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●三国志ジェンガ大会
2008年3月23日11時、山口県の三国志城。
清岡はバルコニーに入って、自己紹介の時と同じ席に座る。そうするとテーブルに何やら木の直方体が幾つか規則正しく積み上げられていた。
これはもしやパーティーゲームで使われる道具で、全体として崩れないように木のブロックを抜いていくやつでは? と思っていて、よく見ると、木のブロックの一つ一つには「JENGA」と書かれてある。
「あぁ、これがジェンガか」と清岡は合点がいく。というのも清岡はずっと「ジェンガ」を「ジェンカ」と勘違いしていて、「どうやって三国志と結びつけるんだ?」と思っていたので(恥)
おかげでそれがジェンガだと認識するまでずっと頭の中では「レッツ! たこやきジェンカ」がエンドレスに流れていた(今、手元の資料を見ると、『たこやきマントマン』のグリーンの声優は今をときめく水田わさびさんだったんだね)
そんな清岡の密かなる動揺とは裏腹に、企画は進行している。
まずノッチさんからルール説明。基本的にはジェンガと同じだけど、ブロックには三国志の人物の姓名が振られており、それぞれ点数が付けられている。参加者が順番にブロックを一つずつ取っていって、この点数の合計点を競うとのこと。
タワーを倒した者が失格となり、所定時間内であれば、積み上げて続行することが可能とのこと。
テーブルにはルールと得点表の書かれた紙が貼ってある。その得点表が面白いので以下に転載。
●その他
呂布 50
董卓 20
貂蝉 10
袁紹 20
谷館長 50
張角 20
華雄 20
顔良 20
文醜 20
何進 5
公孫[王賛] 20
蔡瑁 5
●魏
夏侯惇 20
典韋 30
許[ネ'者] 30
夏侯淵 20
張遼 20
司馬懿 20
徐晃 10
張[合β] 10
曹仁 10
曹丕 5
于禁 10
郭嘉 20
荀[或〃] 20
程昱 10
●呉
周瑜 20
陸遜 10
太史慈 30
孫尚香 5
孫権 20
呂蒙 20
甘寧 10
黄蓋 30
孫策 20
周泰 10
凌統 10
朱然 20
丁奉 10
魯粛 20
●蜀
趙雲 20
関羽 30
張飛 30
諸葛亮 20
馬超 20
黄忠 20
姜維 5
魏延 20
[广龍]統 20
王平 10
周倉 10
馬謖 10
馬岱 10
厳顔 10
何か三国志の人物とは思えないブロックがあって、しかも呂布と得点が同じだというところが笑いどころ。
清岡が参加したグループは、
泊まり組からHiroHiroさんを抜いた八名の面子。
清岡はジェンガ自体初挑戦だったので、それだけでも楽しめたんだけど、よくあるパーティーゲームでみんなは楽しめるのか?なんて思っていたが、意外や意外、どのテーブルでもみんな大盛り上がり。
というのもみんな欲しいブロック(つまり三国志の人物)がそれぞれあって、それがゲームへの想像力を刺激する。
途中で英傑群像岡本さんから追加ルールとして同じ勢力を4個集めると50点プラスされるとのこと。
おぉ、なるほど三国志っぽい。
というわけでプレイ中に写真を撮る。
しかし、二回目でいきなり一番下の層の三つあるブロックのうち真ん中を残して二つも取るだなんて鬼だった。
いつの間にか、三つ並ぶ内の中のブロックを抜くことを「ドドンパ」という呼び名が付けられて居るんだけど(笑)
それでうちのグループから勝ち抜いたのは、はなおさん。我らの期待を背負って、決勝戦へと進む。決勝戦は各グループで勝ち抜いた三人による戦いだ。
他の二人に一条さんが居た(もう一人は名前失念)
決勝戦は特別ルールで、プレイヤーに三国の君主のうち一人に扮してもらい、自勢力のブロック、あるいは「その他」勢力のブロックしか点数が加算されず、それ以外の勢力のブロックをとると逆に点数が減算されるというルールだ。
一条さんは諸葛亮コスなのでそのまま劉備に決定し、はなおさんは曹操になった。
曹操扮するはなおさんだと、魏の人物や「その他」勢力でしか得点にならない。
孫権がほとんど間を置かずすぐブロックを取っており、かなりの強敵っぷりを周りに示していた。
中間発表を聞くと、はなおさんがトップだったが、最終的には孫権の独走状態となった。三位に一条さん、二位にはなおさん。三人に賞状と賞品が授与されこのプログラムは終了となる。ちなみに一位は横山三国志のポスター。
それにしても決勝戦の後半ではタワーの崩れるか崩れないかの緊張が走り、ブロックを取る前は一回一回静寂が訪れ、取った後には一回一回どよめきが起こっていた。三顧会でそんな静かになることなんて初かもしれない。
というわけでお昼休みに突入。
清岡は普段、一日二食であり、食費を一食分浮かす意味も込めて、特に食券は購入しないでいた。そのため、特別企画展示場に行き、そこで待機することとなる。
時間つぶしに、ノートPCを開け、普段通り、UTF-8のテキストファイルに漢文をピックアップして貼り付け、訳していた。確か『後漢書』袁紹伝の初平元年や二年あたり。
寝不足で余計なことを考えられないせいか、妙にはかどっていた。
そういう風にイスの上でくつろいでいると、12:50ぐらいに三顧会について(今回はなぜ三月に開催されたとか)質問をしてくる人が居た。メモを取りつつ尋ねていたのでこの人、何だろう?って思っていたらどうも読売新聞の記者さんとのこと。あまりにも自然な入り方なんで気付かなかった。
それで三顧会にはどういった人が参加するかって話の流れになり、ちょうど清岡がノートPCの画面上に漢文を読んでいたので、流れでなぜかその画面を見せつつ時には『字通』CD-ROM版で漢字を引きつつ説明していた。三国志ファンに対して記者さんに変なイメージを与えてなければ良いが、と懸念していた。
だけど、その後、記者さんはコスプレの皆様の集合写真を撮っていたので、記事としてはそちらが使われるだろうと少し安心する。
後日、ネットには三顧会の記事が挙げられることがなかったので、どんな記事か、あるいは記事が載せられなかったのか確認することができなかった。
過去の三顧会では間近でみた取材状況とその結果としての記事とを比較し随分、楽しませて貰ったので、それを思えば判らないのは残念といえば残念だ。
※参照記事
中国新聞に三顧会の記事
記者とのやりとりをしていると特別企画展示場で周りに人が集まってきており、いよいよ次のプログラムの三国志講演会が始まる空気になっていた。
というわけで、スクリーン前に座る場所を確保し、開始に備える。
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