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※前記事
上智大学の入試で三国志関連2013
上記記事に引き続き、大学入試に三国関連がないか、下記サイトをチェックする。
・大学入試速報2013 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://nyushi.yomiuri.co.jp/
そうすると下記関連記事のように、昨年に引き続き今年も同志社大学入試に三国関連がある。
※関連記事
同志社大学の入試で三国志関連2012
・同志社大学
http://www.doshisha.ac.jp/
まず「2013年 同志社大学 法学部、グローバル・コミュニケーション学部(2月8日実施)」の世界史〔II〕の冒頭の明代に関する文の四段落目(この学部の世界史での三国関連は二年連続か)。下記に引用する文が出てくる。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
( コ )による書物の出版も急増し,科挙の参考書や商業・技術関係の実用書などが多数出版されて書物の購買層はひろがった。四大奇書といわれる『三国志演義』『( サ )』『西遊記』『金瓶梅』などの小説が多くの読者を確保し,講談や劇が都市のさかり場や農村でさかんに演じられた。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※関連記事
「四大奇書」の研究(2010年11月10日)
次に「2013年 同志社大学神学部 ・商学部・心理学部・グローバル地域文化学部(2月9日実施)」の日本史〔I〕の冒頭に「西暦紀元前後-7世紀における倭(日本)をめぐる東アジアの国際関係について供述したもの」にて、次に引用する文が出てくる。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
また2世紀初めには倭国王帥(師)升らが生口160人を献じたという記事もある。倭や倭人の社会や風俗などについて詳しく記録されたものは3世紀後半に西晋の( イ )によって撰録された『三国志』「魏書」東夷伝倭人条で、編者が同時代のことを記録したという点で資料的価値は高い。景初3年(239)、連合国家の盟主的な地位にあった邪馬台国の女王卑弥呼は使者を帯方郡の太守劉夏のもとに派遣し、都で魏の皇帝(天子)に謁見させた。また皇帝は使者の帰国に際して帯方郡の官吏を同行させ、卑弥呼に詔書をくだし金印紫綬と多数の銅鏡などを賜与した。奴国王や邪馬台国女王は朝鮮半島にあった中国の植民地を介して中国に朝貢し、皇帝の権威を背景に国内統治の強力な後ろだてとした。それはとりもなおさず、中国を中心とした東アジアの支配秩序である冊封体制に組み込まれることを意味した。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※実際はこの文章の「使者」「金印紫綬」「冊封」に下線が引かれており、それぞれb,c,dと付けられている。
冒頭は『後漢書』伝七十五東夷列伝に「安帝永初元年(紀元107年)、倭國王帥升等獻生口百六十人、願請見。」とあり、ここで「帥升等」を「帥升ら」と読むか、そのまま三文字の名称とするか解釈が分かれるらしいが、ここでは王を含めた複数としているようだ。
※関連記事
週刊マンガ日本史(2009年10月6日創刊)
日本史なのに「魏志倭人伝」ではなく、めずらしく「『三国志』「魏書」東夷伝倭人条」かと思ったら、『三国志』巻三十魏書東夷伝に「景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻、太守劉夏遣吏將送詣京都。其年十二月、詔書報倭女王曰」とあるのに、わざわざ「景初3年」とするのは日本史ならではであろう。問題に『三国志』自体を出しているのにそこの記述を何の断りもなしに変えて受験生に伝えているとは。
※関連記事
第2回三国志学会大会ノート6
※追記
メモ:錯誤と漢籍(『漢籍はおもしろい』所収)
※追記
「倭国乱」と高地性集落論・観音寺山遺跡(2013年10月)
※追記
大学入試センター試験で三国志関連2014
この文章に附随する設問Aでは文章の下線についての問いがあり、「b.このとき大夫として派遣された人物名を記せ。」「c. この金印紫綬とともに贈られた称号を記せ。」「d. この読みを平仮名で記せ。」とあり、それぞれ「難升米」「親魏倭王」「さくほう」となる。設問Bは4択で空欄を埋める問題で、( イ )は「陳壽」となる。
※次記事
慶應義塾大学で三国志関連2013
※追記
大学入試センター試験で三国志関連2015
※新規関連記事
リンク:中国歴史書に登場、最初の日本人「帥升」(佐賀新聞2023年5月5日)
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