
※前の記事
メモ1:三国志学会 第十九回大会(2024年9月8日)
休憩時間が終わって、2024年9月8日日曜日15時30分ごろ、前の記事に続いて早稲田大学小野記念講堂に居る。
・小野記念講堂 - Waseda Culture 早稲田大学 早稲田文化
https://www.waseda.jp/culture/facility/ono/
三国志学会第19回大会の続き。例のよって、下記の前回記事同様、当日のメモを写すぐらいの短いものになると思う。「※」の記号で始まる文は清岡によるコメント。
・三国志学会
http://sangokushi.gakkaisv.org/
・三国志学会大会
http://sangokushi.gakkaisv.org/taikai.html
※関連記事
三国志学会 第十九回大会 三国志大文化祭2024(東京2024年9月8日日曜日)
※前回記事
メモ1:三国志学会 第十八回大会(2023年9月3日)
メモ2:三国志学会 第十八回大会(2023年9月3日)
司会が渡邉義浩先生で。柳川先生がバリバリ発表していると紹介があった。
◯報告(15:20~16:10)
柳川順子(県立広島大学教授)
「曹植の閨怨詩に見る兄曹丕への思い」
※関連記事
柳川順子の中国文学研究室(2019年6月12日-)
六朝学術学会第28回大会(東京 早稲田大学2024年9月7日)
レジュメはA3用紙4枚片面印刷A4サイズ8ページ。
・この兄弟関係が影響をあたえていく。閨怨詩は(文学ではなく)文芸ジャンル
・p.1の読み上げ それをうけてp.2「漢代宴席文芸の流れを引く表現」ということで他の漢詩から引いて照合していく。
・p.2「二つの意味を重ねる閨怨詩」 夫婦愛以外にも 兄弟間の齟齬
・p.2末から読み上げ
・p.3「「浮萍」の表彰」『毛詩』をふまえる。p4何晏の詩にも見られる。
浮萍は従属と相反する意味→p.4「浮萍」は曹植の後半生の境遇と重なる。
・p.4「ヲ)」軟禁状態にあった例
・15時48分、p.4「③」読み上げ
・p.4「漢代古詩の踏襲」「漢代古詩を越える要素」
・p.5「「雑詩六首」の制作年代」曹植「雑詩六首」李善注 文選をこのように李善はみた
雑詩六首は黄初四年につくられたという李善の指摘
・p.5「建安年間の閨怨詩(1)」読み上げ
・p.6「漢代古詩の踏襲」「漢代古詩を越える要素」
・p.7「曹植「七哀詩」と「九愁賦」との前後関係」
ネ 塵が汚れていいて 泥は清らか 七哀詩と逆転している。
ラ 曹植が亡くなってからの
16時11分終わる
→渡邉義浩先生の司会、質疑応答
渡邉先生。今文と古文 明帝期に鄭玄が官学になる 曹丕は漢詩の方をとる。割と毛詩以外のをとる
柿沼先生p.3 ずらしておちがなくなって、当時どう評価されていたか。
当時の人は踏襲は気づいていたはず。が、何を意味していたかは今はわからない
p.4 西北 方向性は何を意味する?洛陽を基点として方向はあう?
よくわからない。西北がいろいろ出てくる。→いろんな事例の説明。
16時24分
◯休憩(16:10~16:20)
16時33分、渡邉先生の紹介から。レジュメはA3用紙6枚片面印刷A4サイズ12ページ。
◯講演(16:20~17:20)
石井仁(三国志学会会長)
「曹操の子孫たち-後世の沛国曹氏、および夏侯氏-」
※関連記事
中国古代における軍事と国家統治(2024年8月8日)
・4月から取り組んでいたのはクマ。クマの話。ゾーニングする必要あり。
・クマは当時も猛獣 虎と並んで猛獣。関羽と張飛、熊虎の人と「呉書」で称される。
・学生にもいっているが「三国志」で独立した歴史学はないんだ、と。魏晋南北朝史の一部だし
・p.1 2)からみてもらうと
「少有武力」p.2 「此我家任城(じんじょう=曹彰)也」
(※レジュメに例が出ているように歴代史書に「任城」が引き合いに出されている)南朝において曹彰の名声は高かった。p.2②も。
・曹植 東亜王、(こちらも歴代史書に「東亜」が引き合いにだされる) ③ ④簡文帝 文学サロンをつくっていた
→曹彰 曹植は南朝において有名だった
・⑤劉義慶 元嘉九年に都督になっている。四人でまわしている
・p.3「▲初限荊州~」 官吏の数(兵士は別) 劉義慶のp.2末の推測ができる
・⑥曹休 「此吾家千里駒也」 南朝でひろく見えるパターン
・⑦麒麟 p.4の頭、例外的に人名「君即吾家之陳平也。」
つまり南朝では任城が通りが良いと、曹彰は通りが良い。
・p.4 「3) 王子年『拾遺記』に描かれる曹彰」 ①
・p.1曹彰 急死の理由 裴松之注では憤死したと。曹彰は軽率な人だった 3つあげる。
急死、世説新語では毒殺された
・p4の3)にもどる。①空中聞数百人泣く。他のところにもでてくる。伝わっていたことは間違いない。
・② 王子年 よく占いをやってた。※王子年の『拾遺記』の記述を『太平御覧』からひろっていこうのコーナー ④南斉王朝を予言していた。
→その中でp.5⑤糜竺 ⑥孫策の母(孫堅の母の誤り?) ⑦曹丕に愛された靈蕓、『三国志』にない。⑧甘皇后⑨潘夫人 ⑩姚馥 武帝が即位した、という記述がぬけている →武帝がいう、渇羌と呼ばないよ、と。『魏書』には抜けているエピソード
→どうやら『拾遺記』のはまったくのデタラメではない
・曹彰は武力一辺倒ではない、ということ
→「あとは本が出さるかも知れないので、それを読んで下さい」とのことで。「『三国志』を研究する人は東晋南朝の正史も読んで下さい。」ということで閉められる。
※新規関連記事
リンク:函谷関遺跡考証(東洋文化研究所紀要 169巻 20216年3月発行)
17時33分
◯閉会挨拶(17:20~17:30)
渡邉義浩(三国志学会副会長)
渡邉先生より次回第20回ってことで20年経ったと。来年20周年と。
※2025年は20年目だけど20周年ではない、と清岡はすぐツッコミを入れられるのだけど、誰もツッコミがなかったようで、これを書いている時点で2025年が20周年ってなっているようで。その動きで一応、エビデンスを探してしまった。『三國志研究』第一号(三国志学会2006年12月15日発行)のp.1に「三国志学会 設立趣意書」には「二〇〇六年七月三〇日」付けで「三国志学会を設立することを、ここに宣言する。」とあり、20周年は2026年ね。
懇親会はないとのことなので、すぐ会場から退出、以下、日常記述。19時には神奈川県内の某ネットカフェに入る。三国志ニュースの記事「
六間道三国志祭(神戸市新長田2024年11月2日)」を書く、21時40分アップ。
※次の記事
三國志通俗演義史傳(上)(下)(1997年4月1998年3月)
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