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2024年12月7日土曜日19時からYouTubeにて表題のタイトル「三国志ニュース定期便 山口県に昔あった三国志城での或日の思い出話」でライブ配信を予定しており、下記がそのURLでさらに埋め込みもするので、この記事は告知と報告との意味合いの記事になる。
・三国志ニュース定期便 山口県に昔あった三国志城での或日の思い出話 2024年12月7日19時
https://www.youtube.com/live/D6cDNQ7kjYo
※関連記事
メモ:三国志とパブリックイメージ(2024年11月22日-24日第75回駒場祭 東大三国志研究会)
VIDEO
その配信タイトルは、三国志城という場所で数あったイベントのうち、一つを選んで、その日の思い出話をするだけの配信をイメージしてつけた。だけど、よくよく思い直してみると、そもそも多くの人にとって「三国志城って何?」ってことなので、そこの基本情報からの紹介にしないと。
なのでまず覚書的に配信前にこの記事を書いて、配信後に、この記事で補足が必要と思ったら追記する形でお送りしよう。
配信ではどうなるかまだやんわりとしか決めてないけど、ここでは時系列順に説明していこう。
まず下記関連記事にあるように、光栄(現コーエーテクモゲームス)から刊行されていた月刊『DaGama』1997年5月号p.33「DaGamaMedia-Net」によると、1997年の秋に山口県のJR山陽本線岩田駅前に「石城の里 三国志館」(※「石城」は「いわき」)がオープン予定とのことだった。
※関連記事
月刊 DaGama 1997年5月号
実際には下記関連記事にあるように、「石城の里 三国志城」(さんごくしじょう)が1998年9月13日に開館とのこと。下記公式サイトのURL(※アーカイブ内だけど)から引用するに「展示品は、長編歴史時代小説「三国志演義」や三国時代の遺構・出土品を参考にして、中国成都市にある武侯祠博物館が監修、四川省美術家協会の学芸員が制作した実物大の復元品・ジオラマ(立体模型)・絵画・拓本など約180点が所狭しと陳列されております。」とのことだ。
・三国志城博物館(施設のご案内)
https://web.archive.org/web/20070701131615/www3.ocn.ne.jp/~sangoku/sisetu/sisetu.html
※Internet Archive内
※関連記事
「石城の里 三国志城」設立10周年
場所は山口県光市、当時は山口県熊毛郡大和町、上記関連記事にあるように2004年10月4日に合併したので。ちなみに上記関連記事にあるように、「三国志城」があるのに「三国志館」の行き先看板もちらほら見かけていたので、もしかすると「三国志館」は旧称なのかもしれない。その「石城の里 三国志館」予定地とは違って岩田駅前ではなく、下記関連記事にあるように、岩田駅から東3.3kmほど離れた所、山の麓に三国志城があった。下記関連記事にあるように、近くまで本数の少ないコミュニティバスが通っていて、それでも最寄りのバス停から700mほど歩く必要がある。
※関連記事
「石城の里 三国志城」最寄りのバス停
話を時系列にもどして、下記関連記事によると、開館一周年記念で「三国志クイズラリー」が始まったそうな。三国志ファンは結構、知識自慢の方が多いので、この三国志クイズラリー、何問正解だったとか、ファンのバロメーターとして使われてたのが印象的だった、三国志城の目玉的な存在。また下記関連記事でも触れたけど、オーナーが谷千寿子さん、館長が小山正典さんという体制。確か、2005年ぐらいに小山さんが体調不良で退任されて、そこから谷さんが館長に就任したんだっけ。
※関連記事
2005年12月 『三国志城に「三顧会」なる会が出来て』(山口県博物館協会 会報第30号)
Internet Archive内では前述のように公式サイトがあって、そこに掲示板(BBS)もあった、閲覧者がコメントを書くことができる仕組み(いやもはや掲示板が通じない可能性があったので)。自作のプログラミングじゃなくて、TeaCupのサービスをつかっていた(分かる人にはわかる懐かしい単語だろうけど)。
・三国志城博物館
https://web.archive.org/web/20160305024112/www.3594castle.com/
※Internet Archive内
同時期で見ていたわけじゃないけど、過去ログを追っていたら、見かけたのだけど、2004年の年始の書き込みを見ると、地元常連客による呼びかけにより、2004年1月3日に三国志城の常連により「三国志城突発オフ会」が行われたそうな。
それがつながったのかはわからないが、下記のURL(※清岡の個人サイト内)のように同年の夏、2004年8月15日に三国志城主催でイベント「三顧会」が開催される。まだ上記の関連記事にもあるように、「三顧会」は会員証のあるグループの名称でもあって、ラミネーターでこの日から発行されてた。さすがに会員番号忘れた。
・三国志城紀行 三顧会の日
http://cte.main.jp/sunshi/w/w040815.html
初の三顧会、イベントの方は、三国志城の中の部屋ごとに企画が用意されてた。三国志ゲーム試遊コーナーとか座談会コーナーとかグッズ展示コーナーとか。場所区切り
それで今回の配信でのメインは下記関連記事の2005年5月4日の第ニ回三顧会。このときからタイムスケジュールを組んで行うようになった、時間区切り。というか面クリ型のイメージ。三顧会の内容はイベントでよくあるショー的なものより、ワークショップとかレクリエーションとか参加型のがメイン。もちろんショー的な、というより一方向的なものには講座があるし、この回では「三国志城ガイドツアー」があった。
※関連記事
三顧会ダイジェスト1「三国志を陶器にしよう」(三国志城イベント)
今見ると下記関連記事より、下記URLの個人サイトのページの方が読みやすいね、まだブログ形式に慣れてないんだ。
・三顧会ダイジェスト移植版
http://cte.main.jp/sunshi/w/w050504.html
下記関連記事、次の2005年8月14日の第三回三顧会では初のコスプレ参加者がいらっしゃった。横山光輝「三国志」の劉備、関羽、張飛、曹操ね、キマってる!
※関連記事
「第三回三顧会」(三国志城イベント)ダイジェスト0
下記関連記事にあるように、2006年8月14日の第五回三顧会から前夜の雑魚寝場所提供を行っていたね、夕食・朝食付きの。
※関連記事
2006年8月14日 第五回三顧会ダイジェスト0
こういう感じで三顧会は年2回開催、大型連休中の5月4日とお盆の8月14日で、初回以外固定化されている記憶があったが、下記の第8回三顧会は2008年3月23日開催と春先というか前夜、寒かった印象がある。いやちゃんと布団や暖房は用意されていたのだけどね。
※関連記事
第8回三顧会午前1
清岡は下記関連記事の2008年8月16日開催の第9回三顧会で連続参加はストップ。
※関連記事
第9回三顧会(2008年8月16日午前)
それで参加してない期間のトピックとしては下記関連記事の2011年5月4日開催の第14回三顧会、神戸からのチャーターバスが出てた、往復1万円。そのせいか、結構、知り合いの三国志ファンでこの回に参加した方が結構いらっしゃった。
※関連記事
第14、15回三顧会(2011年5月4日、8月14日)
それで下記関連記事の2012年8月14日開催の第17回三顧会で久々の参加、そこから2014年8月14日開催の第21回三顧会以外は参加し続ける。
※関連記事
第17回三顧会 午前(2012年8月14日)
だけど、下記関連記事にあるように、谷館長が体調を崩され、2015年4月22日から三国志城は休館状態、そして谷館長が2015年4月25日に逝去される。
※関連記事
石城の里 三国志城 休館(2015年4月22日-)
谷 千寿子 さん、逝去 2015年4月25日
予定されていた三顧会の方は2015年5月4日第22回三顧会、2015年8月14日第23回三顧会共に開催。
※関連記事
現代サラリーマン・スパルタ教育 三国志(1972年10月2日)
メモ:CafeBar曹操(広島県広島市中区流川町)
その後、三国志城(の管理・運営)の跡継ぎの話を聞かないまま現代に至る。しかし建物自体は存在するようで、下記関連記事にあるように2022年10月4日より三国志城の元食堂のスペースにラーメン店「雷文」が入っている。
※関連記事
雷文(山口県光市2022年10月4日-)
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