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メモ:「前漢後期における中朝と尚書」


  • 2009年11月10日(火) 00:00 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,581
研究 ※前記事 メモ:「晋南朝における冠服制度の変遷と官爵体系」

・三国志ファンのためのサポート掲示板
http://cte.main.jp/

・黄門令について (※上記サイト内ツリー)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=3048

 上記掲示板のツリーでも少し触れられているように、皇帝の居住するところで禁中(省中、省内)があり、前々から具体的にはどこなのか気になってはいた。ちょうど何進が暗殺されるあたりで中心となる場所であるため、そこらへんを具体的に理解するのには避けて通れないだろう。

※参照記事 8月25日は何進の忌日

 そんなおり、「2009年度 東洋史研究会大会」で100円で販売されていた『東洋史研究』Vol.64 No.2に米田 健志「前漢後期における中朝と尚書--皇帝の日常政務との關連から」という論文を見かける。中を見ると、前漢後漢の違いはあるものの、上記の懸案事項について書かれているようなので、その場で購入する。

※関連記事 メモ:「東洋史研究会大会」出店状況

 その論文について下記のように、CiNii内のページへのリンクも続けて記す。リンク先で読めるという訳ではないが。

米田 健志「前漢後期における中朝と尚書--皇帝の日常政務との關連から」(『東洋史研究』Vol.64 No.2 (200509) pp.253-286 東洋史研究会 )
http://ci.nii.ac.jp/naid/40006975846

※リンク追記。ダウンロード可能になったんでリンク。
・Kyoto University Research Information Repository: 前漢後期における中朝と尚書--皇帝の日常政務との關連から
http://hdl.handle.net/2433/138167

 この論文が掲載されている『東洋史研究』Vol.64 No.2は下記の東洋史研究会のサイトによると、1500円で購入できるようだね。

・東洋史研究会
http://wwwsoc.nii.ac.jp/toyoshi/

 まずはページ数付きで目次から示す。

254 はじめに
254 第一章 中朝官の定義──附・尚書──
260 第二章 禁中の機能
260  第一節 皇帝にとっての禁中
263  第二節 禁中における政務
264 第三章 皇帝の政務と尚書
269 第四章 中朝官の職務
269  第一節 給事中・諸吏
271  第二節 侍中・中常侍
274  第三節 領尚書事
276 第五章 中朝の職務變遷
279 おわりに
280 註

 それで論文題名にある聞き馴染みのない「中朝」だけど、「はじめに」の文に付けられる註(1)に説明がある。『漢書』巻七十七劉輔傳の注に「中朝、内朝也。」とあり、それに基づき(聞き馴染みのある)「内朝」と呼ばれることが多いが、当時は「中朝」と呼ばれていたという。その中朝は昭帝時代に皇帝の側近集団として出現し、尚書と共に重要性が増し、唐代には政府の中枢たる三省に成長するそうだ。これまで政治史的側面からの分析は多いが、中朝は外朝との抽象的相対的な捉え方のみで扱われるため、中朝の官職がいかなる職掌・機能を有するか、中朝が宮中のどの場所か、尚書と中朝官が政務にどのように関わっていたか等、不明瞭な点が依然多いという。

 「第一章」ではまず中朝官の定義が出てくる。先に挙げた箇所を含め、『漢書』巻七十七劉輔傳の注に次のように書かれている。

孟康曰:「中朝、内朝也。大司馬左右前後將軍・侍中・常侍・散騎・諸吏為中朝。丞相以下至六百石為外朝也。」

 ここで出てくる官職について、論文では『漢書』巻十九百官公卿表下に基づき、一つ一つ説明がなされている。またこの百官公卿表で加官とされている諸曹(左右曹)と給事中も中朝官に含まれるという。先行研究では中朝官を漠然と「天子的近臣」「皇帝の側近官全体を総称する」と定義されているそうだ。「中朝官」の「中」は、『漢書』卷十九上百官公卿表第七上の「侍中・中常侍得入禁中」から「禁中」の可能性が高いとする。そこから「禁中」について『漢書』卷七昭帝紀の注に引く「伏儼曰:「蔡邕云本為禁中、門閤有禁、非侍御之臣不得妄入。行道豹尾中亦為禁中。孝元皇后父名禁、避之、故曰省中。」」と『漢書』卷六十三武五子傳により別名、省中で宮中の一区画と説明し、皇帝の私的空間としている。その後、史料からそれぞれ侍中、中常侍、給事中(卷八十五谷永傳)、散騎(卷八十七谷永傳)、將軍(卷五十汲黯傳、後將軍:卷六十九趙充國傳)が省中に入りうることを説明される。
 中朝が論じられる際に必ず言及される官職として尚書が挙げられ、それについて論じられる。『漢書』卷二惠帝紀の注にある「舊有五尚。尚冠・尚帳・尚衣・尚席亦是。」、「漢儀注省中有五尚」から尚書も省中の出入りが許されており、「尚×」という形で示されているが、史料上、尚書、尚食しか現れない。

 「第二章」「第一節」では禁中が皇帝にとってどのような場所が記されており、『漢書』卷七昭帝紀や『漢舊儀』卷下等より幼少の皇帝が養育される場所、成人の皇帝が皇后・夫人と暮らす場所等、私的空間であると示されている。『續漢書』百官志三・注補所引『漢儀』を引き、前漢武帝期末から王莽の政権掌握までおよび後漢章帝元和間以後、侍中は用事が終われば禁中から出なければならないことを示す。

 「第二節」では佐原康夫/著『漢代都市機構の研究』(汲古叢書31 2002年)にある一般の官衙と比較し、宮中内部の禁中について考察されている。つまり、一般の属吏の空間を第一の区画とし、丞相府に対応させ、堂・廷を第二の区画とし、前殿に対応させ、便坐を第三の区画とし、禁中に対応させている。つまり禁中でも政務を執りうるとしている。また註(17)では第二と第三の間に閤があるのではないか、と指摘している。

※関連記事 佐原康夫/著『漢代都市機構の研究』(汲古叢書31 2002年)

 「第三章」では皇帝の日常的な政務が考察されており、文書の処理の代行は『續漢書』百官志三と『後漢書』竇武傳より尚書が行うとしている。前漢も同じとするが、ここでは大庭脩「漢王朝の支配機構」(『秦漢法制史の研究』創文社1982年)にある「御史大夫=草制官」という説に対する反論中心に論じられている。

 「第四章」「第一節」では『漢書』卷六十八霍光傳の「明旦」から禁中での皇帝と尚書の政務は毎日行われたとし、『漢書』卷十九百官公卿表上注所引『漢儀注』にある「平尚書奏事」がどのような行為であるか、論点が移る。『漢書』卷七十六張敞傳にある「平尚書奏事」周辺の皇帝の前で霍光を論難したことなどから、この「平」は「評」(評議)としている。また註(33)では漢簡と『説文解字』に「評」が見られないことから、「評」は漢代にまだ存在しないことが示唆されている。

 「第二節」では、漢代において高度に発達した文書行政に対し、官衙内部の政務の執行で口頭による意志伝達(史料中「白(もう)す」)に着目している。中朝において「白」の多くは領尚書事または侍中であると指摘。また侍中・中常侍について「平尚書奏事」が確認できないとし、それに対して侍中・中常侍が文書処理に関与した数例を挙げている。その数例は緊急性の高い、もしくは機密を要するようなもの(「封事」の存在に触れている)と指摘している。

 武帝の遺詔により霍光、金日磾、上官桀が幼少の昭帝を補佐することになったのが、「領尚書事」の始まりだと「第三節」の冒頭で示されている。そこから「領尚書事」の位置づけについて仮説が述べられている。史料に見える「行某官事」を糸口にそれとは性質が異なるとし、「領尚書事」は「皇帝が処理すべき尚書に関わる政務」の湾曲表現と推測されている。

 「第五章」の前半で、昭帝以後に比べ武帝時代は公卿の引見が多く、それを武帝期は禁中が後の時代ほど厳密に外部と分けられていなかったためとしており、以後、昭帝・宣帝期で中朝の機能が成熟していく過程を示している。しかし、論文の筆者は中朝を政策決定機関とせず、公卿の会議を通じ官僚機構が意志の形成と表明を行う制度の存在だということを渡辺信一郎/著『天空の玉座』(柏書房1996年)から引き、諮問機関としている。

※関連記事 メモ:『天空の玉座』

 中朝の変遷について後漢に移り、『續漢書』に記載のないことから、給事中、散騎、諸曹、諸吏が廃止され、侍中・中常侍が遺されたとし、『後漢書』朱穆傳の「省尚書事」について論じられている。その傳にある「漢家舊典」を後漢前半期とし「省尚書事」を「平尚書事」が侍中・中常侍に継承されたものと推測されている。この部分は後に渡邉 将智「後漢時代の三公と皇帝権力」(『史觀』Vol.156 (20070324) pp.18-38)で論じられている。

※関連記事 メモ:「後漢時代の三公と皇帝権力」


※次記事 メモ:「黄巾の亂と傳統の問題」

※追記 『東洋史研究』電子版公開開始(2011年3月10日-)

※追記 三国志学会 第八回大会(2013年9月14日土曜日)

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