※目次
三国志学会 第四回大会ノート(2009年9月5日)
※前記事
三国志学会 第四回大会ノート3
14:09。総合司会の石井先生から次の報告へのアナウンスがあった。司会は渡邉先生とのこと。
レジュメはB4が四枚、8ページ。主に資料が並んでいる。
まず渡邉先生から辛 賢 先生の紹介がある。韓国出身で、筑波大学で学び、易が専門とのこと。漢代から三国魏にかけて象数易から義理易に変わってくる時代であり、そこで王弼の易が出てくるという。
辛先生が登壇される。
○「王弼の「意」と「象」―「象」の淵源から解釈の展開―」
最初のタイトルは「鄭玄と王弼」だったがなかなか鄭玄の易と王弼の易の比較は難しかったので、今回は「王弼の易」で報告する。
●〔問題の所在〕
※以下、行の冒頭に「●」とある場合はレジュメからの引用。また行の冒頭に「【資料」とあるのはレジュメに書かれている漢文。ここで引用している分は大体、報告で読み下された。
王弼の易とは抽象的で哲学的な内容のため、どこから話すか迷っている。漢代は「象数易学」であり(※ここから黒板に専門用語を書きつつ発表される)、易の中で「象」と「数」を重視したのが漢代の易学だ。三国時代に「義」の部分を重視したのが「義理易学」。今回報告する王弼は、ちょうど象数易学が行き詰まり、象数易学の問題を指摘しながら、義理易学に変換するその境にある、きっかけになった人だ。王弼が主張した内容は一言でいうと「忘言忘象得意論」というふうになる。要するに言と象を忘れることで易の本当の意を得ることができる。「忘言忘象」論について先行研究では解決できていない部分がある。そこでその問題について報告する。
易の中で重要な構成要素は象、言、数となる。それは何かというと、八卦(はっか)を基本とした六十四卦がある。(※黒板に書きつつ)「乾」「坤」「坎」「離」「震」「巽」「艮」「兌」というものが八卦にあたる。例えば「乾」というのはすべて陽で「坤」というのはすべて陰、「坎」というのは陰と陽が混ざったもの(黒板に記号が書かれる)。六十四卦は八卦が重なったもの、8×8で64通りになる。
「象」というものは、ではこの記号は何を意味するのか、漢代に議論されていた(意味付けされていた)。例えば「乾」は天、父、円を意味を表す。記号に対する具象的なものを極めていこうというもの。
漢代には卦に含まれる「象」が重視され経典の解釈もこの「象」をもって解釈されていた。例えば「乾」にはこういった記号があって(※黒板に横線六本を縦並びに引く)、卦辞と呼ばれる言葉が記されている。「元享利貞」の四文字の卦辞が書かれていて、その次に「初九潛龍左淵」(※爻辞と呼ばれるそうな)とかなり比喩的な表現で書かれている。この比喩をどのように解釈するかが問題。漢代の易学者は「象」を重視するは良かったが、象はあくまでも意味を知るための手段として機能すべきで、それが行きすぎて象のための象となっていた。漢代は、比喩的な表現として捉えず、(爻辞を)文字通りの解釈をしていた。後漢になるとそれが鎮まってきた。その流れに対し王弼は、象のための象で、言のための言になってしまっていて、それ自体は意味を表さないので、我々が考えなくてはならないという主旨で、「忘言忘象」を言い、言と象を手掛かりとしてその意味を考えるとした。
報告者は、六十四卦、それぞれに象が配されていて、その象がなぜ重要なのか、象がどういった概念で作られたのか疑問をもった。
●(一)八卦、文字のもと
易において象というのは、一般的に八卦というもので、様々な物象に見立てるもの。易において象という問題は重要。
【資料1】「易者象也。象也者像也。」(繫辭下伝)
繫辭下伝で【資料1】にあるように、易が説明されている。象(かたど)るとどういったものかというと、八卦というのも、資料2、3にあるように物象で作られた。
【資料2】「聖人有以見天下之賾、而擬諸其形容象其物宜。是故謂之象。」(繫辭上伝)
【資料3】「敍曰、古者庖犧氏之王天下也、仰則觀象於天、俯則觀法於地、視鳥獸之文與地之宜。近取諸身、遠取諸物。於是始作易八卦以垂憲象。及神農氏結繩為治而統其事。庶業其繁、飾偽萌生。黄帝史官倉頡、見鳥獸蹄迒之跡、知分理可相別異也、初造書契……倉頡之初作書也、蓋依類象形、故謂之文。其後形聲相益、即謂之字。文者物象之本、字者言孳乳而寖多也。」(『説文解字』「叙」)
資料3に「倉頡之初作書也、蓋依類象形、故謂之文」「文者物象之本」とあるように八卦というのは文字ができる前に文字のもとに当たるものであると書かれている。
文字も八卦も一種の物になぞって作られたもので、絵画的な具象を表している。ただの具象かと言うとそうでもなく、抽象化的な形で記号化されている。
●(二)「物」と「象」―具象(物象)
そこで物を象る意味は何か。実は単に象る意味ではなく切実な概念がそこに潜んでいる。
【資料4】「新論曰、劉歆致雨。具作土龍、吹律及諸方術、無不備設。譚問、求雨所以為土龍、何也。曰、龍見者、輒有風雨興起、以迎送之。故緑其象類而為之。」(『続漢書』礼儀志中注引)
(※ここで、14:35と時間が押しているので辛先生から「できるところまでする」と宣言される)
資料4にあるように、劉歆という漢代の学者は雨あが降らないときは土を龍の形に作った。なぜ龍をつくったというと、龍は水の神として考えられていて、龍が雨をもたらしたことは資料5にある。
【資料5】「龜生於水、發之於火、於是為萬物先、為禍福正。龍生於水、被五色而游、故神。欲小則化如蠶蠋、欲大則藏於天下、欲上則凌於雲氣、欲下則入於深泉、變化無日、上下無時、謂之神龜與龍、伏闇能存而能亡者也。」(『管子』水地篇)
「類同相召、氣同則合、聲比則應。故鼓宮而宮應、鼓角而角動、龍致雨、以形逐影。」(『呂氏春秋』召類篇)
(※【資料6】は『春秋繁露』求雨篇)
資料5,6に雨乞いの記録が克明に示されている。
【資料7】「出土牛、以送寒氣。」(『呂氏春秋』季冬紀)
「發春而後、懸青幡而築土牛。」(『塩鉄論』授時篇)
「立春之日、夜漏未盡五刻、京師百官皆衣青衣、郡國縣道官下至斗食令史皆服青幘、立青幡、施土牛耕人于門外、以示兆民、至立夏。」(『続漢書』礼儀志上)
資料7では「土牛」が出ていて、それは農耕関連となり、まつりに使われている。本物に象った何か模型的な物が祭祀に使われていた。何の意味を持っているかは、装飾性だけでなく、そういったリアルな形にすることがあったのではないか。
【資料9】「葉公子高之好龍、室雕文盡写以龍。於是天龍下之、窺頭於牖、拖尾於堂。葉公見之、棄而還走、失其魂魄。」(『困学紀聞』巻十「諸子」)
(※清岡注。『莊子』に似たような文がある)
資料9に、彫刻は装飾的なものではなく龍を招くような力が内在していることが示されている。
【資料14】「魯般、墨子刻木為鳶、蜚之三日而不集、為之巧也。……夫蜚鳶之氣、雲雨之氣也。氣而蜚木鳶、何獨不能從土龍」(『論衡』乱龍篇)
「墨子為木鳶、三年而成、蜚一日而敗。弟子曰、先生之巧、至能使木鳶飛。」(『韓非子』「外儲説左上」)
「魯般墨子以木為鳶而飛之、三日而不集。」(『淮南子』齊俗篇)
「公輸子(魯般)、削竹木以為鵲。成而飛之、三日不下、公輸子自以為至巧。」(『墨子』魯問篇)
資料14にあるように、魯般、墨子が木で鳶を作って三日経っても落ちなかった理由は、技術が巧みだったということで、実際に鳶の形に象った模型を作ってそれを実際に飛ばすので鳶同然の働きをしていた。単に形を象るだけでなく機能までもそこに含まれる可能性を示している。
【資料15】「釣者以木為魚。丹漆其身、近之水流而撃之、起水動作、魚以為真、並來聚會。夫丹木非真魚也。魚含血而有知、猶為象至。」(乱龍篇)
資料15も同じ様なことが書かれている。要するに象というものはいわゆる模型(※黒板に「象類=模型」と書かれる)を意味するものとして書かれている。易の卦の象と今、読んだ模型的な「象類」と観念的に通じ合うのではないか。象は実際の本物的な機能する形があると考え方があった。漢代、卦の象を重視したのは、物事の真理・法則、物に内在する機能を卦の中から読みとれることができるのではないかという考え方をしていた。象は単なる卦の形、形象だけではなく一種の数と同じように法則的な意味をもっていたのだろうな、と考えている。そういった部分はこれまでは「象ありき」で、易学の中では進められて来たのではないかと思う。象というのは易学の中での独特の用語ではなく、本来は普遍的な意味での「象る」ということから始まる観念が、易の中で特化した形で理論化したものだと思う。
●(三)意と象―抽象(意象)
【資料20】「李子長為政、欲知囚情、以梧桐為人、象囚之形。鑿地為〔埳〕、以盧〔蘆〕為槨〔郭〕、臥木囚其中。囚罪正、則木囚不動。囚冤侵奪、木囚動出。不知囚之精神著木人乎。將精神之氣、動木囚也。」(乱龍篇)
資料20は、囚人の真偽を確かめるために作った木囚に囚人の精神が投影され、木囚を動かしたという内容が記されている。つまり、人間の精神が模型と感応し合っている。
【資料21】「匈奴敬畏郅都之威、刻木象都之狀、交弓射之、莫能一中。不知都之精神在形象邪。」(乱龍篇)
「匈奴素聞郅都節、舉邊為引兵去、竟都死不近鴈門。匈奴至為偶人象都、令騎馳射、莫能中、其見憚如此。匈奴患之。」(『漢書』酷吏伝)
資料21にある郅都という人は漢代の酷吏で匈奴から怖れられていた。人間の精神と模型との間に共鳴現象が起こっていることがここで伺える。
【資料24】「孝武皇帝幸李夫人、夫人死、思見其形。道士以術為李夫人、夫人歩入殿門、武帝望見、知其非也、然猶感動、喜樂近之。使雲雨之氣、如武帝之心、雖知土龍非真、然猶愛好感起而來。十五也。」(乱龍篇)
「上思念李夫人不已、方士齊人少翁言能致其神。乃夜張燈燭、設帷帳、陳酒肉、而令上居他帳、遙望好女如李夫人之貌、還幄坐而歩。又不得就視、上愈益相思悲感、為作詩曰、是邪、非邪。」(『漢書』外戚伝)
資料23,24はすべて精神と模型との感応現象が示されている。先ほどの鳶の話は象る技術が巧みであればあるほど、その機能までもそこに含まれる可能性があることを示したが、ここでは模型の抽象化した形である程度、本物と感応し合うということが言えるところだ。
【資料25】「禮宗廟之主、以木為之、長尺二寸、以象先祖。孝子入廟、主心事之、雖知木主非親、亦當盡敬、有所主事。土龍與木主同、雖知非真、示〔亦〕當感動、立意於象。……塗車芻靈、聖人知其無用、示象生存、不敢無也。」(乱龍篇)
資料25において、位牌は先祖を象った象徴であり、位牌そのものが先祖でないことを知っていながら、単なる木片に対し敬を尽くす。つまり本物を象った模型でなくともそれを抽象化した位牌に対し、人間は共鳴的に感応し合う。人間の精神がそこに介在している。
【資料26】「聖人、立象以盡意、設卦以盡情偽、繫辭以盡其言。」(繫辭上伝)
資料26には、象を通じ意を尽くすことができるとあり、易における象の根本観念に通じるところがある。易の象はこういった古来の伝統的観念から形成されたものだ。
【資料27】「神靈示人以象、不以實、故寢臥夢悟見事之象。將吉、吉象來、將凶、凶象至。神靈之氣、雲雨之類。八也。神靈以象見實、土龍何獨不能以偽致真也。」(乱龍篇)
資料27は、仮の象を通じ人間が真、本物に必見しうると述べている。
象類が易の象を作る観念をつくる背景になっており、易の象は具象性と抽象性両方を兼ね備えていると解釈できる。
漢代以降、三国時代では、こういった象が何かということで、王弼は「忘言忘象」を主張している。
●(四)王弼の「意」と「象」
●(五)抽象いよる忘却
●(六)「象」の重層性をめぐる議論
「忘言忘象」については別の機会で話したい。
【資料50】「引莊氏曰。四象。謂六十四卦之中有實象。有假象。有義象。有用象。爲四象也。」(『周易正義』繫辭上伝・孔疏引)
資料50にあるように、象は具象性と抽象性両方を兼ね備えており、象はさらにかなり分析的哲学的に解釈される。
【資料51】「先儒所云、此等象辭或有實象、或有假像。實象者、若地上有水比也。地中生木升也。皆非虚故言實也。假像者、若天在山中、風自火出。如此之類、實無此象、假而為義、故謂之假也。雖有實象、假像、皆以義示人。總謂之象也。」(『周易正義』乾卦象伝・孔疏)
(※清岡注。資料51から56まで象に関する資料が明代まで時代順に並べられており、象に関する議論が盛んであることについて示され、今後の研究の展開について話されていた)
王弼は、象に捕らわれない意の獲得というのを「忘言忘象」という形で述べていて、その王弼以降、象は抽象性を深めた様々な方向で議論されている。
14:56報告終了
渡邉先生の司会に移る。渡邉先生から、やさしく発表するよう辛先生に要請があったため、冒頭に「易学入門」が入り、その関係で時間が押していたという。内容がまとめられ、象は具象と抽象の二面性がある等、説明されていた。
14:58。質疑に移る。
(※渡邉先生より堀池信夫先生へ話が振られる。)
Q1 筑波大学の堀池先生より。レジュメの資料24後半について。実はこれは有名な資料で、歴史上、幻灯が使われた最初の例だ。「帷帳」がスクリーンで影絵。内容から言うと皇帝を騙したものだ。他の領域からの研究もあるので、精神からというのは割と崩れるかもしれない。
A1 (※「それは違うかなぁと思ってました」と前置きし、場内をわかせた上で)李夫人でないことを知っていながら、シルエットだけを見て涙を流している。要するに具象的な李夫人を見ていなくて、抽象化されたシルエットを見て武帝は反応した。李夫人を慕う武帝の精神とシルエットを通じ反応を起こした。
15:02終了。
○コーヒーブレイク
渡邉先生からアナウンスがあったが特にコーヒーブレイクだけどコーヒーが出るわけではなく、各自、購入してほしいとのことだった(笑)
二番目と三番目の報告に対し、それぞれ質問していた雑号将軍さんの姿が見えず、どうしたのかな、と思っていて、ぐっこさんに尋ねてみると、用事があって慌てて帰られたとのことだそうな。
それから清岡からぐっこさんへ、7月に「三国志ニュース」のデザインをしてくださったことに対するお礼を申し上げていた。
※関連記事
「三国志ニュース」デザイン大幅変更(2009年7月20日)
あと、今回の清岡の報告について、報告中、先にレジュメを見たぐっこさんが「ギャルゲー」がどう説明されるか、(ニヨニヨしながら)期待されていて、特に触れずにいたのを残念に思われていたそうな。清岡はその辺り素人であり、「ギャルゲー」や「美少女ゲーム」や「泣きゲー」の違いや定義を一つも語る能力を持っていないので、迂闊に触れられなかったと告げた上で、謝っていた(笑)
※関連記事
三国志学会 第四回大会ノート1
それと今回、懇親会へ特に知り合いが出るということを聞いていなかったので、一人になると思い、ぐっこさんにそれとなく伺ってみると、どうやら出られるようで安心する。
事前には、懇親会か「お好み焼き 慈恩弘国」に行こうか、はたまた懇親会の後、「お好み焼き 慈恩弘国」に行こうなんてことを言っていたんだけど、当時はどうなるかあやふやだった。
※参照リンク
・お好み焼き 慈恩弘国(ジオンこうこく) (※個人の日記)
http://cte.main.jp/sunshi/2009/0210.html#14
話していると、定刻になりつつあったので、特に出歩くことなく、次の公演を待つことにした。
※次記事
三国志学会 第四回大会ノート5
サイト管理者はコメントに関する責任を負いません。