※前記事
メモ:第18回三顧会(2013年5月4日)
前記事にあるように2013年5月4日、16時前に、第18回三顧会が終了して、ここからがどんどん人が居なくなってさびしくなる時間帯だ。
・三国志城博物館
http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/
遠方から来ている人は三顧会が終わる前に退去される方もいらっしゃる。
近年では清岡は、この時間帯、食堂でまったりしており、タクシーを呼んだり、自分の車だったりで帰られる方々を見送る側だ。
そんな時間帯でまだ熱を保たれている方々もいらっしゃって、今回、『真・三國無双6』の郭嘉のコスプレをされていた女傑キティさん、『真・三國無双』シリーズの龐統のコスプレをされていたイヌトさん、横山光輝『三国志』の周瑜のコスプレをされていた小雪さん、作品を越えての三国三参謀が揃い踏みして、特別展示室の入口の屋外で撮影会をされていた。そこにワタさん、
あっすぅさん
教団さんがいらっしゃったっけ?
「三国志競技大会」「剣術大会」では残念ながら郭嘉の戦いはコスプレの装飾の関係で、途中棄権になってしまったんだけど、龐統対周瑜の国どころか作品も越えた、熾烈な剣術対決を見れたのは良かった。勝負はなかなか決まらず、長期戦なのに激しい戦いだったのが印象に残る。もちろん写真撮影会ではそんなことは微塵もなく和気藹々と行われているのだけど。
そういった方々も帰られ、夕食を食べて、結構、いらっしゃった三顧会のスタッフも帰られ、谷館長も帰られ、三国志城のスタッフの方が1名残られていたので、すっかり寂しい感じになるかと思いきや、今回、食堂にて三顧会初参加の曹豹さんを囲んで(?)、アシカさん、ツクダさん、
小雪さん、清岡と盛り上がっていた。
曹豹さんは今回、三顧会に来るのが初めてだそうで、来る前は普通のオフ会みたいに、特に企画もなくもっと緩い感じだと思っていたそうな。そのため、ちょっと遅れてきて様子を見て、適当に帰ろうと思っていたんだけど、いざ来てみると、そんなことはなく、きっちりプログラムがあって驚かれたそうな。ちょうど自己紹介の場になっていたそうで、そこで何巻か忘れたが、『画本 三国志』の初版を探している旨をおっしゃっていた。
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その前に「【三顧会開催にあたっての注意事項】」の紙を事前に配られたのを見て、かなりきちんと運営されているのだな、と曹豹さんは感心されていたそうな。
その後、「1.制作イベント ちぎり絵で三国志」に移り、偶然、アシカさん、ツクダさん、清岡と同じテーブルになった。清岡からは『画本 三国志』から上記関連記事で書いたような話を振っていた。そこでもおっしゃっていたんだけど、曹豹さんは一度、マンガも含め単行本を買うと、初版を集めたくなるようで、『画本 三国志』のその巻ももいろんな古本屋を回って、初版を探しているそうで、三国志城にある『画本 三国志』の初版が羨ましいとのことだった。
それでちぎり絵について曹豹さんのはは目のところに線を入れるように貼り「少年A」風、、アシカさんのは喧嘩上等的な絵(でも「天下三分」と書いている暴走族、居そうな、と清岡からツッコミ)、ツクダさんのは『蒼天航路』夏侯惇で、各人、ちゃんとイメージはできていた。
ちぎり絵の時におっしゃっていたのだけど、曹豹さんは各地の関帝廟を結構、回っているそうで、関西でも黄檗萬福寺、大阪上海新天地(知らずに一旦、千里中華街の跡地の方に行ったそうで)、天王寺の大阪関帝廟に足を運ばれたそうだ。
・黄檗宗大本山萬福寺 - トップ -
http://www.obakusan.or.jp/
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京都・黄檗山萬福寺の関羽像
・上海新天地
http://www.shanghai-xtd.jp/
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千里中華街閉鎖/関帝廟、大阪・上海新天地へ移設
・大阪関帝廟
http://web.archive.org/web/20060509154109/www.kanteibyo.org/
※2013年7月25日現在Googleで「このサイトはコンピュータに損害を与える可能性があります。」とでるので(実際、手元のNorton AntiVirusが反応した)、Internet Archive内へリンクしておく。
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その後、ちぎり絵を作る過程で、「悪ふざけ」と称しているほど、曹豹さんとアシカさんとを中心に盛り上がって楽しんでいた。特にアシカさんの喧嘩上等的なちぎり絵にはあれこれアイディアを出していた。
そういった奇抜なアイディアは結構、出ていたような気がしたが、その後の一人一人、自作の説明の時間になると、他の人たちのいろんなアイディアに触れて、その場の四人は井の中の蛙だったことを痛感する。特に小雪さんの元の絵を切り抜くという(良い意味での)発想はできないな、と曹豹さんがおっしゃっていた。それは紙の裏が太極のマークになっているというアイディアに繋がっていた。
夕方、おっしゃるに、曹豹さんはどうせ参加するなら、楽しんでいこう、盛り上げていこう、ってことで、ある程度、自分のキャラを作って楽しんだそうで。その姿勢は昼以降にも続いていたそうだ。
「3.三国志競技大会」「弓矢」では一人一人の弓を射る様を見て、終われば拍手が送られていて、その通りにして歓声を挙げるぐらいで大人しくしていたんだけど、「連弩」の頃には清岡も曹豹さんもアシカさんもあれこれ評論するようになっていた。初めの方は立って打つのが主流だったが、それだと下向きに打つことになり、うまく連弩が作動しないので、清岡前後で、膝を着いて的と水平に打つのが主流になり、全体の成績も上がるようになっていた。アシカさんはあぐらをかいて打つのを流行らせようとしてたがもちろんはやるわけもなく、曹豹さんを始め我々の笑いはとれていた。
「手戟(ダーツ)」もやはり評論っぽくなっていた。実際のダーツと違い、的は立った所よりも下目にあり、距離はより長いのだろうけど、的が大きかった(清岡は
都内某所でよく見掛けるので)。実は曹豹さんはダーツの経験者なんだけど、やはり実際とは違うとおっしゃっていた。
ちなみに5種目とも過去に三顧会で行ったものとのことだが、清岡は以上の3種目は過去に行ったことがある。急遽、室内に変わったからか微妙に方法がことなっていて、「弓矢」の的は同じだが、屋内とあって距離が違い、「連弩」は連弩自体がよりコンパクトになって矢自体が爪楊枝ぐらいの大きさになり、「手戟(ダーツ)」の以前の的は中国の地図だった。
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「投壺」は5種目のうちで難易度が一番高く、少しでも得点したら、偉そうな顔がができると言っていた。3回ある機会のうち、だれも1回も入れられない中で、後ろの方の出番の、曹豹さんがなんと2回も入れて大活躍の10点! その回のヒーローとなっていた。
「剣術」トーナメント方式でいろんな対戦が見れたし、これこそ評論(というかしゃべるネタの)の格好のマトになっていた。
清岡は剣道の足運びで有利に運ぼうとしていたが、何せ、実際の剣道と違い、打つ箇所は一つな訳なので、いまくいかず、試合を長引かせていた。それは後から思ったことだったが、やっているときは体を動かして、我を忘れ楽しんでやっていて、結局、激しく動いた結果、いつの間にか風船が落ちていて、ミキさんに敗北を喫することになる。でも楽しかったんで、思わず清岡から勝利を讃えて握手を求めていた。
あとは見る側に回るばかりで、アシカさんと曹豹さんとのお互いにあれこれ言い合っての対戦を堪能したり(笑いながら本気で何度も打撃を行うアシカさんの勝利)、前述の通り龐統対周瑜を堪能したりしていた。そんな中で革新的な戦術をとる方が現れた。それは無駄な動きを極力無くし、相手に迫り(サッカー的に言うとスペースを消しプレスをかけ相手のミスを誘うといったところだろうか)、狙いすましマトの風船への打撃を加えるといったところだろうか。これは打点が一緒しかなくしかも激しい動きで自らのマトが落ちやすいため、理に適った戦術だろう。これが奏功し、鮮やかに勝ち抜いていた。
トーナメントが上の方に行くと、その教団さんと動き回り相手を圧倒するアシカさんとの夢の対決が実現する。結果、動じない教団さんにアシカさんが合わせてしまい、教団さんが勝利していた。結局、その調子で勝ち進んだ教団さんがトーナメントを制覇していた。やはりこの「剣術」は得点配分が高く、5種目総合で教団さん2位 アシカさんが3位になっていた。ちなみに本人から直接聞いたのか、ツイッターでツイートされていたのか、忘れたけど、教団さんは剣道の経験者でそういった自負も持っていらっしゃったらしい。
夕方で、そんな、三顧会全体を振り返っての話でも盛り上がっていた。
アシカさんも曹豹さんもその日に自家用車でお帰りになるってことで、アシカさんは折角だから、どこか寄っていこうって話になっていた。それだったらちょっと遠いけど、燕趙園?って清岡から話を振ると、実は、燕趙園は鳥取県以外の近隣でも、「中華コスプレプロジェクト」の関係か、コスプレで有名ってことで、曹豹さんは特にコスプレをされないのにその存在を耳にしていたそうな。この話には小雪さんも加わっていたんだけど、当然、「中華コスプレプロジェクト」で有名って話をされていた。清岡が行った2004年の時は燕趙園とコスプレのロケーションが繋がる気配も無かったので、なんだか隔世の感がある。
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2006年9月24日 中華コスプレ日本大会(in鳥取・燕趙園)
鳥取・燕趙園(中華庭園)
でもアシカさんは一度、燕趙園を訪れたことがあるとおっしゃっていた。そこで清岡は建物に2000以上の彩画が描かれていて、それらの中で『三国志演義』の場面をあることを知っているか伺ったところ、知らない、とおっしゃっていたので、その写真を見せて行きたい気持ちを煽っていた。
あと逆方向になるけど福岡関帝廟もあるって話を出す(この時、清岡は行ったことがなかったが)。
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福岡関帝廟(福岡市中央区天神2002年12月22日)
それで思い出したのが、曹豹さんは関帝廟や関帝像を見て回るのが趣味だったこと。そういえば、三国志城にも関帝像があるってことも思い出し、曹豹さんにお伝えできて良かった。依然、外は明るかったので、写真撮影されていた。
そんな三国志に関係のある名所の話をしていたら、すっかり日が暮れいて、結局、アシカさんは19時には車でお帰りになられた。その後、どこに寄られたのか不明で、もし次の三顧会で会うことがあれば、聞いておきたいところだ。
その後も曹豹さんを囲んで食堂で話をしていた。清岡は、キャラ作りをしてテンションの高い「曹豹さん」とそうじゃない落ち着いた○○さんを指摘していじったりと。そこから三国志ファンの集まりみたいな話になっていて、曹豹さんはmixi中心だそうで、清岡はすかさずmixiに三国志城のコミュニティがあると告げると、早速、参加し、足跡を残されていた。今、見ると「2013年05月04日 19:44」とのことだった。
・[mixi]石城の里・三国志城愛好会
http://mixi.jp/view_community.pl?id=157876
※mixi会員でないとアクセスすらできない
さすがにその時間に食堂にいるとスタッフの人に迷惑になると思い、20時には移動する。スタッフの方は気を使っていただき、コーヒーを用意して下さっていた。有り難い。
特別展示室に移動してもお座敷でしばらく話していて、清岡からはいつも三顧会が終わった後はいつも寂しくなる一方で今回はまったくの逆だと告げたら、曹豹さんもそう思っていたようで、むしろ後夜祭もやるべきだという旨をおっしゃって下さった。
21時30分には曹豹さんはお帰りになられていた。
その後、疲れもあって、いつもの寂しい感じの後夜祭(?)に戻っていた。小雪さんは清岡が持ってきていた『三国演義連環画』全60冊に興味を持たれていて、貸していたらしばらく眺めていたのだけど、力つきて、眠っておられた。
前夜祭と違って、3人と少数のため、毛布は充分に足りていて、22時には消灯・就寝する。
2013年5月5日3時に目が覚めて、例の位置でノートPCをいじっていたら、4時ぐらいに皆、寝たり起きたりしていた。
ツクダさんもすっかり目が覚めてしまったようで、清岡とずっと話していた。まったく三国と関係ない(理系の)話なので割愛。
あと例の「日本マンガ学会 第13回大会」の要旨の校正で、あと2カ所、修正したいところがでてきて、さらに引用元を「大三国志展」の図録に修正したところをさらに「尾崎秀樹「三国志の旅(一)」 吉川英治『三国志 (一)』講談社、1989年4月、pp.500-511」と変更したいと思っていた。
※関連記事
横山光輝『三国志』に見られる連環画の再構築(2013年7月6日)
そこでツクダさんにMS WORDをお持ちではないか伺ってみると、持ってないとのお答えだったが、変わりになるアプリケーションをあれこれ探して下さる。OpenOfficeは元よりGoogleのアプリケーション等も試して頂くが、どれもやはり校正機能や脚注機能が対応していないようで、やはり結局、最後はKingsoft Officeに落ち着いた。コストパフォーマンスとしては優れているのだが、この不気味なぐらいの対応っぷりに、二人とも自然とある種の疑惑を抱いてしまっていた。
それはともかくファイルの作成時間は6時40分だった。
その頃には谷館長が来られていて、8時に食堂で朝食を頂く。ソーメンを中心としたものだった。
その前後で、関帝像の話の流れで、ツクダさんに「関プチ3」のページを見せていた。やはり「不二子ちゃん」が引っかかっていらっしゃって、説明を放棄してとりあえず読んで、ってことにしていた。
・関プチ3レポート
http://cte.main.jp/sunshi/w/w021230.html
※新規関連記事
アーカイブ化される連環画(連環画研究 第8号 2019年3月10日印刷)
あとこちらも昔の三顧会の話の流れで、ツクダさんや小雪さんに三顧会に触れた「三国志ニュース」の過去の記事を見て貰っていた。何故か小雪さんが熱心に見て下さっていて、理由を伺うと、コスプレについて一般人(つまり清岡)がどう書いているかという観点で興味があるとおっしゃっていた。なるほど、奥が深い。
コスプレのところを一通り読まれると、すっかり興味を無くしたご様子だったんだけど、なんかの話の弾みで5月の三顧会のときに川原で撮影会をしたって話をしたら急に食い付いて来られた。
さすがに場所は覚えてなかったのだけど、下記関連記事を読むとちゃんと記録されてある。
※関連記事
第四回三顧会二次会ダイジェスト
それで、コスプレイヤーのモラルを第一に優先される小雪さんにとって、それは意外だったようで、当然、許可を取るべきだという前提で、しばし谷館長やツクダさんを交え議論に発展していった。施設側に許可を取ると返って騒ぎになるんじゃないかとか、一言告げるべきだとか、あれこれ。
その派生で8月に撮影会をするとなると、三国志城の近くの石城山でも良いんじゃないかって話が出ると、谷館長が反対していた。その理由は暑さではなく、昔はそうじゃなかったんだけど、近年は蚊が多くなったからだそうで。
結局、その議論はどう帰結したのか、見届ける前に、清岡が帰る時間となる。8時59分須賀社発の光市営バスで帰るつもりだったが、ツクダさんが岩田駅まで送って下さり、ギリギリまで三国志城に居れて、9時53分岩田駅発の列車に乗る。
※2013年大型連休目次的ページ
・メモ:亜種一周片道乗車券
http://cte.main.jp/sunshi/2013/0426.html
※三国関連の続き記事
メモ:後漢時代の私塾に関する基礎的考察(史料批判研究 9号 2010年12月)
※追記
燕趙園 彩画(三国志演義 関連)
※追記
メモ:第19回三顧会 後夜(2013年8月14日)
※追記
ノート:三国志学会 第八回大会(2013年9月14日)
※追記
レポ:8/6北九州 兀突骨で酒池肉林?!(2016年8月6日)
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