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プチオフ会「諸葛亭へ一顧しよう!」1(2008年9月13日)


  • 2008年9月18日(木) 22:24 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,038
ネット ※前記事 第9回三顧会(2008年8月16日午後2)


・三国志ファンのためのサポート掲示板
http://cte.main.jp/
・2008年9月13日夜のプチオフ会 (※「三国志ファンのためのサポート掲示板」投稿)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3178

※関連記事 プチオフ会(東京、2008年9月13日夜)

 上記のように「三国志ファンのためのサポート掲示板」にお知らせした2008年9月13日19時からプチオフ会が開催された。

 清岡はその日、昼特急高速バスで東京に向かっていた。渋滞やら最近の天候不順やらで遅れが出るかもと懸念していたが、定刻通り、17時前に新宿駅新南口に到着。
 プチオフ会への集合時間である19時まで二時間あるので、そこから急いで新宿駅に行き都営新宿線で神保町へ移動。予め「日本の古本屋」で調べ、欲しい本がどの店にあるか知っていた。

・日本の古本屋
http://www.kosho.or.jp/

 お目当ては『漢代都市機構の研究』。図書館で借りだしていたんだけど、制度や名称の確認のため結構、頻繁に開けるんでこの際だから買ってしまおうと。
 調べた店に行ってみて汲古叢書の棚を見ても置いてない。しばらく自分の力で探し出そうと思ったけど、時間の無駄と判断し、店の人に聞いてみると、どうやら取り寄せの分も「日本の古本屋」に情報をアップしていて、棚にない分はないとのこと。
 がっくりする間もなく、時間が押していたので、次の目的であるホテルのチェックインに向かう。都営半蔵門線→都営丸の内線→JR京浜東北線と乗り継ぎ蒲田のホテルにチェックイン。時間は18時15分で、ほとんど何もする間もなくホテルを出て、JR京浜東北線→都営浅草線と進み、何とか19時数分前に東銀座駅へ到着する。

 ちなみに運の良いことに、この次の日に開催された国際学術シンポジウム「魏晋南北朝史と石刻史料研究の新展開」にて汲古書院が出店しており、『漢代都市機構の研究』を購入できた。しかも全品二割引。ちなみに『狩野直禎先生傘寿記念 三国志論集』も置いてあった。
 チラシをいくつか貰ったけど、高村武幸/著『漢代の地方官吏と地域社会』というのが面白そう。以前、サポ板で話題に出ていた「秦漢代地方官吏の『日記』について」も収録されているしね(あと長沙呉簡関連の論文も執筆されているようだね)。まずは『漢代の文物』や『漢代都市機構の研究』と同じく図書館で借りてきて、よく使うようであれば購入という流れだね。

 話を13日の東銀座駅に戻す。駅構内にある集合場所に向かうと、すでにUSHISUKEさんと三口宗さんが来られていた。お二人とは2008年6月1日の「三サポ板五周年記念オフ会」以来。

※関連記事 三サポ板五周年記念オフ会(2008年6月1日)

 しばらく話していると、ぐっこさんと見知らぬ人が現れる。前もっての情報でぐっこさんと一緒に居るということはそれが維新さんだということがわかる。維新さんとは初対面だけど、ぐっこさんとは2008年7月27日の「ぐっこ どっと ねっと」オフ会以来。

※関連記事 「ぐっこ どっと ねっと」オフ会(カラオケ)

 残りの参加者は遅れるということなので、一同、会場となる「諸葛亭」というお店へ向かう。

・中国四川風料理 諸葛亭(グルメぴあ)
http://g.pia.co.jp/shop/84320

・諸葛亭(食べログ.com)
http://r.tabelog.com/tokyo/rstdtl/13045948/

※関連記事 諸葛亭

 上記サイト等で諸葛亭までの道が清岡の頭にはインプットされていて、得意げにUSHISUKEさんに言っていたんだけど、話している間に、この中でUSHISUKEさんが諸葛亭の第一発見者であったことを思い出し、妙に気恥ずかしい気分になっていた。

 そして大通りの横町を入ると、高級料理店のとなりに出てきたのが写真の諸葛亭。
 USHISUKEさんはそのまま入ったけど、残りの四人は店の前で写真を撮りまくる(笑)。

諸葛亭の外観三国火鍋

 それで店の中に入ると二階へ通され、さらに奥の十人ぐらい座れるテーブルへ通される。それで下のように座る。括弧付けはその時、まだ来ていない方。


  三口宗さん USHISUKEさん (Riangさん) (おりふさん)

   テ ー ブ ル テ ー ブ ル テ ー ブ ル 

        清岡  ぐっこさん  維新さん

            窓側(北側)


 まずは飲み物。特に三国志関連のメニューはないようだから皆、思い思いの飲み物を注文。そういや上野の店にカクテル「三国志」なんてあったな、なんて話していた。
 待っている間、維新さんから新しい三国志ファンは次から次へと生産されるという話題が出て、三口宗さんからは意外と三国志サイトの管理人は受験とかで離れてしまうって返ってくる。

 とりあえず注文する食べ物は「三国火鍋」のお試しセットを頼むことに皆の意見が一致。

USHISUKEさん「挑戦的な人は、こういう肉まんなんかも(三国火鍋に)ぶち込んだり」(一同笑)

 ここで維新さんから「諸葛亭ですからね」と入る(※宋代の高承『事物紀原』卷九 酒醴飲食部だと、諸葛亮は饅頭の発明者だとされている)。さらにぐっこさんからは諸葛菜ないかな、とかぶせる。いきなり三国志オフ会っぽくなっていた。

 飲み物が来ると、清岡が「ひとまず乾杯しますか」というと、USHISUKEさんがすかさず「清岡さんから(乾杯の音頭を)」と言われる。USHISUKEさんに頼もうとしたんだけど先を越される。

清岡「今日はみんなボクのために集まってくれてありがとう!」

というネタを言った後に一人ツッコミを入れ、まともに言い直す。

 店に入る前、USHISUKEさんが「さんごくひなべ」と言っていたんで、すかさず清岡が「訓読みなんですか?」ってツッコミを入れて入れていたんだけど、注文を取りに来た中国人の店員さんに何と読むか聞いたら答えて曰く「さんごくひなべ」(笑)
 ちゃんと中国語読みも聞いてみんな口真似したがうまく言えず(笑)。とりあえず三国火鍋を三人前1セット。その他、エビ玉とか適当に鶏の四川煮。

 ここの五人でUSHISUKEさん&三口宗さんと、ぐっこさん&維新さんは初対面ってことで、USHISUKEさんからぐっこさんに質問が行く。
 ぐっこさんはSLG『三国志』のリプレイサイトから始めたという話。「南蛮王呂布」の話ね。

・南蛮王呂布の痛快活劇
http://gukko.net/modules/nanban/

 USHISUKEさんはその場で携帯電話を通じアクセスする。
 それと、今日が宮城谷三国志7巻の発売日ですね、と清岡が話すと、その日、神保町に行ったぐっこさんは後悔していた様子で、さらに『三国志集解』を今回もゲット出来なかったとのこと。誰か中国に行く人を探し出し、みんなで頼むってアイディアを話していた。

 ここで清岡から『BS熱中夜話』の話を振る。三夜の構成についてはウケていた。この中には出演される方もいらっしゃってネタバレになりそうなので話題内容は割愛するが。
 あと『蒼天航路』のアニメ化話。ソースからしてあやふやなので割愛。

 話している間も料理が来ていて、鶏の四川煮はすごく辛そう。食べてみるとそうでもなかったので、日本人向け?なんて言っていた。ぐっこさん曰く、ココイチの1辛とのこと。USHISUKEさんは四川省へ行ったときに麻婆豆腐食べたそうなんだけど翌日腹がやられたそうな。

 そして本うち、三国火鍋。まずは写真を撮る。
 鍋は三つに区切られており、三つスープがあるけど、それぞれどこの国?って話で、清岡による蘊蓄が入る。蜀漢は後漢を引き継ぐ国だから、火徳の赤、それ以外は(五行相生説に則って)火徳から土徳へ継承されたということで黄色だと言う。もちろんツッコミが入っていて、ぐっこさん曰く「四川料理だから赤だと思っていた」と至極真っ当な意見(笑) 逆にUSHISUKEさんからは「そんな、深いんですか?!」と来て、清岡は調子に乗って澄まし顔で「私は(店のサイトの)写真を見たときからピンと来ました!」とうそぶく。

※参考記事 2006年3月11日「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」午前レポ

 ちなみに蜀漢は激辛スープ、魏は薬膳スープ、呉は白湯スープ。

 その話から発展して、魏と呉の間の敷居を指し「ここは長江です」なんて言ったり、三口宗さんから蜀のスープがあからさまに沸騰していると指摘があれば、「漢中辺りが熱いんですよ!」と言ったり、ギャグに走り出す。
 そしてネタに走ってばかりなのもダメなんで、具を入れ始める。どういう風に入れていくの?という問いに、やはり「蜀は物資が少ないのであまり入れない」とかネタに走り初めたいところを、結局、均等に入れることに。

 ここで清岡が初対面の維新さんに「どこの国のファンですか?」と問うと「国が分かれる前」と返ってくる。「そういえば(ネットでの交流では)そうだった記憶がありますね」と清岡。そして好きな人物は傅燮とか朱儁とかとのこと。
 清岡は先月、傅燮小説を書いていたものだから個人的にたくさん傅燮の話をしたかったんだけど、知らないだろう周りに気を遣って、傅燮から広げて、その師匠の劉寬をまず調べて、なんてことだけを言っていた。

 そこから模試や試験で出てくる三国志ネタの話。三口宗さんが受けたやつだと孫休の漢文が出てきたそうな。なんてマニアックな!

※参照記事
 早稲田大学の入試で三国志関連
 立命館大学の入試で三国志関連


 ぐっこさんの話だと昔、Googleはタイトルにその単語さえ入れておけば、上位に来やすかったので、「李膺」と検索すると「学園三国志」のページが上位に来ていたとのこと。皇甫嵩や朱儁もそうだった。ここで知らない方のために、ぐっこさんより「学園三国志」という企画の説明。

・学園三国志制作委員会本部
http://gaksan1.hp.infoseek.co.jp/


 そう話していると、19:40におりふさん登場。清岡とは昨年の三国志学会大会以来。
 実は、おりふさんはここに来る前にmixiのコミュニティの「総合三国志同盟」のオフ会に出ていたそうな。

・総合三国志同盟WEB
http://s-sangokushi-d.com/

※参照記事 扶助会構想

 やっぱり清岡からは三国火鍋の国の説明から入って、おりふさんとぐっこさん&維新さんの初対面同士の自己紹介。

 「総合三国志同盟」のオフ会は企画がきっちり決められているところや著名な先生を呼ぶときもあるといった特長や、三顧会の話をしていた。

 そこらから三国志オフ会の女性比率の話になって、最近の若い三国志ファンと話をするには『三国志大戦』を知っておかなければって話題になる。やはり若い三国志ファンの『三国志大戦』が共通言語になりつつあり、そこらへんで他の『三国志大戦』を知らない層とのバリアが形成されつつあるそうな。

清岡「だから、そういう専門サイトを作れば良いんですよ、wikiか何かで。(最近の若い三国志ファンとも)話せる対応表みたいなのを作って…」
(一同から深い歓声が挙がる)

三口宗さん「少しだったら協力できるかも…」
清岡「いや、本気にしないでくださいよ?(笑)」

とツッコミを入れたものの、みんなその話に飛び付いちゃったもんだから、どんどん話が具体的になる。携帯電話でそのサイトにアクセスしカンニングペーパーのような使い方ができるとか、和英と英和があるように『三国志大戦』ファンも使えるようにするとか。

※参照記事 2008年1月13日 末期オフ会(仮名)

 そこから具体的な三国志の人物が挙がりこの人物はどう書けば良いかてな話や他の三国志関連作品にも拡張させる話、既存のデータベース(現実のリソース)を利用する話など、どんどんアイディアが出てくる。
 ぐっこさん曰く「wikiだと解る人がどんどん足していってくれるだろう」に対し清岡曰く「現行のWikipediaでも問題になっているように、チェック機関が必要になるかもしれない…そうじゃないと『華陽国志』諸葛亮伝とか存在しない出典を明記されたり」とか、維新さん曰く「現実的な話、大戦と無双ばかり書き込まれてそこらへんぐっちゃぐちゃになったりして」とか会話が弾む弾む。
 あと携帯対応でwikiもあるそうなのな。
 wikiは誰かが音頭を取らなければ動かない、とぐっこさん、自説を唱えやすい構造になっている、と維新さん。
 そこから現実の教科書的な出版物(三国志ものではない)でも自説を展開している場合があるって具体的な例を挙げ(※思わずz「解りにくい喩え」とツッコミを入れてしまう清岡・笑)、

ぐっこさん「羅貫中からでさえ『三国志』を読み間違えていたり…わざとじゃなく本気でミスっていたりするときとか…」
ぐっこさん「ちょっと眠たかったんやろなぁ、って」
(一同笑)

てな感じで繋がる。その点、素人は最悪、失笑で、最高は訂正してくれる、と清岡。

ぐっこさん「(『三国志』は)二次創作をしている身からしてみると、よくできた設定資料集で、元ネタでもあるから、どっぷり『真・三國無双』やっている女の子でも『三国志』を見たらトキメく、と」
(一同納得)

 「トキメく」と言い切りましたね、と清岡がツッコミを入れると、何故か801方面に盛り上がる、ぐっこさん&維新さん。
 そして清岡が某検索サイトで審査のため、毎日のようにそっち方面の作品に目を通していると告げると、ぐっこさんから今、(孫権と)谷利ものはあるのか?って聞かれる。
 昔、「谷利」と検索するとぐっこさんのサイトが引っかかったそうな。清岡、答えて曰く「今は(そっち方面で)谷利も出てきていると思いますけど、そういうサイトは検索避けがバッチリなんで検索しても絶対引っかからないと思いますよ」。
(※三年前まで「801? 矢追純一?」とか言っていたオフ会なんで、その後、その場では一部だけ盛り上がっていると客観視させるようなツッコミを清岡から差し上げました・笑)

 その後、おりふさんからのアイディアで「同盟」と称して三国火鍋のスープを混ぜて飲む試みがなされていた。やはり諸葛亭とあって蜀漢が味の濃さで勝つそうな。

 ここで『三国志』で暗殺される人は意外と少ないって話から、蜀の官職の権限の話になる。
 暗殺されたといえば、清岡は北宮伯玉ぐらいしか思い浮かばないって話(※「其冬、徴温還京師、韓遂乃殺邊章及伯玉・文侯、擁兵十餘萬、進圍隴西。」『後漢書』董卓列傳より))から異民族関連の話。戦争で勝てそうになかったら刺客を送り込んで殺す、軻比能の例(※「至三年中、雄遣勇士韓龍刺殺比能、更立其弟。」『三国志』魏書烏丸鮮卑東夷傳より)。そこからしばらく軻比能話。維新さん曰く「どうしてもゲーム的に考えてしまう」って話で、シミュレーションゲームでそういった異族鎮静の特殊能力があれば面白いって話題で盛り上がる。
 例えば、呉だと賀斉が居ないと山越を鎮静できないって流れで、おりふさん曰く「賀斉が居ないとクリアできないゲーム」(一同笑)。そのゲームだと陸遜はますますオールマイティになるなぁ、って話になっていた。ちなみに、ぐっこさん&おりふさんによると実際のSLG『三國志』だと厳白虎には山越が攻めないばかりか、厳白虎の援軍になるという。清岡からは今日開催された魏晋南北朝史研究会で山越に関する発表があったと告げる(※後日、端的に人伝えに聞くに、「山越」以外の単語で、史書に見られる「山民」や「百越」などの意味の近い単語がフォローし切れていなかったそうで、結論部分の、呉の正統論のために「山越」がでっち上げられたのでは?という論拠に響いていたそうな)。『後漢書』では山越は陳寅のところに出てくると清岡(※「丹陽山越賊圍太守陳寅、寅撃破之。」『後漢書』本紀、但し表示できる漢字に換え「寅」にしている)。そこから丹陽太守の話→秣陵の話→金陵を秣陵に換えた始皇帝の話呉の正統論になる。
 そして実際の山越って漢人と見分けがついたの?って話になる。そこから越(ベトナム)の話になり、女武将・趙嫗の話になる。『お笑いマンガ道場』の富永先生の絵のようなイメージ。

 ここで三国志関連作品話。劉備が倭人だったとか、高校生がタイムスリップしたとか(おりふさん曰く「ドラゴンボール化しちゃった」)。後者についてぐっこさん曰く「呂布より強い武将を出した時点で物語が破綻したと気付くべき」(一同納得)
 曹豹ブームの話。下[丕β]相を任されているぐらいだからなど様々な理由で曹豹は実はすごい人物だったのではって話。その流れで陶謙話。対異族の官職を経ているんで戦上手だったかも、って話になったんで、やっぱり麹義の話を振ってしまう清岡。

 あっくんさんの話→ネットでの魏延の話になっていた。軍事的にナンバー2?とか、漢中では?とか、劉備麾下と諸葛亮麾下での違いとか。
 ぐっこさん曰く、蜀漢ファンの辿る道は『三国演義』や『三国志』を経て一周ぐらいまわって、諸葛亮を尊敬するとのこと。

 20:25、ここでRiangさん登場。これで全員揃う。
 清岡はRiangさんとは「三国志の宴3」以来。

※関連記事 赤兎馬Presents「三国志の宴3」レポ

 やっぱりRiangさんとぐっこさん&維新さんの初対面同士の挨拶。
 そしてやっぱりまずは飲み物の注文。


※次記事 プチオフ会「諸葛亭へ一顧しよう!」2(2008年9月13日)

『ふしぎ道士伝 八卦の空』5巻11月14日発売


  • 2008年9月17日(水) 18:28 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,978
マンガ  中国三国時代の魏を舞台とし、主役の管公明と紀玄龍のコンビが神秘的な事件に挑む漫画、青木朋先生/著『八卦の空』。月刊『ミステリーボニータ』にて2004年8月号(2004年7月6日)から『恋火』というタイトルで読み切り掲載からスタートし2008年9月号(2008年8月6日)で最終回を向かえた。

・秋田書店
http://www.akitashoten.co.jp/
・青木朋先生のサイト「青木朋HP++青青」
http://aoki.moo.jp/


・青木朋さん(私設)ファンクラブ
http://bluefan.exblog.jp/

 上記、秋田書店のサイトによると下記の引用のように『八卦の空』の単行本である『ふしぎ道士伝 八卦の空』5巻が2008年11月14日に発売となり、それが最終巻となる。
 ちなみに2006年4月14日に1巻、2006年9月15日に2巻、2007年6月15日に3巻、2008年2月15日に4巻が発売している。

※2008年11月14日のところ
--引用開始---------------------------------------------------------
ボニータコミックスα ふしぎ道士伝 八卦の空 第5巻 アオキトモ 540円(514円)
--引用終了---------------------------------------------------------

<前巻>『ふしぎ道士伝 八卦の空』4巻発売(2008年2月15日)

※追記 『ふしぎ道士伝 八卦の空』5巻完結(2008年11月14日)

 それでどんなのが収録されているか以下にまとめてみる。一応、一行目で端的に内容を示した言葉も入れておこう。それぞれのページ数(雑誌掲載時)は青木先生のサイトより。

・恋のおまじない
『ミステリーボニータ』2007年2月号掲載 32p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/784

・讖<前編>
『ミステリーボニータ』2007年3月号掲載 40p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/816

・讖<中編>
『ミステリーボニータ』2007年4月号掲載 42p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/835

・讖<後編>
『ミステリーボニータ』2007年5月号掲載 24p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/868

・司馬子元
『ミステリーボニータ』2007年6月号掲載 38p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/896

・管ちゃんの寿命<前編>
『ミステリーボニータ』2007年7月号掲載 34p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/925

・管ちゃんの寿命<中編>
『ミステリーボニータ』2007年8月号掲載 36p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/948

・管ちゃんの寿命<後編>
『ミステリーボニータ』2007年9月号掲載 42p
http://cte.main.jp/newsch/article.php/986

計288ページ(8話)。

※参考(ページ数は雑誌掲載時の話の部分だけ)、1巻278ページ(8話)、2巻292ページ(10話)、3巻280ページ(9話)、4巻280ページ(8話)

諸葛亭


  • 2008年9月14日(日) 00:25 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,791
場所 諸葛亭の外観三国火鍋

 まずは速報的な記事。

・三国志ファンのためのサポート掲示板
http://cte.main.jp/
・2008年9月13日夜のプチオフ会 (※「三国志ファンのためのサポート掲示板」投稿)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3178

 上記のリンク先のように2008年9月13日にプチオフ会を開いた。会場となったのは初めて行く諸葛亭という中華料理店。東銀座駅が最寄りだ。下記のサイト参照。

・中国四川風料理 諸葛亭(グルメぴあ)
http://g.pia.co.jp/shop/84320

・諸葛亭(食べログ.com)
http://r.tabelog.com/tokyo/rstdtl/13045948/

※関連記事 プチオフ会「諸葛亭へ一顧しよう!」1(2008年9月13日)

※新規関連記事 沸騰三国(東京池袋2021年2月-)

 それでここでの目玉料理はなんてったって「三国火鍋」。
 店に入る前、USHISUKEさんが「さんごくひなべ」と言っていたんで、すかさず清岡が「訓読みなんですか?」ってツッコミを入れていたら、実は中国人の店員もそう呼んでいた(笑)
 それで出てきたのが右上の写真。上が薬膳スープで左下が激辛スープで右下が白湯スープ。それぞれ、黄色っぽい、赤色、黄色っぽいという色合いから土徳、火徳、土徳と見立て、位置関係から、これらは魏、蜀漢、呉だ、と清岡は言い切っていた。まとめると

上  薬膳スープ 土徳 魏
左下 激辛スープ 火徳 蜀漢
右下 白湯スープ 土徳 呉

※参考 国の色(「三国志ファンのためのサポート掲示板」内ツリー)

 そしたらこの敷居は長江? いま、沸騰しているところは漢中? さすが諸葛亭とだけあってスープを混ぜても蜀漢が勝つ、なんてギャグが飛び交う。

 店を出てから気付いたんだけど、実は店の外にこのスープの紹介の垂れ幕があって、それによると、
 薬膳スープは魏國・曹操鍋、激辛スープは蜀國・劉備鍋、白湯スープは呉國・孫権鍋。

 実は清岡の妄言は正解だったというオチ。


 というか店の人がそこまで考えていることに驚いたよ(笑)

「石城の里 三国志城」設立10周年


  • 2008年9月13日(土) 00:07 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,921
場所  山口県光市で「石城の里 三国志城」という資料館が1998年9月13日に設立された。名前の通り、『三国志』や『三国演義』に関する資料を展示する施設であり、そればかりではなく「三国志クイズラリー」、「年忘れ餅つき大会」や「三顧会」など各種イベントも開催されている。
 というわけで今日で「石城の里 三国志城」は設立10周年を迎える。

・石城の里 三国志城
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/

 途中、熊毛郡の旧大和町と旧光市が2004年10月4日に合併し、新しい光市になったため三国志城の住所も変わったぐらいで、この10年色あせることなく健在のようだ。
 余談だけど、三国志城近くの看板の類の中には「三国志館」となっているものもあって、「もしかして名前途中で変わったのかな? それとも単なる誤り?」とあれこれ想像してしまう。

 私自身は三国志城へ2004年8月15日に初めて訪れたので、その歴史の半分も知らないわけなんだけど、それでも過去、三国志ニュースで様々な記事として取り上げた。

○過去の三国志城参考記事
 中国新聞で三国志コラム
 三国志系サイトのオフ会を考えてみた
 三国志城食堂メニュー
 三国志資料室(山口県の三国志城)(※現三国志ファン文庫)
 三国志城の台風災害
 三国志城食堂メニュー再び
 『三國相承展(さんごくそうしょうてん)』 今秋開催
 2005年11月1日「三國相承展」三国志城展示開始
 2005年12月 『三国志城に「三顧会」なる会が出来て』(山口県博物館協会 会報第30号)
 メモ:コスプレと新聞記事
 メモ:三顧会の企画を分類
 「JR発足20周年・青春18きっぷ」特別価格8千円(2007.3.1-4.10)
 「石城の里 三国志城」最寄りのバス停
 光市営バス塩田線で三国志城へ
 中国新聞に三顧会の記事2007
 山口県三国志城に行くまで(2007年8月13日→14日)
 『21世紀エジソン』で三国志ネタ(2007年11月13日放送)
 光市営バス束荷線で三国志城へ
 朝日新聞に三国志城の記事(2008年6月2日)
 毎日新聞地方版に三国志城の記事(2008年7月5日)
 ワークショップ via 「大三国志展ブログ」

 もちろん三顧会関連の記事も書いている。

○過去の三顧会参考記事
 2004年8月15日 第1回三顧会 ※個人サイトの日記
 2005年5月4日 第2回三顧会
 2005年8月14日 第3回三顧会
 2006年5月4日 第4回三顧会
 2006年8月14日 第5回三顧会
 2007年5月4日 第6回三顧会
 2007年8月14日 第7回三顧会
 2008年3月23日 第8回三顧会
 2008年8月16日 第9回三顧会

※追記 第三回三国志祭(2009年8月22日23日)

※追記 三国志館プレオープン(2009年8月23日)

※追記 十大三国志ニュース2011 前編

メモ:漢中興士人皆冠葛巾


  • 2008年9月12日(金) 23:20 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,115
歴史  私の記憶で、袁紹か袁術かを例にして当時の身分の高い人でも物資の乏しさ故に冠を被れないってのがあったんだけど、何で見かけたのか、すぐに思い出す。下記。

 沈従文/編著、古田真一/訳『中国古代の服飾研究』(京都書院1995年)※原書1980年

・三国志ファンのためのサポート掲示板
http://cte.main.jp/
・やっぱり「中国古代の服飾研究」 (※「三国志ファンのためのサポート掲示板」投稿)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=64

 この『中国古代の服飾研究』だけど、そういえば豊富な挿図に目が行き、ある程度、通して読んでなかったなと思い、この期に図書館から借り興味のあるところを一通り読んでみる。

※関連記事 前漢に鐙はあった?!

※追記 ノート:日本における三国志マンガの翻案過程(2012年6月23日)


 典拠があまり明示されていなかったり、語句が主に現在のもので当時の呼ばれ方が判りにくかったりするものの、あれこれ新たに発見することも多かった。綬を納めるためのものが「虎頭[般/革]嚢」と呼ばれ、その画像もあったりと(※ここでいう画像は畫像磚石・俑などの出土物の写真やスケッチのことね)。あと出土した武冠の漆紗部分の写真とか。進賢冠の梁は鉄製だとか(※出典不明。探せばありそう)

※関連記事 メモ:武冠のあみあみ

 それで読んでいくと記憶にある箇所を見つける。それを下記に引用。

P144
「このような状態であったので、将軍の身分であった者、例えば袁紹や崔鈞でさえも、ただ頭巾で頭を包むことができただけで、冠を戴くことは難しかったわけであり、ましてや他は推して知るべしであろう。」


 「このような状態」というのは天下の荒廃ぶりを示した文であるが、特に典拠が書かれていない。しかし、冠ってそんな物資が要るかな? 進賢冠の梁ぐらいのような。

※関連記事 メモ:「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓」

 ちなみに崔鈞といえば、下記のように袁紹と共に山東で反董卓のため兵を起こした人なので、上記のこともこれぐらいの時期の出来事を指しているのかな?

・『後漢書』崔[馬因]列傳

鈞少交結英豪、有名稱、為西河太守。獻帝初、鈞與袁紹倶起兵山東、董卓以是收烈付[眉β]獄、錮之、[金良]鐺鐵鎖。


 それで「崔鈞」をキーワードに典拠を探してみるとあっさり見つかる。『三国志』魏書武帝紀の注に引く『傅子』だ。似たような記述は『晋書』や『宋書』にも見られる。


・三国志』魏書武帝紀の注に引く『傅子』

漢末王公、多委王服、以幅巾為雅、是以袁紹・崔鈞之徒、雖為將帥、皆著[糸兼]巾。魏太祖以天下凶荒、資財乏匱、擬古皮弁、裁[糸兼]帛以為[巾合]、合于簡易隨時之義、以色別其貴賤、于今施行、可謂軍容、非國容也。

<清岡による訳>
漢末の王公は王服を多くまねて、幅巾をもって雅として、これにより袁紹・崔鈞の徒は將帥だといえども、皆、[糸兼]巾をつけた。魏太祖は天下の凶荒をもって、資財が乏しく尽き、古の皮弁をまね、[糸兼]帛(白いかとりぎぬ)を裁つことで[巾合]にし、簡易に随時の義において合わせ、色をもってその貴賎を分かち、今において施行し、軍容(軍の儀容)というべきで、国容(国の儀節)ではない。


 後半部分の魏太祖(曹操)はまさしく『中国古代の服飾研究』の言うとおりなんだけど、個人的には、前半部分だけだと、特に袁紹や崔鈞が資財に乏しいだけで[糸兼]巾を着けていたわけじゃなく、「冠を戴くことは難しかった」と言い切れないような気がする。

 『三国志集解』によると、上記「非國容也」の後に次のように書かれている。

博物志漢中興士人皆冠葛巾建安中魏武造白[巾合]於是遂廢惟二學書生猶
著也中華古今注軍[巾(匚+夾)]魏武所制以軍中服之輕便又作五色[巾(匚+夾)]以表方面也

<清岡による訳>※うまく訳せてない。
博物志に言う。
漢の中興の士人は皆、葛巾を冠し、建安中、魏武は白[巾合]を造り、このため、遂に(葛巾を)廃し、ただ二学書生は(葛巾を)著した。(※追記。二学は太学と国子学)
中華古今注に言う。
軍[巾(匚+夾)]は魏武の制するところであり、これにより軍中でこれを軽便(手軽)に服し、また五色の[巾(匚+夾)]を作ることにより方面を表した。


 これと合わせて考えると、袁紹や崔鈞の時期というより、建安中あたりから冠を戴くことは難しかったのかな? とは言っても袁紹や崔鈞の時期と建安中は重なる部分はあるだろうけど。

 あと「葛巾」と言えば諸葛亮を連想することをメモとして残しておこう。

・諸葛亮の羽扇について。 (※「三国志ファンのためのサポート掲示板」投稿)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=1452