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魏晋南朝の遷官制度(2013年3月)


研究 ・中国・本の情報館~中国書籍の東方書店~
http://www.toho-shoten.co.jp/

・メルマガ登録
http://www.toho-shoten.co.jp/mailmag/

上記の書店サイトの上記ページにあるように東方書店が発行するメールマガジン『書羅盤:チャイナブックナビゲーター』2013年第4号(総260号その2)(2013年5月30日発行)により知ったことで、下記の出版社サイトの書籍ページによると、京都大学学術出版会より2013年3月に藤井律之/著『魏晋南朝の遷官制度』(プリミエ・コレクション 32、ISBN9784876982752)が3990円で刊行されたという。

・京都大学学術出版会:ホーム
http://www.kyoto-up.or.jp/

・京都大学学術出版会:魏晋南朝の遷官制度
http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=1886

※関連記事 魏晉政治社会史研究(2012年3月)

前述の書籍ページより下記に目次を引用する。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
序 章
 第一節 魏晋南朝における九品官制の展開
 第二節 魏晋南朝遷官制度に関する研究史
 第三節 本書の課題と構成
第一章 特進の起源と変遷
 はじめに
 第一節 特進と奉朝請、就第
 (一)特進の基本的性質
 (二)奉朝請
 (三)就第
 第二節 漢代
 (一)列侯の朝位
 (二)前漢
 (三)後漢
 (四)開府儀同三司の形成
 第三節 魏晋
 (一)礼制の転換
 (二)特進と光禄大夫
 第四節 南朝
 むすびにかえて
第二章 侍中領衛考
 はじめに
 第一節 侍中と内号将軍
 第二節 侍中領衛の地位
 (一)五校尉
 (二)前軍・後軍・左軍・右軍将軍
 (三)驍騎・游撃将軍
 (四)左右衛
   (a)給事中  (b)散騎常侍  (c)侍中
 第三節 侍中領衛の内外
 第四節 侍中領衛の形成理由
 むすびにかえて
第三章 南朝における外号将軍の再検討
 はじめに
 第一節 宋斉における外号将軍の逆行事例
 第二節 梁陳における外号将軍の逆行事例
 むすびにかえて
第四章 満と解
 はじめに
 第一節 満報と満敘
 第二節 解職と代替となる官職
 むすびにかえて
第五章 寒門軍功層の台頭とその昇進経路の形成
 はじめに
 第一節 東晋期領軍・護軍将軍の任官状況と宋斉における変化
 第二節 寒門軍功層とその昇進経路
 (一)左右衛将軍
 (二)黄門郎
 むすびにかえて
終 章
 第一節 各章の要旨
 第二節 魏晋南朝遷官制度の特質

引用文献一覧
あとがき
索引(人名/事項・官職名)
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

藤井先生といえば、「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」での講演「魏から晋へ──王基碑」を思い出す。

※追記 2006年3月11日「第二回 TOKYO 漢籍 SEMINAR」午後レポ

※関連記事 メモ2:三国志フェス2013(2013年9月28日)

<2013年11月16日追記>
というわけで図書館から借りてきて西晋代あたりまで読んだ。気になったところを以下に引用したりコメント付けたりする。
P.27
漢代の官吏は官舎で生活していたから、免官とは言い換えれば官舎を出て郷里の家に帰ることであり、列侯であれば京師に自宅として与えられた「第」に帰ること(就第)である。そして列侯は免官された後でも第から参朝する事が許されていたと考えれば、張禹のように就第と朝朔望が並立しうるし、杜緩のように免官された列侯が朝請を奉ずることができ、さらに傅喜や賈復、鄧禹のように就第と記されただけでも奉朝請、朝朔望を意味しうる。
P.28- 「(一)列侯の朝位」 ここでいう「朝位」は朝議に出席できる位のことだそうで。
P.29 天子が群臣に朝見する際、天子は南面し、文官は東側、武官は西側に整列する。この「文東武西」という配置を具体的な官名を含めて確認しうる最古の事例は前漢最初期に叔孫通が朝見の儀礼を定めた際の記事である。
 →『史記』巻九十九叔孫通伝 「漢七年長楽宮成…」
「列侯は武官ではないが、軍功爵としての性格によって武官の側にあったのだろう。」
pp.34-35 これらの説を見れば、儀同三司が初めて与えられたのは馬防か鄧隲かで説が分かれているが、開府儀同三司が初めて与えられたのは魏の黄権とする説は共通しているようである。特に『晋書』職官志は、開府儀同三司と儀同三司を別のものとして解釈しているように見受けられるが、「開府」──正しく言えば「開府辟召」──は既に後漢献帝期に劉表に与えられている。
p.35 先に挙げた開府儀同三司に関する諸説中に見える将軍は全て車騎将軍であった。
p.36 三司──「公」の朝位であったが、後漢の車騎将軍が「公」の朝位を有していなかったからこそ班同三司が与えられたと考えるべきであろう。すなわち、後漢の車騎将軍は身分、朝位ともに銀印青綬の「卿」へと格下げになったのであった。

※追記 三国志ファン、コア層こわそう、再燃

※追記 曹操(プレミア放送2014年1月5日)

※追記 関プチ5 全国ツアー:国会図書館関西館博士論文閲覧(2014年5月17日)

※追記 リンク:アイシン・グルンの『三国志演義』(宣和堂遺事2016年5月22日)

※新規関連記事 多民族社会の軍事統治(2018年4月)

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