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メモ:「秦漢時代の爵と刑罰」


  • 2009年4月12日(日) 17:29 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    2,912
研究 ※前記事 メモ:「後漢時代における刺史の「行政官化」再考」

 昨年の11月にあった「東洋史研究会大会」(下記参照)でその学会誌である『東洋史研究』のバックナンバーがなんと100円で販売されていた関係で、その日以降、旅に出たり近所の喫茶店に出かけるときには『東洋史研究』を携帯しており、興味有るところを拾い読みしていた。

※参照記事 「魏晋南北朝時代における冠服制度と礼制の変容」ノート

 それで今回、紹介するのは下記の論文(前述したCiNiiに情報があるもののダウンロードはできないようだ)。

宮宅 潔「秦漢時代の爵と刑罰」(『東洋史研究』Vol.58, No.4 (2000/03) pp.641-672 東洋史研究会 ISSN:03869059)


 ここらへんの時代は個人的に興味がやや薄れるところなので、飛ばし気味でメモを残す。

※関連リンク
・東洋史研究会
http://wwwsoc.nii.ac.jp/toyoshi/

 まずはページ数付きで目次から示す。

1 序言─問題の所在と先行研究─
5 一 爵のもつ意味
6 二 肉刑のもつ意味─身分の轉落─
10 三 「勞役刑」にひそむ身分の轉落
11 四 秦の「勞役刑」をめぐって
13 五 鬼薪白粲の位置
19 六 漢代における爵と刑罰
23 結語
24 註


 「序言」では、まず、論者の前報のことから始まる。そこで獄吏が大きな役割を果たし、前漢最初期まではどの身分も裁判から逃れられないことを指摘したという。しかし、前漢文帝紀以降、高級官僚が通常の裁判手続きの埒外に置かれ、それが官秩に基づく裁判制度へ持ち込まれた新たな秩序だと言う。戦国秦から前漢最初期まで刑罰の減免は爵であり、この論文ではそういった爵と刑罰減免の関係への見解が示され、引いては戦国から漢代に至るまでの身分秩序の変遷に触れられるという。その後、先行研究に触れられ、『禮記』曲禮上の「禮不下庶人.刑不上大夫.」という記述を中心に論じられる。ここでの大夫が為政者・有爵者で、庶人が被治者・無爵者であるが、爵位が広く一般人まで行くならば刑罰の持つ抑止力が減少するという疑問が提示されている。これに対し西嶋定生氏は爵が里中の秩序と密接に結びついていたと指摘したという。つまりは、共同飲酒儀禮での席次は爵の上下により決まり、それは日常の身分秩序としても働き、罪を犯し爵が削られることは実生活でも不利益を被る。そのため刑罰は抑止力の減少に繋がらないという。
 こういった西嶋説の「刑不上大夫」から刑罰減免を説明することにまず冨谷氏から疑念が呈され、次に籾山氏から民爵賜与と共同飲酒儀禮を結び爵制による秩序と郷里社会の秩序とを一体のものとする見解に批判が加えられたという。冨谷氏の見解では「刑不上大夫」を秦律中の肉刑回避規定の制度の反映とするという。この論文では、この両氏の説にさらに爵が刑罰適用に際し、有爵者の身分転落を防止するという点を探るという。

 「一」では冒頭ではタイトル通り「爵」の意味について先行研究に触れている。春秋から戦国にかけて庶民の戦闘参加にともない広範囲な層へ爵が賜与されるようになり、段階的に秦の十八等の爵位となったとされる。この現象は宮崎市定氏により「市民権」の拡大と表現され、これに拠るならば、爵とは「市民」の標識となる。その「市民権」を持つことで回避しうる「肉刑」の意味合いを次の「二」で検討される。

 「二」では、まず肉刑が持つ追放刑としての性格が着目される。『周禮』秋官掌戮に「墨者使守門.劓者使守關.宮者使守内.刖者使守囿.髡者使守積.」とあり、ある程度西周から春秋にかけての風景を伝えているという。肉刑は苦痛を与えるよりも被験者を偉業のものとし日常生活と離れた特殊な場へおいやる目的があるという。罪が許されても日常復帰できず、「隠官」として特殊な扱いをうけるが、その具体的な処遇は明らかではない。『史記』卷六十五孫子呉起列傳第五には「臏至、龐涓恐其賢於己、疾之、則以法刑斷其兩足而黥之、欲隱勿見。」とあり、「隠」は「見」の対概念であり、公共の場に出て一般人への接触が制限されるという。『左傳』昭公六年に「誓曰.有犯命者.君子廢.小人降.」とあり同じ「命」に違反した者でも「君子」と「小人」(※身分的な意味)とでは刑罰が異なることが指摘される。ここで有爵者は軽い刑罰に処されるのではなく、無爵者とは違う刑罰に処されると結論付けられる。

 「三」のタイトル通り冒頭で次の説明が入る。肉刑を受けた者は追いやられた場にふさわしい賤役だったが、やがて労役のみの刑罰が形成され(現在で総称する労役刑)、戦国時代では主流になるという。それは苦痛で罪をあがなわせるという面のみではなく、一般社会から隔絶されるという面も認める必要があるという。後半では、これをよく表した例として戦国魯の「労役刑」名、「倡」について論じられる。それは過酷な労働とは言えないが、賤民視されてたことが指摘されており、「不名誉な労役」刑であり身分転落に所以を見ている。

 「四」では秦の「労役刑」に論点が移る。睡虎地秦簡の出土により、秦の「労役刑」に城旦舂、鬼薪白粲、隸臣妾、司寇、候があることが知られた。文献資料上、「隸臣妾」は『漢書』刑法志から現れるため、それまで漢に創設されたと思われていたが、秦代から存在していた点など、研究動向が書かれている。それが秦の「労役刑」が有期・無期をめぐる論に発展したという。無期であるなら対偶において奴隷に等しく、ここにおいても秦の「労役刑」にある身分の降下の面が指摘される。

 「五」では、タイトル通り秦の鬼薪白粲について論じられる。漢の刑罰体系をそのまま当てれば重い順に、城旦舂、鬼薪白粲、隸臣妾になるが、それに疑問が呈される。出土史料や伝世文献史料から鬼薪白粲が検討され、犯罪内容のみでそれに当てられる事例が見られないことが示される。続いて城旦舂、鬼薪白粲、隸臣妾の三つのそれぞれの関係について検討がなされている。その結果、三者の関係が図式化され説明され、罪が重い順に城旦舂、隸臣妾となり、身分が高い順に鬼薪白粲、城旦舂となっている。

 「六」に入り、文帝十三年の肉刑廃止・労役刑の有期化に至って、「労役刑」の身分刑的側面がなくなり、爵の身分転落防止の効力を失うことが指摘される。これより以前、元来は爵を購入することで身分転落の回避が期待できたという。『漢書』卷二十四食貨志上の晁錯の上言により文帝十三年以前のことが窺え、「上造」以上の爵を保有する者に肉刑回避を認め、それ故に「上造の値段」が問われたことが指摘される。文帝十三年以降、買爵を介し国家に金銭・穀物を納め、減免を引き出すという。他方、爵による刑罰減免を裏付けることがあり、「奪爵」をもって刑罰とする事例があるという。漢代では『漢書』景帝紀に見られ、秦代では『史記』巻六秦始皇本紀の嫪毐の乱平定後の記述や呂不韋死去の記述に見られるという。秦代には死刑、肉刑、「労役刑」の他に財産刑があり、爵も財産に含まれていたという。これらを除外した上で、奪爵に減刑措置的側面が見られた最初の例が『史記』巻十八高祖功臣侯者年表にある「(呂后)元年、(劉)信有罪、削爵一級、為關内侯。」であると指摘される。その爵位ほとんどは列侯であると注意が促される。列侯は二十等爵制中の最高位(徹侯)の意味と、「爵二等」(諸侯王、諸侯)の「侯」との二重の意味があり、『独断』では「子弟封為侯者謂之諸侯群臣異姓有功封者謂之徹侯後避武帝諱改曰通侯法律家皆曰」とあると指摘される。「爵二等」は宗室の爵であり、これを持つと宗室の待遇を受けるという。もう一つは僅かな例で「關内侯」以下の爵位により刑罰減免の事例もあり、『漢書』巻七十陳湯伝に、關内侯の陳湯が死刑に処されるところを「奪爵為士伍」になったことが例に挙げられるが、それは皇帝の意志(特別な恩寵)が働いていることに注意が促されている。つまり爵が自動的に刑罰を減免する現象は漢代には見られないと指摘される。文帝十三年で身分刑的要素が消滅して以降、爵が法適応に果たす役割も消滅したという。
(※清岡メモ。『続漢書』百官志の注に引く劉劭『爵制』に「一爵曰公士者…(略)…二爵曰上造…(略)…十八爵為大庶長、十九爵為關内侯、二十爵為列侯」とある)

 「結語」では、文帝十三年の肉刑廃止・「労役刑」有期化は刑罰原理の変化を示す出来事であり、刑罰にある身分刑的要素を無くし、刑罰がある意味、「数量化」されたとまとめられる。一方、爵制において、民爵賜与により一般庶民をも巻き込む身分体系が構築されたが、三国時代になると民爵賜与はほとんど意味を持たなくなるほど変化したという。漢代を通じ爵制的秩序は形骸化され、それに代わり官秩的秩序が次第に重要性を増していったという。


※次記事 メモ:「後漢時代の三公と皇帝権力」

※追記 東アジア人文情報学研究センター(2009年4月)

※追記 第33回 秋の古本まつり(京都古書研究会)

※追記 メモ:「功次による昇進制度の形成」

※追記 『東洋史研究』電子版公開開始(2011年3月10日-)

※追記 秦漢律と文帝の刑法改革の研究(2015年1月30日)

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