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メモ:「党錮の「名士」再考」


  • 2009年1月23日(金) 00:04 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,972
研究  清岡が読んだ論文に対し、自身に向けて自身のために残すメモのシリーズを企画。読んだだけだと、すぐに忘れそうなので書き留めておくという目的。とりあえず記事のタイトルは、メモ:「[論文題名]」で統一することにしよう。自身のためならネットで公開する意味はないとツッコミが入りそうだけど、AISASの最後のS、情報のShare(共有)の考え方の消費行動ってことで。もちろんここでの共有は論文の中身そのものではなく、論文を読んだという私による情報であり、結果的に論文の紹介につながれば良いな、と思っている。記事を読んで論文の内容が気になった人は、取り上げた論文へ真っ先に目を通せば良い。
 今までこういった記事は「三国志ニュース」で書かれており、書籍の記事では『漢代の地方官吏と地域社会』(汲古叢書75 2008年)の延長線上 論文の記事ではメモ:「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓」の延長線上といったところだろうか。

※関連記事
 『漢代の地方官吏と地域社会』(汲古叢書75 2008年)
 メモ:「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓」


 それで今回、読んだのが、

 安部聡一郎「党錮の「名士」再考――貴族制成立過程の再検討のために――」(『史学雑誌』Vol.111 No.10(20021020)pp. 1591-1620, 1732-1731, ISSN 00182478)

という2002年の論文。私はこういう表記に慣れていないんだけど、ページを見比べてみると「1591-1620」が本文のページ数で「1732-1731」が英語要約のページ数のようだね。

 今は便利な世の中になりつつあるようで、下記、CiNii(サイニイ)でこの論文がダウンロードできる。サイトライセンスを取得している機関に所属している人は無料で「サイトライセンス個人ID」が取得できるそうで(と回りくどい表現だけど、所属機関によってはタダで読めるってこと)、そうじゃない人にはPPV(Pay Per View)が用意されているようだ。

・CiNii (NII論文情報ナビゲータ)
http://ci.nii.ac.jp/

・CiNii - 党錮の「名士」再考 : 貴族制成立過程の再検討のために
http://ci.nii.ac.jp/naid/110002365522/

※リンク追記
・J-STAGE Articles - 党錮の「名士」再考 : 貴族制成立過程の再検討のために
https://doi.org/10.24471/shigaku.111.10_1591

 ダウンロードできるPDFファイルはスキャン画像をそのまま貼り付けただけのようなので、理工系でよくある、ダウンロードできる論文のPDFファイルと違って、ファイル内の文字を検索対象にできないのが不便だけどね。

・八龍て? (※「三国志ファンのためのサポート掲示板内」ツリー)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=2697

 この論文のことは、上記のツリーに書き込みしている際に、知人から教えて貰った。これは2007年初頭のことだけど、最近になって、「三国志検定」がらみで三国志ファンによるいろんなブログでの記事での書き込みのテンションの高さに食傷気味と感じているときにふと思い出した。

 それでようやくここで本題だけど、まずはこの論文内の目次をページ数と共に記述する。

1591 はじめに
1592 第一章 党錮事件に関する従来の研究
1597 第二章 具体的検討
1597  第一節 「号」に関する諸史料
1601  第二節 「天下名士」の「号」
1605  第三節 張倹の弾における「号」
1606  第四節 後漢時代の人物に対する「号」
1610 むすび――新たな問題提起――
1614 注


 「はじめに」で後漢について研究する基本史料の性質について書かれてある。後漢と言えば、正史類の范曄『後漢書』なわけだけど、南朝宋、つまり二百年余り後に編纂されたものであり、それまでに後漢を対象とした史書は、散逸したものも含め様々ある。それらは成立した時代や編者の影響があると指摘されている。それを踏まえて党錮事件に関する再検討、特に名士の「番付」の再検討をこの論文でなされるという。

 「第一章」では、「はじめに」でも少し触れられていたが、章題通り研究の流れについて書かれている。私のような素人にとってこの論文がどういう立ち位置にあるのかが判りやすく有り難いし、関連する別の論文を読む際の足掛かりになるだろうね。
 ここでのキーワードは川勝義雄氏が論じる「郷論節論の重層構造」。あと全国規模で国政レベルまで連なる清流士大夫による「統一体」。
 そこから話が「「名士」の序列」「番付」に移る。具体的には范曄『後漢書』党錮列伝に記載がある天下名士の「三君」「八俊」「八顧」「八及」「八及」、それから張倹の弾における「八俊」「八顧」「八及」のことであり、「郷論節論の重層構造」や「統一体」の重要な鍵になるそうな。
 ここで著者による問題提起(当論文の主題の一つ)が顔を見せ始める。つまりは「「名士」の序列」や「番付」が実際の後漢時代、特に党錮事件の辺りで議論されていたか否か、ということ。

 その問題を具体的にどうやって解明するかというと、『東観漢記』、諸家『後漢書』『後漢紀』など後漢を対象とした史料をその成立年代で厳密に区別し、それらを比較参照を行うという。それが論文の「第二章」の内容だ。

 まず「第一節」では、その比較参照が判りやすく、【表I】、【表II】という形で示されている。【表I】はまず史料の「成立年代」(三国、西晋、東晋、劉宋)で大きく分けられ、次に「原掲載書名」(謝承後漢書、薛瑩後漢書、続漢書…)で分けられ、それぞれに記載のある「号」(八俊、八雋…)、それらに対応する「対象人物」「カテゴリー」(全天下、「天下名士」、弾内…)「評価の理由」「典拠」の記載のある表だ。対象となる史料で最も成立年代が新しい范曄『後漢書』は一番左にある。他の書物に見える記述についても【表II】に同様にまとめられている。
 従来の研究での主要な史料は范曄『後漢書』なので、まずこの党錮列伝での記述の検討が行われる。論文ではそこの書き下し文として引用されている(※この記事では下記に漢文を引用)。

 自是正直廢放、邪枉熾結、海內希風之流、遂共相摽搒、指天下名士、為之稱號。上曰「三君」、次曰「八俊」、次曰「八顧」、次曰「八及」、次曰「八廚」、猶古之「八元」・「八凱」也。竇武・劉淑・陳蕃為「三君」。君者、言一世之所宗也。李膺・荀翌・杜密・王暢・劉祐・魏朗・趙典・朱宇為「八俊」。俊者、言人之英也。郭林宗・宗慈・巴肅・夏馥・范滂・尹勳・蔡衍・羊陟為「八顧」。顧者、言能以德行引人者也。張儉・岑晊・劉表・陳翔・孔昱・苑康・檀(敷)〔〕・翟超為「八及」。及者、言其能導人追宗者也。度尚・張邈・王考・劉儒・胡母班・秦周・蕃嚮・王章為「八廚」。廚者、言能以財救人者也。
 又張儉鄉人朱並、承望中常侍侯覽意旨、上書告儉與同鄉二十四人別相署號、共為部黨、圖危社稷。以儉及檀彬・褚鳳・張肅・薛蘭・馮禧・魏玄・徐乾為「八俊」、田林・張隱・劉表・薛郁・王訪・劉祗・宣靖・公緒恭為「八顧」、朱楷・田槃・疏耽・薛敦・宋布・唐龍・嬴咨・宣褒為「八及」、刻石立墠、共為部黨、而儉為之魁。靈帝詔刊章捕儉等。大長秋曹節因此諷有司奏捕前黨故司空虞放・太僕杜密・長樂少府李膺・司隸校尉朱宇・潁川太守巴肅・沛相荀翌・河內太守魏朗・山陽太守翟超・任城相劉儒・太尉掾范滂等百餘人、皆死獄中。餘或先歿不及、或亡命獲免。自此諸為怨隙者、因相陷害、睚眥之忿、濫入黨中。又州郡承旨、或有未嘗交關、亦離禍毒。其死徙廢禁者、六七百人。

 この范曄『後漢書』の記載における「番付」は「天下名士」と張倹の弾の内部との二つに大別されるという指摘がある。この二つが「第二節」「第三節」で個別に論じられている。

 「第二節」では「天下名士」の方の「番付」の検討。【表I】での「カテゴリー」が「天下名士」になっているものと「八俊」に限定し抜粋し、その人名が【補表1】に掲げられている。「天下名士」の「八俊」が現れた最古の史料は三国呉末から西晋に成立した薛瑩『後漢書』だそうで、そこに列せられる「荀緄」「杜楷」が後の史料では別人になっていることなどに着目されている。
 そこで「天下名士」の「号」が三国呉末から西晋の間に登場し、東晋の時議論されたと推測されている。
 「天下名士」の「八及」「八友」に関しても検討がされており【補表2】にまとめられている。さらに各「号」間の序列が現れるのは(東晋の)袁山松『後漢書』以降だという指摘がある。

 「第三節」では、建安年間末から三国魏初期の王粲等撰『漢末英雄記』(『世説新語』に引くところ)にはすでに党錮事件に関し「八俊」「八乂」という号が議論されているが、それは「天下名士」ではなく張倹の弾の内部のことという指摘がある。弾は少なくとも郡内の範囲とのこと(※参考までに下記に引用)。

英雄記曰:「先是張儉等相與作衣冠糾彈、彈中人相調、言:『我彈中誠有八俊・八乂、猶古之八元・八凱也。』」

 「第四節」では同様の視点で他の「号」について確認されており、それらが【表III】でまとめられている。【表III】の「カテゴリー」は「兄弟」「同郡」「郡県の枠を越えて論じている場合」の三つに大別できるようで、本文で個別に論じてある(※この記事の冒頭で触れた「八竜」も「兄弟」のカテゴリーに含まれる)。
 特に三番目の「カテゴリー」にある「号」について「天下名士」の性質との差異を論じられており、「天下名士」の性質と同じ「号」が出てくるのは、西晋の張勃『呉録』にある「直接の人間関係などが前提」でない「号」からとする。「天下名士」の「番付」は西晋から東晋にかけて形成されたとしている。
 これ以前の節で論じたことも承け、それらをまとめた文の後、「劉表」に着目されている。西晋成立の『三国志』魏書劉表伝の段階では劉表は「號八俊」となっていたのが、南朝宋成立の范曄『後漢書』劉表伝の段階では張倹の弾における「八顧」の記事に置き換わっていることを指摘し、その理由に、『三国志』成立時に意識されなかった劉表と党錮事件における「号」の関係が、范曄『後漢書』成立時には劉表個人を指す「八俊」と党錮事件を繋げて解釈するほど、強く意識されたとしている。


※次記事 メモ:「洛陽八関とその内包空間」


※追記 メモ:KURA(金沢大学学術情報リポジトリ)

※追記 メモ:『後漢書』傅燮伝


<追記>
 下記の記事にように、掲載している『史学雑誌』が発行され、ほとんど間を置かずサイトで紹介しているところを見かける。気付いて情報中継する能力もさることながら、そういった環境についても正直、うらやましいね。

・りゅうぜんず-三国志を愉しもう-
http://www5d.biglobe.ne.jp/~ryuzen/

永安日報-日記と三国志ニュース2002/11/20 (水)
http://cgi.www5d.biglobe.ne.jp/~ryuzen/anews/a-news.cgi?date=2002.11.20

※追記 慶應義塾大学で三国志関連2013

※追記 歴史評論 2014年5月号 3世紀の東アジア――卑弥呼と『三国志』の世紀(2014年5月10日)

※追記 京都祇園祭後祭山鉾巡行で後漢関連(2016年7月24日)

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