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跪坐と垂足坐
仁雛さんから教えていただいた「漢代物質文化資料図説」を買ってきた。 林巳奈夫/著「漢代の文物」のときと同様、サイト「日本の古本屋」で検索し、古本屋で直接、買ってきた。 ・日本の古本屋 http://www.kosho.or.jp/ ・瓢箪山書房 http://www5.ocn.ne.jp/~hyoutan/ それから「漢代物質文化資料図説」の基礎データ。 ・「漢代物質文化資料図説」(中国歴史博物館叢書第二号、平装定价) 著者:孫機 出版発行:文物出版社 出版年月:1991年9月第一版 ISBN 7-5010-0372-6/K・143 価格:25.00元 ※中国の本なので実際は簡体字表記 ちなみに精装定价(ISBN 7-5010-0373-4/K・144)は方は35.00元。どちらにしてもそのまま日本円にすると格安なんだけど、やっぱり日本で買うと、すごく高くなるなぁ。まぁ「漢代の文物」より一桁安くかったので普通に買ったんだけど、もし私が中国へよく行く人だったら現地で買ってたかな。一桁安くなるし。 それで「漢代の文物」のときのように目次をあげたりして本全体の紹介をすればいいんだけど、その前に私にとって衝撃画像(?)を見てしまったのでその紹介をとりあえず。 ・三国志ニュースの記事「牀や榻のことばかり」 http://cte.main.jp/newsch/article.php/286 上記記事に関連する。そこでは この当時の中国人は腰をかけて座ることあったのかな? と思うぐらい画像石の類でもそういう光景は(私の狭い視野の中では)あまりみかけない。画像石や俑をみてみると、馬車でも乗っている人も馬を操っている人も律儀に正座しているし(汗)。※がんばって腰をかけている画像をさがしてみると、艇(?)にのっているところ、釣りをしているところ、機織り器をつかっているところ、そして強いていうなら馬にまたがっているところなどが見つかった。探せばもっとあるかも。 なんて書いていたけど、「漢代物質文化資料図説」の「55 家具II [木平]、榻、床、席、鎮、凭几、衣杆」のところ、221ページの圖版55にある55-13の挿図にばっちり腰をかけて足を垂らし座っている画像があった。その人は刀を持っているけど、状況はよくわからない。「中国古代の暮らしと夢」の俑の個人蔵と違って、ちゃんと巻末に出所が明記されている。 55-13 踞坐凭几者、画像石、江蘇銅山耿集、東漢、≪徐州漢画像石≫圖202 ※例によって元は簡体字だけど適当に繁体字に変えている。 それであわててその図を説明している本文を読む。223ページのところ。中国語だからうまく読めないんだけど、下のようになる。一つの段落をまるまる引用。 漢代通行跪坐、箕踞和垂足坐往往引起人[イ門]的反感。江蘇銅山耿集発現的一塊画像石、刻出一執刀人垂足坐于凭几之上(55-13)。這是一種無礼的姿勢、在当時很不多見。 ※例によって元は簡体字だけど適当に繁体字に変えている。 <清岡のテキトー訳> 漢代では跪いて座る(跪坐)ことが通用していて、箕踞(両足を投げ出して座ること)することと垂足(足をたれること)して座ることは人々の反感を引き起こす。江蘇銅山耿集で見いだせる一つの画像石で、一人の刀を持つ人が凭几の上に足を垂らして座っている(垂足坐)ところが刻みだされている(55-13)。この人は一種無礼な姿勢であり、当時においてほとんど見ることはない。 この部分の一つ前の段落では「几」(または凭几。日本語で言うところの脇息)の説明がある。坐っている(日本語で言うところの正座している)んで、足がしびれたりするんで、几に肘を乗せるんだとか(足への体重の負担を軽くするため?)、二段階に高度調整が出来る几もあるとか、そんな説明。それを受けての前記引用文。つまり(55-13)の画像石は几の上に足を垂らして座っている画像だ。この文だとわかりにくいんで、右上に跪いて座る(跪坐)ところと足を垂らして座っている(垂足坐)ところの絵を描いてあげておく。右上の絵の垂足坐は膝をそろえて座っていて身体のラインもはっきり描いているけど、これはわかりやすくしているだけで、実際には(55-13)の画像石の垂足坐は股を開き気味に右足を右膝より前におき、左足を左膝より後に置き、座っている。 しかし、行儀が悪いとはいえ、腰をかけて座るところは画像石に刻まれるぐらいだからないことはないんだね。とはいっても依然、腰をかけて座る目的のための座具はこの時代(もちろん三国時代も含む)の中国には作られてなさそうだ。 ※追記 メモ:踞牀
: 清岡美津夫
2006年5月28日(日) 15:28 JST
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赤兎馬Presents「三国志の宴2」第2部
・2007年5月27日 赤兎馬Presents「三国志の宴2」第1部 http://cte.main.jp/newsch/article.php/611 休憩が終わったことを告げるDJ急行さん&セラチェン春山さん。川本先生がファンのお相手をしていらっしゃったので、席に着くよう示唆。 そこから「2部、おもしろ三国志スーパーライブ(新曲あり)」の前説。どうもMCの人はおもしろ三国志さんとは七年のつきあいでデビュー当時から知っているとのこと。三国志をネタにしていて元ネタを知らない観客が多いため、どこでもアウェーのような待遇を受けるし(観客がみなキョトンとする)、逆にホームのような場所がなかったとのこと。しかし、去年の「三国志の宴」でようやくホームと言えるところにたどり着いたとのこと。 ホームにたどり着いた、おもしろ三国志さんを見て、七年前から見ている者たちは涙したそうな(場内笑) 今日のために二曲新曲をつくったと告知があり、場内大歓声。 「おもしろ三国志スーパーライブ、スタートでーす!」 とコールがあって大歓声。前説にあったように観客からのかけ声は「おもしろーい!」。舞台から向かって、左奥の上の控え室から階段を下ってやってきたのは朝服のようなゆったりした服を纏って、『蒼天航路』の曹操メイクに左目に矢付きの眼帯をし、冕冠を被った姿。 ・おもしろ三国志(最新オフィシャル) http://sango94.web.fc2.com/ おもしろ三国志さん「去年の『三国志の宴』に参加した皆さん…お久しぶりです、義兄弟」 (場内大歓声) おもしろ三国志さん「今年から初めて『三国志の宴2』参加してくれた方、初めまして…おもしろ三国志である」 (場内大歓声) てな感じでいきなり会場のボルテージが上がる。 それから川本先生が目の前で見ているので、かなり緊張している、と発言し、会場の笑いを誘う。「緊張するね、これ」と素の発言でやっぱり会場の笑いを誘う。 タイトルコールから一曲目に入る。 1. 呂伯奢 ミニマルな音の中、曹操の名言「寧教我負天下人、休教天下人負我。」(三国演義第四回or第八節)をフィーチャーしたセリフを何回か言っている。観客はその間ずっと手拍子をしたり歓声を上げたり大盛り上がり。 清岡は始めに曲のタイトルを聞き損じたけど、このセリフでタイトルが判り、去年の大学院特別講演会を思い出していた。 ・2006年7月29日大学院特別講演会「曹操殺呂伯奢」 http://cte.main.jp/newsch/article.php/388 おもしろ三国志さんの基本はその場のホッピング。あとは客を斬りつけたり(笑)といったパフォーマンス。そしてこの曲では次のセリフ「やってしまった以上、どうにもならん」と何度か言う。 再び、元のセリフに戻り、段々とリズムが早くなり、終了。 おもしろ三国志さん「はい、そういうわけで…」 と急に素に戻って、観客をわかせる。 2. 出師の表 片手には文字が書かれたトイレットペーパー、もう一方の片手には剣(とマイク)をもって登場。どうやらトイレットペーパーが出師の表らしい。あ、元ネタは三国志蜀書諸葛亮伝の建興五年の諸葛亮の上疏、『文選』にも載っているいわゆる出師表ね。 やっぱりミニマルな音に微妙なメロディーの中、こんどは聞き取れないぐらいの早口で出師の表を唱え上げる。予め録音しているとかじゃなくて実際にマイクで言っている。「司馬懿仲達ファ○クオフ」とかいっているし(汗) 空耳かも知れないが、どさくさに紛れ「ビタミンC」とか言ってないか? そしてトイレットペーパー……ではなく出師の表を剣で切ってはなげ切ってはなげしていた。 ともかく会場は異常な盛り上がり。後で聞いたんだけど、雪魔王さんはイスからたち踊っていたそうな(笑) 終了すると観客からは「おもしろーい」とツッコミにも似た歓声が次々入る。 おもしろ三国志さん、しんどいんで、重いんで、といって、眼帯と冕冠を外していた。 それからあちこち動き回ったもんだからマイクのコードが絡まっちゃって、突っ張った状態になっていた。それを見かねた、舞台向かって左の観客がコードの引っかかりをとってくれた。 おもしろ三国志さん「あとで感謝状、送る」 と言って、またも会場がわく。 ここでおもしろ三国志さんからMC。 柄沢さんから新曲2曲を用意しないと赤ふんどしでブートキャンプさせられると言われたそうな(笑) そして今回は呉の曲を用意したとのこと。 曲の導入MCを言い終える前に、音楽が先にかかってしまって素で「ちょっと待ってください」と言うハプニングにも会場、大盛り上がり。 おもしろ三国志さん「もう一度、問う。呉でみんなが大好き、赤壁の功労者、誰でしょう? 三ハイ!」 といって、観衆に問いかける。やっぱりほとんどの人が答えて曰く「周瑜」。 おもしろ三国志さん「そう黄蓋」 (会場大歓声) おもしろ三国志さん「黄蓋を忘れるな!」 というわけでタイトルコール。 3. 苦肉の計
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: 清岡美津夫
2007年6月 2日(土) 18:00 JST
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中国神秘紀行「長江 三国志の旅 赤壁の戦いの秘密 湖北省」(BS朝日)
「三国志 bsあさし 2月19日」というミスタイプな検索ワードで気付いたんだけど、BS朝日(BSデジタル5ch)で2009年2月19日木曜日22時からと26日木曜日22時からとで『中国神秘紀行』という一時間番組があって、その回のタイトルは「長江 三国志の旅 赤壁の戦いの秘密 湖北省」とのこと。番組の第22回で、再放送は毎週日曜日18時からだそうな(22日はこの回の放送じゃないのでいつだろ)。 ・BS朝日 http://searchina.ne.jp/ ※番組詳細追記。 ・BS朝日 - 中国神秘紀行 http://www.bs-asahi.co.jp/china_trip/prg01_022.html 上記番組公式サイトでは下記に引用するようなタイトルになっている。 --引用開始--------------------------------------------------------- 三国志追想 赤壁 戦勝の秘密 ~湖北省/武漢/赤壁/荊州/武当山~ --引用終了--------------------------------------------------------- ※関連記事 テレビ朝日と『レッドクリフ』
: 清岡美津夫
2009年2月17日(火) 00:21 JST
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『鋼鉄三国志』第26話(2008年3月26日)
・『鋼鉄三国志』関連商品 http://cte.main.jp/newsch/article.php/613 ・『鋼鉄三国志』関連商品2 http://cte.main.jp/newsch/article.php/701 上記の続き。つまり、『鋼鉄三国志』関連商品3ってことで。 アニメの『鋼鉄三国志』はテレビ東京で2007年4月5日26時15分から第1話(30分番組)が放送したのを皮切りにテレビ大阪、テレビ愛知、テレビせとうち、テレビ北海道、TVQ九州放送と各地方のテレビ局で放送され、CS放送のアニメ専用チャンネルのAT-Xでも放送された。それが全25話で、テレビ東京では2007年9月27日26時15分の話で最終回となった。 ※関連リンク ・鋼鉄三国志 http://www.koutetsu-sangokushi.jp/ ・あにてれ鋼鉄三国志(テレビ東京) http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/koutetsu-sangokushi/ http://www.tv-tokyo.co.jp/contents/koutetsu-sangokushi/index.html ※追記 『鋼鉄三国志』関連情報 ※追記 鋼鉄三国志 歌劇舞台~深紅の魂よみがえりしとき(2008年9月17日) ※追記 鋼鉄三国志(2010年3月4日-4月10日) ※追記 鋼鉄三国志(2010年9月2日-10月8日) ※追記 春陽愛君・劉備(2012年7月26日10月31日) ※追記 みんなで遊ぶ三国志(2013年4月25日正式オープン) その後、DVDがコナミデジタルエンタテインメントから順次、月一ペースで発売されている。 ・鋼鉄三国志(コナミデジタルエンタテインメント) http://www.konami.jp/visual/koutetsu-sangokushi/ それで上記のコナミデジタルエンタテインメントのサイトの2007年12月21日の更新情報で、DVDの最終巻情報までアップされた(しかしどのメーカーも金曜日更新が流行りなのか?)。 そこで2008年3月26日発売の最終巻となるVol.9のところをみると --引用開始--------------------------------------------------------- ※26話はTV未放映、最終回の後を描いた特別エピソード!! --引用終了--------------------------------------------------------- とのこと。タイトルは「深紅の魂、生ける志士どもを走らす」とのことで。 その他のDVD情報(Vol.6以降)は下記。ちなみにVol.5以前は冒頭のリンク先で。 ●DVD関連 発売:2007年12月26日 鋼鉄三国志 Vol.6 6300円 第15話「憂いし陸遜、孫権の微笑に再起を誓す」 第16話「関羽の咆哮、陸遜を撃ちて覚悟を迫る」 第17話「草庵の再会、師弟の深縁益州に交叉す」 発売:2008年1月28日 鋼鉄三国志 Vol.7 6300円 第18話「桃園の義兄弟、蜀の山野にて絆の花を見る」 第19話「猛き太史慈、中原の大地に仁王立つ」 第20話「呉下の阿蒙、若き智を用いてその身を起こす」 発売:2008年2月27日 鋼鉄三国志 Vol.8 6300円 第21話「江陵の落日、武人の魂を侵奪す」 第22話「劉備乱心、凍てつく陰となりて江東を彷徨う」
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: 清岡美津夫
2007年12月22日(土) 15:17 JST
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横山光輝三国志トランプ(2009年8月25日)
※関連記事 神戸市地下鉄海岸線と「KOBE鉄人PROJECT」の連携イベント(2009年8月) 上記の関連記事に引き続き、「KOBE鉄人PROJECT」関連の記事。 ・英傑群像(三国志エンターテイメント 情報&グッズ) http://www.chugen.net/ ・横山光輝三国志トランプ発売決定! (※ブログ記事) http://sangokushi.chugen.net/1207 上記ブログで知ったこと。「KOBE鉄人PROJECT」から横山光輝三国志トランプが発売されるという。2009年8月22日23日開催の「第三回三国志祭」で先行販売され、インターネット上では上記サイト「英傑群像」で8月25日からの販売を予定しているとのこと。 ・KOBE鉄人PROJECT|鉄人28号・横山光輝三国志|光プロ|神戸鉄人プロジェクト http://www.kobe-tetsujin.com/ ※関連記事 第三回三国志祭(2009年8月22日23日)
: 清岡美津夫
2009年7月14日(火) 12:52 JST
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三国志学会 第四回大会懇親会
※目次 三国志学会 第四回大会ノート(2009年9月5日) ※前記事 三国志学会 第四回大会ノート5 17:02。三国志学会 第四回大会が終わり、龍谷大学の大宮学舎東黌101教室から聴講者が外へ出始める。 清岡は用事のあるげんりゅうさんを見送り、まず、ぐっこさんと合流して、「三国志ニュース」のシステム面の話をしていた。101教室の南の出口から出ると青空の下、折り畳みの長机6個程度が北側を空け三方を囲み「コ」の字になっていた。その上に書籍やグッズが並んでいる。先ほど教室でアナウンスのあった「英傑群像」の出店だね。結局、最後までいらっしゃったということで。 ・英傑群像(三国志エンターテイメント 情報&グッズ) http://www.chugen.net/ ・三国志学会で英傑群像出店します。 (※上記ブログ記事) http://sangokushi.chugen.net/1282 清岡とぐっこさんはしゃべりつつ、商品を物色していた。ぐっこさんは2009年8月22日23日開催の「第三回三国志祭」での英傑群像のブースで銅製の爵杯を買ったそうな。あと企業ブースにあった「夏侯惇の目玉飴」というグッズは「第三回三国志祭」に留めず卸せば売れるんで勿体ない、なんて話していた。それと清岡からはまた「激突! 三国志武将かるた」のアクセス数増加の話をしていた。 ※関連記事 第三回三国志祭(2009年8月22日23日) 激突! 三国志武将かるた(2009年7月)
: 清岡美津夫
2009年10月 3日(土) 15:56 JST
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はじめて三国志王子(2009年6月8日配信開始)
「三国志ニュース」内の検索ワードに「はじめて三国志王子」と見えたんで、Webで再検索して知る。 (※当人にそのつもりはないだろうけど、こういうシグナルを送って下さるのはとてもありがたい) 株式会社ケイブよりiモード用ゲーム(NTTドコモ メガゲーム対応機種)として2009年6月8日より『はじめて三国志王子』が配信されているという。月額315円。イラストレーターに「とよた瑣織」氏を起用。 ・CAVE - 株式会社ケイブ http://www.cave.co.jp/ ・はじめて三国志王子★時代(リアル)が俺らとクロスする「ベストオブ三国志」公式サイト http://hajimete-sang.cave.co.jp/ 上記ゲーム公式サイトのmetaタグより下記へkeywordsを引用 --引用開始--------------------------------------------------------- 三国志,簡単,レキジョ,曹操 孟徳 (そうそう もうとく),周瑜 公瑾 (しゅうゆ こうきん),劉備 玄徳 (りゅうび げんとく),呂布 奉先 (りょふ ほうせん),諸葛亮 孔明 (しょかつりょう こうめい) --引用終了--------------------------------------------------------- レキジョ(マスコミがいうところの歴史好きの女性層らしい)をターゲットにしているんだ。というか、前作は『はじめて戦国王子』だったんだね、理に適っている(笑) 上記ゲーム公式サイトのmetaタグより下記へdescriptionを引用 --引用開始--------------------------------------------------------- はじめて三国志王子 公式サイト 超カッコイイ英雄達の物語は必見! 三国志になじみの少ない方でも簡単に楽しめる、ケータイアプリで遊べるお手軽アドベンチャゲーム! --引用終了--------------------------------------------------------- 上記メーカー公式サイトのPR(PDFファイル)より下記へ内容を引用 --引用開始--------------------------------------------------------- 歴史の予備知識一切不要!″はじめてシリーズ第2弾″ 『 はじめて三国志王子 』 ~6月8日(月)より、配信開始~ 携帯電話向けコンテンツ『 はじめて三国志王子 』を、平成21 年6月8日より、NTTドコモの「i モード」 にてサービスを開始いたします。本コンテンツは『 はじめて戦国王子 』に続くもので、歴史の定番知識をゲーム
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: 清岡美津夫
2009年6月24日(水) 12:05 JST
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リンク:国学導航 四部索引
※関連記事 第33回 秋の古本まつり(京都古書研究会) 上記関連記事にあるように「第33回 秋の古本まつり」に行っていて、仏教関連に力を入れている古書店が結構、あった。そこで何となく下記の関連記事で触れた『高僧伝』があったら良いな、とぼんやり思いつつ本棚を眺めていた。 ※関連記事 高僧伝(一)(2009年8月18日) 三密堂書店のところで鎌田茂雄/著『中国仏教史』 (岩波全書 310)が2000円で売られていて、中身をちょっと読んだけど、『後漢書』やら『三国志』やら史書の記述に基づいている感じだったから(当たり前だけど世の中にはこれができてないのもあるので)、買おうか迷っていた。 よくよく考えてみると、例え『高僧伝』があっても、三国時代前後の記述ぐらいしか読まないだろうから、猫に小判だろうし、何か買うのを思いとどまる。 と言うのも、あるアイディアを思い付いており、ノートPCを起動し、ローカルに保存した『太平御覧』で「高僧傳」と検索し、そこに出てくる文を検索語句にして、ネットで検索する。それは下記の関連記事にある方法の応用だ。 ※関連記事 リンク:中国盲人数字図書館 電子図書 そうすると、下記のように、サイト「国学導航」が出てくる。 ・国学导航-中国国学经典在线阅读-免费的手机国学网 http://www.guoxue123.com/ とりあえず[梁]慧皎撰『高僧伝』巻一をざっと読むと、康僧會のところで孫権が出てきてたり関連性がありそうだ。
: 清岡美津夫
2009年11月 1日(日) 00:03 JST
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張飛牛肉(四川張飛牛肉有限公司)
※関連記事 三国演義連環画(1956-1964年) 上記関連記事でUSHISUKEさんから送って貰った『三国演義連環画』に、USHISUKEさんからのプレゼントとして四川张飞牛肉有限公司製の「张飞牛肉」(張飛牛肉)という食品6種が付いてきた。そのパッケージには下記のサイトのURLが書かれていた。 ・四川张飞牛肉官方网站- 中国驰名商标,四川省名牌产品, 中国羽毛球队指定产品! http://www.zfbeef.com/ 一個一個は右の写真ぐらいの大きさになっており、わかりやすいように下に15cmの定規も写しておいた…と安物のデジカメで接写ができずぼやけてしまって申し訳ないが。どんな種類があるかというと、右の写真の左上から右へ順に仔姜牛肉、風味五香、葱香牛肉、左下から右へ順に滷汁牛筋、麻辣、軟酥(どんな味かは各自、中日辞書で調べてみよう。あるいは下記サイト)。それそれ京劇のメイク風の顔が描かれており、種類によってはトラヒゲの張飛マークがついている。 ・中日辞書 北辞郎 http://www.ctrans.org/
: 清岡美津夫
2012年9月26日(水) 00:10 JST
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コミックヒストリア(2009年11月26日)
・Yahoo!コミック http://comics.yahoo.co.jp/ ・Yahoo!コミック(コミック三国志マガジン) http://comics.yahoo.co.jp/magazine/sangokushi_0001.html 2009年10月22日を最後に更新が止まっている『コミック三国志マガジン』WEB版で、もうそろそろ潮時かと思っていたが、一応、木曜日になるとチェックしていたわけだけど、上記のYahoo!コミック内の『コミック三国志マガジン』のページを見ると下記のようなお知らせが出ていた(「三国時代」じゃなくてなんで一つだけ書名?!)。 ━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ お知らせ 長らく「コミック三国志マガジン」WEB版をご愛読いただき、誠にありがとうございました。本誌は2009年11月26日(木)よりYahoo!コミックに誕生する、時代を超えた人物達との出会いと共感を描く歴史WEBコミックマガジン「コミックヒストリア」に作品連載の場を移します。 「飛鳥時代」「西洋中世」「三国志」「戦国時代」といった時代を皮切りに、多様な時代のドラマを取り揃えた魅力的な新連載をスタートさせます。より魅力あるマガジンとして生まれ変わりますので、どうぞ「コミックヒストリア」にご期待ください。 ━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ それでメディアファクトリー内の『コミック三国志マガジン』の公式サイトを見ると同じ文言でお知らせが出ていた。 ・コミック三国志マガジン http://www.comic-flapper.com/sangokushi.html 『コミック戦国マガジン』の後継誌として……じゃなくて、発表形式に出版とウェブの違いはあるとはいえ、まるでスクウェアエニックスの漫画雑誌『ガンガン戦 -IXA-』に対抗するような形で、2009年11月26日木曜日に歴史WEBコミックマガジン『コミックヒストリア』が創刊される。というわけで、2007年9月27日から配信されていた『コミック三国志マガジンWeb版』は2年間余りの歴史を2009年10月22日に終える。結局、『コミックヒストリア』にもメディアファクトリーが絡むのだろうか? それとも移譲? ※参照記事 ガンガン戦 -IXA-(2009年11月27日創刊) コミック三国志マガジン(2007年9月27日配信開始) ※追記 週刊 そーなんだ!歴史編(2010年1月6日創刊) ※追記 ブレイド三国志外伝(2010年2月11日)
: 清岡美津夫
2009年11月19日(木) 02:09 JST
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まとめメモ:『三國志 Online』『真・三國無双 Online』
MMORPG『三國志 Online』やMMOアクションゲーム『真・三國無双 Online』などのコーエー製品のオンラインゲームについて、私自身、それに投じる資金も時間もないもんだから、自然と興味を失ってしまっている。だけど、東アジアや東南アジアで好評とか話(「その割には株が売られ過ぎている」という論法で出てくるような印象はあるが…)などを聞くとそのチャネル、想定しているターゲット、潜在的なものも含めたセグメントの規模などに興味があり、情報に対し付箋ぐらいは貼っておきたいな、と常々思っていた。まぁ、オンラインゲームの記事を書くとメーカー非公認な業者のターゲットにされやすいんで、そこらへんはイヤなんだけどね。Adsenseも含めGoogleにはそこらへんの倫理フィルターを開発して欲しいところ(…と話が脱線しすぎた・汗)。 ・三國志 Online http://www.gamecity.ne.jp/sol/ ・基本プレイ無料!オンラインゲーム 『真・三國無双 Online』 http://www.musou-online.jp/ ・基本プレイ無料オンラインゲーム 真・三國無双 Online http://www.gamecity.ne.jp/musou-online/ ※関連記事 武将ブログ(『真・三國無双BB』オフィシャルブログ) 新作MMORPG『三國志 Online』 (コーエー) 『真・三國無双 Online』へリニューアル(2007年11月28日) 『三國志 Online』(Win版)「三onブログ」本日開始! 『三國志 Online』(Win版)正式サービス2月29日15:00スタート ※追記 アニメ蒼天航路×KOEI ※追記 『真・三國無双 Online』PlayStation3版(2010年2月18日) ※追記 「蒼天」三国志アクションRPG(2010年春) ※追記 三國志 Online サービス終了(2010年7月19日) ※追記 小野坂昌也・竹本英史のネオロマ&無双(2010年10月) ※追記。閲覧者の利便性のため、下記にあるように関連する商品情報へのリンクを張っておく。
: 清岡美津夫
2009年6月12日(金) 12:50 JST
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三国志(2009年7月24日DVD&Blu-rayリリース)
・英傑群像(三国志エンターテイメント 情報&グッズ) http://www.chugen.net/ ・映画『三国志』7/24DVDブルーレイ発売 (※ブログ記事) http://sangokushi.chugen.net/1174 RSS配信を通じ上記ブログ記事で知る。 日本では2009年2月14日に公開された李仁港(ダニエル・リー)/監督『三国志』(原題:『三国之見龍卸甲』)のDVD(3990円、品番TADD-67481)とBlu-ray(4980円、品番BAS-67481)がソニー・ピクチャーズより2009年7月24日に発売されるという。詳しくは下記公式サイトへ。 ・映画「三国志」オフィシャルサイト http://www.sangokushi-movie.jp/ ※関連記事 李仁港(ダニエル・リー)監督『三国志』報道まとめ ※追記 第三回三国志祭(2009年8月22日23日) ※追記 ダニエル・リー三国志(2010年2月7日3月15日WOWOW放送) ※追記 メモ:自作レーベルor自作ラベル ※追記 三国志(ザ・シネマ2011年1月1日) 下記サイトから、それぞれの音声&映像特典を下記へ引用する。やはりブルーレイの方が多いんだね。 DVDの音声&映像特典 ・メイキング“龍の帰還” ・インタビュー集(アンディ・ラウ、サモ・ハン他) ・ワールド・プレミア風景 ・予告編集 Blu-rayの音声&映像特典 ・メイキング“龍の帰還” ・インタビュー集(アンディ・ラウ、サモ・ハン他) ・ワールド・プレミア風景 ・予告編集 ・『三国志』のCG ・『三国志』の武器と衣装 ・“趙雲”のキャラクター ※追記。利便性を鑑みて、以下のように消費の片棒を担ぎつつ商品販売ページへリンクしておく。
: 清岡美津夫
2009年5月22日(金) 03:23 JST
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三国志学会 第十回大会(2015年9月5日12日土曜日)
・三国志学会 http://sangokushi.gakkaisv.org/ ※前回記事 三国志学会 第九回大会(2014年9月6日13日土曜日) 少なくとも私が把握しているここ数年は、三国志学会大会昼休み中の役員会で来年の三国志学会大会の日程が決められ(もちろん都合により変更されることもあった)、下記関連記事にあるように大会が終わる頃には事務局長等から来場された方々にその日程が告知されていた。昨年は三国志ニュースでのお知らせをすっかり時機を逸していたので忘れぬうちに。 ※関連記事 三国志学会 第六回大会(2011年8月27日土曜日) 三国志学会 第七回大会(2012年9月8日土曜日) 三国志学会 第八回大会(2013年9月14日土曜日) 「三国志学会 第九回大会」でのシンポジウムの司会をされていた竹内真彦先生から早くも来年の三国志学会大会の日程について告知があり、「三国志学会 第十回大会」は2015年9月5日土曜日に、三国志学会会長の狩野直禎先生のお膝元となる京都の龍谷大学にて開催されるという。 ・龍谷大学 You, Unlimited http://www.ryukoku.ac.jp/ また、その一週間後の2015年9月12日土曜日に、「10回記念大会」ということで次回は早稲田大学で開催されるという。 ・早稲田大学 http://www.waseda.jp/ 加えての情報として「沈伯俊先生がいらっしゃるご予定です」とのことだ。 ※関連記事 四川省を満喫しよう!(2014年7月26日)
: 清岡美津夫
2014年9月13日(土) 23:48 JST
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三サポ板五周年記念オフ会二次会
※目次 三サポ板五周年記念オフ会 ※前記事 大三国志展(出土品でたどる三国志) 2008年6月1日17時15分、清岡、三口宗さん、伊比 学さんの三人は東京富士美術館から戻ってきてJR八王子駅から中央本線で立川駅へ向かう。道中、三口宗さんから『Mobile真・三國無双』を見せて貰っていた。あと伊比さんから論文から和訳をかき集めて一つの訳本にするという技法(例『華陽国志』)の話を聞く。それとコピーの話。三口宗さんの話によるとコピーにも機種によって劣化しやすさがあるそうな。 17時半、立川駅西口でUSHISUKEさんと合流。この中で清岡だけはUSHISUKEさんと昨日、会っていた。南側のカラオケルームに行くことに(いつもの如く歌わず話し込むために使用)。 カラオケルームの受付前にはすでに何人か客が待っており、どうやら18時ぐらいまで待つとのこと。どうも法律の影響で16歳未満は18時以降、カラオケルームに居れないとかで(保護者同伴だと時間が変わるとか)、そこで一斉に空くんだろうなんて言っていた。 待っている間、清岡は伊比さんに昨日、USHISUKEさんと話していたことを語っていた。その話の流れで第7回三顧会での玄鳳さんの発表についての話を聞いていた。伊比さん曰く、一般に向けての発表の極意は知識をなるべく出さないこと、と。なるほど。 カラオケルームに移動し、下記のような席位置になる。 清岡 | テ ー ブ ル | →東、出入り口 三口宗さん 伊比さん USHISUKEさん まずはUSHISUKEさんに「大三国志展」を見に行った時の様子を報告していた。それからワンドリンク制なので各自、注文する。 清岡「じゃ自己紹介から始めましょうか……我々三人は昼すでにやりましたんで(笑)」 と言ってUSHISUKEさんに自己紹介を振る。そうすると何、話せばいいか聞き返されたので、三国志との出会いと、好きな人物と答える。USHISUKEさん曰く「水境先生(司馬徽)」。そこで昨日の「三国志の宴3」のアンケートでも水境先生と書いていたそうな。特に好きな人物は決めてなくて昨日はたまたま水境先生だったとのこと。 ここで各人がUSHISUKEさんといつ初めて会ったかという話。清岡は第1回三国志シンポジウムのとき。三口宗さんは去年の第2回三国志学会大会のとき。伊比さんは2005年の忘年会のとき。てな感じで少し思い出話に花が咲く。そういや忘年会のときはUSHISUKEさんと清岡を含む計四人で早朝の寒い中、東京駅周辺を彷徨って結局新宿に行った、って話をしていた。 USHISUKEさんは「(今日、オフ会に参加した四人は)それぞれ今日の前に会っているわけですよね」と言うと清岡は「それぞれ四人の対応図を作ります?」とボケたら、USHISUKEさんはさらに「こことここは『敵対』!」とボケを重ねる。 ここでドリンクが来たので「お疲れ~」と。ここでしばしmixi内の三国志関連のコミュニティについて話していた。 その流れでサイト「AKN'S図書館」だったドメイン、akn.toが今、サイト「アルバイト求人ネット」になっているってことを清岡が伝えたら、「AKN'S図書館」は三国志関連の刊行情報がバッチリ載っていて素晴らしいサイトだったという話になった。三口宗さんは他のサイトも含めそういったネット上の三国志関連コンテンツが失われることは恐いので今からログをとっていた方が良いのではと言って、伊比さんはInternet Archiveでログを拾っていくしかないのでは、と返す。そういえば、昔、tRTK CHATの管理人のKz-8さんが三国志サイト専門のアーカイブサイトを作っていたと話す。あとサイト「英傑群像」で閉鎖されたサイト「Angel Fish」の旅行記コンテンツを譲り受けたという事例も伝えた。アーカイブする人が自分のサーバーを持たないといけないとUSHISUKEさんが疑問を呈する。そうです、と答える一同。伊比さんは自らのサイトは旧式なので、ドメインが無くなったら、ローカルで保存しているデータをそのまま別のドメインへ挙げるだけ、と言う。ここで伊比さんの疑問からブログのデータ構造の話。無料ブログサービスのサイトだと、大元が無くなったら消えてしまうな、って話していた。 ※追記 tRTK CHAT閉鎖(2009年6月10日) ここでまたmixiの話に戻って、普通のサイトだと消してもgoogleのキャッシュやInternet Archiveに残っていることが多々あるが、mixiは消すと痕跡を残さず消えるんで、勿体ないな、という話を清岡が振る。さらに言えばマイミクが消えた(あるいは切られた)痕跡も残さないって話になって、USHISUKEさんから「マイミクを切るという機能があるなんて知らなかったな」という何だかほっとするセリフを聞くことができた。 USHISUKEさんから、「三国志の宴3」でもそうだったが(※同じイベントに参加していた清岡は気付かなかった・汗)、最近、張遼に人気があるのはなぜだろう、って話を振られる。そうすると三口宗さんは『蒼天航路』の影響と言って、伊比さんは『三国志大戦』は言う。三口宗さんによると『三国志大戦』で張遼は使いやすいそうな。そこでDSで新発売されるソフトの話になった。知らない間にあれこれ変わっているんだね。武器とかもあるらしい。 ※関連記事 2008年8月7日『三国志大戦・天』(ニンテンドーDS版) 実はUSHISUKEさんが持っているニンテンドーDSで『三国志大戦DS』をしようとするとアンチウィルスソフトにシャットアウトされて一度も他人と対戦したことないそうな。「いつでも自分との戦い」というフレーズをおっしゃっていたのが妙に可笑しかった。 その後、清岡は三国伝の話を振ったり。部隊兵は売ってない。 あとみんなで『21世紀エジソン』を見たり。この番組で出ていた横山三国志の『三国志占い』についての話の流れで、三口宗さん曰く「三国志関連の出版は出せば売れる」に対し清岡&USHISUKEさん曰く「全然、売れている感じじゃない」と意見の対立を見る。ここで三口宗さんが具体的な例としてマンガ関連が増えていることを挙げた後に、三国志関連の書籍も近頃、次々と目にすることを挙げ、さらにはそれらの書籍の内容について言及する。曰く、見ると内容がショボくて買う価値がない、と。清岡が「初心者にはそれぐらいが良いのでは?」と言うと、三口宗さん曰く「初心者にあれを見せてはいけない」とのこと。その理由として、そういった書籍を初心者に見せると誤った知識を与えてしまい、それを訂正するのに膨大な時間がかかるという。なるほど。伊比さんは初心者こそがそういう本の購買層だ、とコメント。三口宗さんが挙げた具体的な中身の例は、『三国志』などの歴史や『三国演義』などの創作をごっちゃまぜにした内容とのこと。三口宗さんは立ち読みで前と後を見て判別するとのこと。 伊比さんからの話で、そういった書籍で自分が知らないネタに遭遇すると、それは完璧にネタなのか、(その書籍の)誤解なのか、ひょっとしたら新手の話なのか、と三種類に分けられ、今日の「大三国志展」でも諸葛亮が発案した「まきびし」があったが、それも判断に迷うという。清岡は「提供元の博物館が主張したら誰もツッコミを入れられない」、三口宗さんは「要するにでっちあげ」とコメント。さらに伊比さんは「もしくはどこかしらの民間伝承?」と発言。 ここで伊比さんから三国志城にあった諸葛亮の一族の家系図の話になる。そこにあった謎の娘の話(※その場でネットにあるんじゃないの、と調べたが見つからず)。出典のところを見ると明だか清だかの文献になっているんだそうな(※8/17追記。ここらへん清岡の記憶違い。さらに三国志城で確認すると出典の表記はない)。その文献自体、ネタなのではないか、もしくはそういった話はどこからわいてきたのか、民間伝承ならば民間伝承で文学的な価値はあるだろうとか、おっしゃっていた。三国志城自体、撮影禁止なので、伊比さんはその家系図をノートに写し取ったそうな。そういった話を清岡は第8回三顧会に参加した人のブログあたりで見かけた、と告げ、実際、その場で家系図に言及した記事を二例ほど見ていた。後の例の記事について三口宗さんはちゃんと調べていることについて絶賛していた。 そういった出典のわかりにくいって話で、馬岱の字の話がありますね、と清岡が話を振り、さらに「三国志ニュース」のコメント欄で話していた地方志の年代について三口宗さんに聞く。どうやら明清時代にまとめられた地方志らしい。「とりあえず私は『明清時代』に作られたものと聞けば満足」、「地方志でもせめて唐代ぐらいまで遡れれば良いんですが」と清岡。さらに三口宗さんによるとその地方志は清代のものという。サイト「後漢書家頁」の管理人さんによると、その地方志には出典が明記されていないので、清代までしか辿れないと結論(※とは言ってもちゃんと自分で確認しないととやかく言えないのが残念)。一応、清岡から「ファン層によっては出典の確かさは問題にならず、ともかく字(あざな)があることで盛り上がることができれば良いんでしょうね。その思いをも否定したらかわいそうですよ」(※話しながら子義祭りの話を思い出していた)とフォローを入れておいた。(※清岡のノートPCをテーブルに置き、該当する記事を皆で見ながら話をしていた) そして清岡からこの話のオチとして、2008年6月28日29日公演の「鋼鉄三国志 歌劇舞台~深紅の魂よみがえりしとき~」に「馬岱伯瞻」が出る、と告げると、大うけだった。これを聞いて三口宗さんは見に行こうかな、とおっしゃっていた(笑) 「こういった社会現象は面白いですね。二、三年経てば情報源が判らなくなって我々がしたり顔で語るんでしょうね」と清岡。 ここで三口宗さんからネタとして『まじかる無双天使 突き刺せ!! 呂布子ちゃん』の単行本と『DRAGON SISTER!-三國志 百花繚乱-』の単行本が場に出された。DRAGON SISTER!って張角三兄弟だったんだ、と伊比さん。すごいですよ、呂布子ちゃん、とUSHISUKEさん。実はUSHISUKEさんは『DRAGON SISTER!-三國志 百花繚乱-』の単行本1巻を「早稲田祭2005」で早稲田大学三国志研究会からもらったそうな。ここで呂布子ちゃんのアニメの話をしていた。単行本にアニメに関することがマンガで書かれてある。 そして三口宗さんは「お金が持てば三国志図書館、実際作ってみようかな」とおっしゃっていた。そして清岡から冗談で「三国志城の三国志文庫が競合相手になりますね」なんて言っていた。伊比さんが三国志城を訪れたのは三国志文庫がまだない2004年以前であるため、それは今、どれぐらいあるって話になる。伊比さんが三国志城に言ったときは『三国志研究要覧』が定価で売られていたという話から、それは復刊ドットコムで今も投票を募っている話や、その役割が『三国志研究入門』になったのではという話などをしていた。三口宗さんは『三国志研究要覧』を古本で探しているそうな。 ここで三国志城や三顧会の話をしていた。実際、その場で、ネットから孔明灯が上がった写真や食堂のメニューなどを見ていた。ここで三口宗さんに話を振られ、経験者の伊比さんから東京から青春18きっぷで三国志城へ行く方法を話していた。 ここで中国の民間伝承の話になり、伊比さんによると、曹操が太史慈に薬草の「当帰」を送ったエピソード(『三国志』呉書太史慈伝)が、民間伝承では姜維と姜維の母との話になっているそうな。姜維が魏の領土になってしまった故郷の母を案じ、薬草を送ると返答として「帰ってくるな」という意味の薬草が返ってきたとのこと。 「大三国志展」の話になり、朱然の刺の話や曹全碑の話をしていた。曹全碑の話→李儒の話→やっぱり牛輔の話。USHISUKEさん曰く「三度の飯より牛輔好き」。 牛輔の話→昨日の抽選会の話→『アレ国志』の話→『コミック三国志マガジンWeb版』の話→以上の話を昨日の夜に、近頃の三国志ものとして清岡がUSHISUKEさんに話したという話、と続いて、USHISUKEさんは昨日の夜に、教えてもらったブログ「古代中国箚記」をブックマークした、とのこと。他の人も知らなかったようなので、(清岡から)紹介できてよかった。 ・古代中国箚記 http://ancientchina.blog74.fc2.com/ そこから『廿二史箚記』の話→三口宗さんがコピーを持ってきていた『三国職官表』の話になり、サイト「むじん書院」の話になって、ブログの話(下記)をしたら、三口宗さんは知らなかったんで、(清岡から)伝えられてよかった。 ・思いて学ばざれば
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: 清岡美津夫
2008年6月11日(水) 22:16 JST
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2005年11月~「中国古典小説選」全12巻
2005年12月4日の読売新聞の朝刊で「完本三国志」を知ったって話をしたんだけど、それ以外に「中国古典小説選」って本を目にしたんだけど、「完本三国志」ばかり気になってそちらはチェックしてなかった。 ・2005年11月21日~ 「完本三国志」全6巻 http://cte.main.jp/newsch/article.php/239 それでふと下のブログで「中国古典小説選」の紹介もしてあったので、気になりネットで出版元の株式会社明治書院のサイトに行ってみる。 ・ブログ「過去と未来の交差点」 ・「三国志関連の書籍は高い。」 mirakako.exblog.jp/2112095/ ・株式会社明治書院 http://www.meijishoin.co.jp/ ・中国古典小説選 4 http://www.meijishoin.co.jp/search/?BOOK_ID=BKS007890 ・特集のページ http://www.meijishoin.co.jp/tokusyu/ ※多分、こちらのページはしばらくしたら内容が変わると思われ。 そうすると「中国古典小説選」の情報が特集のページに載っていた。全12巻の具体的なラインナップが載っている。徐々に刊行していくとのこと(2005年11月は4巻)。書名だけみると三国志ファンとしては1巻 穆天子伝・漢武故事・神異経・山海経他(漢・魏) / 2巻 捜神記・幽明録・異苑他(六朝I) / 3巻 世説新語(六朝II)あたりは抑えておきたいところ。 ただこれらの書物の原文だけなのか書き下しなのか現代語訳なのか何が載せられているのかぱっと見てわからない(関係ないけど「完本三国志」はおそらく元禄時代そのままの漢文調かと)。上記特集のページでは『「新釈漢文大系」の方法に倣う形で読者に紹介・解説し』というように書いてあったので、「新釈漢文大系」の紹介のページを見てみると、『全タイトルとも原典全文+書き下しのほか、通釈・語釈を完備し、必要に応じて余説・題意・作者・校異の項目を立て、』と書いてあるので、原文+書き下し+通釈・語釈が載ってあるのかな?? それだと諸手をあげておすすめしたい。 あと掲載作品について思いつく分で、参照リンク等 捜神記(と最近、うちのサイトでよく検索される・笑) http://cte.main.jp/newsch/article.php/225 幽明録。「孫鍾、呉郡富春人、堅之父也」てな感じで孫堅の父、孫鍾が出てくる。ちなみに宋書符瑞志では孫鍾は孫堅の祖父。 http://cte.main.jp/sunshi/w/w020929.html 世説新語。三国志の人物が多数出てきて面白いエピソードがいくつかあるんで、三国志ファンは要チェック。ちなみに同社の「新釈漢文大系」シリーズ76~78に目加田誠/著「世説新語」上中下巻が有り。それぞれ5、6千円する。 あと「他」ってのも微妙に気になる。「古小説鉤沈」を種本にして、裴子語林やらを収録?とか妄想を連ねてしまう。まぁそれは見てのお楽しみか。 「世説新語」や「古小説鉤沈」などは下記のサイト「中國學工具書提要」参照。「子部/小説類」のところね。 ・中國學工具書提要 http://www.karitsu.org/kogusho/
: 清岡美津夫
2005年12月 9日(金) 18:05 JST
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2006年8月14日 第五回三顧会ダイジェスト0
山口県光市には三国志の資料館「石城の里 三国志城」というのがあって、三国志ファンを対象とした「三顧会」というイベントが2006年8月14日に開催された。今回ではや第五回目。 ・「三国志城」公式サイト http://www3.ocn.ne.jp/~sangoku/ ・第四回三顧会の様子 http://cte.main.jp/newsch/article.php/329 今回のイベントタイムスケジュールは以下のとおり。当日の張り紙の丸写し -------------------------------------------------------------- 開催場所:特別展示室(館内奥) 9時 三国志城開場 10時 挨拶&簡単な自己紹介 10時30分 三国志講習会「劉備のデビュー」 講師:清岡氏 11時 三国志トランプ大会 チーム戦 12時30分 お食事(各自)・・・ 事前に売店で食券購入必要 13時30分 三国志城を旗で飾ろう 15時 三国志巨大パズル大会 <随時開催> ・三国志クイズラリー(三国志クイズペーパー試験) ・三顧会作品展示「三国志陶器をつくろう」 ・第25回イラストコンテスト投票 8月13日 前日祭 おしゃべり会【孔明を偲ぶ】終日 -------------------------------------------------------------- ※ちなみに今回もコスプレが行われたんだけど、張り紙の「随時開催」には書かれていない。入れ忘れていたのかな。ネットではちゃんと告知されているし http://cte.main.jp/newsch/article.php/360 清岡は前日の8月13日の昼過ぎには来ていて、その夜、清岡を含め七人で三国志城の特別企画展示場に雑魚寝で泊まってたんで、当然、当日を早朝から三国志城に居た。 なぜか6時過ぎには目が覚めて、しばしカメラ片手にうろちょろしていた。当日、これない人のために前日も「三国志城を旗で飾ろう」の企画が行われていたみたいで、すでにじゅんきさんの旗が飾られれていた(二枚目の写真)。こういう気遣いのある企画はうれしいね。 その後、8時ぐらいにあらかじめ頼んでおいた朝食を前夜から泊まっていたみなさま+傅僉さんと食べることに。このボリュームといいおいしさといい、300円は安い。 そこから特別企画展示室でだらだらと待つ。初めから7人も前夜から居たせいか、今回はイベント開始前から徐々に集まってきている印象はうすい。そういや龍蜀さん親子四名は結構、早い目に来ていて、三国志城の展示を家族そろって見ていたなぁ。 スタッフも含めぽつぽつと顔なじみが現れそれぞれに軽く挨拶をする(そのとき誰が来たかは次の「挨拶&簡単な自己紹介」でまとめて)。 10時前後に一台のタクシーが到着して、KJさん&KRさん夫妻と十希野(ときの)さん&茶味(ちゃみ)さん姉妹(漢字あってますかね)がご登場。なんか十希野さんからスタッフと間違えられたのでついでに案内(前回も私が馴染んだ様子で居たから?・笑)。というか私も「挨拶&簡単な自己紹介」の会場、どこかしらないんだけど。 どうやら今回は特別企画展示場にメインの企画進行の会場を統一しているようなので、五人でぞろぞろと特別企画展示場へ。前回まで挨拶と自己紹介は食堂で行われていたけど、確かに一カ所で進めていった方が良い感じかもね。 というわけで次の「挨拶&簡単な自己紹介」を待つことになる。 ・第五回三顧会ダイジェスト1「挨拶&簡単な自己紹介」へ続く http://cte.main.jp/newsch/article.php/382
: 清岡美津夫
2006年8月16日(水) 17:04 JST
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第2回三国志学会大会ノート4
<目次>第2回三国志学会大会ノート(2007年7月29日) http://cte.main.jp/newsch/article.php/679 <前回>第2回三国志学会大会昼休み http://cte.main.jp/newsch/article.php/685 ○「台湾における関帝信仰の諸相」松本 浩一(筑波大学教授) 雷を伴う集中豪雨により会場への観客の戻りが遅いため予定を遅らせる。 ステージの上にスクリーンが用意されて、14時10分スタート。 ●1. 関帝(関聖帝君):様々な性格を持った神 ※小タイトルはレジュメ通り。以下、同じ 実際、様々な神格を持っている。関羽対する信仰は数種の部面があり、そのうち四つを紹介(増田福太郎『臺灣の宗教』p32の引用がレジュメに記載)。(イ)武神としての関羽。(ロ)仏教の祭神としての関羽。いわゆる伽藍神。お寺の建物の守り神(スクリーンにその関羽像が映し出される。青龍刀を持っている)。(ハ)儒教の祭神としての関羽。「文衡聖帝」として五文昌の一人。家業の神様。入試などで文昌帝君のところに絵馬が並ぶとのこと。(ニ)商業の神としての関羽。華僑の居るところには必ず関帝廟がある。 それぞれについて由来を辿る。 ●2. 国家祭祀の祭神としての関帝 皇帝から称号を授かる歴史。まず宋元時代の加封。レジュメに『[β亥]餘叢考』巻35關壯繆からの引用がある(以下に出てくる文献に関してもほとんどレジュメに引用と訳あり) 宋元時代に王を加封。大觀二年に武安王など。現在、正史に見られないが、このころ、多くの称号を授かったことは間違いない。 ある村民が県尉の李若水に関大王の書を持ってきたエピソード(『古今図書集成』神異典巻37より)。夢の予言でその村民が道士から得たとのこと。これが北宋末の年号。北宋末に王になっていたことは間違いない。 時代を経るにつれてどんどん加封されていき元文宗天歴(暦)元年には顯靈威勇武安英濟王になった(『[β亥]餘叢考』巻35關壯繆より)。 最初は御霊神だった。『三国演義』の中でも曹操・呂蒙へ祟りを起こしに行くので。それを鎮めるために神様に祭られた。唐の咸通年間の乱のあとのエピソードでは霊の一つとして捉えられている(『北夢瑣言』巻11より)。関羽が祭られている祠では「僧侶でここに居住する者は、外の戸をしめないで、財産や絹を思うままにしておいても、敢えて盗む者はない」というほど、恐れられていた神様(『雲渓共友議』巻3より)。 宋元の時代には道教の中にも関羽が神様として出てくる。呪術儀礼の中で、神兵を率いて邪鬼を追い払ったりする元帥神の一人。これは台湾に関係ないため触れない。 多くの文献が(明朝の)萬暦年間に帝号をうけたとする(『三才図絵』人物巻5關羽、『關聖帝君聖跡圖誌』巻3)。王見川氏の考証では関羽が「協天大帝」の称号を受けたのは朝廷からの正式なものではなく民間の「私封」ではないかとしている。萬暦四十二年には三界伏魔大帝神威遠鎭天尊關聖帝君(いわゆる関聖帝君)になっている(『[β亥]餘叢考』巻35關壯繆より)。この年に帝号を受けたことは様々な資料から裏付けられる。 ●2. 仏教の伽藍神としての関帝(※清岡注。レジュメで2.が二回でてくる) 伊藤先生の発表の中にあった唐代の董[イ廷]という人が書いた関帝の廟の記録(董[イ廷]「荊南節度使江陵尹裴公重修玉泉關廟記」(『全唐文』巻684))に、智顗禅師が玉泉寺にやってきたとき関羽が現れてこの地を僧坊として提供したいと申し出て(守護神となった)、とある。この全唐文では将軍になっているが後の時代になると聖帝になっている。帝号を得てから書き替えられたのであろう。張商英「重建當陽武廟記」(『全宋文』巻2231)の方では関羽が帝になっている。 ●3. 商業の神としての関帝 これはお馴染みのところ。 ここまでは増田福太郎さんの言っていることと対応がつく。 ●4. 扶[占し]の神としての関帝 扶[占し](ふうち)とは神様が降りてきて字を書くこと。そうやってお告げをしていく。そういった文献がかなりある。先ほどの(伊藤先生の)発表は関羽について書かれた文献だったが、こちらは関羽が自らお告げを下した書物。 清代には関帝の託した善書が多く出現。大概、良いことをすれは良いことが起こり悪いことをすれば悪いことが起こるといった内容。『関聖帝君明聖経』『救劫新論』『関帝返性図輯要実録』『救生船』『関聖帝君降筆真経』『関聖帝君戒士文』『関聖帝君全書』 などがある。一番有名なのが清朝の初期から中期ごろに成立したといわれる『関聖帝君覚世真経』(レジュメに引用と訳)。大抵は薄い冊子。 清朝の後期になると関帝が降りてきて作るのが多くなる。場所は四川雲南湖南といった宗教結社で多くなる。時代に合わせ世を救うというテーマが強くなる。 恩主公信仰。関聖帝君、孚佑帝君、司命真君が「三恩主」としてセットとして祭られている。 関帝が玉皇大帝(西遊記でお馴染みの玉帝)の譲りを受けて、第十八代目の玉皇大帝に就任。第十七代の玉皇大帝は「玉皇大天尊玄穹高上帝」であり、『西遊記』第一回などにも「高天上聖大慈仁者玉皇大天尊玄穹高上帝」として見えている。第十八代「玉皇大天尊玄霊高上帝」になったという説。王見川氏によると雲南省あたりで発生したとのこと。 王見川氏によると民国の初年中国で作られた善書の中には三つの異なった説がある。『中外普渡皇経』『玉皇普渡尊経』、『洞冥宝記』巻十のそれぞれに説がある(発表では三つ目の説を紹介)。 この説は戦後になって台湾に伝わる。民国六十九年に台中の聖賢堂が印刷し各地に広まったという(レジュメに引用と一部訳がある)。 最後に台湾での信仰を見るということになる。この後、スクリーンへ写真を映し出し順に解説。 関帝を祭った廟として多いのは扶[占し]の神としての廟と商売の神様としての廟。いろんなところに出てきて最後は玉皇大帝になってしまうのは関羽の人気の高さを示している。 14時47分終了。 司会からフォローが入っていたが王見川を発表中「おうみかわ」と読んでいたのは「おうけんせん」だとのこと 質問1 (※清岡注。前置きが長いので略)関羽だけ帝にまでなったのは何故か 回答 芝居や講談などの関羽人気が大きかった。また悲劇的最期を遂げたのも大きい。御霊神としての信仰がかなり広まる要素となっていると思う。 質問2 商業神としての関羽は出身地から考えるのが一般的なのでは? 解県というのは代々、塩の名産地として知られている。解県のイメージからお金や商売がでてきた。 回答
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: 清岡美津夫
2007年9月11日(火) 00:02 JST
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「東アジアの出土資料と交通論」ノート2
※前記事 「東アジアの出土資料と交通論」ノート1(2008年10月12日) 9:22。次の発表が始まる。 ●金秉駿氏(韓国・翰林大学校)「古代中国南方地区の水運」 まず自己紹介から。「今回、日本語で発表したいと思いましたが、今、後悔しております」とおっしゃり会場を沸かせる。 予め配られたレジュメ(というより論文)はA3の4枚、7ページ分で、それにノートPCでプロジェクターを通じスクリーンに資料を映し出し発表されるとのこと。基本的にはレジュメを読んで進んでいく(※そのため以下のノートはレジュメの丸写しになる可能性がある)。 レジュメでのタイトルは「古代中国南方地区の水運 ―湖北・湖南省出土簡牘と墓葬を中心にして―」。 ○はじめに 昨年、ここで楽浪郡について発表があったそうで、それと関連した様々な簡牘と遺物に関心があるという。 秦漢帝国の郡県支配における内郡と辺郡について、先進・後進、徹底的支配方式・緩やかな支配方式など、二項対立的に区別するのは賛同しない。内郡にも中心と周辺、辺郡にも中心と周辺があるという常識的なレベルで迫る必要がある。 その第一の作業として、内郡の律令支配される地域への考察。睡虎地秦簡や張家山漢簡『二年律令』を見ると公的領域だけでなく濃厚と消費に至る生活全体を徹底的に規制しているが、はたして全帝国において実施されたか。郡県支配が実施される実際の空間を前提して郡県支配の実態が初めて明らかになるのではないか。 その聚落の空間を設定するため、墓葬の位置と分布を検討。河南省、山東省、江蘇省、湖北省、四川省にある7000基の墓葬の位置とそれと県城との距離を測定。結果、律令支配が比較的徹底的に行われた前漢では県城付近の集住が著しいが、後漢時代になるとそれが崩れる(※ここで会場のスクリーンに山東省や江蘇省の調査に関わる様々な図表が表示され前漢と後漢の違いが提示される。ただグラフに縦軸や横軸にラベルがなく何なのか解りづらい)。これで郡県内の県城という「中心」空間は明らかになったが相対的に「周辺」は明らかにならなかった。県城という中心と別の中心との関係、その間で形成される中心と周辺の関係が今後の課題。さらには漢代墓葬の副葬品が中心からの距離によってどのように分布しているのか現在考察中。この過程で注意しなければならないことは、交通の問題。交通により中心と周辺が大きく変わる。 今まで秦簡時代の交通について王子今先生を中心に多くの研究がなされ、藤田勝久先生をはじめ日本の学者も様々な角度で研究を重ねた。今回の発表で先行研究を踏まえ、江南地域での水運について整理したい。出土簡牘と考古遺物を通じ具体的な水運の姿を検討。特に陸運が重要という観念が根強いため、それと結びつけ見る傾向にある。そのため、数多くの出土資料が注目されず放置されている。この発表の前半は簡牘中心、後半は考古学中心。 ○一、郷里単位の水運と水運損失に備えた自治組織―江陵鳳凰山10号漢墓簡牘 江陵鳳凰山10号墓の6号簡牘によれば、平里の戸芻27石、田芻4.37石、田藁2.245(※清岡注。まぐさ、わら)。鄭里全体の畝数は617畝、『二年律令』の規定によるとおよそ田芻18石、田藁12石の芻藁税が徴収されるので、6号簡牘の田芻は1/3-1/6にすぎない(※ここで簡牘の釈文がスクリーンに映し出される)。戸芻と戸藁を含むとさらに多くなり、24石の芻、14石の藁が徴収されたことになる。田租の場合、正確な税率は解らないが、鳳凰山10号墓の7号簡牘によれば市陽里の場合53.36石徴収された。 鳳凰山10号墓の4号簡牘は、市陽里の里正の張偃(墓主)が所属する西郷佐である賜に毎月徴収の算賦を治めた記録。4号簡牘と5号簡牘によると鄭里と当利里の算賦も徴収し西郷に納めたので少なくとも芻藁120石以上、田租130石以上、徴収・伝達された。 里正が算賦のみ徴収したのではないとすれば、張偃は市陽里以外にも鄭里と当利里の算賦・田租を担っていた。算賦が銅銭で徴収・納付に対し、田租と芻藁税は穀物と芻藁の実物を直接徴収・納付しなければならなかった。 田租の一部が銅銭で折納される場合があり、6号簡牘に見られるが極少。『二年律令』にも折納の規定があるが、まず県に集荷され、県の財政の規模・価格によって折納し郡に納入。 穀物は重量、芻藁は体積により徴収。里正の張偃が幾つかの里で徴収・伝達。したがって、西郷から官吏が徴収するのではなく、里正が算賦と同様、穀物と芻藁とを集め郷まで伝達した。 品物の輸送に多くの費用がかかり、時間と空間により多くの差がある。居延出土「建武三年十二月候粟君所責寇恩事」簡牘が具体的な費用の推定に便利。これは粟君が寇恩に魚の販売を頼みながら支払った賃金がいくらであるという問題を巡って起こった事件の裁判。粟君が賃金の穀27石との主張に対し、寇恩が穀27石と牛1頭との主張。魚5000匹の運送に50日かかり運送以外に販売という行為も含む金額。 張偃が運送した量は、寇恩のそれよりはるかに多い。交通手段を水路に依存せざるをえない華南地域。しかし漕運は決して容易ではない。貨物を埠頭で収合し船に積み運航し、埠頭に付いてから降ろすなど複雑な過程があり、当然、運送費用がかかった。 こういったことは同時期の『二年律令』に明記。 ・『二年律令』「賊律」第7-9号簡 船人渡人而流殺人、耐之、船嗇夫・吏主者贖耐。其殺馬牛及傷人、船人贖耐、船嗇夫、吏贖(遷)。其敗亡粟米物、出其半、以半負船人、舳舮負二、徒負一;其可紐繋而亡之、盡負之、舳舮亦負二、徒負一、罰船嗇夫、吏金各四兩。流殺傷人、殺馬牛、有亡粟米物者、不負。 水運に携わる船人・舳舮・徒の存在とそれらを監督した船嗇夫・吏主者が人や貨物を運送する際、死亡または遺失の場合、その賠償責任を明示したもの。水運の過程で様々な損失が発声した事実を物語っている。 里正の張偃はこのような過程を処理する必要があった。江陵鳳凰山10号漢墓簡牘は張偃の責任の元で諸里の税役を徴収し上納した内容が主。4号簡牘と5号簡牘には算賦の用度の記載があり、そのうち「転費」とあり、それは居延漢簡「転銭」と同じく、人を雇用し糧食等を運ぶ費用のこと。 ここで鳳凰山10号墓出土「中販共侍約」に注目。内容は張伯(張偃)が販長になり他六名と約束した後、その規定を書いたもの(※ここでスクリーンに釈文が映し出される)。後半部分は張伯とは別の販吏が見え、販吏の命令に従わない場合のことを規定。前半部分は共同作業が必須で器物損傷・遺失について別の規定がある。張伯らが自発的に組織したという説があるが、戦国時代の秦以降前漢末まで里単位の私的利益のための結社を徹底的に禁止されていたためこの可能性は低い。「会而計」というように販吏への会計報告義務があり官との関連性を暗示。 類似の組織は後漢初の「漢侍廷里父老[イ單]買田約束石券」でも確認。この石券は于李等25人が[イ單]を組織し構成員が出捐した61500銭で82畝の土地を買った後、里父老にその土地の収穫物を使用できるようにしたもの。資産が足りなくなり里父老の資格がなくなると25名の中で次の人に渡すようにした。官により強制的に課せられた里父老の義務を処理するため、出捐したお金で将来発生する可能性がある金銭的損失に備えた。「他如約束」とあるように具体的な罰則規定は別途に規定したようだ。里正と同様、後漢の里父老の義務の一つに税役の徴収がある。これこそ経費負担の主な原因。水運での損失の可能性が高いため、それに備え組織を作りそれは官に許された。 弘一先生によると「中販共侍約」の「販」は「般」、すなわち大船を意味する。より確実に船舶を利用・運送する担当者が将来発生する可能性のある問題に対処するため、官の指導のもとで組織を作ったと理解。 ○二、県級単位以上の水運と水運損失への官府の補填―長沙走馬楼呉簡 ※関連記事 第2回三国志学会大会ノート1 2006年9月17日「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」ノート 走馬楼呉簡が出土した長沙は鳳凰山簡牘が出土した江陵と同じ地理環境。走馬楼呉簡の内容の一つに嘉禾三年と四年にかけての田租の徴収と倉庫への納入がある。そのため鳳凰山簡牘で考察した水運関係の事実を走馬楼呉簡で確認できる可能性は高い。 漢代以来、賦税のの納入は「自送」が原則。前述のように里正・里父老のような下級官吏により統合・納入し、その費用を「転費」などの名目で農民に課した。それにより「里父老石券」「中販共侍約」出現。走馬楼呉簡の田家[艸/別]に「入□郷嘉禾二年租米八斛就畢 嘉禾二年九月廿八日叟丘県吏潘孔関邸閣董基付倉吏鄭黒受」(A2869)などとあるように入倉の主体が見えないため、「自送」したように見えるが、漢代と同じように基層単位の担当者が代納した可能性が高い。しばしば代納の主体が屯田司馬、西郷佃吏などのように確認できるのはその証左。 租米や限米など多様な種類の穀物が全部水運で入倉されたわけではないが、県倉と離れたところは水運を利用せざるをえなかったようだ。しかも県倉に納入された品物を再び別のところへ運ばれる際、主に水運に依存。「其一百廿五斛五斗四升民先入付三州倉吏谷漢出付船師唐鼠運詣中倉関」(9.3097)という事例(※スクリーンに釈文が映し出される)では、民が三州倉に納入した125.54石の穀物が船師に渡され中倉へ運ばれる。 漢代の簡牘では損失に備えた組織が出現した事例があるのに対し、走馬楼呉簡では実際の損失に対する報償する具体的過程が書かれている。王子今先生は「折咸米」の事例がいずれも「入吏(或吏某)所備船師某某年折咸米」という形式であることに着目し、「折咸米」が船師の運送中に損失された部分を指すとした。侯旭東先生は官吏の過失を報償する行為を意味するとする。先の張家山漢簡『二年律令』では第一次的な責任は船人が負うのと同時に官吏が連帯責任を負うことが明示。走馬楼呉簡の「吏所備」は恐らく連帯責任の一部。ただ折咸米が思ったより少なく、運送中にかかる他の必要経費も含まれると見た方が良い。 「[イ就]銭」にも注目。王子今先生はこれを「邑下居民」と関連づけ、使用者が土地の持ち主に支給した租価であると説明。「[イ就]銭」を「運賃の用途に使われる税金」と解釈すれば、居延漢簡や敦煌漢簡の用途と関連づけ理解できる。鳳凰山10号漢墓出土簡牘の「転費」と類似すると考えられる。 漢代では主に徴収する責任者が作った自発的な組織で損失に備えたのに対し、三国呉では多くの部分が官吏により体系的に支払われた。無論、『二年律令』によれば漢代でも官吏により損失分が補填され、三国呉でも自発的組織が形成された可能性は高い。 ○三、水運対象の貨物と範囲―里耶秦簡 江陵鳳凰山簡牘に見える水運貨物は主に穀物と芻藁であるが、F類竹簡に分類される鳳凰山10号墓簡牘には「[台/木]」(※からむし・あさ)や「笥」(※竹や葦で編んだ箱?)などが記される。簡牘の意味については貨物の明細書、運送集団の運賃支給、商業経営帳簿等、様々な見解がある。[台/木]を数える単位は「絜」となっており、『説文解字』の段玉裁注によると「絜」は一束のこと。完成品の[台/木]の単位が「匹」なので、簡牘の[台/木]は縛られる材料または半成品と考えられる。従って[台/木]や笥はこの地域で生産される水運対象と推定。 里耶秦簡にも[台/木]を収穫し半成品を作る中間過程が記される。具体的には脱膠、剥皮、刮青、分劈の過程を経た後、紡織する。里耶秦簡に脱膠で主に使われる[シ區]漬法が見えるため、恐らく[シ區]漬を経た後、出荷される。 走馬楼呉簡では水運対象が主に穀物でそのうち軍糧に使われる事例に注目。断片的な記録だが、軍糧輸送は三州倉→州中倉→倉曹→督軍糧都尉→右節度の順で、軍糧は船師に伝達され水運で運ばれたことは明らか。文献資料に記載される呉の武陵蛮討伐と時期的にも空間的にも重なるので、走馬楼呉簡の軍糧輸送は[シ元]水流域の武陵蛮討伐のためと考えられる。つまり湘水地域の長沙から[シ元]水地域への水運事例。 里耶秦簡にも軍需物資の輸送関連の記録がある。秦始皇34年9月を基準に遷陵県で保管中の弩臂の数量を点検した記録。うち七件が益陽と臨[シ元]で放出と記録。いずれも水系で繋がる。 他所から酉水上流の遷陵地域へ水運で運ばれる貨物も確認される。江陵地域の競陵県蘯陰里の狼仮が故荊の積瓦を求めるために公船を借りていった事例が代表的。他に洞庭の上裙も遷陵地域に運ばれていた。遷陵地域で半成品の[台/木]が搬出されたのと対照的 江陵以南の地域は人と文書の通行も水運に大いに依存。里耶秦簡の里程簡では臨[シ元](常徳附近)から遷陵までの距離が中間の別の地名を経ず910里と記される。これに関し多くの議論があり、この路程が水路か陸路かについて後者を仮定する場合が多い。それは北方地域の陸上の郵の設置と文書伝達システムが南方地域でもそのまま運営されるという仮定が出発点のため。張家山漢簡『二年律令』と居延漢簡には、それぞれ一日に文書を移動すべき距離が規定されており、文書の移動で最速が郵伝によるとするならば、里程簡に地名間の距離が記されているのも、陸上の郵の方法で伝達される距離になる。『二年律令』「行書律」に江陵以北は10里ごとに1郵、索までは20里ごとに1郵設置するが、地形が険しい場合は便利なところに設置できると規定されている。尹湾漢簡だと、東海郡の場合、1県当たり1郵の比率。索すなわち今の湖南省常徳以南の場合、地形が非常に険しい湘西地域は水系にそって県単位で設置されたと考えられる。また一旦水系に沿って移動すれば、陸上のように中間の郵を経る必要がない。[シ元]陵虎渓山簡牘の中に「廷到長安、道涵谷、三千二百一十九里、其四百卅二里[シ元]水」(MIT:43-99)とあるのは[シ元]陵から臨[シ元]もしくは索までは水系に沿って物資と文書が移動されたことを如実に示している。 ○四、漢代墓葬の副葬品よりみた湖南省の水運 簡牘で見た湖南省水運範囲は非常に広い。 (※ここで「時間がないため、簡単に説明すると告知」) 長沙馬王堆駐軍図の地理的背景に対し様々な意見があるが、歴史地理学界では湖南省最南部、九疑山地域に比定。都尉が設置されたところには軍事物資の運送が必須だが、周辺の地形上、水運が不可避。そのため、全体的に見れば遷陵・[シ元]陵という酉水の水系、臨[シ元]・[シ元]陵・敍浦(武陵郡)の[シ元]水の水系、益陽の資水の水系、長沙-州(九疑山)の湘水の水系、これら多くの水系が互いに連結した姿を確認。 漢代墓葬の副葬品を通じ、水運を確認したい。方法はまず水系別に墓葬を整理し、墓葬出土品の陶器・青銅器など材料別に分け相関関係を考える。
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: 清岡美津夫
2008年10月29日(水) 19:35 JST
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真・三國無双7(2013年2月28日)
・コーエーテクモゲームス|GAMECITY http://www.gamecity.ne.jp/ 上記のコーエーテクモゲームスのポータルサイト「GAMECITY」の2012年11月1日のNews Releaseによると「『真・三國無双7』 (PS3版) 2013年発売決定!」とのことで、その文字に下記のサイトにリンクされていた。つまり『真・三國無双』シリーズ本編の最新作の『真・三國無双7』のPlayStation 3用での2013年の発売が決定したという。 ・真・三國無双7 http://www.gamecity.ne.jp/smusou7/ ※関連記事 真・三國無双6(2011年3月10日)
: 清岡美津夫
2012年11月 6日(火) 00:04 JST
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三国志学会(西)勝手にスピンオフ図書館見学ツアー(2012年9月9日)
※関連記事 三国志学会 第七回大会(2012年9月8日土曜日) 上記関連記事にあるように2012年9月8日に京都市内の龍谷大学にて「三国志学会 第七回大会」が開催された。つい数日前に2年前の「三国志学会 第五回大会」の記事を書き終えたばかりなので、この調子でいけば「三国志学会 第七回大会」についてのレポート記事は2年後になりそうで、そこまでいかなくても忘れた頃になりそうなので、先に脇のところから書く。 話は「三国志学会 第七回大会」の懇親会が終わった20時過ぎ時から始まる。福原啓郎先生と研究者1名と三国志ファン11名がぞろぞろと帰路についていて、残念ながらそこでひろおさんとドミトリーさんとが別れたものの、それ以外の11名は飲み屋に入っていった。福原先生、清岡、三月さん、かたせんさん、イシザキさん、にゃもさん、なしごさん、R・Fさん、朝霧さん、ミズノさん、張茂さん。 そこで清岡が出した話題の一つに京都での三国志こじつけツアーというのがあった。まず黄檗山萬福寺に関羽像を見に行き、藤井斉成会有鄰館(第一日曜日と第三日曜日の午後開館)で熹平石経の残石や正始石経(三体石経)を見て、京都国際マンガミュージアムで三国マンガを見るといったものだった。あとそこでは言えなかったが『三国志』に関係ありそうな地名、山越、烏丸を回ったり、司馬師が居なかったらもしかして京師府になってたかもしれないと思いを馳せたりと。 ・黄檗山萬福寺 http://www.obakusan.or.jp/ ・藤井斉成会有鄰館 http://www.yurinkan-museum.jp/ ※関連記事 京都・黄檗山萬福寺の関羽像 有鄰館(京都) ノート:連環画は中国特有の『マンガ』なのか?その絵本としての可能性を探って(2012年2月15日) ※追記 魏晋南北朝史研究会 第12回大会(2012年9月15日) 三国志学会 第八回大会(2013年9月14日土曜日) ※追記 三国演義連環画(1956-1964年) ※追記 11月1日は董卓が相国に為った日 冒頭の関連記事にあるように、「三国志学会 第七回大会」で陳曦子「中国四大名著の日中マンガ比較研究 ─「三国演義」を中心に─」という研究報告もあって、三国マンガについて話が盛り上がり、それが後々、伏線となる。 宴も酣となり…というより終電が近付いていたので、解散の運びとなり、店の部屋を出る前に明日、張茂さん主催の「三国志学会(西)勝手にスピンオフ図書館見学ツアー」に参加される方は誰かと確認をとっていた。そのツアーは下記ブログ記事参照のこと。 ・孫呉秘書省在建業 http://hishoshou.blog108.fc2.com/ ・三国志学会(西)勝手にスピンオフ図書館見学ツアー (※上記ブログ記事) http://hishoshou.blog108.fc2.com/blog-entry-16.html ※追記 大津祭 孔明祈水山(2012年10月6日7日)
: 清岡美津夫
2012年9月13日(木) 00:06 JST
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交地ニハ絶ツコトナカレ 11(2009年5月24日、大田区産業プラザPiO)
サイト「真・無双検索」関連で知ったこと。 三国志関連の同人誌展示即売会は大抵、個人が主催するんだけど、企業が主催し、続いているのがある。それが「交地ニハ絶ツコトナカレ」。年二回ぐらいのペースになっているね。11月7日に告知サイトが11回目のものができたので情報中継。というかバナーのURLがコロコロかわるので要注意。あとデザインは未だに漢数字の「十一」なんだね。 イベント名:交地ニハ絶ツコトナカレ 11 内容:真・三國無双中心 三国志全般オンリーイベント URL:http://www.youyou.co.jp/only/musou/ バナー:http://www.youyou.co.jp/only/musou/bn.gif ※追記。というわけで案の定、URLが変更になったのでこちらも変更。 開催日時 2009年5月24日(日) 11:00~15:00 会場 大田区産業プラザPiO 募集 直接参加:400スペース 委託参加:100サークル ※関連記事 交地ニハ絶ツコトナカレ 10(2008年11月16日、東京ビッグサイト) VERSUS!(無双OROCHI同人誌即売会 2009年2月15日) 魏勇伝・参(2009年10月4日東京) ※追記 同人イベント三件 ※追記 交地ニハ絶ツコトナカレ 12(2009年11月15日、東京ビッグサイト) ※追記 リンク:ファンクラブ ※追記 三国志フェス2010(2010年8月21日土曜日) ※追記 交地ニハ絶ツコトナカレ 十五(2011年5月15日大田区産業プラザPiO)
: 清岡美津夫
2008年11月15日(土) 15:10 JST
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第27回春の古書大即売会(京都古書研究会)
毎年、この大型連休の時期に京都古書研究会主催で京都市勧業館(みやこめっせ)でやっているのが「春の古書大即売会」。今年で第27回で、5月1日から5日までやっている。 ・京都古書研究会 http://www1.kcn.ne.jp/~kosho/koshoken/ どんな催しかというと、広いホールに本棚がずらりとならんでいて、それぞれのスペースに京都を初め大阪や奈良の古書店が出店していて、いろんな古書を物色できる会。出店されている古書店は43店、会計は会場奥の壁際のカウンターで一律だし、買い物かごも用意されている。 …と以下のように去年も(そして一昨年も)記事にしたので、上の文はほとんど去年と同じにしている(笑) ※関連記事 第26回春の古書大即売会(京都古書研究会) 第32回 秋の古本まつり(京都古書研究会) ※追記 第22回下鴨納涼古本まつり(京都古書研究会) ※追記 第34回 秋の古本まつり(京都古書研究会) ※追記 第29回 春の古書大即売会(京都古書研究会2011年5月1日-5日)
: 清岡美津夫
2009年5月 3日(日) 22:51 JST
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三国志学会 第四回大会ノート1
※前記事 三国志学会 第四回大会ノート(2009年9月5日) 会場には聴講者が4,50人程度が集まりつつあって、10時になり、司会の石井先生の紹介後、会長の狩野直禎先生が登壇される。 ○開会の辞 (10:00~10:10) 狩野先生から、挨拶に続き、関西での開催、会員数が現在300名程度、さらなる会員数の増加への願いについて触れられる。さらにここ一年の「三国志」に関する動きに触れられる。「大三国志展」や映画『レッドクリフ』など。それを承けて「三国志学会」では一般の人にも門戸を開いていることに言及され、開会の辞を終えられる。 ・三国志学会 http://www.daito.ac.jp/sangoku/ ※参照記事 呉宇森(ジョン・ウー)監督『レッドクリフ(RED CLIFF)』報道まとめ 大三国志展(2008年5月3日-7月13日)関連情報 ※追記 リンク:「Google 日本語入力」関連 ※追記 メモ:大半の三国創作と二次創作の相似点 ※追記 リンク:「三国志」の世界(2009年6月20日) ※追記 三国志大戦3 オフィシャルカードバインダー追加リフィルセット(2008年10月23日) ※追記 教科書本文データ集(全国漢文教育学会) ※追記 私的メモ2:三国漫画分析 ※追記 私的メモ1:三国志ワーズネットの展望
: 清岡美津夫
2009年9月14日(月) 01:46 JST
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2006年7月30日「三国志学会 第一回大会」ノート0
・三国志学会 http://www.daito.ac.jp/sangoku/ 2006年7月29日土曜日に三国志シンポジウムが大東文化大学の板橋キャンパスで開かれ、その次の日に三国志学会の第一回大会が大東文化大学の板橋キャンパス近くの大東文化会館ホールで開かれるということだった。 ちょうど私は前日の板橋キャンパスへは東武練馬駅から歩き大東文化会館発のスクールバスに乗っていったので、スムーズに三国志学会 第一回大会の会場へ行くことができた。到着したのは開始30分ほど前。会場となるホールの入り口にはすでに何人か人がいて、東方書店の出張店舗で本を物色している人や、立ち話をしている人など様々だった。 受付には前日の三国志シンポジウムで通訳をされていた田中靖彦先生が座っておられて、三国志学会への入会手続き等の担当をされていた。私は予め書いていた入会申込書を手渡し学会費を払い、三国志学会会員となった。今回の大会のレジュメなどを受け取り、ホール内の真ん中あたりの席を確保した。写真のとおりまだ人はほとんど来てなかった。 缶コーヒーを買って待っていると、まずげんりゅうさんが現れ、あれこれ話していたら、そのうち、2005年の三国志シンポジウムでお会いした、たいがあさんに声をかけられ、昨日の三国志シンポジウムの話などをしていた。 そのうち、前日にお会いした、ミミまろさんや伊比学さんがこられ、さらにKJさんとUSHISUKEさんが来られ、私の近くの席に座っていた。 そして開始を待つ。 満場拍手の中、三国志学会の会長の狩野直禎先生が壇上に立たれる。 そして、狩野直禎先生により「三国志学会 設立趣意」が高らかに宣言される。 満場拍手。 以下に当日、もらった「三国志学会 第一回大会」のプログラムを転載しておく。一部、仮題だったのでそこは修正してある。 -------------------------------------------------------------- 三国志学会 第一回大会 日時:2006年7月30日(日) 10時-17時 会場:大東文化大学 大東文化会館ホール(東武東上線、東武練馬駅1分) 報告(10時-12時40分) 石井 仁(駒澤大学助教授) 「呉・蜀の軍事制度に関する覚書」 澤 章敏(関東学院六浦中学校・高等学校) 「五斗米道研究の現状と課題」 和田英信(お茶の水大学助教授) 「建安文学をめぐって」 竹内真彦(龍谷大学助教授) 「呂布には何故ひげがないか-三国志物語の図像と本文の関係について」 お昼休み 講演(14時-17時) 劉世徳(中国社会科学院教授),通訳 伊藤晋太郎(慶応義塾大学講師) 「『三国志演義』嘉慶七年刊本試論」 狩野直禎(三国志学会会長、元京都女子大学学長) 「私と三国志」 懇親会(18時-) 会 場:大東文化大学板橋校舎 カフェテリア Green Spot -------------------------------------------------------------- ・三国志学会第一回大会ノート1へ続く http://cte.main.jp/newsch/article.php/397 ※追記 三国志学会
...
: 清岡美津夫
2006年8月23日(水) 16:52 JST
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メモ:三国志ジャンルにおけるデータベース消費
<2012年1月28日追記> アクセスログを見ると、ネットで「データベース消費」と検索するだけでリンクを辿ろうとしない、あるいは検索語句を調整しない、ネットリテラシーの低い人が多いので、お節介にも出典とそこからの引用を以下に追記しておく。 東浩紀/著『文学環境論集 東浩紀コレクションL』(講談社)P.570より --引用開始--------------------------------------------------------- 「データベース消費」とは、個々の作品やデザインがさまざまな要素に分解されたうえで、作品という単位への顧慮なしに直接に消費され(たとえば原作は読まれないのにキャラクター商品だけは売れ)、ときに消費者の側で再構成されてしまうような消費様式を意味する。 --引用終了--------------------------------------------------------- ※追記。アクセスログを見ると、2012年07/27 (金) 00:57:14から不特定多数のIPアドレスから「データベース消費 三国志」とか「データベース消費 漫画」とか検索語句があるが、早稲田あたりでレポートでもでているんだろうか。07/30 (月) 16:50:35に「データベース消費と物語消費 についてのレポート」というそのものズバリの短絡的な、知性のかけらもかんじられない検索語句があったし。そんなリテラシーの低さだと、その結果はきっと評価点も低いことだろう。 <追記終了> 以前、メモ的な記事を書いたとき、冒頭で、とあるブログの影響を受けたと書いたけど、そのブログでよく引用されていたのが東浩紀さんの著作。そこで同著の『動物化するポストモダン』『ゲーム的リアリズムの誕生 : 動物化するポストモダン2』『網状言論F改』『波状言論S改』を続けざまに読んでいる(※そういや関係ないけど、第7回三顧会で玄鳳さんが持っていた書籍は『三国志』の訳本以外だと東浩紀さんの著作だったね、確か)。 というわけで以下、その影響を受けつつ三国志ニュースの「公式サイト」の記事を参考にしたメモ。 よく耳にする言い回しとして「三国志という物語」とか「三国志 あらすじ」とか「三国志、その後」とか「三国志の結末」などがあり、『三国志』が一つの「大きな物語」であると誤認されている証左なのだろう。しかし、そもそも今の三国志ジャンルの大元である史書の陳寿撰『三国志』(成立:紀元280年以降)自体、一つの「大きな物語」なのではなく、王や皇帝など君主ごとに記述された本紀と、臣下ごと(一部、民族ごと)に記述された列伝の集合体であり、いってみればデータベース的側面を持っている。また『三国志』は『三国志』魏書袁紹伝に「語在武紀」(語は武帝紀に在る)、または『三国志』魏書呂布伝に「語在卓傳」(語は董卓伝に在る)とあるように他の列伝の箇所に触れることもあって、あたかもあるデータが別のデータへリンクしている箇所があり、その側面を浮き彫りにしている。 『三国志』には本紀と列伝のみだが、他の史書、例えば『史記』には、さらに諸侯ごとに記述された成家、制度ごとに記述された書(他の史書、例えば『後漢書』や『晋書』では志)、年ごとに記述された表があり、データベース的側面が強くなっている。 さらに『三国志』の裴松之の注は言ってみれば関連情報・詳細情報へのリンクなんだろう。また『三国志』と記述されている人物が多く共通する『世説新語』や『捜神記』などの文献はエピソードごとに収録されたデータベースとも言える。 時代が下るとこういった簡牘や紙をメディアにしたもの以外にも、三国志関連の講談や雑劇など、生身の声や動作(楽器演奏も)をメディアとしたものが出てくる。これらはどちらかというとエピソードごとにまとめられている(※講談に関してはほとんど知らないので、こう言い切れる自信はないが)。 さらに時代が下ると紙のメディアの『新刊全相平話三国志』(成立:紀元1321-1323年)や羅貫中/作『三国演義』(成立:14世紀)など、三国志関連を一つの「大きな物語」にまとめる動きが出てくる。 それらの中で『三国演義』は淘汰されず、多くの人によりバージョンが変えられつつ(挿絵も入るようになり)写本あるいは出版し続けられた。 この「大きな物語」の『三国演義』は日本にも輸入され、『三国演義』を日本語に翻訳(?)した湖南文山の『通俗三国志』(成立:紀元1689-1692年)が刊行された。 そのため、江戸時代中期の日本では、輸入された『三国演義』を読む層、『通俗三国志』や『三国演義』のダイジェスト本を読む層、三国演義関連の歌舞伎や浄瑠璃や講談などで物語を楽しむ層の三つの消費形態出てくる。三番目の層の物語を楽しむ層は言ってみれば「大きな物語」からエピソードを切り出す消費形態の走りだといえる。 ※参考記事 2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感2 三番目の層の補足として、下記、参考記事によると詩文、川柳、掛け軸などがあったとのこと。エピソード以外にも「大きな物語」からさらに多角的に細分化して切り出し創作を加え消費されている。 ※参考記事 第3回三国志シンポジウム 雑感1 日本では『通俗三国志』が出版され消費され続け(時には挿絵も入るようになる)、それとは別に明治時代に入ると『三国演義』も出版されるようになる(これも上記参考記事の受け売り)。 1939年8月から1943年まで『中外商業新報』(新聞)において、『三国演義』を元にした吉川英治/著『三国志』(小説、以下、吉川『三国志』と表記)が連載され、後に書籍にまとめられ、それが現在に至っても消費されている。 日本人の手で、『三国志』を大元として『三国演義』を日本語でリライトした三国志関連の「大きな物語」としては20世紀の日本において代表的な作品となっている。 これに、三国志関連の小説として1966年から1968年まで『週刊現代』で連載された柴田錬三郎/著『柴錬三国志 英雄ここにあり』(小説)、1974年の陳舜臣/著『秘本三国志』(小説)が続く。 後者の『秘本三国志』は『三国演義』や『三国志』以外にも『後漢書』を参考にしており、『三国演義』の「大きな物語」とは異なる部分が多い。 こういった小説としての「大きな物語」の消費形態から新たに漫画としての消費形態が提示された。それが1972年1月から1987年3月まで連載された横山光輝/著『三国志』(漫画)である。これは吉川『三国志』とストーリーが似ている。 さらには1982年10月2日から1984年3月24日までNHK制作の『人形劇三国志』がTV番組として放送され(人形を使った劇の放送、『三国演義』が原作となる)、三国志関連の消費形態が小説に留まらないことが示された。 横山光輝/著『三国志』および『人形劇三国志』はこの頃の日本(1980年代?)の三国志ブームを支えていた。 このブームの中、それ自体が「大きな物語」という枠組みに収まらない消費形態が出てくる。それは1985年12月に発売された光栄(現コーエー)/制作『三國志』(PC88用シミュレーションゲーム)である。 これはシリーズ化され現在、11作目まで発売されており、そのどれもイベントと呼ばれる断片的なストーリーはあるものの、基本的に幹となるストーリー、つまり「大きな物語」はない。またゲームであるため、登場する人物の特性はパラメータ化されており、その多くは消費者(プレイヤー)に明示されている。その消費形態故に三国志関連の様々な事象をデータベース的に解体する必要があったと言える。 ここに日本の三国志関連において「大きな物語」に頼らなくとも消費できるという構造の始まりを見て取れる。 とは言っても、三国志ブームの盛衰に影響を受けるものの、「大きな物語」の枠組みに収め消費する構造は三国志ジャンルにおいて依然、健在であり、1990年代に入ってもなお、様々なメディアでその多くが『三国演義』を基板とした作品が生産され消費された。 1991年から1992年まで横山光輝/原作『横山光輝三国志』(アニメ)が放送された。 1994年、中国中央電視台/制作『三国演義』(TVドラマ)が制作された。 1994年10月から2005年11月10日まで王欣太/著『蒼天航路』(漫画)が『週刊モーニング』(講談社)で連載された。これは『三国演義』以外にも『三国志』等の史書も参考にされている。 1996年11月から北方謙三/著『三国志』(小説)が発表された。 1998年7月25日から2007年5月28日まで諏訪緑/著『諸葛孔明 時の地平線』(漫画)が『隔月刊プチフラワー』に続き『月刊flowers』(共に小学館)で連載された。 これらは何らかの形で1990年代の三国志ブームを支えたと言える。 ※参考記事 第8回三顧会午前1 ※リンク先のページの終盤にある これとは違う流れとして別ジャンルの要素を三国志ジャンルに合わせる消費形態がある。例えば、1985年7月25日発売の雑誌『小説June』に掲載された『わが天空の龍は淵にひそみて(前編)』、後の江森備/著『私説三国志 天の華・地の風』(小説)はJune系の要素を三国志ジャンルに導入し(もしくはJune系のジャンルに三国志ジャンルの要素を導入し)、結果的にそれまでの三国志ジャンルの外にあった消費層の需要を開拓した。
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: 清岡美津夫
2008年5月31日(土) 10:38 JST
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536.
三國志研究 第四号(2009年9月)
※関連記事 三国志学会 第四回大会(2009年9月5日龍谷大学) 上記のように2009年9月5日に「三国志学会 第四回大会」があった。 まぁ、詳しい説明は後日じっくりゆっくりチョビチョビと、ということで、まず自分的に興味深かったことを一点。 ※関連記事 漢魏交替期における社会と文化(2009年5月15日) 以前、上記の2009年5月15日金曜日に開催された「第53回国際東方学者会議 東京会議」シンポジウムVI「漢魏交替期における社会と文化」をまとめたものが三国志学会の方から出ると小耳に挟んだもんだから、下記、三国志学会を結構、こまめにチェックしていた。 ・三国志学会 http://www.daito.ac.jp/sangoku/ それで今日、「三国志学会 第四回大会」の会場に行って、例年のように会費を払い、学会誌を貰うと、『三國志研究』第四号(ISSN 1881-3631)が何だか、いつもより分厚い。それでも特に気にせずぱらぱらめくると、なぜか福原先生のコメントが掲載されている。 もしやと思ったら、やはり「漢魏交替期における社会と文化」をまとめたものがまとめてまるっと『三國志研究』第四号の中に入っていた。 もちろんいつもの講演、論考(三劉さんのところも)が入っている。 ※関連記事 三国志学会&BS熱中夜話(三劉) 後で石井先生からの話で知ったんだけど、値段もいつもより1000円高くて2500円。会費は変わらないので、相対的にいつもよりお得になっている(と書くと何かどこかの回し者のようになっているけど、そうでもない・笑)。 ※追記 三国志学会 第四回大会ノート(2009年9月5日) ※追記 メモ:「東洋史研究会大会」出店状況 ※追記 歴ドル小日向えりの恋する三国志(2009年3月10日) ※追記 論曹操墓出土的部分文物与歴史文献的関係(2010年5月21日) ※次号 三國志研究第五号(2010年9月11日) ※追記 魏晋南北朝期における貴族制の形成と三教・文学(2011年9月) <9月10日追記> 『三國志研究』第四号を置いていたら、いつの間にか知り合いに読まれていた。その知り合いが印象に残ったことを漏らしていたんだけど、まず「漢魏交替期における社会と文化」のところで、本当に先生方がチェックしているのか?と疑問を持つほど誤字が多いこと、次に、院生が投稿するようになってマシになってきたけど、そもそも学会誌掲載論文としてカウントされるのかな?という疑問、あと、日本語訳された『郁郁たり文若』が面白いと思ったら作家によるものだったことなど。 対する私は最後の話題のところで、そのタイトルから、あるブログを連想していたんだけど、下記のようにやっぱりそうだったようだ。 ・花郁郁たる高陽里 http://gaoyangli.blog79.fc2.com/ ・三国志研究第四号に翻訳が掲載されました http://gaoyangli.blog79.fc2.com/blog-entry-163.html <追記> 『三國志研究』第四号に中川諭先生による『歴ドル小日向えりの恋する三国志』の書評があって、それに対するご当人のブログ記事を下記へリンクする。 ・歴史アイドル(歴ドル)小日向えりの「三国志見聞録」 http://ryo0207.cocolog-nifty.com/blog/ ・「三国志研究」に書評を掲載頂きました! http://ryo0207.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-3786.html ※関連記事 歴ドル小日向えりの恋する三国志(2009年3月10日)
: 清岡美津夫
2009年9月 6日(日) 00:40 JST
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宝塚歌劇に関羽&張飛
おかげさまで最近、タレコミ情報が多いんだけど、今回も面白い情報をいただいた。プチネタ。 2007年3月23日から4月30日までの間、宝塚大劇場では星組公演の『さくら』が上演されているとのこと。 ・宝塚歌劇 http://kageki.hankyu.co.jp/ この『さくら』はオムニバス形式の歌劇とのこと。その中の『節句人形』という話がある。以下、パンフレットから引用した文 ------------------------------------------------------------------- 第5~11場 節句人形 季節が過ぎれば、薄暗い納戸の中にしまわれる節句人形。そんな人形たちの心情にスポットライトを当てたコミカルな場面が繰り広げられる ------------------------------------------------------------------- ここでいろんな人形たち(実際、演じられている役)がでてくるんだけど、その中で、「関羽人形」「張飛人形」と書かれた箱が出てきて、そこから関羽(の人形)と張飛(の人形)が出てきたそうな。関羽にはちゃんとヒゲがつけられていたらしい。宝塚の関羽&張飛だなんてどんなビジュアルしてんだろ。
: 清岡美津夫
2007年4月 6日(金) 22:20 JST
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「三国志大戦ファン感謝イベント~東京湾の宴~」前夜祭(2009年3月14日)
※関連記事 三国志大戦3ファン感謝イベント~東京湾の宴~(2009年3月15日) 上記の記事にあるように2009年3月15日に「三国志大戦3ファン感謝イベント~東京湾の宴~(2009年3月15日)」というイベントがある。 ・三国志大戦3ファン感謝イベント~東京湾の宴~ http://info.enbujyo.3594t.com/utage08/index.html ・三国志大戦3公式ウェブサイト http://www.sangokushi-taisen.com/ 3月6日の三国志大戦3公式ウェブサイトの情報によると、イベントの前夜となる2009年3月14日10:00-25:00に「三国志大戦ファン感謝イベント~東京湾の宴~」前夜祭がG-Link渋谷道玄坂店(渋谷ギーゴ8F)で開催されるという。プレイ料金以外の入場料は無料。「三国志大戦3全国大会 覇業への道~英傑乱舞~」DVD発売記念イベントが開催されたりとお馴染みの会場だね。
: 清岡美津夫
2009年3月 7日(土) 12:11 JST
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539.
ザ・プロファイラー「曹操 三国志・超人伝説の真実」 (2014年12月3日)
・ザ・プロファイラー ~夢と野望の人生~ - NHK http://www4.nhk.or.jp/profiler/ ・ザ・プロファイラー ~夢と野望の人生~「曹操 三国志・超人伝説の真実」 - NHK http://www4.nhk.or.jp/profiler/x/2014-12-03/10/18677/ 上記番組サイトの上記ページによると、NHK BSプレミアム『ザ・プロファイラー ~夢と野望の人生~』の2014年12月3日水曜日21時-22時放送分は「曹操 三国志・超人伝説の真実」だという。これは下記関連記事にあるように、同番組では一年近く前の2013年12月18日に「誰かのために生き抜けるか~諸葛孔明・天才軍師伝説の真実」を放送しており、二回目の『三国志』に載る人物の取材した回となる。※追記。再放送は2014年12月9日火曜日17時より。 ※関連記事 ザ・プロファイラー「誰かのために生き抜けるか~諸葛孔明・天才軍師伝説の真実」 (2013年12月18日) 出演者は「【司会】岡田准一,【ゲスト】渡邊義浩,なかにし礼,小日向えり,来村多加史,【語り】桐本琢也」とのことで。諸葛亮の回に続いて渡邉義浩先生のご出演と(サイトでは漢字が誤っているが)、ついに小日向えりさんのご登場となる。 ・渡邉義浩ホームページ http://ywata.gakkaisv.org/ ※関連記事 三国志を読む(2014年9月20日から毎月第三土曜日全5回) ・小日向えりオフィシャルブログ「歴ドル小日向えりがゆく」Powered by Ameba http://ameblo.jp/erikohinata/ ※リンク追記(上記ブログ記事) ・【告知】ザ・プロファイラー~夢と野望の人生~「曹操 三国志・超人伝説の真実」出演 http://ameblo.jp/erikohinata/entry-11956441429.html ※関連記事 歴ドルになったきっかけは三国志(2014年6月9日)
: 清岡美津夫
2014年11月20日(木) 00:15 JST
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540.
STOP!劉備くん! ひとまずの最終回 (2011年3月24日)
・最新号情報 | コミックヒストリア | コミックフラッパー http://www.comic-flapper.com/historia 上記雑誌公式サイトを見ても書いていないが、下記のwebマンガ雑誌『コミックヒストリア』配信サイトの雑誌ページには書いている。 ・Yahoo!コミック http://comics.yahoo.co.jp/ ・Yahoo!コミック(コミックヒストリア) http://comics.yahoo.co.jp/magazine/sangokushi_0001.html 上記の『コミックヒストリア』配信ページによると、(2011年)「5月末をもってコミックヒストリアの配信は終了となります」とのことだ。同時期2009年11月27日に創刊された『ガンガン戦 -IXA-』は、年最大二回の不定期発行といえども、下記関連記事にあるように、その収録作品を「ガンガンonline」で掲載したり、毎月「戦-IXA-ONLINE」をウェブに掲載したりと活発的なのとは対照的だ。 ※関連記事 曹植系男子(2011年3月10日) ※追記 曹操孟徳正伝 第9話、第10話(2011年4月27日) 下記関連記事にあるように、『コミックヒストリア』はメディアファクトリーの『コミック三国志マガジン』WEB版の後継誌として(『コミック戦国マガジン』の後継誌としても?)2009年11月26日よりスタートしたウェブコミックマガジンで、そのため、『コミック三国志マガジン』WEB版に掲載していた分で引き続き掲載したマンガもあった。 ※関連記事 コミックヒストリア(2009年11月26日) それらの中に白井恵理子/著『STOP!劉備くん!』があって、雑誌が配信終了となったため、2011年3月24日の配信がこのマンガの最終回となったという。下記関連記事にあるように通巻12巻目の最新刊が発売した翌日のことだ。 ※関連記事 劉備くん! 阿斗のまつり(2011年3月23日) ・Yahoo!コミック(STOP! 劉備くん!) http://comics.yahoo.co.jp/magazine/historia/sutoxtup05_0001.html
: 清岡美津夫
2011年3月24日(木) 23:22 JST
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