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ノート3:三国志学会 第五回大会


  • 2012年8月 6日(月) 00:48 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,043
研究 ※目次 ノート:三国志学会 第五回大会(2010年9月11日)

※前記事 ノート2:三国志学会 第五回大会

 13:20、牧角先生から再開する旨のアナウンスが入る。
 渡邉先生が司会。発表者の仙石知子先生 (駿河台大学非常勤講師)は中国の天津の南開大学の出身で、東京大学名誉教授の溝口雄三先生に修士まで師事され、博士過程からは東北大学名誉教授の小川陽一先生につかれたとのこと。これまで『三国演義』ではなく明清時代の小説を利用して中国の明清時代の家族の実態の研究を進められていたという。昨年より『三国演義』の論文を書き始め、2010年6月に渡邉義浩・仙石知子/著『「三国志」の女性たち』(ISBN978-4-634-64051-1、山川出版社)が出版されたという。内容的には仙石先生の論文そのものだそうな。

※関連記事 「三国志」の女性たち(2010年6月)

 明清時代の家族全体がご専門であるため、今回は養子についての報告だという。
 レジュメはA3用紙10枚、A4で20ページで、ところどころ省略できるところは省略するという。以下、その時のノート。

○研究報告 13:00~13:50「毛宗崗本『三国志演義』における養子の表現」


●はじめに
 ※頭に「●」を冠する場合はレジュメから。以下同じ。

 『三国演義』は劉備の建国した蜀漢を正統とする朱子の歴史観の上に物語が展開される。『三国演義』は朱子学の「義」を敷衍する物語であり、通行本となる毛宗崗批評本『三国志演義』(以下、毛宗崗本)は、様々な版本の中でも蜀漢を正統化をより強化したものと言える。関羽は『三国演義』の中で義を表象する人物であり、毛宗崗本は義を敷衍するという物語の特徴を強化するために、関羽の描写い手を入れている。
 本報告では、毛宗崗本が明清時代における同姓養子、異姓養子のあり方に関する社会通念を利用し、関羽、さらに諸葛亮の無謬性をより明らかにしたことを解明することを目的とするものだ。

●一、宗族継承における養子の重要性

 前近代中国では跡継ぎの存在が非常に重視されていた。『孟子』離婁章句に

 不幸有三、無後為大

とされる。跡継ぎはどのように立てるものだったのか。実子が居れば問題ないが、居ない場合、近親から遠縁へといく男子で、その者を立てるのが正統な跡継ぎの立て方だ。それがどのようなものから判るかはレジュメ2ページに挙げた族譜資料などから。族譜を資料として扱う場合、通譜が行われるので、あまり信憑性がないのではないか、と言われる。信憑性が問われる族譜だか、今回は族譜に使用される「凡例」「例言」「宗規」「家訓」の部分を用いる。それらは宗族内の秩序統制を目的に書かれたので、改竄すれば秩序統制に直接的に問題が生じるので、族譜の中でも改竄する可能性が低い。
 実子や同宗内に跡継ぎとなりうる者が居ない場合は、跡継ぎ不在を回避するために、異姓の養子を入れなければならない。異姓の養子を跡継ぎにすることは、歴代の律でも、また族譜でも禁じられていたが、それはあくまでも建前で実際には行われていた。そのようなことはレジュメ3ページの「(6)理念と実態の乖離」にまとめた(『宋刑統』『元典章』『大明律』)。(レジュメ4ページより)「○異姓養子を入れることで宋を乱すことを禁ずる律と、宗族維持のために実際には行われていたいという実態との乖離を利用した文学表現が、劉封と関平の事例ではないか。」

●二、異姓養子、劉封の不忠

 今回、毛宗崗本の養子表現の検索のために、『李卓吾先生批評三国志』(以下、李卓吾本)との比較を行った。李卓吾本との比較をする理由は、毛宗崗本の底本が李卓吾本であるため、両者を比較することにより毛宗崗本の改筆箇所が判るため。李卓吾本第一回「祭天地桃園結義 劉玄徳斬寇立功」に曹操が登場する場面があるが、その場面では毛宗崗本が異姓養子に対し、どのような考えかがわかる。

李卓吾本:過房与曹騰為子、因此姓曹。嵩為人忠厚純雅、

毛宗崗本:故冒姓曹。
    :【曹操世系如此、豈得与靖王後裔・景帝玄孫、同日論哉。】
 ※毛宗崗の評の部分にレジュメでは【】を使われている。以下同じ。

 共に曹操が異姓養子で曹嵩の子であることを書いている。しかし毛宗崗本は曹操を批判するために異姓養子をその材料に使っている。毛宗崗本は曹操と劉備とを比較して生まれが違うと主張する。

毛宗崗本・第一回の総評
 百忙中忽入劉曹二小傳。一則自幼便大、一則自幼便奸。一則中山靖王之後、一則中常侍之養孫。低昂已判矣。

 この中でも二人は生まれの違いが強調される。このように曹操が異姓養子のためけなされ、劉備は生まれが良いとされる。
 ところがそんな劉備は寇封を養子に迎えることになる。

・李卓吾本第三十六回「徐庶定計取樊城 徐庶走薦諸葛亮」
傍線部(1):人品壮觀聲音淸喨。
傍線部(1):精熟武藝、
傍線部(1):倚傍学業。
傍線部(2):過房為嗣。
波線部:兄長既有子、何必用螟蛉。
傍線部(3):為子、
傍線部(3):為父、

・毛宗崗本第三十六回「劉備用計襲樊城 元直走馬薦諸葛」
傍線部(1):器宇軒昂。
傍線部(1):愛之、
傍線部(2):嗣為義子。
波線部:兄長既有子、何必用螟蛉。後必生亂。
傍線部(4):【雲長収関平為子、而独不欲玄徳収寇封者、臣之子無争立之嫌、君之子則有争立之嫌故也。】
傍線部(3):如子、
傍線部(3):如父、
傍線部(5):【為後孟達説劉封伏線。】

 傍線部(1)から李卓吾本は三箇所にわたり劉封の人柄が優れていることをのべており、劉備はそんな劉封の優れた人柄を知って養子にした。毛宗崗本ではただ立派な容貌だったのでと書いており、武芸や学業に優れているという描写を削除している。そして毛宗崗本では劉備は傍線部(1)これを愛し、傍線部(2)養子にしたと叙述されている。毛宗崗本は李卓吾本に比べ劉封の人となりを貶めていることが判る。毛宗崗本の「愛」は単に気に入ったという意味ではなく、昭穆の順位に従うことなく、継嗣となるべき人格者だと思われる者を選び、継嗣にすることを、明清時代、「愛継」と呼んでいた。「愛継」に対し実子あるいは昭穆相当者を継嗣にすることを「応継」といった。
 『族譜』の中には

・『毘陵薛墅呉氏族譜』巻二 新増規條、江蘇武進、合二十三、民国二十二年(1933年)
其有愛繼外姓抱養血嬰、冒充己子者、須各房分長及族中公正之人、合辭呈明。

とあり、異姓の子を愛継とすることで己の子を冒す危険性があることを指摘するものだ。劉備が劉封を「愛」したという表現は、そのような明清社会における異姓養子のあり方が反映したものと考えられる。ただし毛宗崗本では劉封の人柄が優れた描写が削られているため、劉備の養子の入れ方が決して正当な愛継とは言えない。そのため関羽が怒るのは当然だ、と読める。
 関羽の怒り方は李卓吾本も毛宗崗本も同じだ。しかし毛宗崗本が劉封の立場を変えることにより関羽の正しさを表現している。李卓吾本は劉封を「過房して嗣と為」しており、「過房」とは家を嗣がせるために養子を入れる行為を指し、劉禅がいながら、継承権を持つ養子として迎え入れている。関羽が後継者問題を引き起こすとして反対するのは当然であるといえる。これに対し毛宗崗本は愛継として「嗣」がせて「義子」とした、としている。毛宗崗本がここに「子」という字を使っているのは、劉封を継承権のある子として劉備が養子に迎えたことを表す。しかし、毛宗崗本は愛継の資格の武芸などの記述を削っているため、劉備の行為は愛継として相応しくない。そのため、関羽がそれに反対したことがより正しく書かれている。
 これに対し劉備の返答も李卓吾本と毛宗崗本とでは書き替えられている。李卓吾本は「為子」「為父」としているのに対し、毛宗崗本では「如子」「如父」と書き替えられている。これは禍がおこらないという劉備の言い訳を表現したものではないか、と思われる。
 これに対し毛宗崗本は評を付けている。臣下の子と違い、君主の子は後継者争いが起こる可能性があるからとする。関羽が劉封を「義子」とすることを批判するのは、君主である劉備の養子であるためである。それにより毛宗崗本は関羽の先見の明、および関羽が正論を言うことの正しさを讃えようとしている。これは関羽を見捨てる劉封を批判するための伏線である。

・李卓吾本第七十六回「関雲長大戦徐晃 関雲長夜走麦城」
傍線部(1):彼以公為草芥耳。
傍線部(2):彼勃然曰、立嫡不立庶、古之常理。又何必問于我乎。封乃螟蛉之子、
点線部:免遺禍于親骨肉也。

・毛宗崗本第七十六回「徐公明大戦沔水 関雲長敗走麦城」
傍線部(1):恐關公未必以將軍為姪也。
傍線部(2):關公以將軍乃螟蛉之子、不可僭立、
点線部(3):何今日猶沾沾以叔姪之義、而欲冒險輕動乎。

 李卓吾本は、関羽が劉封を「草芥」だと言っていると孟達に伝えさせ、劉封が関羽を見捨てたことは仕方がない、という弁護をしている。これに対し、毛宗崗本は「草芥」を「姪」に書き換えて、劉封が「姪」でありながら裏切ったことを断罪する伏線とする。さらに毛宗崗本では点線部(3)のように、劉封が「叔姪の義」に背いたことを強調し、「義」絶の関羽を見捨てたことを「義」を棄てた行為と表現する。
 李卓吾本では、関羽が「嫡子を立て庶子を立てず」と劉備に答えたことを「常理」とし、関羽の主張を一般化している。これに対し、毛宗崗本では、関羽の言葉として「僭立」を批判している。関羽が自分の言葉で、異姓養子を立てることを批判し、異姓養子に対する考えを主体的に表現しているといえる。

・李卓吾本第七十九回「曹子建七歩成章 漢中王怒殺劉封」
波線部:不忠不孝之人
傍線部(2):孔明附耳低言曰、此子極其剛強。今不除之、後必生禍於子孫也。
傍線部(1):吾兒雖然剛強、有此忠義之心也。
傍線部(2):孔明曰、欲嗣主久遠之計、殺之何足惜也。作事業者、豈可生兒女之情耶。
傍線部(1):孤不忍今日廢忠義之人也。
傍線部(3):劉封臨刑、但云悔不聽孟子度之言、果有此危矣。
傍線部(4):孤兒至九泉之下、必痛恨於孤矣。

・毛宗崗本第七十九回「兄逼弟曹植賦詩 姪陷叔劉封伏法」
波線部:不忠不孝之人
傍線部(1):〔削除〕
傍線部(2):〔削除〕
傍線部(3):〔削除〕
傍線部(4):〔削除〕

 李卓吾本では処刑をすすめたのが諸葛亮であるかのように書かれ、諸葛亮が非常に悪く書かれていることがわかる。両本の違いはレジュメ11ページにまとめた。
 李卓吾本では、劉封が「剛強」であることを認めながらも、「忠義の心」があることを劉備が主張していることがわかる。これに対し、毛宗崗本は、李卓吾本の劉備が劉封を「忠義」とする部分をすべて削除する。劉封の発言である「不忠不孝之人」は継承しながらも、劉備がそれを認めないことにより、異姓養子劉封の「忠義」は否定される。
 李卓吾本では、諸葛亮は、将来に禍根を残さないためにも処刑せよと主張し、処刑の後に劉備が劉封の「忠義の心」を惜しむことに対して、「兒女の情」を起こすべきではないと説いている。これに対し、毛宗崗本は、李卓吾本にあった諸葛亮が処刑を勧めたことと、諸葛亮が劉封を惜しむ劉備の情を「兒女の情」と貶める記述を削除し、諸葛亮・劉備を尊重する「抑曹尊劉」という『三国演義』の基本的なスタンスを明確にする。
 李卓吾本にある、劉封が死に臨んで、孟達の言葉を聞かなかったことを悔やむ『三国志』巻四十蜀書劉封伝

封既至、先主責封之侵陵達、又不救羽。諸葛亮慮封剛猛、易世之後終難制御、勸先主因此除之。於是賜封死、使自裁。封歎曰:「恨不用孟子度之言!」先主為之流涕。

では明確ではない、劉封の最期の言葉と劉備の泣き言を結びつけ、劉封が孟達の言に従わず、背かなかったことに劉備が思いをよせて泣いたことが明らかにされる。これに対し毛宗崗本は、史実に基づく李卓吾本の傍線部(3)を削除し、劉備の泣き言である傍線部(4)をも削除して、泣かない劉備を描いている。また劉備は、劉封の処刑後、泣きはせず、処刑後しばらくは、劉封が、孟達の使者を斬ったことは知らされないことになっているが、李卓吾本では処刑後すぐに劉封に付き従っていた兵士に尋ね知ることになっている。毛宗崗本は、処刑後しばらくして、使者を斬ったことを聞いて後悔したことにすることで、劉備の仁徳に傷をつけないようにしている。なお、諸葛亮が、劉封の殺害を主張した、李卓吾本にあって毛宗崗本にない箇所も史実に基づいているが、毛宗崗本は劉備が劉封を殺害した理由から除外している。
 第七十六回の李卓吾本と毛宗崗本との総評の比較から、李卓吾本は、劉封は関羽を救えなかったものの、その情には許すべきものがあるとする。これに対し、毛宗崗本は、劉備の養子である劉封を許すことはできないと厳しく断罪している。

・李卓吾本第七十九回総評
 諸葛亮真狗彘、真奴才也、真千万世之罪人也。

 第七十九回の李卓吾本と毛宗崗本との総評の比較から、李卓吾本は、劉封の忠義を褒めそれを知りながらあえて劉封を殺した諸葛亮を烈しく批判している。これに対し毛宗崗本は、劉封を全面的に否定することは避けながらも、劉封を忠義とする李卓吾本の評をとらず、劉備の三失をあげて、劉備が悔やんでいるのは、忠義の人劉封を失ったからではなく、三失のためであるとする。異姓養子の劉封を失ったことだけが、劉備の嘆きではないと劉封の重要性を否定する。
 異姓養子は実際には行われていたが、それが悪事であるとの社会通念も存在した。とくに後継者問題が起こるような家の場合は、なおさらその弊害は高まる。毛宗崗本において関羽が、劉封を劉備の異姓養子に迎えることに反対した理由は、そのような異姓養子の実態に則して正論を述べているからである。そのような社会通念を基に、毛宗崗本では異姓養子劉封の忠義を封印したのだと思われる。

●三、同姓養子、関平の義

・李卓吾本第二十八回「雲長擂鼓斬蔡陽 劉玄徳古城聚義」
傍線部(1):答曰、長男關寧、学讀書。次男關平、学武藝。
傍線部(1):雲長曰、此人與弟同姓、欲令次子跟弟同去。
傍線部(2):玄徳曰、既長者有心令子跟雲長、吾弟又無子嗣。某願求令嗣與雲長、為嗣若何。
傍線部(3):關平自此、以雲長為父。
傍線部(4):又添子龍、玄徳歡喜無限、

・毛宗崗本第二十八回「斬蔡陽兄弟釋疑 會古城主臣聚義」
傍線部(1):關公曰、此人與弟同姓、有二子。長子關寧、学文。次子關平、学武。
傍線部(1):【 却用關公代説、妙。 】
傍線部(2):玄徳曰、既蒙長者厚意。吾弟尚未有子、今即以賢郎為子、若何。
傍線部(2):【此従同姓上想出。異姓者既為兄弟、同姓者豈不当為父子耶。】
傍線部(3):便命關平拜關公為父、呼玄徳為伯父。
傍線部(4):關公又得了關平・周倉二人、歡喜無限、

 李卓吾本では、関平が「学武藝」であることを関羽に伝える者は、関平の実父の関定である。関羽が関平を「学武藝」と認めたわけではない。これに対し、毛宗崗本では、関平が「学武」であることを関定ではなく関羽が劉備に伝える。関平を「学武」と認めた者は関羽。関羽が関平を迎えるという主体性が表現されているといえる。
 李卓吾本では、関定に「学武藝」を伝えられても、関羽はすぐに養子にするわけではない。傍線部(1)と傍線部(2)の間に、袁紹のもとから劉備がいかに脱出したのかという話が挟まっている。そして関平を養子にしたことは、あくまでも劉備の意志として書かれる。これに対し、毛宗崗本では、関羽が「学武」と認めたことを関羽の口から聞き、関平を養子とすることを劉備が勧める。劉備が養子にと勧める点では共通するが、関羽の認識を劉備が踏まえて関平の養子を斡旋している。
 李卓吾本では、関平と関羽が父と子になったことを述べるに止まるが、毛宗崗本では、劉備を伯父としたことを加え、義兄弟と養子とのつながりを強調していることがわかる。二人の関係を三人の関係へと発展させていくわけだ。
 詩は両本とも同じであるが、李卓吾本は劉備と関羽との再会を喜ぶだけであることに対し、毛宗崗本は、関羽が関平・周倉を得たことを喜びに加えて、関平を養子としたことを重視することがわかる。

・李卓吾本第七十七回「玉泉山關公顯聖 漢中王痛哭關公」
傍線部:自歸神之後、

・毛宗崗本第七十七回「玉泉山關公顯聖 洛陽城曹操感神」
傍線部:平孤身獨戰、力盡亦被執【読至此又、拍案一叫。】。
傍線部:關公既歿、

 関平が関羽とともに死去する場面は、大きな書き換えはない。李卓吾本には非常に長い詩が書かれていて、毛宗崗本にはそこまで長い詩が入れられてないという違いがある。ここで毛宗崗本は、関羽を讃えることに急で、関平まで筆力が及ばなかったと思われる。もちろん、関平の死にも評を入れるように、関平の義を讃えるスタンスに変化はない。毛宗崗本の第七十七回の総評では

其神霊則不独相随之人附之而霊。其所用之物、亦与之而倶霊。平也、倉也、馬也、刀也、巾袍也。皆宜与雲長垂不朽者也。

と述べ、関平にきちんと言及していることがわかる。
 異姓の養子は、将来、帰宗する可能性があった。それは族譜にも規定されている。関平は、同姓養子ではあるが、異宗であるため、実父の関定の死後、兄が死去し子がなければ、帰宗して関定の家を嗣がなければならなかったといえる。それにもかかわらず、関羽の死去に殉じた義は高く評価すべきである。
 毛宗崗本の中で、「義子」が使われるのは、先に掲げた第三十六回の劉封を養子とする場面のほかは、関羽を関平の義子とする第七十四回の二箇所のみである。それに対し李卓吾本は一箇所しかなく、劉封に対し義子とはしてない。
 『大明律』に「其乞養異姓義子、以乱宗族者、杖六十」とあり、義子を養ってもその義子を跡継ぎにするのは禁止されていた。義子は財産の継承権を持たず、祖先祭祀を行い得ない子であるとされるのが通例だった。しかし、族譜によってわかるが実際にはあった。毛宗崗本はそのような現実を反映させ、劉封と関平をともに「義子」として継承権を持つ「嗣」として描いたことになる。
 また二人の「義子」のうち、異姓養子の劉封は、叔父の関羽を救わず、父の劉備により処刑される。これに対し、同姓養子の関平は、武術を学び愛継により養子縁組を行っても不自然でない養子として描かれ、かつ「義子」として立派に養父の関羽に殉死する。つまり、異姓と同姓の二人の「義子」のうち、同姓養子の関平の方がその「義」の名に相応しいものとして描かれる。また劉封と関平を比較した場合、養子適任者として関平の方が優れている。それは養父の関羽と同姓だったから。明清時代には例え異宗であっても同姓であれば養子として迎えられやすかった実態があった。それは族譜からもわかる。明清小説の中には、同姓であったことから養子になりやすかったという実態を背景に、物語が描かれた作品が見られる。一例として(明)凌濛初『初刻拍案驚奇』巻二十一

忝為同姓一発妙了。老夫年已望六尚無子嗣。今遇大恩、無可相報。不是老夫要討便宜、情願認義足下做個養子。

が挙げられる。このように同姓養子は、たとえ血はつながっていないとしても、異姓養子に比べた場合、継嗣としても容認される場合が多い。
 明清時代の社会通念においては、器量が良くて、武芸・学問に優れ、その上、同姓であれば、申し分のない養子として迎え入れることができた。つまり関平は双方を備えた養子だ。しかし、面白いのは関平は史実では関羽の実子だ。実子なのに『三国演義』では実子になっている。関平が養子として描かれるのは、嘉靖本からで(レジュメの脚注によると、井上泰山・大木康・金文京・氷上正・古屋昭弘『花関索伝の研究』(汲古書院1989年)の金文京「I 解説篇」の記述より、元代までは関平を養子とする創作はなされてない、とのこと)、毛宗崗本はそれを改めようとしなかった。
 関平が実子であるよりも養子である方が、関平の行った「義」が強調され、さらにそんな「義」を尽くしてくれた関羽の仁徳も一層、輝いて見えるという効果があったため、毛宗崗本がわざと実子に書き改めようとしなかったのではないか、と考える。
 明清時代には実子よりも義子が孝を尽くす行為の方が評価される社会通念があった。一例として(清)陳鵬年「徐孝女小傳」

且女之孝於継母、尤人情之至。凡人愛我父、亦愛我母。継母者、体前母未尽之志以事我父也、女奉継母如此、其孝豈独父心之豫、亦慰其先母於泉下。

とある。血のつながった実父母に対する孝の実践よりも、血のつながりのない者に対して行われる孝の実践の方が賞讃されるという風潮があったといえる。関平を関羽の実子から養子にすることで、その「義」が強調されたのではないか。
 嘉靖本の段階ですでに養子になっていた関平を、毛宗崗本は史実に沿って書き改めることはせず、かえってそれを利用し、関平の義をより鮮明にした。養子が養父の死去に殉ずることは、実子が父の死去に殉ずるよりも難しく、高く評価されることなのである。

●おわりに
(※レジュメ20ページと同じ。)

 14:12終了。場内拍手

 司会によると、仙石先生は「明清小説に描かれた不再娶」という『東方学』118の論文によって第29回東方学会賞を受賞することが定まっていることで、場内拍手。

・CiNii 論文 - 明清小説に描かれた不再娶
http://ci.nii.ac.jp/naid/40016789191

Q. (せっかく仙台からお越しということで司会からふられ東北大学名誉教授の小川陽一先生より。「(話をふるなら)もう少し早い目におっしゃってほしい」と言ってまず場を涌かし、指導教官らしく小説当時の社会も考察対象にした最先端の発表と持ち上げた上で、「発表が早すぎる」等、講評)

Q. レジュメ20ページに「実子が父の死去に殉ずる」とあるが、これは普通のことなのか。非常に疑問。子どもが父に殉ずるということは血統が絶えるわけで、それは儒教の本質から有り得ないことだ。

A. 先生のおっしゃるとおりだ。確かに実態を裏付ける史料はない。

14:20終了。場内拍手。

 司会より17時半開始の懇親会を18時開始にして20分ずつ押す形にするとアナウンスで、次が14:30からの10分休憩。

 おさっちさんや三口宗さんと、小説の書かれた当時の社会状況を考察対象にするのは意外と最新の研究なんだな、と話していた。あと毛本の評で「為後孟達説劉封伏線」と書かれているところが面白いとか(発表中、気付いたが台湾中央研究院漢籍電子文獻の『三国演義』にはこの評がないのかな)。
 あと、あんちょさんがいろんな人に声を掛けられていて、顔が広いな、って話していて、清岡からは「私なんか目の前に居ても気付かれないぐらいですから」と、朝の出来事を踏まえた自虐ネタを言い放っていた(笑)


※次記事 ノート4:三国志学会 第五回大会

※追記 東方学会平成24年度秋季学術大会(2012年11月10日)

※追記 三国志学会 第八回大会(2013年9月14日土曜日)

※新規関連記事 明清のおみくじと社会 関帝霊籤の全訳(2017年9月発行)

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