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メモ:賢聖障子の研究(尾陽:徳川美術館論集2009年6月)


  • 2018年11月28日(水) 06:43 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    232
研究 ※前の記事 サブカルチャーとしての三国志(現代中国のポピュラーカルチャー 勉誠出版2007年3月)

 前の記事に続いて2018年11月24日土曜日、国会図書館に居た。

・東京本館|国立国会図書館―National Diet Library
http://www.ndl.go.jp/jp/service/tokyo/

※関連記事 賢聖障子に諸葛亮、鄭玄、羊祜(京都御所紫宸殿2018年11月1日-5日)

 もう一つの目的というのは上記関連記事で紹介した賢聖障子についての論文を閲覧しに来たため。まず鎌田純子「寛政度御所造営における賢聖障子の製作過程について」鹿島美術財団/編『鹿島美術財団年報』24号pp.492-501を閲覧しようと思ったら、11月29日まで「利用中」だった……なにそれ?

・寛政度御所造営における賢聖障子の製作過程について : 2006|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I9283562-00

 あと平行して下記関連記事の寺島優/原作 小島利明/構成 李志清/作画『三国志』の第2部について調べようと『コミックバーズ』のデジタルデータをたぐるが、単行本の広告のページが目次にリストアップされてないためものすごく時間がかかりそうなので、10時58分に今回、それを諦めて残りの時間を賢聖障子に集中することを決断する。

※関連記事 三国志 全10巻(スコラ1993年1月16日-12月)

 そこでまず閲覧申請したのが、鎌田純子「賢聖障子の研究――寛政度を中心に――」徳川黎明会徳川美術館/編『尾陽:徳川美術館論集』(5)(徳川黎明会、思文閣出版2009年6月)pp.47-65。話が前後するけどそれを閲覧したのが10時50分。

・賢聖障子の研究--寛政度を中心に|書誌詳細|国立国会図書館オンライン
http://id.ndl.go.jp/bib/10427786

 まず目次から下記にまとめる。

47 はじめに
48 一 寛政度内裏と賢聖障子
49 二 絵師
49 三 製作過程
55 四 栗山と文章博士との議論
61 おわりに
62 註

 それでこの賢聖障子は何なのか、p.47の冒頭で書いていて、それを下記に引用する。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 内裏の正殿、紫宸殿の母屋と北廂とを隔てる障子には、中国殷の時代から唐の時代にかけての功臣鴻儒三十二人の像が描かれる。「賢聖障子」と称されるそれは、平安朝の頃より江戸時代の松に至るまで描き継がれてきた伝統的図様で、天皇の玉座(=高御座)の背後を飾ってきた、朝威の象徴とも言える障壁画である。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 冒頭で挙げた関連記事でも書いたように、その描かれた「功臣鴻儒三十二人」の中に諸葛亮、鄭玄、羊祜が含まれるということなんだけど、論文自体にはこの三人のことが特に取りざたされるってことは無く、タイトルどおり現行の賢聖障子である「寛政四年(一七九二)十月晦日」に完成した分を中心に書かれている。強いていうならば下記にp.52から引用するように、「三 製作過程」で紫宸殿内部を描いた絵画中に賢聖障子も描かれているという件に「羊祜」の名が出てくる。このことは時系列に整理されたp.53の寛政二年八月の項目にも出てくる。さらに賢聖障子を描いた賭射図が「挿図1 年中行事絵巻 賭射図部分」としてp.54に掲載されている。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
また、年中行事画模本の賭射図には紫宸殿内部の描写があり、賢聖障子に関しては羊祜以下倪寛に至る八像が確認できる。ただし、その図は小さく、遮蔽物も介在することから、図様の詳細を知るには限界がある。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 確かに挿図1を見ると何を描いているか判らないのだけど、八像ということは現行では「西二間:倪寛、蘇武、鄭玄、桓栄/西三間:班固、陳寔、揚雄、羊祜」とあるんで、鄭玄も描かれてあるのだろうね。
 個人的には「四 栗山と文章博士との議論」が面白く杜如晦、蘧瑗、鄧禹について個別の議論が論じられているのだけど、三国関係だと、p.60から下記に引用する件で出てくる。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 栗山が目指した図像についてもっと端的に述べられているのが、傅説(殷の高宗のときの賢臣)の項で、周の服制にならうか、殷の時代の服章にするかという議論の中に示されている。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※これに続いて頭を二文字下げてその議論が引用されている、以下。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
大体此度図立候趣意一代切ニ荒形人物揃候やうに仕度候、たとヘハ、殷人ハ章甫の冠、周人ハ弁服冠弁服、漢人ハ幘、後漢三国并晋人ハ進賢冠、唐人は烏紗帽と定候ハゝ、一目に時代もわかり可申哉と存候事に候ヘハ、(後略)
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

左から三梁、両梁(二梁)、一梁。但し、一梁は想像。 これに先立つp.59の栗山の記述からの引用で鄧禹の服飾として「進賢三梁冠」が示されており、p.60の「挿図7 賢聖図 鄧禹 徳川美術館蔵」、「挿図8 賢聖障子 鄧禹 宮内庁像」にその図があるのだけど、ここで文物で見られる進賢冠(その模写を右においておこう、あと下記に関連記事へのリンク)と大きく異なり、それより頭上部を覆う形で後ろに斜めに高い造形となっている。また、ここで初めて中国古代を題材とした絵画に出てくるよく見る冠が実は進賢冠(梁冠)のつもりだったんだと気づき、考古的資料とのズレが興味深いと思った。

※関連記事 一梁?メモ

 ともかくこの論文の複写申請を12時半に本館ので行った。

※次の記事 メモ:賢聖障子の研究(國華1028,1029号 1979年11月12月)

※新規関連記事 メモ:寛政度御所造営における賢聖障子の製作過程について(2006年)

※新規関連記事 立命館大学の日本史世界史入試で三国志関連2019

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