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吉川英治『三国志』新聞連載版ターミナルページ(note 2024年8月10日-)
13時前、昼食から早稲田大学小野記念講堂に戻って来る。
・小野記念講堂 - Waseda Culture 早稲田大学 早稲田文化
https://www.waseda.jp/culture/facility/ono/
午前中の三国志学会主催の三国志大文化祭2024に対して、午後は三国志学会大会が開催される。例のよって、下記の前回記事同様、当日のメモを写すぐらいの短いものになると思う。「※」の記号で始まる文は清岡によるコメント。
・三国志学会
http://sangokushi.gakkaisv.org/
※関連記事
メモ:三国志大文化祭2024(2024年9月8日)
※新規関連記事
三国志ニュース定期便 Internet Archiveで四半世紀前の三国志サイトを見ていく(YouTube2025年4月5日19時ライブ配信)
・三国志学会大会
http://sangokushi.gakkaisv.org/taikai.html
※関連記事
三国志学会 第十九回大会 三国志大文化祭2024(東京2024年9月8日日曜日)
※前回記事
メモ1:三国志学会 第十八回大会(2023年9月3日)
メモ2:三国志学会 第十八回大会(2023年9月3日)
13時から三国志学会 第十九回大会で、大会に関して参加費は無料。
◯開会挨拶(13:00~13:10)
石井仁(三国志学会会長)
長谷川隆一さんが司会。
◯報告(13:10~15:10)
李欣霜(金沢大学大学院)
「毛宗崗本『三国志演義』と祝融夫人」」
配布資料はA3用紙片面印刷5枚。1ページにプロジェクターでのスライドが8枚並べられている。
13時4分より。
・なぜ祝融だけ性的な評語で評価するのか、人物評価基準を明らかにし、
・先行研究 ※下記関連記事の仙石知子先生の書籍以外は中文籍
※関連記事
毛宗崗批評『三国志演義』の研究(2017年12月28日)
・性的評語は6つ。※評語は毛宗崗によるコメントのことね。
・蛮族に関わる評語との比較(李卓吾本との比較)
→スライドで女性像、男性像、風習と続く
・毛宗崗は異民族差別意識 毛宗崗の生い立ち
※→清代という時代背景に論を持っていってる
質疑応答の時間
上原究一先生より。毛宗崗は本文も書き換えしていたが、祝融のところはどうだったか。
(意味が伝わらない)
上原先生の発見
「髪をふりみだし裸足で」(当時、卑猥な表現)という李本の記述を削っている。
佐藤大朗(早稲田大学大学院)
「毛宗崗本批評『三国志演義』の「史」的側面」
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メモ1:三国志学会 第十七回大会(2022年9月4日)
六朝学術学会 第45回例会(東京渋谷区2024年3月16日)
配布資料(レジュメ)はA3用紙両面印刷4枚 A4サイズ14ページ※p.1で「望」が「のぞむ」とルビがふっているけど「のぞみ」だったよな、と思いつつ(→だね、下のリポジトリではそうなってる)。
上田望「講史小説と歴史書 (1) : 『三国演義』,『隋唐両朝史伝』を中心に」『東洋文化研究所紀要』130巻pp.(97)-(180)(東京大学東洋文化研究所1996年3月)を引っ張ってきて、p.1『三国志演義』本文に『資治通鑑綱目』が使われていると。
・講史小説と歴史書 (1) : 『三国演義』,『隋唐両朝史伝』を中心に
https://doi.org/10.15083/00027113
・レジュメp.2でこの論文のp.144にある『三国志演義』毛宗崗本キーコンセプト「より歴史書(史実化)」が引かれる。
・レジュメp.3「2. 毛宗崗による本文改訂」※例の毛宗崗本に冒頭にある「凡例」でのいくつかのチェックポイントから「英雄談義」のところを見る。昔、横山光輝「三国志」についての論文を書く時、これと吉川英治「三国志」とを比べた袴田郁一「吉川英治『三国志』の原書とその文学性」『三國志研究』第八号(三国志学会2013年9月14日)を参考にした覚えがあるのだけど、「三国志ニュース」上、何も書いてないね。
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三國志研究第八号(2013年9月14日)
・毛宗崗本の改訂前は雷がなってから、改定後は話し終えて雷がなってから
・元々は『三国志』蜀書先主伝と『華陽国志』の注の2つでそのミックス
・p.4 ※おいきれず。レジュメを見ると李卓吾本にあった劉備の「幼いときから雷怖い」のセリフが毛宗崗本で削られていると
・p.4「馬騰 京に入り害に遭ふ」※「凡例」に挙がる所
・馬騰が入朝した時期は史書では定めがたい。
・『三国志』巻三十六蜀書馬超伝注引「典略」では馬騰入朝、建安十五年のところ、司馬光が建安十三年に改めるべきだと考えて、『資治通鑑』『資治通鑑綱目』でそうなる(p.5、p.6) 『三国志演義』では建安十五年の出来事においている。
・「稗官」小説との違い、それへの対向は毛宗崗本に頻出すると。「実事」に即するか
・p.6毛宗崗本の前から『三国志演義』は馬騰の死→馬超の挙兵という流れの「綱目」を批判→レジュメp.6注(3)では金文京『三国志演義の世界』(増補版)p.21を引いてその矛盾を本文中にあるセリフを削って解消してると。
・p.6で他の毛宗崗本の改訂エピソードを出す。
・p.8 毛宗崗は「梟姫伝」に基づき『三国志演義』の孫夫人の殉死エピソードを補う。
質疑応答。
質問 東京大学、小島毅先生 春秋学 毛宗崗は春秋学的な史 感想。
指摘 p.5 「実事」春秋学の言葉 (小説とちがって実事はそんな単純な言葉ではない)※うまく言葉で説明できないなカッコ内
質問2 五藤嵩也さんのコメント?
質問3 上原先生五藤嵩也
「史」にそれほど慎重ならば、「文学」という言葉も慎重につかってほしい。当時文学はポエム、せいぜい踏み込んでお芝居。通俗小説は文学にもいれてなかった。文学小説より、さらに下。そういう前提での『三国志演義』の序文。
14時26分
伊藤涼(東京大学特任研究員)
「何晏『論語集解』と『周易』」
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全譯王弼註老子(2024年9月6日出版)
三国志研究第十九号(2024年9月8日発行)
六朝学術学会 第45回例会(東京渋谷区2024年3月16日)
配布資料はA3用紙片面印刷4枚、A4サイズ8ページ
・「玄学」の先駆者。『論語集解』
・p.1 結論『周易』の重視は引用される諸家の注釈にもその傾向が見られる。
・p.2 何晏の注釈はどこにあたるかの説明から。
・土田健次郎『論語』(ちくま学芸文庫2023年)から引用 亦→易になる流れと
・論語集解の解釈 p.2終わりからp.3 「何晏自注での『周易』の引用」
・p.4「何晏自注以外での『周易』の引用」
・p.5『論語集解』に引用される諸家の注釈にも「周易」からの引用が見られる。
・p.6 『論語集解』は『周易』を用いた解釈が意図的に取捨選択されていることが分かる(『論語』鄭玄注から採用されていない)。
→まとめ p.6「道」に対する解釈 「道」がすべてのものが測る世界の変易 p.7冒頭
p.7「聖人」概念。聖人はかくれた状態で現れる、そこから飛龍→亢龍
状況に応じて君子は動くべきだ
→p.8顔淵は道を楽しむ →周易の聖人概念を適用することで
p.8 結論
※渡邉先生がマイクもってきた(笑)
質問 町田さん 『周易』の重視する、しないの違い。
鄭玄は経学全体を重視している。何晏が『周易』重視は新しい思想潮流
小島毅先生 「聖人」
長谷川さんから 2つパターンの「聖人」、もう一つをあげなかった理由
◯休憩(15:10~15:20)
※次の記事
メモ2:三国志学会 第十九回大会(2024年9月8日)
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