
※関連記事
「三国志 読書感想文」or「三国志を読んで」
学生、生徒、児童の夏休みの時期というと、昨年、上記関連記事で書いたように「読書感想文 三国志 パクリ 高校生」(中学生、小学生)とかいう検索語句が手元のアクセスログに大量に見える時期だ。その検索語句からはその人自身に出された課題をその人自身で解くという意志は感じられず、本質的にはその人自身の勝手だが、これだけアクセス数が揃うと、その何割かは確実に、怠惰で狡賢い学生、生徒、児童が日本にこれ程の数居るのかと思い、勝手に、人知れずげんなりした気分になっていた。
もう一つ勝手にげんなりした気分になるのは、未だ『三国志』を読書感想文の対象になりうるとされているところだ。原理的には可能であろうが、陳寿『三国志』は人物ごとに書かれている歴史書であるため、読書感想文のテーマを一つに絞りきれないだろうから困難さが伴う。
それらの検索語句には時折、歴史書である『三国志』には本来存在しないはずの「あらすじ」(粗筋)等が混じるわけだから、『三国志』が羅貫中『三国演義』や三国要素の含む小説(※前述の歴史書と同名にする悪しき習慣がある)と混同されているのだろう。そういう根強い混同の素地があるため、依然、『三国志』を読書感想文の対象にされているのだろう。その混同の原因は何も自らの創作物を『三国志』と同名にする送り手だけにあるわけでなく、このネット社会においてはむしろ受け手に大きな割合があるように思える。