※前記事
早稲田大学の入試で『三国志』
※関連記事
大学入試センター試験で三国志関連2012
上記記事にあるように毎年、この時期になると大学入試に三国関連がないか、下記サイトをチェックする。
・大学入試速報2012 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://nyushi.yomiuri.co.jp/
そうすると下記関連記事のように、昨年に引き続き今年も三国関連がある。
※関連記事
立命館大学の入試で『三国志』巻三十魏書東夷伝
※追記
立命館大学の入試で三国志関連2013
・立命館大学 - +R 未来を生みだす人になる。 -
http://www.ritsumei.jp/
まず「文系A(法学部・産業社会学部・国際関係学部・政策科学部・文学部・映像学部・経済学部・経営学部・スポーツ健康科学部)(2月1日実施)」の日本史と世界史だ。
日本史 I 〔1〕の三段落がある文の最後の段落で「239年、小国を連合した邪馬台国の卑弥呼は,中国に使いを送り,「親魏倭王」の称号と銅鏡100面などのさまざまな文物を与えられた。」とあり、ここでいう「239年」は三国魏の年号で言う景初三年だ。この文の「銅鏡100面」に下線が引かれ、それについての問題(e)にて鏡の名称を問う問題がある。この「239年」はどこに掛かっているか不明ながらも、それにしても『三国志』巻三十魏書東夷伝に
景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻、太守劉夏遣吏將送詣京都。其年十二月、詔書報倭女王曰:「制詔親魏倭王卑彌呼:帶方太守劉夏遣使送汝大夫難升米・次使都巿牛利奉汝所獻男生口四人、女生口六人・班布二匹二丈、以到。汝所在踰遠、乃遣使貢獻、是汝之忠孝、我甚哀汝。今以汝為親魏倭王、假金印紫綬、裝封付帶方太守假授汝。其綏撫種人、勉為孝順。汝來使難升米・牛利渉遠、道路勤勞、今以難升米為率善中郎將、牛利為率善校尉、假銀印青綬、引見勞賜遣還。今以絳地交龍錦五匹・絳地縐粟罽十張・蒨絳五十匹・紺青五十匹、答汝所獻貢直。又特賜汝紺地句文錦三匹・細班華罽五張・白絹五十匹・金八兩・五尺刀二口・銅鏡百枚・真珠・鉛丹各五十斤、皆裝封付難升米・牛利還到録受。悉可以示汝國中人、使知國家哀汝、故鄭重賜汝好物也。」
正治元年、太守弓遵遣建中校尉梯雋等奉詔書印綬詣倭國、拜假倭王、并齎詔賜金・帛・錦罽・刀・鏡・采物、倭王因使上表答謝恩詔。
とあるのだから、素直に「238年」(景初二年)にすれば良いのに(ちなみに正治元年は240年)。私がここらへんの事情を余り詳しくないからそう感じるんだろうが、史書の記述を無視し、変な史観をこんな大事な入試に紛れ込ませているようで愉快ではない。
※参照記事
第2回三国志学会大会ノート6
また世界史 Iにて中国の書籍の歴史について述べられた文章が六段落に渡ってあって、その中の五段落目の「太古から前漢武帝までの歴史を紀伝体で記した「太史公書」」という文に下線が引かれそれについての問[5]がある。曰く「『太史公書』は三国時代頃から別の書名で呼ばれるようになった。その書名を記せ。」とのことで答えは『史記』となる。この「三国時代頃」の根拠はなんだろうと軽く『三国志』内で検索してみると、『三国志』巻十三魏書王粛伝に
帝又問:「司馬遷以受刑之故、内懷隱切、著史記非貶孝武、令人切齒。」
とあり、ここらへんから来ているのだろうか。
「文系A(法学部・産業社会学部・国際関係学部・政策科学部・文学部・映像学部・経済学部・経営学部・スポーツ健康科学部)・理系A(理工学部・情報理工学部・生命科学部)・薬学A(薬学部)(2月2日実施)」の日本史 I(c)の問題文が「古墳出現期ころの日本列島の社会をあらわしていると考えられる中国の歴史書に『魏志』倭人伝がある。編者の陳寿は中国のどの王朝の人か。」とあり後漢、魏、晋、北魏の四択だ。答えは「晋」だけど、テレビ局が「魏」と誤ることがあるぐらいだからここらへんある意味引っ掛け問題なんだろうか。
※参照記事
『たかじんのそこまで言って委員会』で「邪馬台国」(2009年7月19日)
それにしても、やはり日本史分野は伝統的に『三国志』巻三十魏書東夷伝を「『魏志』倭人伝」と表記するようだね。
※次回
関西学院大学の入試で三国志関連2012
※追記
十大三国志ニュース2012 後編
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