『後漢書』孝靈帝紀によると、
(中平六年夏四月)丙辰、帝崩于南宮嘉徳殿、年三十四。
<清岡による訳>紀元189年4月11日、帝は南宮嘉徳殿において、年三十四で崩御した。
とあり、同様に 『後漢紀』(後漢孝靈皇帝紀下卷第二十五)によると、
(中平六年四月)丙辰、帝崩於嘉徳殿。
<清岡による訳>紀元189年4月11日、帝は嘉徳殿において崩御した。
とのこと。ここでいう帝とは後漢の霊帝(劉宏)のこと。丙辰の年月日は例によって
中央研究院兩千年中西暦轉換を頼りにしている。
無上将軍を自称してから半年ほどしか経っていないうちの崩御となった。
この後、京師(みやこ)は権力争いや董卓による秉政によりいろんな意味でボロボロになっていく。
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10月16日は霊帝が無上将軍を自称した日
3月13日は張純の忌日
4月13日は劉弁即位の日
4月25日は蹇碩の忌日
※追記
4月26日は三国呉の大皇帝崩御の日
※追記
メモ:『古代中国と皇帝祭祀』(汲古選書26)
※追記
8月25日は何進の忌日
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