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2025年1月12日日曜日にYouTubeにて表題のタイトル「三国志ニュース定期便 ハッピーバースデイ川本喜八郎人形美術館飯田旅行記」の動画をアップしようとしていて、下記がそのURLでさらに埋め込みもしておこう。その表題に少しあるのだけど、飯田市川本喜八郎人形美術館にて1月11日に「川本喜八郎生誕100年記念 トークショー」が開催される。それ合わせの長野県飯田市への旅行記となる。
・三国志ニュース定期便 ハッピーバースデイ川本喜八郎人形美術館飯田旅行記 2025年1月12日
https://youtu.be/ZdAXUItZotE
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三国志ニュース定期便 冬のコミケ(C105)+おもバザ 体験記(YouTube2025年1月5日)
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三国志ニュース定期便 昨年3月の京大セミナーについて「丁奉」墓の片側鐙だけ語りたい!(YouTube2025年1月19日)
いきなりそれらのレポートに入る前に、そこへの移動までも書くのだけど、実は上記関連記事で触れた1月5日日曜日公開予定の動画制作が10日金曜日になっても終わらないでいた。というのも三が日過ぎた当たりで風邪の症状が出はじめ、休み中なんで無理せず安静にしていて、6日月曜日朝には体温37.3℃で、7日火曜日朝に35.9℃と平熱に落ち着く。
それで10日金曜日に2時半に目が覚めて、時re風さんに食事予約のDMして、風呂に入って、ご飯をたいて、ひたすら1月5日公開の動画のスライドをつくってた。6時40分、収録開始。50分近く楽しく話してた。
・三国志ニュース定期便 冬のコミケ(C105)+おもバザ 体験記 2025年1月5日
https://youtu.be/HLIJIiuXfa4
で、夕方、列車の中で公開してない動画をチェックしてみると、細かいミスが多い。国際展示場を出て左手方向の意味で「西」って書いてあるし、同人誌のタイトルが誤っていて(合図→会津)、それは収録中気づいて訂正したものの、「蘊蓄」は「うんちく」と読むのが正解なんだけど、動画中、「がんちく」って誤って訂正しているし。あとあくまでも2025年に公開した動画だから、2024年は昨年のはずなのだけど、そこを言い誤っている。マイクを持ってきてないし、もう2泊3日の旅行に旅立っているし、いさぎよくそのままにしておこう。19時前、米原駅近くのヤンマー中央研究所の電光掲示板によると気温0℃。すっかり雪景色なのに、氷点下いかないってさすが。列車は5分ぐらいしか遅れずに米原駅を出発。19時45分ぐらいに大垣の歴史が語れるバー時re風に到着。予約した食事はカレーライス、スパイスがきいてておいしい!それで先の動画をアップしてた、20時20分ぐらいに。この日は20時半から、かんなさんによる「数寄語り 砂漠の狐エルヴィン・ロンメル」。このプレゼンのきっかけとなったのが、ロンメルが「進撃の巨人」のある登場人物のモデルになったとかで、そこらへんの実在の歴史からの取材の話をさらに聴きたかった気もするけど、それは別の機会かな。常連さんに清岡の動画を見たいときに、チャンネルのURLを辿れないからXの固定ポストに入れてほしいって要望があったんで、そこは更新しておいた。いや見てくださるとありがたい。
22時過ぎ発の列車に乗り込み、愛知県内のネットカフェへ移動。今回は大垣とそのネットカフェで途中下車するため、コスパを考えて行きは普通の乗車券移動。100キロメートル越えているので明日も使えるし。
車内で寝落ちするも、何とか起きて、ネットカフェに到着。8時間ナイトパック狙い。『ゲッサン』2月号を読む。もう第34話だけど、「これ描いて死ね」、おもろいな、連載に追われ、おばあちゃんが無くなったことですべてを投げ出して島に帰る作家とそれに巻き込まれる友達の作家、マンガを引き取って(今どき?)貸本店を始める。「平成ヲタクリメンバーズ」。キャラに考えを語らせる手法はおいといて、その内容な共感できるね。「あって食べると書きまして。」、逆転学園ものと思って面白く読んでたら、最終回だった。「オオカミ少年は夜に泣く」今回も面白かった、小説家志望をばらしてひそかに取材しようとしたら、逆に怪しまれるという。そして安定のおもしろさの「アオイホノオ」、「ウイングマン」回。そういう作家同士の意識っておもろいね。そして「ウイングマン」の引用までされていた。後日、桂正和先生がポストされてた。
・Xユーザーの桂 正和さん:「 集英社から、
小学館の雑誌が送られて来た。
なんかシュール。
何を送られて来たかと言えば、
小学館の月刊漫画雑誌ゲッサン。
そこで連載されてる
島本和彦先生のアオイホノオにて、
ウイングマンを、 ...
https://x.com/MasakazuKatsura/status/1878113350229573767
寝落ちしつつoftun LABの配信を見つつ。4時38分に目覚める。下記のサッカーキングの動画、ミランのところはさらっと面白かった。最後、投稿コーナーで、サッカーマンガのお題が出てきたけど、伊東さんといえばヴィオラが自クラブの「VIVA! CALCIO」だろ、っと真っ先にその名が出てくるとい思ったら、出てこず、ようやっと出てくると思ったら、タイトル名が出てこず、細江さんにフォローを入れられるというなかなかおもしろい流れ。以外にも細江さんが「イレブン」を出していた。ブレ球の先見性とかは話題には出なかったが。
・後半戦の鍵を握るのは誰だ!?セリエA 24-25冬移籍の噂
https://www.youtube.com/watch?v=OX-Nv_bwSGk
それで無料サービスで朝食をとって出発。豊橋駅での乗換えについて余裕をもって、何だったら豊橋駅で食料を買い込んで、と思ってたので、一本早い列車で豊橋駅に来たら、ホームを歩いて、よく見たら、2番線に飯田行が止まっていた。予定の列車は途中の天竜峡行なんで、一本でいけるんだったら、それ乗ろうと急ぐ。ちょうど発車するところで、乗ってみたら、車内放送で知るに飯田線の臨時快速飯田行に乗れてしまった、転換式クロスシートの。全然臨時の理由がわからなかったんだけど、どうやらJR東海のいろんな駅で行う人気企画、鼎駅スタート飯田駅ゴールのさわやかウォーキングのための臨時快速ってことだ。鼎駅前や飯田駅前でのぼりが立っていた。
・さわやかウォーキング|JR東海
https://walking.jr-central.co.jp/
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呂布赤兎馬画(Cha-ngokushi2019年11月-)
予定では8時8分発天竜峡駅乗換えの13時3分飯田駅着だったのが、7時59分発10時57分着と2時間も短縮できることに。元々豊橋駅で買い込もうとしていた昼食を、飯田でゆっくりと摂れる。それと快速の何ふさわしく結構、途中駅を飛ばす、まぁ単線なんで、向こうから来る列車との入れ替えのための駅停車はあるのだけど。9時9分、三国志ニュースの記事「
リンク:公開シンポジウム「乱世の英雄たちの物語 ~『三国志演義』のキャラクターと世界観~」(YouTube2024年9月3日)」アップ。その前に寝落ちしてた。10時1分、三国志ニュースの記事「
儒教のかたち(東京都港区赤坂 サントリー美術館2024年11月27日-2025年1月26日)」をかいてきたけど、そろそろ睡眠をとらないとまずい。
それで前述のように鼎駅でさわやかウォーキング目当ての乗客が大量に降りてって、すかすかの車内に。そういや帰りの臨時列車の時刻を聞いている方もいらっしゃったな、それはわかんないそうで。10時57分、飯田駅に到着。動画用の写真をバシャバシャとっていた。さわやかウォーキングののぼりも。それで昼食を取るつもりだったんだけど、その前に動画用にと、飯田市川本喜八郎人形美術館の入口の写真を撮ってた。前の動画のサムネみたく、建物を見上げた構図のも一応撮ってた。それで帰りの列車で作ったのが、下記の。厳密には縦横比と大きさが違う。YouTubeのサムネイル用の最低サイズが1280×720なんでかなり大きいし。これまでの経緯は下記動画参照ね。ポイントは左の壁のモノトーンの諸葛亮、手前の看板の諸葛亮、右の壁に貼られているポスターの呂布、館内の記念撮影用の諸葛亮、この4の人影が写っているところ。
・新人Vtuberへの道 臨時便08 ズボラ・サムネ作りからの進展 2024年12月31日
https://youtu.be/O4ZSb-JBRPs
というわけで、予定より2時間ほど早く着いたので、8年ほど前にいった「そば処 かざこし」に行ってみることに。さすがにその頃のことは覚えてないので、事前に下記関連記事を見て、店名を手かがりに場所と開店時刻を調べていた、11時30分から。早い目に履いてないかな、って行ってみると数分前でもきっちり準備中だった。なので、同じ建物のベンチで時間を潰す、タブレットでアニメ「ノイエ銀英伝」シーズン4を見てた。
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メモ:飯田オフ会(2016年11月5日)
タイミングを見計らったつもりがすでに4,5人のグループが来ていた。ともかくカウンター席では一番乗りで。期間限定ぽい鴨南蛮そばに惹かれたけど、2000円オーバーだったので、思いとどまり、小盛蕎麦(かけ)と野菜天丼のセットを注文。
ざるそばが名物としりつつ、今回も温まりたいためかけそばを注文したのだった、美味しい!そして天丼とのコラボ、美味しい満足。やがて待っている客が増えてきたので、そば湯を早い目に味わい、12時10分退出。荷物が多かったんで、まだチェックインできないだろうな、と思いつつ、場所の確認も兼ねて予約したホテルに行くと、看板にきっちり15時チェックインとかいてあった。諦めて本来の目的地へ。
下記関連記事(2番目)みある目的の「川本喜八郎生誕100年記念 トークショー」は14時からなので、その前に展示を見ようと、長野県飯田市本町1丁目2番地にある飯田市川本喜八郎人形美術館へと再び足を向ける。
・飯田市川本喜八郎人形美術館
http://www.city.iida.lg.jp/kawamoto/
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パネル展 川本喜八郎の軌跡(飯田市川本喜八郎人形美術館2025年1月2日-12月21日)
・2025年は川本喜八郎生誕百年です!パート1 (※上記サイトのお知らせページ)
https://kawamoto-info.jugem.jp/?eid=1070
・1月11日は川本喜八郎人形美術館の誕生日 (※上記サイトのお知らせページ)
https://kawamoto-info.jugem.jp/?eid=1081
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川本喜八郎生誕100年記念 トークショー(飯田市川本喜八郎人形美術館2025年1月11日)
今度はちゃんと2階入って、カウンターで入場券、関羽の方と、三国志キャラみくじ、計600円(400+200)を購入。ある方のお土産、というかお年玉?
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関羽チケット(飯田市川本喜八郎人形美術館2024年12月-2025年3月31日)
飯田市川本喜八郎人形美術館 福袋(2025年1月2日、4日-9日)
荷物をロッカーに預け、まず、2階のカウンターにある撮影用の大き目の諸葛亮人形やその後ろの出師の表や、川本喜八郎先生の写真を撮影していた、12時31分。それで3階のギャラリーへ。ギャラリー前には立て看板があって、展示以外の人物NG、フラッシュ・動画NG、営利NGを守れば写真撮影がOKな旨が書かれている。これはカウンターでも提示されたことで。下記関連記事の通りなのだけど、そこにある「撮影した写真は個人で利用する範囲でSNSにアップしていただくことは出来ます」は看板の「営利目的の撮影はご遠慮ください」に含まれるんだろうね。ということで動画サイト界隈の言葉に翻訳すると、収益化しなければ画像使用可能ってことか。
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館内の全展示の写真撮影可能(飯田市川本喜八郎人形美術館2024年4月1日-)
なもんで、思わず、撮影の方に力を入れてしまって、はじめあんまり人形を見ずにいたのだけど、ともかくギャラリーの入口の自動ドアが開いたら、まず董卓と呂布がお出迎え。呂布の方はポーズが違うが、今回の常設展のポスター・チラシに選ばれている顔的立場。それにそのチラシには「代表作『人形劇 三国志』において最初に作られた呂布をはじめ」と書かれてある。
基本、人形はガラスケースに入っているんで、自動ドアが開いて外の光が反射している様がよくわかる。次が女性人形のコーナーになっていて、大喬、小喬、それから貂蝉、淑玲、孫夫人が並ぶ。それ以降の構成が左手前に曹操陣営、右に孫権陣営、そして左奥に劉備陣営と分けられ、それぞれ2列に並んで、目の前へ向かう形。下記関連記事にあるように第31回常設展のテーマは「人形劇三国志 英雄列伝」となり、ソースが今、見当たらないけど、たしか川本喜八郎生誕100年記念にオールスター気味なラインナップとのこと。
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人形劇三国志 英雄列伝(飯田市川本喜八郎人形美術館2025年1月2日-2026年1月27日)
中央のガラスケースは軍勢の移動を表現するための小さなメカ馬の群れ。騎馬の下にモーター台車があって、プログラミング制御できるそうで。さらにとなりのガラスケースには孔明人形が羽扇で指し示している。ということで2つのガラスケースを並べてみると、孔明があたかも騎馬の隊に羽扇で指示を与えているように見える。
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メモ:第38回人形劇三国志 鑑賞オフ友の会(オンライン2025年1月25日)
それぞれの勢力のガラスケース内ではやはり奥の写真が撮りにくいので、どうしても手前のをアップで撮ってしまうね、ってことでその一例に周瑜。12時42分。
あと来場者に触ってもらうように人形も展示されていて、それが紳紳なものだから思わず写真に撮っていた。冒頭の動画では見せていこう。そのギャラリーの外では人形のメイキングを説明したパネル展になっていて、それも川本先生と曹操のモノクロツーショットがあった、12時57分。
その後、出口側の階段前の「人形劇三国志」上映コーナーで、くつろごうと座る。何を流しているか一目でわかる、第1回目だな。いや、何度も見ている回なんで。
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メモ:個人的な会で人形劇三国志を解説(2024年3月20日)
とりあえず写真の整理だ、あわよくばなんか投稿して、と思っていたら、職員の方が2階に現れ、離れたところに座る他の客に何やら話している。てっきりイベントの告知と思って、こちらに来るのを待っていて、ふんふん聞いていたら、何と13時から14時開始トークショーの整理券が配布されると。慌てて配布場所を聞いてお礼を申し上げて、階段を降りて2階カウンターに行くと、もう12番だった。そのまま3階に引き上げるのも何だし、まだ見ていない2階の「パネル展 川本喜八郎の軌跡」を見る。下記関連記事に三国志関連がどれぐらいあるかと思っていたけどバッチリ「美術館開館から現在」のところで当然、人形劇三国志の人形があったし「自主企画・ワークショップ」のところでは「川本喜八郎の三国志―創造の軌跡」展の会場写真(って前回の展示かこれ)だし、逆面のパーティションでは関わったTV人形劇が作品ごとにあって、当然「三国志(1982~84年)」がある。そこには6枚の写真があって、うち下3枚が劉備、曹操、関羽でそれぞれのシンボルカラーが青、赤、緑だと。
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パネル展 川本喜八郎の軌跡(飯田市川本喜八郎人形美術館2025年1月2日-12月21日)
それを見終わって13時8分。開場が何時からかわからなんで、とりあえず、近くのベンチに座ってノートPCを広げてくつろぐというより落ち着いていたら、13時15分、「清岡さーん」と呼ぶ声が聞こえて、顔を上げると視界にはわざわざ近づいてくださる、船塚さん(ナベさん)がいらっしゃって、肩をぽんぽんする感じですごくハイテンションに話しかけてくださった。いやこっちは完全にイベント前で静かにただ待つ感じの低いテンションで、まさかそんなことに熱量にさらされるとは思っておらず、言葉がうまく思いつかず、「元気ですね」としか返すことができなかった。そしたら船塚さん「いつもだよ」っておっしゃってウケた。いや高文脈なことを書いているのだけど、説明しちゃうと面白くないが説明すると(動画収録のときにはまず状況説明とか何か考えないとね→動画では内輪ネタっぽくなるので割愛、ブログでの特典ってことで)、下記関連記事にあるように8年前ぐらいにみんなで川本喜八郎人形美術館の展示を見ようという企画があって、そこに「人形劇三国志」で主に曹操の人形操演をされていた船塚さんがゲストでいらっしゃって、それ以降、そういったイベントでちょいちょい会う機会があってすっかり顔なじみになってたという。それはどこかへの行きしなで帰りしなの際に、「その元気さはきっと飯田にもある川本先生からのもの」って旨を申し上げてたっけ。
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メモ:飯田オフ会(2016年11月5日)
それで開演の時刻が近づいたら職員の方に、整理番号順にならぶよう指示があって、観客たちは互いに、というか番号札を掲げて列を作っていた。そこから順に整理札が回収され映像ホールに入場し、好きな席に順に座れるという流れだ。
会場のステージ側は、向かって左に椅子に座ったお姫様の人形(いばら姫ね)で、むかって右に、官吏服の曹操と、素体というか来場者に操演させる用の竜竜人形が置いてある。真ん中の壁際にはスクリーン、手前には席が用意されていて、すでに名札があって、敬称略で左2席が左から「司会」、「峰岸裕和(ストップモーションアニメーター)」、右2席「船塚洋子(人形操演者)」、「遠山広基(「桃園の会」事務局)」となる。
司会が入ってきてイベント「川本喜八郎生誕100年記念 トークショー」が始まる。司会から今日が川本喜八郎先生が生まれてちょうど百年の日だと告げられる。まず部屋が暗くなって、「いばら姫またはねむり姫」の鑑賞。声は岸田今日子さん。見ている最中はタイトルからてっきりおとぎ話が原作と思い込んできて、ベッドシーンとか平然と出てくるのだけど、それも「本当は怖いグリム童話」的に原初的なものと思ってしまったが、後で検索するに下記ページに行き着く。原作は岸田今日子さんの小説とのこと。1990年作品で22分。
・川本喜八郎 Official WEB SITE
http://chirok.jp/
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川本喜八郎没後10年連載企画(川本喜八郎 Official WEB SITE2022年3月23日-2023年10月23日)
・いばら姫またはねむり姫
https://chirok.jp/product/animation/rose/
TV人形劇とちがって、人形アニメーションなので指の表情を追ってしまうね。あと「下ネタかい!」ってツッコミを入れてしまう。
14時25分からトークセッション。以下、その時のメモ。まずアニメーターのアニメーターの峰岸さんから。峰岸さんによる「いばら姫またはねむり姫」解説。チェコのトルンカ・スタジオで撮影されたとのこと。川本先生の電話での依頼があってチェコのプラハに行くことに。ロンドンでプラハ行きの飛行機待機。ロンドンでの川本さんとの会話。ロンドンの町並みを見て、大学の建築科出身なんで、そういう含蓄が深いと。川本先生プラハにキャベツを持ち込む。当時は今ほど生物の持ち込みはうるさくなかったと。プラハではその時期、野菜が手に入りにくいからと。
撮影始まる。プラハでの川本先生(というか川本さん呼び)との思い出。夕飯は先生が作ることが多いと。岸田今日子さんらが陣中見舞しにきたこともあったそうな。川本先生、おにぎりをチェコ人に食べさせるエピソード。どういう反応をすると。学校を卒業したばかりに男女に食べさせる。ふたりとも美味しいと。梅干しでも美味しいという意外な感想だったそうで。川本さんはどれをやったか。重要なカットはほとんどと。西洋的な動きの話。道成寺の人形と大きさが違う。スタジオに入り切らないので、小さくしたと。なのでアニメーションに苦労したと。14時44分、「火宅」メイキング映像上映。撮影したコマをチェックシートでマス目にチェックしていく様とか、アロンアルファを使っている様とか、普段見られないようなことが出ていた。
・ナベさん (船塚洋子) (d3_yu) さん / X
https://x.com/d3_yu
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六間道三国志祭(神戸市新長田2024年11月2日)
14時52分からは三国志ファンにとってのメインになるのかな?先ほど説明した「人形劇三国志」では主に曹操の操演をされていた、船塚洋子さん。まず川本先生との出会いについて。「人形劇三国志」からだそうで、そこで役を授かったと。最初は三国志をほとんど知らなかった。最初は曹操じゃなくて途中からと。曹操のことをまったく知らなかったので、岡本信人さん(声での曹操役)のイメージ頼りだったそうで(※当日、ここらへん高文脈で伝わったか心配してた。TV人形劇は声を収録してからそれに合わせて人形の操演という前提知識が要る)。
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リンク:道あり 俳優 岡本信人さん<6>(読売新聞オンライン九州発2024年6月13日)
14時54分、人形の構造を説明。まず衣装のない竜竜人形を使って。胴串(どぐし、人形の中心の支柱)を左手でにぎるところから。からくりのせつめい。うなずき、目、口。これ(竜竜人形)はたくさんついている方。三国志は目だけのからくり、ってのが多かった。人形は左手で持つのが共通。同じ手で持たないと人形使い同士ぶつかるから(という合理的な理由)。中棒。バストの部分につながる。これで抑える。アップになるので(これに加え人形右手、人形左手に繋がる三本を右手で持つ)。人形使いは頭の上に人形を持ってくる。テレビでは膝で立っていた(※後で質問するに、人形使いの身長によって立ち方は異なる)。中棒の使い方。体や首の動きを実演。さらっと曹操人形に持ち替える。
川本先生に曹操が色っぽいっていわれた、と。なんでか知らない、と。曹操の実演で会場がどよめく。「人形劇三国志」でよく見る、考えながら歩くところとか。舞台ではできない細かい動きがTV人形劇にはあるそうで。いやそれでふと我に帰ったんだけど、ナベさん、曹操の操演を披露するの久々じゃない?とても貴重なところではないか?と内心興奮してた。2019年の番組「超三国志」でも曹操は動かしてないはず。
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メモ:超三国志 徹底解明!英雄たちの真実(NHK BSプレミアム2019年8月3日)
観客の方に曹操を持ってもらう、操演してもらうコーナー。呼びかけて手を上げた人1人に前に出てもらって操演してもらう。逆に人形を動かす難しさがわかりやすい。そして実はその方曹操好きだった!
会場からの質問コーナー。まず横目のやり方は?とか。
メモしているのは、操演者がどれぐらい演技プランに関わっているかというもの。演出家が関わるはカット割りぐらいで、芝居自体はその場で人形使いが決めるそうで。取り直しの回数は?という質問。まずカメラなしでやってカメラリハがあって、ランスルーがあって動かす。そこから本番と。
結構、熱の入った質問が飛んでて、それに乗せられた感じで、ふとさっきの実演で疑問に思ったことを質問しようとする、清岡。曹操は歩くシーンが印象的でしたけど、先程それを披露してくださったわけですが、先ほど、TV人形劇では人形を頭上に持ってきて、膝立ちしてたとおっしゃってましたが、どうやって曹操は歩いたのですか?と。そしたら
、膝立ちで歩いていた、というお答えで。結構、無理な体勢での操演だったようで驚きの声をあげてしまった。
あと、TVで頭の上に人形を持ってきて膝立ちするのは船塚さんの身長の関係だそうで、より背の高い男の人は膝立ちだと頭が出る(ので別の立ち方をされる)。
別の方の質問で、撮影に際し、人形の下は、人形使いで密集していたというお答え。
次が遠山さんの番。こちらはスライドを使っての発表をなる。まず遠山さんの略歴。20年間、飯田市の職員をされていたそうで。前述のお知らせページから引用するに「飯田市に川本喜八郎人形美術館を設立することに関わった方。」と。それから川本先生の略歴川本先生がチェコの師匠になぜ人形の文化のある日本をみない、って旨のことを言われ、見本の国内に目を向けたそうな。
それから川本先生と飯田との関係などなのだけど、運悪くメモをとっていたノートPCのバッテリが切れて他のバッテリに換えて固まっているのを再起動したりと、なるべく話者や観客の視界の邪魔にならないように作業していたので、ほぼメモが残っていない。参考になるのは下記の飯田市川本喜八郎人形美術館のサイト内にあるページかな。
・飯田市川本喜八郎人形美術館について
https://www.city.iida.lg.jp/kawamoto/about/index.html
・川本喜八郎氏のプロフィール(人形美術家、アニメーション作家)
https://www.city.iida.lg.jp/kawamoto/about/profile.html
・飯田市における川本喜八郎氏の年譜
https://www.city.iida.lg.jp/kawamoto/about/history.html
15時27分から全体の質問コーナー。フロアからすぐには質問がなかったんで船塚さんからの質問。川本先生は出演者には壁をつくらず言い合える間だった、とのことで、スタッフに対しては違ったんでしょ?ってパス。峰岸さんによると、(人形アニメーションの)昔のある時期にすごく厳しかったときもあったと。絵コンテ通りに作るスタンスで、作品と絵コンテと比べると全く同じという特徴があるそうで。そのやりとりが呼び水になってフロアからの質問。死者の書の話など、遠山さんによると「火宅」のころから、「死者の書」があったと。司会から補足、作っている最中に別の新作を手掛けていたそうで、「平家物語」のときにも「項羽と劉邦」を手掛けていたそうな。
TV作品の報酬がバカバカ入ってきたので、税金対策的に自主制作することができた、と。その喩えとして(川本先生関係ないけど)、ひょっこりひょうたん島でひとみ座のビルが立った、ってでてた。
「火宅」のメイキングの補足。今はコマとコマを比較しながら撮影することができる。ところが当時はそれができず綿密な段取りを要した、と。
フロアから曹操の人形を担当して大変なことがあったか、の質問。船塚さん、そんなになかったといって、言い直される。「赤壁の戦い」、すごく嫌な顔があると。先生にかなり文句いったと。(※清岡注。敗戦が決定的になった直後、曹操の頭は「やられ顔」にすげ替えられる)
峰岸さんによると、最初の頃は川本さんは操演者に直接言わず、スタッフに「動かしすぎですね」とかブツブツ言ってたと。動きに関しては演出の方を通すのが筋で、操演者によっては川本さんからチクチク言われたそうで。船塚さんは言われたことないと。
船塚さんによると「平家物語」は京都で鎧をつくったと。峰岸さんによると(それ以前の)「三国志」は極力軽く作ろうとしていた、と。
※清岡注。まだレポートは書いてないけど、下記関連記事の昨年11月の六間道三国志祭のときと会場からの質問の方向性が違ってて、面白いな、と。単純に三国志オンリーのイベントかそうでないかの違いはあるものの、こちらの方がより人形の細かい部分の質問が多い印象。
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六間道三国志祭(神戸市新長田2024年11月2日)
それで15時55分に閉会式的な締めの流れが始まる。イベントが終わって、船塚さんの呼びかけで曹操と写真を撮りたい人の列ができる。
清岡はその場を後にする。というのも寝不足からくる頭痛が始まっていたので。頭痛薬を飲む目的で、まず近くの、なみきマーケットでおにぎり2つと寒ブリの玉子とじを買う、16時7分。それからホテルにチェックイン。無人機械のシステマティックな手続きすぎて頭が重い中、時間がかかったけど、面白さが勝った。また使いたい。でも「0」と「O」とは判定同じにした方が人間にとって親切だぞ。ご飯を食べて17時30分、EVAを飲んで就寝。
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動画・画像投稿ガイドライン改定 真・三國無双 ORIGINS(2025年1月10日)
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