※関連記事
福岡関帝廟入口(福岡県福岡市中央区天神地区)
福岡関帝廟(福岡市中央区天神2002年12月22日)
上記関連記事にあるように三国志ニュースでも福岡県福岡市中央区天神での、通称・親富孝通りにて2002年12月22日に建立された福岡関帝廟を紹介された…しかも入り口と本廟両方ともで、そしてなぜか前者の入り口の方の記事が検索で辿り着きやすいようだ…前者の記事から後者の記事にリンクしているが、アクセスログを見ると大抵は後者への記事にアクセスされないというウェブ心理学。
そんな関帝廟だけど一ヶ月あまり前に残念なお知らせが届いた。それが下記のブログ記事で時間順にリンクしてみる。
・北伐:力漲る三国志手ぬぐい・Tシャツ
http://shop.hokubatsu.com/
・関帝廟へ (※2015年6月15日)
http://hokubatsu.blog.fc2.com/blog-entry-1225.html
・福岡関帝廟が… (※2015年6月29日)
http://hokubatsu.blog.fc2.com/blog-entry-1235.html
・その後 気になりまして (※2015年7月10日)
http://hokubatsu.blog.fc2.com/blog-entry-1245.html
※関連記事
趙雲子龍心如雪(博多祇園山笠2015年7月10日-)
上記の北伐さんのブログ記事をまとめると2015年6月13日土曜日には福岡関帝廟があって線香がおいてあるぐらい健在だたが、6月28日日曜日には廟の柱はかろうじてあるものの、ご神体がなくなっており完全に無くなっていたとのことだった。下記関連記事にあるように、今はなき千里中華街の関帝廟のように他所へ移設した可能性もある。
※関連記事
千里中華街閉鎖/関帝廟、大阪・上海新天地へ移設
そこで、下記関連記事にあるように、福岡関帝廟跡地にも足を運ばれる
教団さんに調査をお願いした…と清岡がとやかく言う前にそのつもりだったんだけどね。
※関連記事
レポ:兀突骨に行くまで(2015年8月1日)
そうすると隣接する、というか同じ敷地の駐車場でヒアリングをして下さったのだけど、移設の可能性はないとのことだった。つまりは早くとも2015年6月14日日曜日以降から廟が解体され始め28日に柱は残されていたものの(その日は旧暦5月13日で歴代王朝での関帝誕とのことで、折角なんでこの記事の末尾に関連する所を引用しておこう)、もう関帝像の姿はなく、そしてその行方はしれない状態で、8月2日の段階では右の写真のように親孝行神社の金属格子が残されるのみということだ。
・『明史』巻五十吉禮志
關公廟、洪武二十七年建於鶏籠山之陽、稱漢前將軍壽亭侯。嘉靖十年訂其誤、改稱漢前將軍漢壽亭侯。以四孟歳暮、應天府官祭、五月十三日、南京太常寺官祭。
・『明史』巻五十吉禮志
漢壽亭侯關公廟、永樂間建。成化十三年、又奉敕建廟宛平縣之東、祭以五月十三日。皆太常寺官祭。
・『清史稿』巻八十四吉禮志
關聖帝君 清初都盛京、建廟地載門外、賜額「義高千古」。世祖入關、復建廟地安門外、歳以五月十三日致祭。順治九年、敕封忠義神武關聖大帝。雍正三年、追封三代公爵、曾祖曰光昭、祖曰裕昌、父曰成忠、供後殿。増春・秋二祭。洛陽・解州後裔並授五經博士、世襲承祀。尋定春・秋祀儀、前殿大臣承祭、後殿以太常長官。屆日質明、大臣朝服入廟左門、升階就拜位、上香、行三跪九拜禮。三獻、不飲福・受胙。祭後殿二跪六拜。十一年、増當陽博士一人奉冢祀。
※9/18追記。福岡空港に移設されたという未確認情報あり。
※追記
福岡関帝廟の関帝像、福岡空港に移設(2015年8月末)
※追記
十大三国志ニュース2015
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