※関連記事
邪馬台国と倭国 古代日本と東アジア(2011年9月6日)
上記関連記事に続き、邪馬台国関連になってしまうが、時間が迫っているのでめげずに紹介。
・チャンネルトップページ|旅チャンネル
http://www.tabichan.jp/
・照英にっぽん一人旅#8 - 照英にっぽん一人旅 - 紀行|旅チャンネル
http://www.tabichan.jp/travelogue/syoei/8
上記テレビ局サイトの上記番組ページにあるように、CS局の旅チャンネルにて近日では2011年10月27日7:30-8:00、18:30-19:00に番組『照英にっぽん一人旅』の第8回「邪馬台国伝説の地で歴史ロマン~伊都国~」が放送されると言う。上記ページを見る限り、普通の旅番組っぽいんで歴史要素は少ないのかな。
上記番組ページから下記へ内容紹介文を引用する。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
かつて伊都国は魏志倭人伝にでており、「魏の使者が朝鮮の帯方郡を出発して、対馬、壱岐、末慮、伊都に至り常に留まり、奴・不弥・投馬の国々を経て邪馬台国に到着する」と記述されていたことや女王国の説ともあいまって伊都国の邪馬台国説が出来上がったという話しも・・・そんな歴史ロマンあふれる福岡を訪ね歩きます。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ここでいう魏志倭人伝は『三国志』巻三十魏書東夷伝倭人条のことでなぜか日本史ではこう呼ぶ慣習があるようだ。引用部分は省略しまくっていてうまく対応がきかないが、恐らく下記部分だ。
・『三国志』巻三十魏書東夷伝
倭人在帶方東南大海之中、依山島為國邑。舊百餘國、漢時有朝見者、今使譯所通三十國。從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里、始度一海、千餘里至對馬國。其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。所居絶島、方可四百餘里、土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。有千餘戸、無良田、食海物自活、乖船南北市糴。又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國、官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里、多竹木叢林、有三千許家、差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。又渡一海、千餘里至末盧國、有四千餘戸、濱山海居、草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈沒取之。東南陸行五百里、到伊都國、官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。有千餘戸、世有王、皆統屬女王國、郡使往來常所駐。東南至奴國百里、官曰兕馬觚、副曰卑奴母離、有二萬餘戸。東行至不彌國百里、官曰多模、副曰卑奴母離、有千餘家。南至投馬國、水行二十日、官曰彌彌、副曰彌彌那利、可五萬餘戸。南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。
※関連記事
魏志倭人伝の考古学 邪馬台国への道(2009年4月)
ちなみにテレビ番組での邪馬台国関連は最近では下記のようなのがあった。
※関連記事
“邪馬台国”を掘る(NHKスペシャル2011年1月23日)
NHK『クローズアップ現代』で邪馬台国(2009年11月16日)
『たかじんのそこまで言って委員会』で「邪馬台国」(2009年7月19日)
日立 世界ふしぎ発見!(第1078回、2008年11月22日)
※追記
歴史秘話ヒストリア 第88回(2011年10月26日)
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