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メモ:『後漢書』傅燮伝


  • 2009年10月 4日(日) 00:21 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,765
歴史 ※関連記事
 『後漢書』朱儁伝の冒頭
 メモ:東漢人多為舉主行喪制服

 上記記事にもあるように、たまに手元の『後漢書集解』を読むわけだけど、今さらながら『後漢書集解』傅燮伝冒頭の集解部分が気に掛かる。

・『後漢書』傅燮伝

※本文

傅燮字南容北地靈州人也

<清岡による訳> 傅燮は南容と字し、北地郡の霊州県の人だ。

※「靈州人也」にかかる李賢注及び集解部分

靈州縣也[集解]惠棟曰此傳
全採燮孫元所撰傅子也

<清岡による訳> 霊州は県だ。[集解]恵棟が言う。この伝は全て傅燮の孫の元が撰した傅子を採用した。

※清の康煕帝の諱を避けて「傅元」になっているが、「傅玄」のこと。


 恵棟という人は清代の人だそうで、特に論拠が書かれていないものの、『後漢書』傅燮伝を読んでいると、妙に納得してしまう。例えば、袁宏『後漢紀』と見比べて、范曄『後漢書』には、傅燮から子の傅幹への発言中に傅幹の小字となる「別成」が明記されており、さらには脈絡無く唐突に「主簿楊會、吾之程嬰也。」と出てきている。素人目に見て、前者は北地の傅家に縁のある者しか知らなそうだし(他家の者にとって記録に残す意味がなさそう)、後者は傅家と縁のある家の者が家伝みたいな者に入れ込まれたと考えると妙に納得できる。

 この集解部分を再認識したきっかけが下記のブログ記事。もっともそこの本題ではなく、冒頭のところに反応してしまった形になっているけど。

・思いて学ばざれば
http://d.hatena.ne.jp/mujin/
・関羽は左伝をそらんじたか - 思いて学ばざれば
http://d.hatena.ne.jp/mujin/20080708/p2


 ちなみにそれぞれの成立年代はざっと(三国魏?)西晋傅玄『傅子』、東晋袁宏『後漢紀』、劉宋范曄『後漢書』というようになっている。ここらへんから「党錮の「名士」再考」的な視点で論じられないかな、とぼんやりと思ってしまう。

※関連記事 メモ:「党錮の「名士」再考」


・寒泉
http://210.69.170.100/s25/index.htm

 それで実際、『傅子』で傅燮のことがどう記述されているか気になって、まず『傅子』のことを知ろうと思い、上記のサイトにある紀鈞『四庫全書總目』で「傅子一卷」(子部 卷九一 子部一 儒家類一)のところを見てみると、下記のようになっており、散逸していて見あたらなさそうだ。

宋《崇文總目》僅載二十三篇,較之原目已亡一百一十七篇,故《宋史・藝文志》僅載有五卷,其後惟尤袤《遂初堂書目》尚見其名。


 そこでサイト「中国盲人数字図書館」の電子図書を通じ、『太平御覧』を当たってみると、下記のように「卷五百一十二 宗親部二 伯叔」で少しだけ載っていた。

※関連記事 リンク:中国盲人数字図書館 電子図書


・『太平御覧』卷五百一十二 宗親部二 伯叔

《傅子》曰:傅燮字南容。奉寡嫂甚謹,食孤侄如赤子。

<清岡による訳> 『傅子』に言う。傅燮は南容と字す。寡の嫂を甚だ謹んで奉じ、孤の侄(おい)を赤子のように養う。

※『禮記』王制に「少而無父者謂之孤.老而無子者謂之獨.老而無妻者謂之矜.老而無夫者之謂寡.」とあって、つまり「寡」は老いて夫のいないことを言い、「孤」は若くして父の居ないことを言う。


 この記述は『後漢書』傅燮伝には無い記述なので、仮に恵棟の説が正しいとしても、過不足無く『傅子』から『後漢書』傅燮伝へ写された訳ではなさそうだ。
 あと、この記述はそのままだと意味がわからないんだけど、つまり親戚に対し面倒見が良いということだろうね。

※追記 三国志愛溢れるカードゲーム「サンゴク」にもっと武将を増やしたい!(クラウドファンディング2014年11月-12月)

※追記 木簡と中国古代(2015年2月)

※追記 三國志研究第十号(2015年9月5日)

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