※前の記事
メモ2:清と濁の間――銘文と考古資料が語る曹操とその一族(2024年3月11日)
2024年3月11日月曜日、下記の記事でリポジトリにアクセスした際に、ネットのPDFで読めることがわかった。なので、当然、下記関連記事の流れとなる。
※関連記事
リンク:西晋における礼制秩序の構築とその変質(九州大学東洋史論集 第30号 2002年4月)
※新規関連記事
リンク:方術から方技へ(2017年3月)
それは下記の「九州大学学術情報リポジトリ」で読める、戸川貴行「魏晋南朝の民爵賜与について」『九州大学東洋史論集』第30号pp.61-85(九州大学文学部東洋史研究会2002年4月30日)だ。上記関連記事の論文と同誌同号でページ数的に次の論文となる。
・九州大学学術情報リポジトリ(QIR)
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_browse/papers/
※関連記事
リンク:西晋における礼制秩序の構築とその変質(九州大学東洋史論集 第30号 2002年4月)
・魏晋南朝の民爵賜与について
https://doi.org/10.15017/25802
※関連記事
魏晋南北朝史のいま(2017年9月)
内容についてはそのPDFファイルを読んでもらうのが確実なのだけど、全体を把握しやすいように下記に目次をまとめる。
61 はじめに
62 一 軍功賜爵と兵制の変化
70 二 民爵賜与と籍田儀礼
76 おわりに
78 註
82 附表魏晋南朝の民爵賜与一覧
p.62「いま、魏晋南朝の民爵賜与の回数を王朝ごとに示すと、曹魏六回、西晋一回、東
晋一回、」魏が多いと見るべきなのか両晋が少ないと見るべきなのか、それはすぐに論じられる。p.73公孫度の「郊祀天地、籍田」が出てくる。
※前の記事に戻る
メモ2:清と濁の間――銘文と考古資料が語る曹操とその一族(2024年3月11日)
サイト管理者はコメントに関する責任を負いません。