※前の記事
三国志(京都府宇治市)
上記の前の記事にあるように、2014年7月15日20時前に清岡は
USHISUKEさんと共に京阪宇治線に乗り込み、20時ごろに中書島駅で乗り換え、三条京阪駅に行く。そこから210円で京都市営地下鉄で御池駅まで行き、駆け足になるぐらいの丁度良さで乗り換えられ、南下し、四条駅に降り立つ。
下記リンク先にあるように、オフ会「関プチ5 全国ツアー」の「7/15京都 祇園祭宵々山で三国関連山鉾拝観」の目的地、四条烏丸だ。
・7/15京都 祇園祭宵々山で三国関連山鉾拝観|関プチ5 全国ツアー
http://cte.main.jp/kanpetit/20140715/kprof.cgi
※関連記事
関プチ5 全国ツアー:7/15京都 祇園祭宵々山で三国関連山鉾拝観(2014年7月15日)
移動中、USHISUKEさんからの興味深かった話で、京都では欧米人をよく見かけ、中国人は意外と見かけず、USHISUKEさんの見解だと、やはりこれからもどんどん発展する最中にある国は過去を振り返らず、古都には興味がわかないのだろう、とのことだった。
清岡の先導で地下から四条烏丸の交差点の南西の地上へ出る。ちょうど出口が例年通り、祇園祭 宵山総合案内所だったので、例の誤字の訂正されないチラシ「祇園祭宵山・巡行ガイド2014」を貰う。やはり今年も「秦」の字が「泰」と誤っているという安定感だ。
そして初めに訪れる予定の菊水鉾と曹丕の関係が、そのチラシにしか載っていないので、その文をUSHISUKEさんに見せていた。
━引用開始━━━━━━━━━━
9 菊水鉾
◎不老長寿 商売繁盛
室町通四条通上ル菊水鉾町
町内にあった「菊水井戸」にちなんで名付けら
れ、鉾頭には金色の菊花をつける。稚児人形は、
魏の文帝の勅使が薬水を求めて山に入った時に
出会った、菊の露
を飲んで700年
生き続けた少年を
あらわしている。
唐破風造りの屋根
が特徴。
━引用終了━━━━━━━━━━
下記関連記事と本文は変わらないが、御利益が書いてあったり、マイナーチェンジしてあるね。
※関連記事
7月16日 京都祇園祭宵山に菊水鉾
地上に出て、すぐに目にはいるのが函谷鉾(かんこぼこ)だ。名前の通り中国の函谷関由来。ここの粽(ちまき)が人気で、昨年は何とか買えたと、その粽を見せながら列車の中で清岡は言っていた。USHISUKEさんは不思議そうに「そこにコメが入っているんですか?」と聞かれる。そうか普通にちまきというと食べ物と思われるのか、と思いつつ、「玄関に飾る厄よけのようなもの。年に一回、買い換えに行くんですよ」と説明していた。やはり山鉾で人気の違いがあり、長刀鉾の粽が人気ですぐに売り切れ、函谷鉾のも人気なので、昨年は何とか手に入れられたと説明する。
USHISUKEさんはチラシを見つつ、中国関連の山鉾が多いことに感心されていた。函谷鉾の写真を撮りつつ、少し西に歩き、室町通りを北上する。そこは北へ一方通行で、毎年、混雑するポイントだ。その時も混雑していて、その旨をUSHISUKEさんに話していた。
山鉾ごとに異なるメロディーが聞こえてくる。その菊水鉾に近付く。例年通り、そこの粽を買うとチケットが貰え、それで西側の建物から、鉾の上に行け見学できるようになっている。清岡は東側の売場で、昨年の函谷鉾の粽を渡し、当初の予定通り、菊水鉾の粽を購入する。チケットを貰うが、時間がないので、スルーとなる。三年前にここの粽を買おうとしたら売り切れていて鯉山の粽を買ったというエピソードも口にしていたっけ(上記の関連記事参照)。ともかく買えてよかった。
前述の引用部分にある「稚児人形」についてUSHISUKEさんが気になっており、鉾の上を見ながらチラシをチラチラと見ながら、「稚児人形が曹丕なんですか? 鉾の上に居るんですか? どうやって行けるんですか?」と言い始めて、鉾の上を仰いでいた。宵山の期間中、そこに稚児人形はないと口に漏らしつつも、清岡は「売場の人……なるべくバイトっぽくないベテランの人に聞いてみたらどうですか?」と提言する。そしてチラシの文を確認しつつ、ようやく数分後に「その稚児に会ったのが曹丕で、稚児人形は曹丕じゃないですね」とツッコミを入れる。
それでもUSHISUKEさんは菊水鉾のスタッフに聞いていて、どうやら稚児人形は東側の建物の二階に置かれていて、それにはお茶会に参加すれば見れるらしい。そしてその一階部分を物色して、お茶会参加には二千円が要ることを知り、その場を後にした。
次は鯉山だということで、そのまま室町通りを北上する。そうするとまず山伏山に到達するが、山伏山の西側の隘路で急に人の流れが失速する。その隘路を抜けるとその理由がすぐにわかる。東側の二階に山伏山の山伏人形が展示されていて、それを仰いでみんな写真を撮っていたからだ。さっさと先を急ぎましょうと言う意味もあって「あれが渋滞の原因ですね」と右を指す清岡。でも素直に写真を撮っていたUSHISUKEさん(笑)
しかし、そこを越えた先に山鉾特有の提灯による光がまったくない。京都の町中なんで、碁盤の線みたくまっすぐなんで、遠くまで見渡せる。USHISUKEさんが近くの警備員に鯉山の場所を尋ねるに、どうも話が通じない。しばし迷っていたんだけど、つまりは今年は一週間後に「後祭」があって、それに鯉山が回されたため、今(前祭)には鯉山は展示されていないようだった。それを諦めて、孟宗山を目指して歩いているときに気付いた。
東に行き烏丸通りに出る。年に三晩のみの歩行者天国になっていて、露店があるのだがそれより目に付くのが、人で埋め尽くされた光景だった。車と同じで左側通行になっていて、何とか烏丸通りの東側に到達し、人の流れに乗って南下する。それでもかなりゆっくりで、祇園祭宵山らしくなっていた。USHISUKEさんに時間を聞くに8時52分とのこと。終電までの時間はある。
でもある地点(錦小路通り?)を越えると急に人が居なくなる。すいすい動けるようになり、西側にある孟宗山にすっと行ける。しかも烏丸通りという大きな通りにあるせいか、函谷鉾、菊水鉾、山伏山と今まで見てきた中では圧倒的に空いていた。通りに面した建物の門や山の近くに立て看板があって、しばしそれを見ていて、さらにUSHISUKEさんは孟宗人形がない山の上をまじまじと見ていたので、孟宗人形はこちらにありますと西の建物の中へ誘う。
町屋らしく長い奥への道を通ったあと、北側左に孟宗人形、北側右に他の展示と粽の売場になっていた。人形の顔は、上からの幕があってよく見えなかったので、しゃがんで仰ぐように写真をとっていた。
すでに菊水鉾の粽を買っていたので、孟宗山の粽は買うつもりは無かったんだけど、粽で三国揃えるというネタに興味を持ち始める。蜀は下記関連記事にある大津祭の孔明祈水山の粽ってことだ。それをUSHISUKEさんに零しながら、粽を買ってしまう。
※関連記事
大津祭 孔明祈水山(2012年10月6日7日)
家に帰って見てみると、左の菊水鉾の粽はオレンジ、赤、緑とハデな短冊が特徴的で、右の孟宗山の粽は小さな熊手みたいな、綿で表現された雪と平面的な竹の葉から見える立体的な筍のオブジェが付いているものだった。
時間もあることだしあと一つ回ろうと言うことで、清岡の先導でそのまま烏丸通りを南下し、交差点を左に曲がり四条通に入ると、行く先に長刀鉾(なぎなたぼこ)が見える。なぜか清岡は「ちょうとうぼこ」と読んでいたが(汗)
四条通は例年通り歩行者天国になっており、左側一方通行になっていた。USHISUKEさんが見つけ先に言うに、どうやら長刀鉾の粽は売り切れているとのこと。やはり。清岡は、巡行のときに、長刀鉾の刃が御所の方に向かないようにしているという蘊蓄を語っていたっけ。あとUSHISUKEさんがチラシを見て言うに、鉾の屋根に人が乗るのが売りのようだね。
長刀鉾の傍を抜けると、清岡は先導しつつ、地下への入口を探していた。大丸の横、イノダコーヒーのところから地下へ入る。やはり思った通り、祇園祭の時期とはいえども地下は空いていて、四条烏丸の交差点の方向へ引き返し、地下鉄の四条駅を目指す。阪急の東側の改札の近くと西側の改札の近くを続けて通るんだけど、両方とも、USHISUKEさんが地下鉄の四条駅と勘違いされていた。笑いながら「二回も騙された」と。「そのまま大阪に行きますよ」とツッコミを入れる清岡。でも確かに判りづらいわな。
地下鉄の四条駅は混雑が予想されてか臨時の切符売場が設けられていたが、全然活用されていないぐらいの空き具合だった。8時15分発ぐらいの列車で京都駅へ。充分、USHISUKEさんの終電に間に合い、清岡は購入した菊水鉾の粽と孟宗山の粽を掲げ、最後にUSHISUKEさんに撮っていただく。
※追記
趙雲子龍心如雪(博多祇園山笠2015年7月10日-)
※追記
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