演義』に関する資料を展示する施設であり、そればかりではなく「三国志クイズラリー」や「年忘れ餅つき大会」など各種イベントも開催されている。

・石城の里 三国志城
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/

 そんな中、2004年1月3日に三国志城の常連により「三国志城突発オフ会」が行われ、その対象を三国志ファン全般に拡張し、三国志城主催で2004年8月15日に「三顧会」という交流会が開催され、それ以降、年二回のペースで続いている。

○過去の三顧会参考記事
 2004年8月15日 第1回三顧会 ※個人サイトの日記
 2005年5月4日 第2回三顧会
 2005年8月14日 第3回三顧会
 2006年5月4日 第4回三顧会
 2006年8月14日 第5回三顧会
 2007年5月4日 第6回三顧会
 2007年8月14日 第7回三顧会


 そして迎えた2008年3月23日の第8回三顧会。

 当日のタイムスケジュールは下記のようになる。それぞれのプログラムにリンクを張る。

[ 3月23日 第8回三顧会イベント内容 ]

 9時~  三国志城オープン
 10時~ 三顧会あいさつと自己紹介
 11時~ 三国志ジェンガ大会
 12時~ お食事時間
 13時~ 三国志講演会 「三国時代の食」
 14時半~ 参加型イベント「三国志壁掛けお面づくり」
 15時頃 三顧会終了のあいさつ
 17時頃 三国志城クローズ


 清岡は前日より三国志城の特別企画展示場に居て、6時前には目が覚めていた。

※参照記事 第8回三顧会前夜祭

 いつもだったらノートPCを持って外に出て電波の届くところまで行ってメールのチェックなどをするんだけど、晴れていた昨日と打って変わって外では雨が容赦なく降り注いでいた。もしかして三顧会初の雨天開催?などと思っていた。
 仕方ないので、すぐ身支度をし、持ち込んだ缶コーヒーを飲みながらまったりする。特別企画展示場の「第八回三顧会」の文字とスクリーンを写真に撮ったりした。

 8時ぐらいに朝食のため、食堂へ移動。
 ワタナベさんには挨拶代わりに「昨晩は張角の夢を見ましたか?」と言っておいたが(笑)
 食堂では泊まった人の誰かが持ち込んだ『ジャイアント・ロボ THE ANIMATION 地球が静止する日』のDVDが流されていた。諸葛亮が出ていることを確認できた。
 そんな中で、英傑群像岡本さんも交え泊まり組九名で朝食を頂く。相変わらず美味しい。
 『ジャイアント・ロボ』の各シーンに対して「かわいいー!」と声が飛び交っている中、英傑群像岡本さんが「あれ、かわいいか?」とツッコミを入れているのが妙に印象的な場だった。

 食事を終え、DVDを見てまったりしていると、仮装士 義さん来館。雨の中、コスプレの大きな荷物を持っており、とても大変そうだった。そういや仮装士 義さんとは2007年5月27日の「三国志の宴2」以来。と思っていたら、「三国志の宴」の話を始め、その他、道中の話などでしばし談笑。
 そうするとその場に無双5曹丕コスをした神城さんが来られ、仮装士 義さんと挨拶していた。お互いネットでは知り合いだったけど、初対面だったようだね。

 傅僉さんが来館。今回はスタッフとのことで、前日見せてもらったスタッフTシャツをその場で着ていた。
 それとなぜか無言で「清岡」と書かれた名札を渡された(笑)。そう今回も参加者には名札の用意がされていて清岡は前回も参加したのですでにあるってこと。しかし自分で書いておきながら、名札のルビの部分が一部、間違えており黒く塗りつぶされている(汗)

 参加者が食堂に集まってきて、10時を過ぎた頃、バルコニーに集まるように告げられる。

 
●三顧会あいさつと自己紹介

 始めのプログラム。前回は冷暖房がある特別企画展示場で行っていたが、今回は春の良い気温ということで、バルコニーが会場となる。しかしながら大雨で気温が下がっているせいか、ストーブが用意されていた。

 まず司会進行のノッチさんからマイクで三顧会開催が告げられ、次に谷館長からの挨拶。
 そして好例の参加者の自己紹介。マイクが順に回されていく。言う項目は前回と同じく、名前、どこから来たか、好きな人物、好きな三国志作品など。

 今回も前回同様、今の三国志ファンの動向を知るに貴重な資料となるため「好きな三国志作品」については覚えている限り(つまり部分的に)列挙してみよう。以下。

 秘本三国志横山三国志龍狼伝覇-LORD-DRAGON SISTER! 三國志 百花繚乱アレ国志三国志大戦3吉川三国志真・三國無双5真・三國無双シリーズ、呉三国志、PHP文庫の『孫策』、人形劇三国志三国志 中原の覇者

 最後は英傑群像岡本さん。冒頭で「三顧会は初めての参加」と言ってボケを入れて笑いをとりつつ、最後は大三国志展に三国志城から出展することの紹介をして締め。

 それから好例の三顧会三回目の参加者に谷館長直筆色紙プレゼント授与コーナー
 今回は一条さんお一人ってことで。前々回は無双4の左慈、前回は無双4の呂布、一条さんは今回、『人形劇三国志』諸葛亮コスをされている。

 これで始めのプログラムは終了なんだけど、今回、バルコニーの東の壁に木と枝が描かれた板が掲げられており、参加者全員に一枚ずつ桃の花びらを模したピンクの紙が配られ、そこに三国志に対する思いを書き込んで、絵の木に貼る趣向とのこと。

 ここで今回の三顧会の大まかな流れが説明される。それぞれのイベントの参加不参加は自由とのこと。
 お昼は関羽カレーと周瑜うどんのみの販売のみ、などアナウンスされる。9:35、一旦、解散。次のプログラムは10時の三国志ジェンガ大会。

 とりあえず先ほど配られた桃の花びらの紙にメッセージを書く。著名はしなかったが清岡だとわかりやすい文を書いておいた。
 何のメッセージを入れるか、でその場では「私が国を立てて『四国志』にしてやる!」なんてギャグが飛び交っていた(笑)

 自己紹介のときにすでに様々なレイヤーさんを見かけていた。ミーさんは大戦2の小喬コスをしていた。
 横光諸葛亮コスが雪代さんだとすると、あの隣の人は「アレ国志同盟」の管理人さんかな、と思いつつも清岡が「Yahoo!コミック」の連載を追いかけるぐらいであまり『アレ国志』を知らないものだから結局、確認しないまま声も掛けず終いだった。
 さらに横光徐庶コスのアスナさんや横光[广龍]統コスで場がビジュアル的に賑わっていた。
 あとここに遜 瑜懿さんの大戦の周瑜コスが加わることとなる。

 と、ここでついでに今回の三顧会でどんなコスプレがあったかまとめてみる。

 人形劇三国志 劉備、諸葛亮
 横山三国志 諸葛亮、徐庶、[广龍]統
 真・三國無双5 曹丕
 三国志大戦2 小喬、周瑜

 今回は珍しく無双系が最も少なかった。

 食堂に戻ると、地元ケーブルテレビのKビジョンのカメラが入っていて、取材されていた。
 それを横目に人形劇三国志の劉備の仮装士 義さんと一条さんと話す。そうすると一条さんが他にも衣裳を持ってきているってことで、コスプレされているお二人(というか人形劇三国志の水魚)からそれを着るよう熱心に勧められる(笑)。押し負けそうになったので、話題を変えようと、そういえば「始皇帝と彩色兵馬俑展」で衣裳を着れて撮影もできる「変身コーナー」があった、という話を振ると、少し離れたところから英傑群像岡本さんが「(広島の巡回のときに)あれ、着ましたよ」と応答がある。その食い付き具合が妙におかしかったので思わず笑ってしまった。
 その展覧会の「変身コーナー」には子ども用の鎧があったんで、話題がそれに変わる。一条さんが「子ども用の衣裳を作るのがサイズをどれに合わせれば良いのかわからない」ってことをおっしゃると仮装士 義さんが「大きめにつくってギャザーを入れてフリーサイズにすれば」とおっしゃり結構、具体的かつ本気で話されていた(笑)。その後は「大三国志展」の話題へ。
 折角だから、仮装士 義さんの勇姿を取ろうとデジカメを特別企画展示場に取りに行き、戻ってきたら、Kビジョンの取材を受けていた。そこで撮った写真が右上の写真。

 仮装士 義さんから「(三国志ジャンルの)2000年代ブームは結構、三国志の細分化が進んでいるから…これがバラバラになっちゃわないと良いんですけどね」という話を振られ、そこから三国志ジャンル論に移行する。仮装士 義さん曰く、三国志ジャンルの90年代ブームはそういった形で細分化し離散化し終わった、とのこと。
 ここで90年代ブームを知らない清岡は興味深かったのであれこれ尋ねてみる。そうすると答えて曰く、地方のフリークが各々好きなものに別れていってどんどん小さくなっていって消えていった、とのこと。当時、ネットも普及していなかったので横の連携が取りにくい状況だったんだろう。

※参照記事 公式サイト

 話によると、ちょうど1996,7年ぐらいからブームの衰退が始まったらしい。だけど、『蒼天航路』が残ったので、それが新しい「幹」になったとのこと。傍証として『真・三國無双』シリーズも『三国志大戦』シリーズも人物設定や造形が『蒼天航路』っぽいところがあるらしい。
 この「幹」の存在は大事で、それを考えると「幹」がなくより細分化している2000年代ブームは危ういなぁ、と二人して話していた。あだ花はいっぱい咲くけど、どうかなぁ?、と。
(ここで清岡は東浩紀/著『動物化するポストモダン』の「データベース型消費」を連想していた。「幹」=「大きな物語」ってあたり)
 あと清岡からは90年代ブームで知っていることと言えば、同人界で横光の赤備え曹操が流行っていたということぐらい、と言っていた。
 とりあえず三国志ブームは十年周期らしい。80年代ブームもあったとかで(『人形劇三国志』とか?)

 あと仮装士 義さんの印象では今の三国志作品は「三国志、みんな知っているでしょ?」といった前提で特に説明がされないのが特徴だとのこと。『鋼鉄三国志』も『三国伝』も。例えば西遊記作品もそういった前提を話さないのが多いから、それぐらい三国志関連もメジャーになったのでは?とおっしゃっていた。
 『レッドクリフ』でまた別のファン層が入ってくるのでは?と清岡が話を振ったら、ジョン・ウー監督だから弩を二丁持った周瑜が跳んできてバックに鳩がばっと飛び無駄に雨が降るというネタが飛び出ていた。そのネタっていろんなところで聞くんでジョン・ウー監督の共通認識はそうなんだ、とそういう意味でも清岡は笑っていた。

 ここで一条さんも話に交える。『覇-LORD-』が「幹」に成りうるんじゃないか、と清岡が話を振ると、仮装士 義さんはあれも三国志を知っている前提なのでは?とコメント。
 『覇-LORD-』は様々な意外な設定を出しているのに関わらずメインの流れは『三国演義』に忠実だと清岡は話を振る。仮装士 義さん曰く、三国志作品の難しいところは終わりは決まって居るんでどこに着地点を持っていくか、とのこと。つまり、風呂敷を広げるのは簡単だけど、如何に畳むかが困難なんだと。
 ここでいろんな作品の収拾のつけ方の話に移る。一条さん曰く、簡単なのは董卓討伐のところで終わるのことだ、と。それで清岡は2005年の三国志漫画ブームを思い出し、例として口に出し、連載終了になったものは確かにそのへんで終わっていると言う。一条さん曰く、ただしそこで終わると諸葛亮が出てこないというデメリットがある、と。仮装士 義さん曰く、そこでどうやって諸葛亮を登場させるようねじ込むか各作品で苦心の跡が見える、と。
 それで「(諸葛亮を)ねじ込まないで終わった『覇王の剣』はすごく好きなんですよ」と仮装士 義さんがおっしゃり場をわかせる。「(『週刊少年チャンピオン』で連載していた)『さんごくし』はナレーションで(諸葛亮字)孔明を持ってきている」と一条さんがおっしゃりそれにもウケた。
 ここで物語上で、如何に諸葛亮と劉備を描くかの話に移っていく。実は再評価が遅れているのは、劉備じゃないか、と出ていた。


※追記 リンク:ファンクラブ


 11時近くになっていたのでノッチさんからアナウンスが入り、一同、三国志ジェンガ大会の会場となるバルコニーへと移動する


<次記事>第8回三顧会午前2
http://cte.main.jp/newsch/article.php/859

『超アレ国志』6月23日発売予定


  • 2008年3月27日(木) 18:11 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,381
マンガ

<5月11日追記>
手元のアクセスログで「超アレ国志」って検索があったんで、検索をかけてみると、『超アレ国志』540円6月23日発売となっているところに行き着く。
前巻の単行本に巻数表示がなかったから、こういうタイトルになるのは納得できるところ。
まだ公式発表がないんで、タイトルに(未確認)と付け加え書き替えておく。
<5月22日追記>
タイトルは確定ではないが(まだ第2巻表記)「Yahoo!コミック」によると、発売日は6月23日とのこと。
→コミック三国志マガジンのブログで確認

<6月20日追記>

下記のコミック三国志マガジンの公式ブログの記事によると、アニブロゲーマーズにて購入すると、末弘先生の描き下ろしペーパーが付いてくるとのこと(※数量限定)

・超アレ国志できました! 購入特典情報もアリ! (※コミック三国志マガジンの公式ブログ)
http://www.comic-flapper.com/3mgz/blog/?p=79
<追記終了>

「Yahoo!コミック」で『コミック三国志マガジンWeb版』のアレ国志のところを見ると、

--引用開始---------------------------------------------------------
●単行本コミックス「アレ国志」も好評発売中です! 第2巻は6月発売予定!!
--引用終了---------------------------------------------------------

となっており、つまり、末弘/著『アレ国志』第2巻は6月に発売予定とのこと。
(詳しい日付が判れば追記する予定)

※関連リンク
・sue-hilo's hellterskelter
http://hellterskelter.blog58.fc2.com/
・コミック三国志マガジン
http://www.comic-flapper.com/sangokushi.html
・Yahoo!コミック
http://comics.yahoo.co.jp/

※関連記事
 『コミック三国志マガジン』サイトリニューアル(2008年3月5日)
 コミック三国志マガジン(2007年9月27日配信開始)

※追記 メディアファクトリーのコミックス情報(2008年8月23日)

※追記 漢晋春秋司馬仲達伝三国志 しばちゅうさん(2010年10月26日)

※追記 大アレ国志 上下巻(2011年10月22日)