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リンク:「胡広伝覚書」


  • 2009年11月18日(水) 02:32 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,155
研究 ※前記事 リンク:「盧植とその『礼記解詁』」

 一応、上記のようにネット上で公開されている論文を紹介する記事のシリーズなんだけど、そこに至るまでに前置きが長い。本題のみに興味ある人は読み飛ばしてくださると幸い。

※関連記事 メモ:「東洋史研究会大会」出店状況

 上記関連記事で書いたように『東洋史研究』を買ってきて興味のあるところを読んでいた。それらの中に興味をもった一つに、下記に示す論文があって、いつものようにCiNii(国立情報学研究所提供サービス)内のページへのリンクも続けて記す。

西川 利文「漢代明經考」(『東洋史研究』第54巻 第4號 (199603) pp.583-609 東洋史研究会 )
http://ci.nii.ac.jp/naid/40002660276

CiNii

※追記 メモ:「漢代明經考」

 興味のある理由は史書上、孝廉に推挙された後、すぐ郎になるような記述が多いが、(時代性も考慮し)その間に孝廉のまま留まる場合があるのか、また試験があったのか、という二点。
 前者に関しては『三國志』卷四十七呉書呉主傳に

策長史張昭謂權曰、孝廉、此寧哭時邪?

と、孫策の長史である張昭が、孝廉や茂才に挙げられた行奉義校尉(つまり代行)の孫権へ呼び掛けるとき「孝廉」としている。また後者に関しては、試しに『太平御覧』で「孝廉」と検索し、ざっと見ていくと卷二百一十五職官部十三總敘尚書郎に

『續漢書』曰:胡廣字伯始、舉孝廉試為天下第一、旬日拜尚書郎。

と、試験しその評価で任官が変わる記述がある。

 ここで記事のシリーズと関わってくるため、話が少し脱線する。上記リンク先も含め、『東洋史研究』は現在、ネット上で読むことができない。ところが下記ブログ記事からリンク先を辿ったところにあるように、2009年度東洋史研究会大会の総会で『東洋史研究』のWeb上公開の議案が承認を得たということだ。

・古代中国箚記
http://ancientchina.blog74.fc2.com/
・『東洋史研究』がweb公開へ  (※上記ブログ記事)
http://ancientchina.blog74.fc2.com/blog-entry-299.html

 このことについて私は総会が情報源という意味で同ソース別ルートで聞いていた訳で、ルートの特性上、端から「三国志ニュース」の記事にするつもりはなかったんだけど、上記ブログ記事のようなルートが繋がったため、こうして紹介している。
 こういった知的財産に絡むことは、あれこれハードルがありそうだね。まず研究会の規約を改定しないとといけないし、どの号からどの号まで公開するか決めないといけないだろうし(新しい分は本誌の売れ行きに影響を与える)、既刊の分の著者には郵送か何かでWeb上公開の承諾を得ないといけないだろうし。
 分野や雑誌が違えば、有料無料問わず、すでにそういうWebでの公開が前提となっていることが多く、論文が雑誌に載る前に電子的公開承諾書みたいなのを添付させられる場合もある。

※追記 リンク:『法制史研究』『書学書道史研究』

※追記 『東洋史研究』電子版公開開始(2011年3月10日-)

 話を戻し、前述の論文を読み終えたんだけど、註で出てくる論文のうち、その著者の論文のいくつかが気になった。前述のCiNiiにて著者名で検索してみると、元々の目的の論文は見あたらなかったんだけど、タイトルを見て興味を持てるのがいくつかあって、そのうち、「国立情報学研究所 CiNii 本文リンク」が付いてるもの、つまり、ウェブ上で公開されているものもある。今回、注目する論文は記事の表題通り下記のもの。

西川 利文「胡広伝覚書──党錮事件理解の前提として──」(『文学部論集』第82号 (199803) pp.1-17 佛教大学 )
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006473004

 ここでウェブ上で公開されている意味で「国立情報学研究所 CiNii 本文リンク1」があるわけだけど、現在はリンク切れしているようで、論文を見るにはまず下記の「佛教大学論文目録リポジトリ」で検索しないといけないみたいだ。

・佛教大学論文目録リポジトリ
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/repository/index.htm
※該当論文のページはないため、ここで論文タイトルで検索する。

 同じ検索結果でリストアップされるものでも『鷹陵史学』や『仏教大学総合研究所紀要』と違って『文学部論集』は見れるようだね。

 参考までにページ数付きで目次から示す。便宜上、ページの上から一段目をa、二段目をbとする。

1a はじめに
2b 一 生い立ち
4b 二 官僚生活─三公就任以前─
7a 三 三公時代前半─梁糞誅殺まで─
9b 四 三公時代後半─党錮事件との関係─
12b おわりに
13b 注

 これを見て貰うと判るように、論文の構成はタイトルにある胡広の生涯を『後漢書』胡広伝を中心に時系列順に追っていくというもの。この記事の冒頭に出した疑問点だけど、そもそも起点となる『太平御覧』卷二百一十五職官部十三總敘尚書郎所載『續漢書』自体が胡広(胡廣)が孝廉に推挙された記事であるため、疑問の解消へと直に繋がると期待できるが、実はその段階に至る前にこの論文から、『續漢書』の部分より通行している『後漢書』胡広伝の方が下記のように詳しく書かれていることに気付かされる。

會歳終應舉、(左)雄敕真助〔其〕求(其)才。雄因大會諸吏、真自於牖閒密占察之、乃指(胡)廣以白雄、遂察孝廉。既到京師、試以章奏、安帝以廣為天下第一。旬月拜尚書郎、五遷尚書僕射。

 つまり太守の左雄から孝廉に推挙され、京師に至り、章奏で試験され、その成績に応じ尚書郎になっている。恐らく前述の孫権の例は政情不安のため京師に行けなかった、あるいは行かなかったのもあって孝廉から先が見えないのかなと思った。
 論文では「一」で、それ以前の胡広について碑文などから家系についても触れられている。さらに孝廉に推挙された後の試験の「章奏」について言及されている。それより少し後の改革後に、章奏(版奏)といえば文吏(法家)に対する試験だが、論文ではあらゆる学問に通じていた者を文吏と呼んでも良いのではないか、と解釈されている。

 孝廉については次の「二」にも書かれてあって、それは左雄の提案に順って陽嘉元年(紀元132年)十一月に実施された孝廉科改革について。それは次のように『後漢書』左雄伝にある左雄の上言に書かれてある。

請自今孝廉年不滿四十、不得察舉、皆先詣公府、諸生試家法、文吏課牋奏、副之端門、練其虚實、以觀異能、以美風俗。

 論文では、こういった四十歳以上を孝廉の察挙年齢とする限年制、諸生に家法(章句)、文吏には版奏の試験がそれぞれ課される課試制について孝廉の画期をなすものとし、これへ反対があった動きについて書かれていた。胡広は二つの制度および独断専行により左雄の改革されたこと自体について反対を表明していた。翌年にこの制度は厳格に実行されたようで孝廉の徐淑は年四十に満たないため、取り消しになり、さらにそういった孝廉を推挙した太守らは免職になった。その中に済陰太守になったばかりの胡広が含まれていた。論文では胡広中心であるため、その後にこの制度がどうなったかは言及されていない。ずっと適応された訳でないことは、『三国志』巻一魏書武帝紀に「年二十、舉孝廉為郎、除洛陽北部尉、遷頓丘令、徴拜議郎。」と曹操が年四十未満で孝廉に挙げられたことからも明らかだ。そのため、『後漢書』左雄伝の続きを読むと、

自是牧守畏慄、莫敢輕舉。迄于永(嘉)〔憙〕、察選清平、多得其人。

とその功について書かれているんだけど、裏を返せば「永憙」まで、つまり紀元145年まで少なくとも限年制があったということがわかる。

 それで論文では、続いて章タイトル通り梁糞誅殺や党錮事件について書かれている。特に後者については論文タイトルにもなっていてメインテーマとなっている。私自身、党錮事件について浅はかな素人考えで触れると、単純な二項対立として捉えてしまいかねないので、「清流派(笑)」ぐらいの距離感で敬遠していたが、この論文にそんな敬遠を解きほぐしてくれるぐらいの納得が潜んでいる。※追記。P.12aの「それでは、いわゆる清流派・党人と呼ばれる人々と他の一般的な官僚(あるいは知識人)との差は、一体どこに求められるであろうか。筆者は現在、その行動が過激であったか否かに求められると考える。」とか。過激派説。

※追記。P.14の注で「(8) 豪族の概念については問題が多い。ここでは、一定の族的結合を持ち社会的に影響力を持つ勢力として考えておきたい。また官僚を輩出することのみをもって、豪族と規定することはできないと考える。」とあり、この時代に豪族を持ち込むのは常々、しっくりこないな、と思っていたのが言語化されている。

※追記 同志社大学の入試で三国志関連2012

※次記事 リンク:「漢代における郡県の構造について」

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