・ウィキペディア日本語版(Wikipedia日本語版)
http://ja.wikipedia.org/
未だにWikipediaに慣れず、無理して使う必要もないんだけど、ネット上で三国志ジャンルに関わってくるとWikipediaから話題が流れてきて(例えばとある
サポ板のツリー)、自分の趣向に関わらずWikipediaに気を向けることがあるし、逆に自分が慣れているコミュニティからの話題からWikipediaに取り込まれたりすることもある。悪い例だけど、「馬氏の五常」のでっち上げと思われる情報が、
2ch→
サポ板のとあるツリー→Wikipediaの馬良の項目(すでにコメントアウトされている。
変更履歴の2007年7月15日あたり参照)
と流れている。
それぐらい三国志ファンの間ではWikipediaを参考にする、あるいは編集するということが普及しているようで、無視できないコミュニティすらなっている。便利なツール(道具)として扱われることよりも、悪い意味で自己充足の場として扱われることの方が目立ってしまっているのは残念だけど。
そのため以前、
ネット関連のメモを書くにあたり
Wikipediaの三国志の項目を見てくると、「この項目は
三国志 (歴史書)との統合が提案されています。統合に関する議論は
ノート:三国志を参照してください。」ってのと「個別の派生作品などについては
三国志 (曖昧さ回避)をご覧ください。」というのが目に付く。
なるほど、皆で編集しているため、たびたび方針の統一が必要となりその都度、ノートというページで議論がなされるってことか。
ノート:三国志を見るとある種のコミュニティのようになっており、掲示板を見るようで話し合いに参加せずとも興味深く読める。
項目の統合に対し、個人的には(とWikipediaに慣れない私が書くのも世迷い言以外のなにものでもないが)、注意書きとして「自らの著作に歴史書と同名の『三国志』と名付ける場合や商標として「三国志」あるいは「三國志」と登録される場合がある」などと断った上で、歴史書の『三国志』だけの説明をし、歴史書以外の『三国志』は一旦、「
三国志 (曖昧さ回避)」に誘導し、そこから吉川英治/著『三国志』などの各項目へリンクするようにすれば良いのかなと思っている。「三国志 (歴史書)」なんて項目を立てたり「「正史」と「演義」の違い」なんて項目を入れたりするなんて本末転倒というか、元の『三国志』から「三国志」という名前を奪っている行為(同様に『三国演義』)と思えるし(さらに書けば、自らの著作には単に「三国志」と名付けず前や後に何か付ければ、陳寿に対し不遜にならないし、呼称に対し曖昧にならずにすむかと。例えば『
鋼鉄三国志』とか『
三国志豪傑伝』とか)
とは言っても時間は一個人よりかかるが、こうやって複数人で編集の意思統一を図っていくのは面白いシステムだね。
しかし、今、さらっと見ても、「1948年8月~1943年9月」(→正:「1939年8月~1943年09月」?)となっていたり、「SD三国伝 風雲豪傑編」(→正:「SDガンダム三国伝 風雲豪傑編」)となっていたり、
Wikipediaの三国志の項目は未だ発展途上なんだね。
※関連記事
・メモ:三国志関連のネット上地理感覚
http://cte.main.jp/newsch/article.php/747
・メモ:三国志ジャンルとWikipedia
http://cte.main.jp/newsch/article.php/545
・「愈河」で検索すると。
http://cte.main.jp/newsch/article.php/459
<1/14追記>
・枕流亭ブログ
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/
・Wikipediaの歴史系記事を漫画や小説をソースにして書くな!
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20080113/p1
※追記
時代劇特選「三国志」(1995年4月-)
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あれはいったいなんだったのか…。
>>悪い意味で自己充足の場
私見をもっともらしく百科事典として書いてしまう事、
ありますね。下手すると事典ではなくコラムがまじっていたりして。
確信的にやっているのか、それとも天然でやっているのか、
いずれにしても相当に性質が悪いですね。
どっちのタイプも対話が通用しないからなおさら。
>>「正史と演義の違い」
くだんの記述を読みました。あそこで書くような内容なのだろうか? と思うような部分もチラホラ…。
誰かの日頃のグチみたいに見える部分もなきにしもあらず(笑)
未だにブログでサポ板へのリンクが張られたりすることがあるんで、情報元はさぞかし気分が良いと思います。
>>悪い意味で自己充足の場
それをも訂正したり編集方針の提案できるのがwikiの良いところなんでしょうが、安定するまで、もどかしい気がしますね(と第三者の私が書くのもなんですが・汗)
確信と天然は確かにどちらも対話が通用しなさそうですね(汗)
ここらへんは安定するまで時間がかかる主因になっている気がします。
>>「正史と演義の違い」
改めて読むと何だか文化論ぶったような文みたくなってますね。
自身でブログ等を立ち上げて発表しないのはやはりWikipediaの場が目立つんで自尊心が満たされるんでしょうかね