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2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感3


  • 2005年8月28日(日) 20:59 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,090
教育機関 ・2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感2からの続き
http://cte.main.jp/newsch/article.php/153


○討論会
司会 渡邉義浩(大東文化大学教授)
東京大学三国志研究会・早稲田大学三国志研究会・学習院大学三国志研究会など。

 昼休みの食堂が混んでいたせいで、我々は20分遅れで会場入りする。当たり前だけど、すでに討論会は始まっていた。
 討論会というから、てっきり各大学の三国志研究会同士が何か三国志にまつわることを討論すると思いこんでいたが、どうやら違うようだ。午前の基調報告ならびに報告に関する質問を各大学の三国志研究会が用意していて、それを順次、報告者に質問していくって形式。
※あとで人伝えで聞いたんだけど、どうもコメンテーターがあらかじめレジュメを見て質問を用意していたようで、その質問内容は発表者側にはあらかじめ報せているようなことはなかったようだ。
 我々が到着していたときは早稲田大学三国志研究会の質問がすでに行われていた。
※質問と回答が1対1という単純なものではなかった(そこらへんが討論?)のと私の聞くテンションが下がっていたので、以下、ほとんどメモ書きになっている。さらに聞き間違え・聞き逃しが多数あると思われるのでご注意を。




▽早稲田大学三国志研究会の質問
・早稲田大学三国志研究会のサイト
http://www.jggj.net/3594

◎三国志はいつ頃、日本へ伝わったか(三国演義の方とのこと)。
(金先生)はっきりとは言えないと思うが三国演義の方は、嘉靖本。朝鮮に入ったのが(嘉靖本ができてから)数十年後だからそれと時をあまり隔てずに同じくして入ったのでは。

◎(日本文学か何かの論文で)太平記と三国演義がかなり似てるという表記。同じぐらいの時期(つまり三国演義ができてからすぐ)に日本入ってきた?
(金先生)三国志平話なども伝わった可能性もある。それより前の平家物語で似ている部分があるって話。能で三国志平話と似ている部分がある。

◎史書にみられる「虎豹騎」と「虎騎」の表記の違いと蜀の虎騎監について
(石井先生)「虎賁」(九錫の一つ?)という言葉から説明。
※このとき、渡邉先生が黒板に「虎賁(こほん)」と「九錫(きゅうせき)」とルビ付きで書いていた。以降もたびたび黒板で用語を書いてくれる。

・下記ブログ「げんりゅうの欣喜雀躍」の2005年8月2日の記事を参考にすると、ここは、げんりゅうさんの質問だったようだ。
http://blog.livedoor.jp/genryu_nori/
(※8月29日追記。上のようなことを書いてトラックバック送信したら、げんりゅうさんが上記ブログ、8月29日付けの記事でさらに詳しいことを書いていただく。質問の動機や上の論文の詳しい情報等ある)

◎三国演義における他の通俗小説からの影響で面白い話は何かないか。
(中川先生)ぱっと思い浮かぶのはないが、花関索伝が三国演義(毛宗崗本?)に取り込まれた過程。あと先生が発見したもので資治通鑑の話が三国演義に取り込まれているって話(嘉靖本にはない)。南京あたりで出版された三国演義では資治通鑑の話、特に呉に関する話が取り込まれている。そもそも三国演義より早い長編の白話小説がぱっと思い浮かばないので影響も思い浮かばない。
(金先生)(逆に)三国演義のストーリーが取り込まれることはたくさんある。呂布が劉備をののしる話。花関索の名前がみえるとか。


▽学習院大学三国志研究会の質問

◎曹操の歩戦令(軍令)と魏の兵戸制(軍制)との関係について。軍制が厳しい軍令を可能にしたのか、厳しい軍令を実行化させるために軍制をつくったか。
(石井先生)兵戸制の簡単な説明から。後漢末から南北朝時代の初期ごろまで兵戸という特別な戸籍をつくった(ある一定の兵士を出すための戸籍)。曹操の兵戸制のきっかけの話とか流民や黄巾賊(青州兵)を取り込んだ話とか。

◎青州兵と軍令とのギャップ。青州兵に略奪が多いことから、それらの兵に軍令が適応されていたのか疑問
(石井先生)今の話は先生の著作「曹操」にも書いている。曹操のエピソードから説明。曹操は青州兵を特別扱いしていた?(降伏したんじゃなく協力関係?) 中世の時代区分の話(領主とか私兵とか豪族とか)。このその他の国の中世(鎌倉幕府を例に)と同じでいいのか。

※ここで司会の渡邉先生から注釈。豪族(≠領主)と中世の捉え方で石井先生と渡邉先生は少数派。基本的な京都大学系の話を紹介(豪族=領主)。それから曹操と青州兵の関係の説の紹介

◎武将の軍事能力の位置づけ。合戦の実際のところ(チャンチャンバラバラじゃない?)。
(石井先生)曹操の武将たちへの事細かな指令の話。

◎陣形のこととか、バトル(千人規模ぐらい?)のこと。バトルの実状は?
(石井先生)バトルレベルだとあまりわからない。

◎最後に俗な質問。諸葛亮について。軍事的に優れていないと言われる風潮がありますがが、私はそれに疑問を持っていますが、石井先生はどのようにお考えですか?
(石井先生)おっしゃるとおりだと思います。名将というか

◎中国には政治的な側面がある。日本では政治的な側面がないのはなぜ
(金先生)簡単にいうと、軍事的に日本はほとんど中国と関係を持っていない。日本は中国の政治システムに入ってないから(三国志は中国の政治的背景があることと関係)。

◎日本では三国演義と水滸伝がともにはいってきたが、韓国ではどうか
(金先生)日本と同じ。需要の仕方に違いはあるが。共通点は多い。


▽東京大学三国志研究会の質問
・東京大学三国志研究会のサイト
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/2832/
※この顛末は近日中に上記サイトの日記でアップされるとのこと

◎三国志をどういった経緯で研究しているのか
(金先生)三国志を研究しようと思ったことはない(場内わく)。大学二年のときの花関索伝発見で花関索伝に興味を持ち、花関索伝の研究から入った。戯曲の研究家。
(石井先生)三国志の専門家ではない。六朝史など。
(中川先生)小川先生の影響。授業で詩経の話なのにいつのまにか三国志の話になっていた。修士のときに花関索伝の研究会があった。そのとき、金先生のところへおしかけた(場内わく)。
(和田先生)研究家ではなく一ファンとしてしかお答えできない。サイトで日々、一つ一つ積み重ねていく過程が「三国志」だと。
(渡邉先生)科学者希望だったが高二のときに読んだ小説の三国志がきっかけ。大学のはじめ三国志を研究したい、って人は結構、多いが、みんな止めていった。当時(※今もか?)は「(研究対象に)三国志、何いってんの?」っていう風潮が普通だったとのこと。先生はそのままやってしまった。本を書くと儲かるのは(中国史の分野の中で)三国志だけ(場内、笑)。他の分野は本を書けば書くほど貧乏になる。
※司会に質問するのはルール違反だそうな。
(中林先生)子どものときから漢語読み(三国志も読んだ)。出版社と話していて、気付いたことに、三国志関係の出版は当時、関西の先生ばかりだったとのこと。それで「癪」と感じたとのこと(場内、笑)。曰く「一番、儲かるところをなぜ関西にとられないといけないんだ」(場内、爆笑)。その後、関西じゃない先生方に三国志関連の本を書いてもらったとのこと。やっと三国志関係を関東に持ってきたって話。その流れで今回のシンポジウムがあるってことだそうな(場内、笑いっぱなし。金先生から「私は関西」とツッコミがあったような…)。今後、この世界は若い渡邉先生中心に関東で進んでいく、ってことで締め。

◎三国志平話は庶民、三国志は知識層、演義はどういった層に読まれていた?
(中川先生)読者は誰か?はかなり難しいとのこと。本ですから、字を読める層。そうなると上層部?教養人? 小説は卑下されていたが机の下で実はいろんな人が読んでいた? 三国演義と教養人のエピソードを紹介(教養人が三国演義を読んでいることを知られ恥ずかしい思いをしたという)。

◎<延々と質問者の発表になっている質問> 日本における文化資源としての三国志? コミュニケーションツールとしての三国志?
(和田先生)あまり深く考えたことがない(※この質問だと質問の意図がわからないのは当たり前のような…)
(金先生)金先生のスーパー歌舞伎の話。「劉備が女で関羽と恋仲になる」っていう一作目の話。
http://cte.main.jp/sunshi/off/repo10.htm
主演の市川猿之助さんが先生の本をヒントにこの脚本を書いたとのこと。劉備が女性って考え方は中国で昔からあったとのこと(例えば三国演義で劉備だけがそれを暗示する双刀を持っている)。スーパー歌舞伎に協力している中国の雑伎団がこのストーリーに断固反対したが、タイトルに「新」をつけて「新三国志」ってタイトルにしてどうにか折り合いをつけた、とのこと。中国人にとって「三国志」というのは決まっている(三国演義は許容範囲のフィクションが入っている)。日本ではそういうのはありえる。韓国はその真ん中ぐらい。

◎鼓吹曲の話。蜀のが残ってないのは、漢から引き継いだので元々、なかったのでは?って質問。三国平話や三国演義に鼓吹曲の影響はあるのか?
(金先生)それだと蜀は同時代史的なものを作らなかったことになるが、それはそれで面白い。

◎蜀が史官を置かなかったと陳寿は書いているが、これは陳寿が私怨で悪く書いているから、実際は史官は居た?
(金先生)(史官がいたいないに関わらず)常識的に考えて、誰かが歴史(記録)を残したのは当然あったと思っている(今は記録にない)。呉はすんなり降伏したのに対し、蜀は征服された後に反乱が起こり成都が大混乱となるので史料が散逸したのでは。

※ここで、見に来ていた国士舘大学の津田先生に話がふられる。
(津田先生)諸葛亮のときに史官があったかなかったっていうのは本当にわからない。その後に置かれた可能性もある。史官はなにか?って問題にもかかわってくる。歴史編纂官? 天文官? あと、蜀は後漢の制度をそのまま引き継いでいるんで国史編纂をやっていた可能性はあると思う。
※ここで津田先生からの質問
◎漢の鼓吹曲は○○と□□(※ききとれず)の両方ともある?
(金先生)カンジョにあるだけだと思う。

※リンク追記。
・Re:蜀の史官の存在について   (※「三国志ファンのためのサポート掲示板」内ツリー)
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=one&no=3171

◎六朝期を経て兵書が消えていった理由、豪傑たちが重視されなかったこと、兵法が学問として成立しなかった理由等
(石井先生)バトルはよくわからなかったが、ストラティジーはよくわかる。曹操の兵書は実際の話よりは理論的な話になっている。バトルは職人技→中国では職人の地位は低い。理論をくみたてるのは尊重されるが実践する人は尊重されない。文官が優勢になる。
(金先生)三国時代までは文武のバランスがとれている。六朝期を経た後は圧倒的に文治社会。その理由は難しい。武という文化(武人文化)が消えてしまったわけではなく低層で受け継がれていたのではないか。近代以前の最も大きな組織は官僚組織と軍人組織。(話変わって)芸能というのは軍事と表裏一体。軍隊の中に芸人がいる話。


▽大東文化大学三国志研究会の質問
※残り1分で出番が回ってくる。

◎新三国志の話(劉備が女)と「登場人物があたかも韓国人」というレジュメの記述をふまえ、日本での三国志物語と韓国での三国志物語の中でキャラクターに大きな違いがあって面白いってものを紹介して欲しい。
(金先生)趙雲を題材にしたある小説の話。三国志とは違う話になっている。アドリブ的にかかれた箇所(兵士の会話部分とか)が韓国になっている。

○渡邉先生による討論会、閉会の挨拶。
なかなか難しい質問が多かった。

○中林先生による「三国志シンポジウム」閉会の挨拶
※ここでの冒頭で、先の文武の質疑応答の注釈が少し入る。なぜ文が強くなってきたかは儒教社会の成立が関連。
来年再来年とこういったシンポジウムを開きたいがそれは予算次第ということ(場内、笑)


 というわけで満場拍手で終了。
 振り返ってみるとかなり満足なシンポジウムだった。

・三国志シンポジウムの感想・コメント等は下記のリンク先で
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr&tree=1871


 個人的なことだけどこの後、ネットの知り合いとでプチオフ会を開くのでした。
http://cte.main.jp/sunshi/w/w050801.html

 さらに2005年9月3日にオフ会をやろうという話が派生した。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/151

<次回>2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感1
http://cte.main.jp/newsch/article.php/374

※追記 メモ:コミックマーケット82 3日目(2012年8月12日)

※追記 スーパー歌舞伎 新・三国志 三部作(衛星劇場2016年2月6日13日20日)

※新規関連記事 ユリイカ2019年6月号 特集=「三国志」の世界(2019年5月27日発売)

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  • 2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感3
  • 投稿者:ゲソ  2005年8月29日(月) 09:44 JST
なかなか面白い内容の話が繰り広げられていたようですね。
蜀の史官の話や青州兵の契約関係の話はもっと突っ込んだ話を聞いてみたいと思いますね。しかし、陳寿が私怨を持っていた云々の箇所ですが、その時は特に指摘は入らなかったのでしょうかね。そこを既成の前提として進めるのもどうかと思ったりも。

 軍事的に優れていないと言われる風潮
これも興味深いですね。この一連の反動についてだけでも一冊本が書けそうな位興味深いテーマではないかと感じます。石井先生の「おっしゃるとおり」というのは「その風潮に対して疑問だ」という部分にかかっているのでしょうか?
  • 2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感3
  • 投稿者:清岡美津夫  2005年8月29日(月) 12:01 JST
コメント、どうもありがとうございます。
陳寿の私怨のところ(質問の前提部分)は、私のメモがかなり端折ってありました(汗)
三国志蜀書で陳寿が蜀に史官がないという記述
→一方、それに対し陳寿が私怨を抱いているので嘘を書いているという記述がある(※どこの史書の記述か言ってたんですけど、清岡が失念)
→こういったことがあるが、実際、蜀に史官はいたのか?
というような流れだったように記憶してます。
史官がいるいないに重点がおかれ、私怨云々は特に触れてなかったように思えます。
というか、他の方(シンポに行った方)のフォロー待ちにしておきます。
青州兵のところは石井先生の「曹操」を読んでからきくとまた印象がちがってきたでしょうね。
もっとはっきり理解できたと思います(私は未読なので・汗)


>軍事的に優れていないと言われる風潮
当時、私は「おっしゃるとおりだと思います」という回答は質問の「その風潮に対して疑問です」にかかっていると思いこんでいたんですが、昨日、レポを書いているときに正直、少々、混乱しました。
多分、「その風潮に対して疑問です」のところだと思います。
ここらへんの話はネットでもたびたび議論されますね。
  • 2005年7月31日「三国志シンポジウム」雑感3
  • 投稿者:清岡美津夫  2005年10月 6日(木) 12:13 JST
10月5日に東大三国志研究会のサイトに三国志シンポジウムの日記がアップされました。

・東京大学三国志研究会のサイト
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/2832/

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