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メモ1:三国志学会 第十七回大会(2022年9月4日)


  • 2022年10月12日(水) 13:05 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    228
研究 ※前の記事 メモ:河西出土文物から見た朝服制度の受容と変容(2019年9月26日発行)

 2021年9月4日日曜日13時、早稲田大学小野記念講堂に居た。

・小野記念講堂 - Waseda Culture 早稲田大学 早稲田文化
https://www.waseda.jp/culture/facility/ono/

  

 その場所で13時開始で「三国志学会 第十七回大会」が開催される。

・三国志学会
http://sangokushi.gakkaisv.org/

※関連記事 メモ:三国志大文化祭2022(2022年9月4日)

・三国志学会大会
http://sangokushi.gakkaisv.org/taikai.html

※関連記事 三国志学会 第十七回大会 三国志大文化祭2022(東京2022年9月4日日曜日)

※前回記事 メモ:三国志学会 第十六回大会 報告(2021年9月5日)

※新規関連記事 三国志学会 第十八回大会 三国志大文化祭2023(東京2023年9月3日日曜日)

※次回記事
 メモ1:三国志学会 第十八回大会(2023年9月3日)
 メモ2:三国志学会 第十八回大会(2023年9月3日)

 以下、上記ページのプログラムから順にメモを残す。
○石井仁会長挨拶 (13:00~13:10)
 都合で渡邉義浩先生に変更とのこと。『三国志研究』第17号の98ページが抜けあり。PDFでダウンロードしてくださいと。

○報告(13:10~15:40)
 佐藤大朗(早稲田大学文学研究科修士課程)
 「三国志のテキスト批判――清朝考証学の史学における三国志と何焯――」

 三国志学会のサイトからも事前にダウンロードできていたけど、B4両面印刷3枚10ページのレジュメが用意されていた。研究の中途報告だそうで、最盛期をとらえるから振り幅が広がるんで、時代を3分割するとのこと。第一集団を1660年代、第二集団を1700±10年、第3集団を1720年代、この後、そうやって分類した人物を個別に解説されていた。個人的には預言者モデルの清代信者列伝と感じた。4つの校勘方法は対校法、本校法、他校法、理校法。それぞれの説明とそれらを軸として、清朝考証学者で第一集団とされた何焯による実際の校勘方法をみていってる。どの段階か忘れたけど、喩えに柿沼先生の新書が出ていてクスっとなった。
 研究報告が終わって、司会の柿沼先生によると、『義門読書記』が東洋史の研究者に重要と。ここで質疑応答、まず渡邉義浩先生からの質問。柿沼先生に話をふる。そうするとランケの解釈がそもそも自分と違うと。ランケは神学が前提にあると。そんな感じでお三方の高度で知的な興味深いやりとりが繰り広げられていた。

※新規関連記事 六朝学術学会 第45回例会(東京渋谷区2024年3月16日)

14時7分から
 青木竜一(東北大学文学研究科博士後期課程/日本学術振興会特別研究員DC)
 「遼東公孫氏政権(遼燕)の国家像――公孫度・公孫淵の即位記事・独立記事を中心に」

 ※清岡が思うに。6日後、そんな話し方はしないだろう、という砕けた話し方。「ボコボコ」とか。テンションがあがってそうなったとみなせなくもないが、多分一般の方もいるこの場のTPOあわせ。いや今回のテーマ自体、これまでの論文や6日後のテーマから考えてえらく趣味に走ったな、と思って後で話す機会があって、そう申すとやはりそうだったそうで。もう羨ましいというか拍手やら称賛のリアクションしかとれない。

※関連記事
 国制面から見た曹魏・西晋都督制の特徴(魏晉南北朝史研究会第22回大会2022年9月17日)
 後漢末曹操政権における軍師祭酒と軍謀祭酒(六朝学術学会報 第23集 2022年3月)

 配布資料にB4両面印刷5枚20ページのレジュメ。きっちり文章で書いたレジュメだけど、グレーでマーカーのようにしてスライドの何枚目と対応するかしてあって非常に見やすい。タイトルにある「遼東公孫氏政権(遼燕)」が三国に対する第四国目とのこと。まず主流の三国の歴史との比較(スライド4・5)。スライド6で先行研究の概説(※まとまっていてレジュメで読むのが楽しい)。敬称略で、大庭脩、松田徹。西嶋定生、仁藤敦史、金子修一。

※関連記事 メモ:『古代中国と皇帝祭祀』(汲古選書26)

 スライド7で、問題所在 なぜ四国目にカウントされないか。スライド9で「皇帝」と「天子」の違い(※上記の関連記事の書籍を思い出していた、注としては先行研究に触れたときの注で上がっていた)。スライド10,11,12で皇帝・天子の即位の流れを丁寧に追う。謁廟の役割を説明 →公孫度の場合をフォロー(スライド14・15・16)。スライド17、公孫淵の独立。スライド18で天子の爵としての王。光武帝の時代を例に。また魏晋南北朝との比較。スライド19・20の「おわりに」でまとめた上で、「遼東公孫氏政権」を「遼燕」と称することを提案されていた(※そもそも陳寿が遼燕国志を作らなかったからね、と思ってしまった。
 質疑応答、新津さんから(1)他の勢力が王を称しなかったのか。→物理的距離?。公孫政権は東夷を征服したりする。(2)中国の先行研究について。→中国ではあまり注目されてない。日本では天皇制があるから注目されている。(3)理念を支える実態は?→二州に分けて従えていた。
 早大Dの方から。前半コメント、爵号が固定してないのは同意。郡国制との接続は考えている?→「遼東国」秦漢交代期にもあった国号。想像すると、劉邦が楚王の推戴があって皇帝になったのも想定していたのでは。
 ネットから。袁術との比較は?→実情面として、公孫氏は位置的に端っこだったから地政学的に滅びにくかった。

※次の記事 メモ2:三国志学会 第十七回大会(2022年9月4日)

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