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立命館大学の日本史世界史入試で三国志関連2017


教育機関 ※前記事 大学入試センター試験で三国志関連2017(2017年1月14日)

上記記事に引き続き、大学入試に三国関連がないか、下記サイトをチェックする。

・大学入試2017 : 大学入試 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
http://www.yomiuri.co.jp/nyushi/17/

そうすると下記関連記事のように、その昨年に引き続き今年もこの大学の入試に三国関連がある。

※関連記事 立命館大学の世界史入試で三国志関連2016

・立命館大学 - +R 未来を生みだす人になる。 -
http://www.ritsumei.jp/

まず「文系・理系・薬(2月2日実施)」の日本史だ。「文系(法学部・産業社会学部・国際関係学部・文学部・映像学部・経営学部・政策科学部・総合心理学部・経済学部・スポーツ健康科学部)・理系(理工学部・情報理工学部・生命科学部)・薬学(薬学部)」とのこと。

日本史のIの〔1〕の長文中に「本居宣長」とあって、そこに下線が引かれ、そこに対応する問題文が「(j) 下線部⑦に関連して,江戸時代後半には邪馬台国に関する考証も始まり,本居宣長も見解を発表したが,1784年に「漢委奴国王」印が出土したのは何という島か。漢字2文字で答えよ。」とあり、『三国志』に載る「邪馬台国」が使われる。

※関連記事 対論 邪馬台国時代のクニグニPartII(2016年12月11日より3回)

次に同じ日程の世界史。Iの長文で以下に引用する段落がまるっと三国…というより西晋に関する文となる。今回、三国に関係しないんで引用しないが、この次の段落が西晋の滅亡の流れで、まさに福原啓郎/著『西晉の武帝 司馬炎』(中国歴史人物選、白帝社、1995年、ISBN:978-4-89174-232-4)でとりあげられるような流れだ。

※関連記事 メモ:『西晉の武帝 司馬炎』

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 このように漢代には既に形骸化していた封建制であるが,西晋に入ると王朝の藩屏という封建制本来の役割をもって復活する。[ E ]王朝からの形式的な禅譲を受けて西晋王朝を開いた司馬氏は,[ E ]が宗室同族を諸侯王に封建しなかったことが司馬氏の権力奪取を許した原因と考え,一族を各地に諸王として封建した。西晋の諸王はその規模に応じて兵力を有しており,まさに,王朝の藩屏としての働きを期待されていたのである。 ━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 この長文の前に空欄を埋めるよう指示があるんで、もちろん[ E ]は「魏」だね。

 最後に「文系・理系(2月3日実施)」の世界史だ。「文系(法学部・産業社会学部・国際関係学部・文学部・映像学部・経営学部・政策科学部・総合心理学部・経済学部・スポーツ健康科学部)・理系(理工学部・情報理工学部・生命科学部・薬学部)」とのこと。

 世界史のIIの長文が中国における文学ジャンルについて。まず3段落目の途中で下記に引用することが出てくる。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
一方,北方の金にも「院本」と称される演劇があり,こちらもやはり台本を伴っていたと考えられる。陶宗儀の『輟耕録』には700種あまりの演目が記録されており,その中には荘周が夢で胡蝶になった話や,三国時代の赤壁の戦いなど,有名な故事や史実を脚色したものも見られる。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 同じ長文で、5段落目の途中から下記に引用する文が出てる。

━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
また庶民を主人公とする作品が減少する一方,才子佳人を扱った作品が多く出現し,用語にも文語的表現が多く取り入れられていった。そのため明代の演劇は,大衆向けの見る演劇から知識人向けの読む戯曲へと,その性質を変化させていった。
 その端緒となったのは,後漢の蔡邕を主人公に,都で栄華を楽しむ夫と故郷で質素に暮らす妻を対比し,当時の士大夫を批判した高明(高則誠)の『[ E ]』である。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 この長文の前に空欄を埋めるよう指示があって、[ E ]は何か知らなかったんだけど、「琵琶記」だそうな。

※関連記事 東京大學東洋文化研究所漢籍善本全文影像資料庫

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