Site Calendar

サイトカレンダをスキップ

2019年 07月
«
»
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

NAVI

ログイン

ログイン

新着情報

記事

新着記事 2件(24時間)

コメント (2日)

-

トラックバック (2日)

-

リンク (2週)

新しいリンクはありません

QRコード

QR code

アンケート

三国志ニュースのレポート系記事

三国志ニュースで書いて欲しいレポート系記事はどれ?

  •  三国志フェス
  •  三国志学会大会
  •  関プチ5全国ツアー
  •  魏晋南北朝史研究会関連
  •  三國夜話
  •  六間道三国志祭
  •  三国志TERAKOYA4
  •  三国志 義兄弟の宴
  •  東アジアの『三国志演義』/ベトナムの『三国志演義』
  •  zip,torrent(トレント),rar,lha,mediafire,pdf,DL(ダウンロード),nyaa等を含む検索語句(違法なフリーライド・無料閲覧関連)、あるいはBD・DVD自作ラベル、カスタムレーベル等を含む検索語句(著作権・肖像権侵害関連)に関する調査・研究

結果
他のアンケートを見る | 50 投票 | 0 コメント

PR

清岡的見解:ねこまんまさんについて http://tinyurl.com/nekonomanma3
よくわかるねこまんまさんの問題行動 pdf
gif

mixiコミュ「総合三国志同盟」の勉強会


  • 2009年4月24日(金) 12:25 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    4,207
教育機関 ※2013年6月19日追記。アクセスログを見ると、06/18 (火) 22:30:19「若欲見子敬 赤壁の戦巻第65」、06/18 (火) 22:38:45「若欲見子敬 赤壁の戦巻第65」、06/18 (火) 23:03:38「 三国志 備深愧喜の訳」というネットで訳を探そうとする同一人物による検索語句があり、その浅ましい発想の意味でもネットリテラシーの意味でも頭の残念な人発生中。

・総合三国志同盟 (mixi内。会員でないと見ることすらできない)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=695478

・総合三国志同盟WEB
http://s-sangokushi-d.com/

・立間祥介先生オススメのお店で・・・♪  (※上記サイトのブログ記事)
http://kazumaru3594.blog42.fc2.com/blog-entry-95.html


 上記ブログ記事にあるように、まだ日程が決定していないものの、SNS「mixi」内のコミュニティ「総合三国志同盟」で立間祥介先生を講師として招き、テキストに『資治通鑑』の「赤壁の戦い」のところを用いて勉強会をする計画があるという。

※関連記事
 講演会「三国志と横山光輝」(2008年12月13日)
 扶助会構想

※追記 三国志事典(2009年4月7日復刊)

※追記 三国志とお話し(2009年10月27日)

※追記 三国志街道の集い(2009年11月23日)

※追記 第一回英傑サロン(2010年1月23日)

※追記 三国志フェス2010(2010年8月21日土曜日)

※追記 第四回三国志祭(2010年10月2日3日)

※追記 三国志学会 第六回大会(2011年8月27日土曜日)

※追記 ノート5:三国志学会 第五回大会

<6/27追記>

・立間祥介先生と一緒に三国志♪♪開催決定☆  (※総合三国志同盟WEBのブログ記事)
http://kazumaru3594.blog42.fc2.com/blog-entry-118.html

上記ブログ記事にあるように勉強会の詳細が決まった模様。2009年7月25日土曜日(15:00-17:00)スタートで毎月最終土曜日に開催するようだね。『資治通鑒』を読み下して「赤壁の戦い」を見ていくそうな。素人の素朴な疑問として、大学の一回生の講義と比べどこらへんがちがうんだろう?

※7/28追記。個人的には格安でしかも懇切丁寧な大学の一回生の講義と見なしておこう。

※2010年9月13日追記。勉強会の正式名称は「立間祥介先生と一緒に三国志♪♪」だったんだね。今までの開催日程を列挙すると、第1回2009年7月25日土曜日、第2回2009年8月29日土曜日、第3回2009年9月26日土曜日、第4回2009年10月31日土曜日、第5回2009年11月28日土曜日、第6回2010年1月30日土曜日、第7回2010年2月27日土曜日、第8回2010年4月17日土曜日、第9回(最終回)2010年5月29日土曜日となる。

<追記終了>

 おそらく下記の『資治通鑒』卷六十五漢紀五十七の孝獻皇帝建安十三年あたりかな。これに胡三省の注がはいるんだろうけど。

 是時、曹操遺權書曰:「近者奉辭伐罪、旄麾南指、劉琮束手。今治水軍八十萬衆、方與將軍會獵於呉。」權以示群下、莫不響震失色。長史張昭等曰:「曹公、豺虎也、挾天子以征四方、動以朝廷為辭;今日拒之、事更不順。且將軍大勢可以拒操者、長江也。今操得荊州、奄有其地、劉表治水軍、蒙沖鬥艦乃以千數、操悉浮以沿江、兼有歩兵、水陸倶下、此為長江之險已與我共之矣、而勢力衆寡又不可論。愚謂大計不如迎之。」魯肅獨不言。權起更衣、肅追於宇下。權知其意、執肅手曰:「卿欲何言?」肅曰:「向察衆人之議、專欲誤將軍、不足與圖大事。今肅可迎操耳、如將軍不可也。何以言之?今肅迎操、操當以肅還付郷黨、品其名位、猶不失下曹從事、乘犢車、從吏卒、交遊士林、累官故不失州郡也。將軍迎操、欲安所歸乎?願早定大計、莫用衆人之議也!」權歎息曰:「諸人持議、甚失孤望。今卿廓開大計、正與孤同。」
 時周瑜受使至番陽、肅勸權召瑜還。瑜至、謂權曰:「操雖托名漢相、其實漢賊也。將軍以神武雄才、兼仗父兄之烈、割據江東、地方數千里、兵精足用、英雄樂業、當橫行天下、為漢家除殘去穢;況操自送死、而可迎之邪?請為將軍籌之:今北土未平・馬超・韓遂尚在關西、為操後患;而操捨鞍馬、杖舟楫、與呉・越爭衡;今又盛寒、馬無蒿草、驅中國士衆遠渉江湖之間、不習水土、必生疾病。此數者用兵之患也、而操皆冒行之。將軍禽操、宜在今日。瑜請得精兵數萬人、進住夏口、保為將軍破之!」權曰:「老賊欲廢漢自立久矣、徒忌二袁・呂布・劉表與孤耳;今數雄已滅、惟孤尚存。孤與老賊勢不兩立、君言當撃、甚與孤合、此天以君授孤也。」因拔刀斫前奏案曰:「諸將吏敢復有言當迎操者、與此案同!」乃罷會。
 是夜、瑜復見權曰:「諸人徒見操書言水歩八十萬而各恐懾、不復料其虚實、便開此議、甚無謂也。今以實校之:彼所將中國人不過十五六萬、且已久疲;所得表衆亦極七八萬耳、尚懷狐疑。夫以疲病之卒御狐疑之衆、衆數雖多、甚未足畏。瑜得精兵五萬、自足制之、願將軍勿慮!」權撫其背曰:「公瑾、卿言至此、甚合孤心。子布・元表諸人、各顧妻子、挾持私慮、深失所望;獨卿與子敬與孤同耳、此天以卿二人讚孤也。五萬兵難卒合、已選三萬人、船糧戰具倶辦。卿與子敬・程公便在前發、孤當續發人衆、多載資糧、為卿後援。卿能辦之者誠決、邂逅不如意、便還就孤、孤當與孟德決之。」遂以周瑜・程普為左右督、將兵與備並力逆操;以魯肅為贊軍校尉、助畫方略。
 劉備在樊口、日遣邏吏於水次候望權軍。吏望見瑜船、馳往白備、備遣人慰勞之。瑜曰:「有軍任、不可得委署;儻能屈威、誠副其所望。」備乃乘單舸往見瑜問曰:「今拒曹公、深為得計。戰卒有幾?」瑜曰:「三萬人。」備曰:「恨少。」瑜曰:「此自足用、豫州但觀瑜破之。」備欲呼魯肅等共會語、瑜曰:「受命不得妄委署。若欲見子敬、可別過之。」備深愧喜。
 進、與操遇於赤壁。時操軍衆已有疾疫、初一交戰、操軍不利、引次江北。瑜等在南岸、瑜部將黄蓋曰:「今寇衆我寡、難與持久。操軍方連船艦、首尾相接、可燒而走也。」乃取蒙沖鬥艦十艘、載燥荻・枯柴・灌油其中、裹以帷幕、上建旌旗、預備走舸、繋於其尾。先以書遺操、詐雲欲降。時東南風急、蓋以十艦最著前、中江舉帆、餘船以次倶進。操軍吏士皆出營立觀、指言蓋降。去北軍二里餘、同時發火、火烈風猛、船往如箭、燒盡北船、延及岸上營落。頃之、煙炎張天、人馬燒溺死者甚衆。瑜等率輕鋭繼其後、雷鼓大進、北軍大壞。操引軍從華容道歩走、遇泥濘、道不通、天又大風、悉使羸兵負草填之、騎乃得過。羸兵為人馬所蹈藉、陷泥中、死者甚衆。劉備・周瑜水陸並進、追操至南郡。時操軍兼以饑疫、死者太半。操乃留征南將軍曹仁・橫野將軍徐晃守江陵、折衝將軍樂進守襄陽、引軍北還。


 素人考えで、『資治通鑑』は『三国志』より成立した時代が下るんで、「赤壁の戦い」については史料的価値は下がりそうな気がするんだけど、『三国志』ではなく『十八史略』の「赤壁の戦い」のくだりが教科書の題材に使われるぐらいだから(※下記記事参照)、教える側にとって『三国志』にある「赤壁の戦い」関連への情報探索や整理を教える手間が省け、漢文読解に集中させることができるので、教えやすいんだろうかな。

※関連記事 「捜神記」で検索される訳


 以下、余談。
 冒頭で紹介したブログ記事で少し違和感を覚えたんで、以下、それを言語化してみる。

 今の私は『資治通鑑』を重視してなくて(※将来的には判らないという意味)、『三国志』とその注、『後漢書』などの史書に載っていないことがないか探す程度だ。そういった目的であれば、今は『資治通鑑』より『太平御覧』や『通典』を重視している。

 どうも下記リンク先を参照すると、私の例も含め、三国志ファンによる『資治通鑑』の受容やそれに付随する価値基準に相違があるようだ。

※参照リンク
 サイト「三国志ファンのためのサポート掲示板」内で「資治」と検索

 また、三国志ファンが主体というわけではないが、下記のように『資治通鑑』を翻訳する動きもある。

・『資治通鑑』翻訳計画
http://www.geocities.jp/zizhitongjianjp/


 一般的に、三国志ファンによる受容の違いは、どうもその情報への各人による価値判断にも影響を与えるようだ。例えば、下記に示す記事で少し書いたが、神戸のキャナルガーデンに三国志を題材とした像が展示されていた時期があって、当時、その情報を取り扱ったブログ記事をよく見かけ、書かれた時期や程度に違いはあるものの、大抵がテンションの高い文だった。

※関連記事 三国志 × The Ancient Olympics Games

 こういうのは時間が経てば、そのインパクトが薄れ、書き手の熱量も下がりそうなものだが、展示半年経っても書き手を変えテンションが維持されている。つまり、受容した際に、各人がその情報を馴染みのネットワークで参照し、希少価値があると判断し、それがテンションの高さに起因すると思われる。
 この「馴染みのネットワーク」というのが鍵になるようで、仮に三国志ファン全員が伝達の優れた一つのネットワークを利用するのであれば、『三国志』に関連するほとんどの情報は素早くかつあまねく行き渡り、いわば「他者がある情報を知っていることを知っている」状態、つまり大きな共通認識ができるわけだから、それらの情報に希少価値は見出されなくなるだろう。つまり、いくつも細分化された「馴染みのネットワーク」(言い換えればサイトやブログのクラスター)が受容の際の見かけ上の情報の価値を上げているのだろうね。
 こう書くと「馴染みのネットワーク」は弊害をもたらしているように思えるが、そうではなく、三国志ファン全体の熱量を保持する効果があると考えれば、むしろ恩恵をもたらしているんだろうね。
 ここらへんは2005年7月31日に開催された「第1回三国志シンポジウム」での報告「インターネットにおける三国志の世界」で論じられた「至る所で同じ様な議論が繰り返される」ことにより「三国志ファンが逗留されて」いる効果に通じるものがあるんだろうね。

※関連記事 2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感2

 ともかくここらへんの受容のメカニズムについては、例えば単に『資治通鑑』という一塊りの情報として扱うのではなく、それがもつ要素を下記記事のように分類した上で、今後、研究対象にしていきたいね。

※関連記事 単軸モデルから多軸モデルへ(あるいはピラミッドモデルからすり鉢モデルへ)

※追記 総合三国志同盟 第17回三国志オフ会(2013年4月20日)

※追記 通鑑三国志 -『三国志』の世界(2013年10月8日-12月24日)

※追記 レポート:関プチ5 全国ツアー:6/22特別講座「新発見!三国志と日本」勝手に予習(2014年6月22日)

※新規関連記事 第一回中国歴史発表会(Web2017年11月18日)

トラックバック

このエントリのトラックバックURL:
http://cte.main.jp/newsch/trackback.php/1237
表示形式
コメント投稿

サイト管理者はコメントに関する責任を負いません。