Site Calendar

サイトカレンダをスキップ

2024年 07月
«
»
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

NAVI

ログイン

ログイン

新着情報

記事

-

コメント (2日)

-

トラックバック (2日)

-

リンク (2週)

新しいリンクはありません

QRコード

QR code

アンケート

三国志ニュースのレポート系記事

三国志ニュースで書いて欲しいレポート系記事はどれ?

  •  三国志フェス
  •  三国志学会大会
  •  関プチ5全国ツアー
  •  魏晋南北朝史研究会関連
  •  三國夜話
  •  六間道三国志祭
  •  三国志TERAKOYA4
  •  三国志 義兄弟の宴
  •  東アジアの『三国志演義』/ベトナムの『三国志演義』
  •  zip,torrent(トレント),rar,lha,mediafire,pdf,DL(ダウンロード),nyaa等を含む検索語句(違法なフリーライド・無料閲覧関連)、あるいはBD・DVD自作ラベル、カスタムレーベル等を含む検索語句(著作権・肖像権侵害関連)に関する調査・研究

結果
他のアンケートを見る | 79 投票 | 0 コメント

検索結果

次のキーワードについて検索: 検索文字列 ''. 検索結果 2281 - 2310 / 20631 件 (0.1091 秒). 検索条件の修正

2281. 『鋼鉄三国志』第26話(2008年3月26日)
・『鋼鉄三国志』関連商品 http://cte.main.jp/newsch/article.php/613 ・『鋼鉄三国志』関連商品2 http://cte.main.jp/newsch/article.php/701  上記の続き。つまり、『鋼鉄三国志』関連商品3ってことで。  アニメの『鋼鉄三国志』はテレビ東京で2007年4月5日26時15分から第1話(30分番組)が放送したのを皮切りにテレビ大阪、テレビ愛知、テレビせとうち、テレビ北海道、TVQ九州放送と各地方のテレビ局で放送され、CS放送のアニメ専用チャンネルのAT-Xでも放送された。それが全25話で、テレビ東京では2007年9月27日26時15分の話で最終回となった。 ※関連リンク ・鋼鉄三国志 http://www.koutetsu-sangokushi.jp/ ・あにてれ鋼鉄三国志(テレビ東京) http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/koutetsu-sangokushi/ http://www.tv-tokyo.co.jp/contents/koutetsu-sangokushi/index.html ※追記 『鋼鉄三国志』関連情報 ※追記 鋼鉄三国志 歌劇舞台~深紅の魂よみがえりしとき(2008年9月17日) ※追記 鋼鉄三国志(2010年3月4日-4月10日) ※追記 鋼鉄三国志(2010年9月2日-10月8日) ※追記 春陽愛君・劉備(2012年7月26日10月31日) ※追記 みんなで遊ぶ三国志(2013年4月25日正式オープン)  その後、DVDがコナミデジタルエンタテインメントから順次、月一ペースで発売されている。 ・鋼鉄三国志(コナミデジタルエンタテインメント) http://www.konami.jp/visual/koutetsu-sangokushi/  それで上記のコナミデジタルエンタテインメントのサイトの2007年12月21日の更新情報で、DVDの最終巻情報までアップされた(しかしどのメーカーも金曜日更新が流行りなのか?)。  そこで2008年3月26日発売の最終巻となるVol.9のところをみると --引用開始--------------------------------------------------------- ※26話はTV未放映、最終回の後を描いた特別エピソード!! --引用終了--------------------------------------------------------- とのこと。タイトルは「深紅の魂、生ける志士どもを走らす」とのことで。  その他のDVD情報(Vol.6以降)は下記。ちなみにVol.5以前は冒頭のリンク先で。 ●DVD関連 発売:2007年12月26日 鋼鉄三国志 Vol.6 6300円 第15話「憂いし陸遜、孫権の微笑に再起を誓す」 第16話「関羽の咆哮、陸遜を撃ちて覚悟を迫る」 第17話「草庵の再会、師弟の深縁益州に交叉す」 発売:2008年1月28日 鋼鉄三国志 Vol.7 6300円 第18話「桃園の義兄弟、蜀の山野にて絆の花を見る」 第19話「猛き太史慈、中原の大地に仁王立つ」 第20話「呉下の阿蒙、若き智を用いてその身を起こす」 発売:2008年2月27日 鋼鉄三国志 Vol.8 6300円 第21話「江陵の落日、武人の魂を侵奪す」 第22話「劉備乱心、凍てつく陰となりて江東を彷徨う」 ...

2282. まとめメモ:『三國志 Online』『真・三國無双 Online』
MMORPG『三國志 Online』やMMOアクションゲーム『真・三國無双 Online』などのコーエー製品のオンラインゲームについて、私自身、それに投じる資金も時間もないもんだから、自然と興味を失ってしまっている。だけど、東アジアや東南アジアで好評とか話(「その割には株が売られ過ぎている」という論法で出てくるような印象はあるが…)などを聞くとそのチャネル、想定しているターゲット、潜在的なものも含めたセグメントの規模などに興味があり、情報に対し付箋ぐらいは貼っておきたいな、と常々思っていた。まぁ、オンラインゲームの記事を書くとメーカー非公認な業者のターゲットにされやすいんで、そこらへんはイヤなんだけどね。Adsenseも含めGoogleにはそこらへんの倫理フィルターを開発して欲しいところ(…と話が脱線しすぎた・汗)。 ・三國志 Online http://www.gamecity.ne.jp/sol/ ・基本プレイ無料!オンラインゲーム 『真・三國無双 Online』 http://www.musou-online.jp/ ・基本プレイ無料オンラインゲーム 真・三國無双 Online http://www.gamecity.ne.jp/musou-online/ ※関連記事  武将ブログ(『真・三國無双BB』オフィシャルブログ)  新作MMORPG『三國志 Online』 (コーエー)  『真・三國無双 Online』へリニューアル(2007年11月28日)  『三國志 Online』(Win版)「三onブログ」本日開始!  『三國志 Online』(Win版)正式サービス2月29日15:00スタート ※追記 アニメ蒼天航路×KOEI ※追記 『真・三國無双 Online』PlayStation3版(2010年2月18日) ※追記 「蒼天」三国志アクションRPG(2010年春) ※追記 三國志 Online サービス終了(2010年7月19日) ※追記 小野坂昌也・竹本英史のネオロマ&無双(2010年10月) ※追記。閲覧者の利便性のため、下記にあるように関連する商品情報へのリンクを張っておく。

2283. 『爆生レッドカーペット』で三国志ショートコント(2012年10月13日)
※関連記事 Mini三国志フェス in レキシズルスペース(2012年10月13日) 上記のように2012年10月13日土曜日に「Mini三国志フェス in レキシズルスペース」が開催され、その閉場時間となったちょうど22時半に、21時からフジテレビで放送された番組、土曜プレミアム『爆生レッドカーペット史上最強オールスター歴代王者大集結SP』にて、「ネットオーディション勝者」としてすっぽん大学というコンビが出演し三国志ショートコント(各1分)を2本披露していた。 ・爆笑レッドカーペット - フジテレビ http://www.fujitv.co.jp/redcarpet/ ・土曜プレミアム『爆生レッドカーペット 史上最強オールスター歴代王者大集結SP』 - とれたてフジテレビ http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2012/i/121011-i127.html ・すっぽん大学のホームページ http://www.suppondaigaku.com/ そのすっぽん大学のお二人がレッドカーペットの舞台に出てきて、向かって左の方は諸葛亮っぽい衣装を纏い、羽扇ではなく扇子を持って「諸葛亮孔明」と名乗り、向かって右の方は横山光輝/著『三国志』(マンガ)っぽく緊箍(頭の金のリング)を着けて左手に型紙をアルミホイルでくるんで作った感じのギザギザの刃先をかたどった長柄の武器(つまり蛇矛?)を持って「張飛」と名乗る。 ・ありがとう感謝感謝 (※すっぽん大学のブログ記事) http://ameblo.jp/suppongaku/entry-11380040824.html ※関連記事  羽孔ちゃん?  議事録:三国創作における視覚的研究材についての情報交換会(仮題)(2012年7月5日)

2284. 2006年7月30日「三国志学会 第一回大会」ノート0
・三国志学会 http://www.daito.ac.jp/sangoku/  2006年7月29日土曜日に三国志シンポジウムが大東文化大学の板橋キャンパスで開かれ、その次の日に三国志学会の第一回大会が大東文化大学の板橋キャンパス近くの大東文化会館ホールで開かれるということだった。  ちょうど私は前日の板橋キャンパスへは東武練馬駅から歩き大東文化会館発のスクールバスに乗っていったので、スムーズに三国志学会 第一回大会の会場へ行くことができた。到着したのは開始30分ほど前。会場となるホールの入り口にはすでに何人か人がいて、東方書店の出張店舗で本を物色している人や、立ち話をしている人など様々だった。  受付には前日の三国志シンポジウムで通訳をされていた田中靖彦先生が座っておられて、三国志学会への入会手続き等の担当をされていた。私は予め書いていた入会申込書を手渡し学会費を払い、三国志学会会員となった。今回の大会のレジュメなどを受け取り、ホール内の真ん中あたりの席を確保した。写真のとおりまだ人はほとんど来てなかった。  缶コーヒーを買って待っていると、まずげんりゅうさんが現れ、あれこれ話していたら、そのうち、2005年の三国志シンポジウムでお会いした、たいがあさんに声をかけられ、昨日の三国志シンポジウムの話などをしていた。  そのうち、前日にお会いした、ミミまろさんや伊比学さんがこられ、さらにKJさんとUSHISUKEさんが来られ、私の近くの席に座っていた。  そして開始を待つ。  満場拍手の中、三国志学会の会長の狩野直禎先生が壇上に立たれる。  そして、狩野直禎先生により「三国志学会 設立趣意」が高らかに宣言される。  満場拍手。  以下に当日、もらった「三国志学会 第一回大会」のプログラムを転載しておく。一部、仮題だったのでそこは修正してある。 -------------------------------------------------------------- 三国志学会 第一回大会 日時:2006年7月30日(日) 10時-17時 会場:大東文化大学 大東文化会館ホール(東武東上線、東武練馬駅1分) 報告(10時-12時40分) 石井 仁(駒澤大学助教授) 「呉・蜀の軍事制度に関する覚書」 澤 章敏(関東学院六浦中学校・高等学校) 「五斗米道研究の現状と課題」 和田英信(お茶の水大学助教授) 「建安文学をめぐって」 竹内真彦(龍谷大学助教授) 「呂布には何故ひげがないか-三国志物語の図像と本文の関係について」 お昼休み 講演(14時-17時) 劉世徳(中国社会科学院教授),通訳 伊藤晋太郎(慶応義塾大学講師) 「『三国志演義』嘉慶七年刊本試論」 狩野直禎(三国志学会会長、元京都女子大学学長) 「私と三国志」 懇親会(18時-) 会 場:大東文化大学板橋校舎 カフェテリア Green Spot -------------------------------------------------------------- ・三国志学会第一回大会ノート1へ続く http://cte.main.jp/newsch/article.php/397 ※追記 三国志学会 ...

2285. 「東アジアの出土資料と交通論」ノート2
※前記事 「東アジアの出土資料と交通論」ノート1(2008年10月12日)  9:22。次の発表が始まる。 ●金秉駿氏(韓国・翰林大学校)「古代中国南方地区の水運」  まず自己紹介から。「今回、日本語で発表したいと思いましたが、今、後悔しております」とおっしゃり会場を沸かせる。  予め配られたレジュメ(というより論文)はA3の4枚、7ページ分で、それにノートPCでプロジェクターを通じスクリーンに資料を映し出し発表されるとのこと。基本的にはレジュメを読んで進んでいく(※そのため以下のノートはレジュメの丸写しになる可能性がある)。  レジュメでのタイトルは「古代中国南方地区の水運 ―湖北・湖南省出土簡牘と墓葬を中心にして―」。 ○はじめに  昨年、ここで楽浪郡について発表があったそうで、それと関連した様々な簡牘と遺物に関心があるという。  秦漢帝国の郡県支配における内郡と辺郡について、先進・後進、徹底的支配方式・緩やかな支配方式など、二項対立的に区別するのは賛同しない。内郡にも中心と周辺、辺郡にも中心と周辺があるという常識的なレベルで迫る必要がある。  その第一の作業として、内郡の律令支配される地域への考察。睡虎地秦簡や張家山漢簡『二年律令』を見ると公的領域だけでなく濃厚と消費に至る生活全体を徹底的に規制しているが、はたして全帝国において実施されたか。郡県支配が実施される実際の空間を前提して郡県支配の実態が初めて明らかになるのではないか。  その聚落の空間を設定するため、墓葬の位置と分布を検討。河南省、山東省、江蘇省、湖北省、四川省にある7000基の墓葬の位置とそれと県城との距離を測定。結果、律令支配が比較的徹底的に行われた前漢では県城付近の集住が著しいが、後漢時代になるとそれが崩れる(※ここで会場のスクリーンに山東省や江蘇省の調査に関わる様々な図表が表示され前漢と後漢の違いが提示される。ただグラフに縦軸や横軸にラベルがなく何なのか解りづらい)。これで郡県内の県城という「中心」空間は明らかになったが相対的に「周辺」は明らかにならなかった。県城という中心と別の中心との関係、その間で形成される中心と周辺の関係が今後の課題。さらには漢代墓葬の副葬品が中心からの距離によってどのように分布しているのか現在考察中。この過程で注意しなければならないことは、交通の問題。交通により中心と周辺が大きく変わる。  今まで秦簡時代の交通について王子今先生を中心に多くの研究がなされ、藤田勝久先生をはじめ日本の学者も様々な角度で研究を重ねた。今回の発表で先行研究を踏まえ、江南地域での水運について整理したい。出土簡牘と考古遺物を通じ具体的な水運の姿を検討。特に陸運が重要という観念が根強いため、それと結びつけ見る傾向にある。そのため、数多くの出土資料が注目されず放置されている。この発表の前半は簡牘中心、後半は考古学中心。 ○一、郷里単位の水運と水運損失に備えた自治組織―江陵鳳凰山10号漢墓簡牘  江陵鳳凰山10号墓の6号簡牘によれば、平里の戸芻27石、田芻4.37石、田藁2.245(※清岡注。まぐさ、わら)。鄭里全体の畝数は617畝、『二年律令』の規定によるとおよそ田芻18石、田藁12石の芻藁税が徴収されるので、6号簡牘の田芻は1/3-1/6にすぎない(※ここで簡牘の釈文がスクリーンに映し出される)。戸芻と戸藁を含むとさらに多くなり、24石の芻、14石の藁が徴収されたことになる。田租の場合、正確な税率は解らないが、鳳凰山10号墓の7号簡牘によれば市陽里の場合53.36石徴収された。  鳳凰山10号墓の4号簡牘は、市陽里の里正の張偃(墓主)が所属する西郷佐である賜に毎月徴収の算賦を治めた記録。4号簡牘と5号簡牘によると鄭里と当利里の算賦も徴収し西郷に納めたので少なくとも芻藁120石以上、田租130石以上、徴収・伝達された。  里正が算賦のみ徴収したのではないとすれば、張偃は市陽里以外にも鄭里と当利里の算賦・田租を担っていた。算賦が銅銭で徴収・納付に対し、田租と芻藁税は穀物と芻藁の実物を直接徴収・納付しなければならなかった。  田租の一部が銅銭で折納される場合があり、6号簡牘に見られるが極少。『二年律令』にも折納の規定があるが、まず県に集荷され、県の財政の規模・価格によって折納し郡に納入。  穀物は重量、芻藁は体積により徴収。里正の張偃が幾つかの里で徴収・伝達。したがって、西郷から官吏が徴収するのではなく、里正が算賦と同様、穀物と芻藁とを集め郷まで伝達した。  品物の輸送に多くの費用がかかり、時間と空間により多くの差がある。居延出土「建武三年十二月候粟君所責寇恩事」簡牘が具体的な費用の推定に便利。これは粟君が寇恩に魚の販売を頼みながら支払った賃金がいくらであるという問題を巡って起こった事件の裁判。粟君が賃金の穀27石との主張に対し、寇恩が穀27石と牛1頭との主張。魚5000匹の運送に50日かかり運送以外に販売という行為も含む金額。  張偃が運送した量は、寇恩のそれよりはるかに多い。交通手段を水路に依存せざるをえない華南地域。しかし漕運は決して容易ではない。貨物を埠頭で収合し船に積み運航し、埠頭に付いてから降ろすなど複雑な過程があり、当然、運送費用がかかった。  こういったことは同時期の『二年律令』に明記。 ・『二年律令』「賊律」第7-9号簡 船人渡人而流殺人、耐之、船嗇夫・吏主者贖耐。其殺馬牛及傷人、船人贖耐、船嗇夫、吏贖(遷)。其敗亡粟米物、出其半、以半負船人、舳舮負二、徒負一;其可紐繋而亡之、盡負之、舳舮亦負二、徒負一、罰船嗇夫、吏金各四兩。流殺傷人、殺馬牛、有亡粟米物者、不負。  水運に携わる船人・舳舮・徒の存在とそれらを監督した船嗇夫・吏主者が人や貨物を運送する際、死亡または遺失の場合、その賠償責任を明示したもの。水運の過程で様々な損失が発声した事実を物語っている。  里正の張偃はこのような過程を処理する必要があった。江陵鳳凰山10号漢墓簡牘は張偃の責任の元で諸里の税役を徴収し上納した内容が主。4号簡牘と5号簡牘には算賦の用度の記載があり、そのうち「転費」とあり、それは居延漢簡「転銭」と同じく、人を雇用し糧食等を運ぶ費用のこと。  ここで鳳凰山10号墓出土「中販共侍約」に注目。内容は張伯(張偃)が販長になり他六名と約束した後、その規定を書いたもの(※ここでスクリーンに釈文が映し出される)。後半部分は張伯とは別の販吏が見え、販吏の命令に従わない場合のことを規定。前半部分は共同作業が必須で器物損傷・遺失について別の規定がある。張伯らが自発的に組織したという説があるが、戦国時代の秦以降前漢末まで里単位の私的利益のための結社を徹底的に禁止されていたためこの可能性は低い。「会而計」というように販吏への会計報告義務があり官との関連性を暗示。  類似の組織は後漢初の「漢侍廷里父老[イ單]買田約束石券」でも確認。この石券は于李等25人が[イ單]を組織し構成員が出捐した61500銭で82畝の土地を買った後、里父老にその土地の収穫物を使用できるようにしたもの。資産が足りなくなり里父老の資格がなくなると25名の中で次の人に渡すようにした。官により強制的に課せられた里父老の義務を処理するため、出捐したお金で将来発生する可能性がある金銭的損失に備えた。「他如約束」とあるように具体的な罰則規定は別途に規定したようだ。里正と同様、後漢の里父老の義務の一つに税役の徴収がある。これこそ経費負担の主な原因。水運での損失の可能性が高いため、それに備え組織を作りそれは官に許された。  弘一先生によると「中販共侍約」の「販」は「般」、すなわち大船を意味する。より確実に船舶を利用・運送する担当者が将来発生する可能性のある問題に対処するため、官の指導のもとで組織を作ったと理解。 ○二、県級単位以上の水運と水運損失への官府の補填―長沙走馬楼呉簡 ※関連記事  第2回三国志学会大会ノート1  2006年9月17日「長沙呉簡の世界-三国志を超えて-」ノート  走馬楼呉簡が出土した長沙は鳳凰山簡牘が出土した江陵と同じ地理環境。走馬楼呉簡の内容の一つに嘉禾三年と四年にかけての田租の徴収と倉庫への納入がある。そのため鳳凰山簡牘で考察した水運関係の事実を走馬楼呉簡で確認できる可能性は高い。  漢代以来、賦税のの納入は「自送」が原則。前述のように里正・里父老のような下級官吏により統合・納入し、その費用を「転費」などの名目で農民に課した。それにより「里父老石券」「中販共侍約」出現。走馬楼呉簡の田家[艸/別]に「入□郷嘉禾二年租米八斛就畢 嘉禾二年九月廿八日叟丘県吏潘孔関邸閣董基付倉吏鄭黒受」(A2869)などとあるように入倉の主体が見えないため、「自送」したように見えるが、漢代と同じように基層単位の担当者が代納した可能性が高い。しばしば代納の主体が屯田司馬、西郷佃吏などのように確認できるのはその証左。  租米や限米など多様な種類の穀物が全部水運で入倉されたわけではないが、県倉と離れたところは水運を利用せざるをえなかったようだ。しかも県倉に納入された品物を再び別のところへ運ばれる際、主に水運に依存。「其一百廿五斛五斗四升民先入付三州倉吏谷漢出付船師唐鼠運詣中倉関」(9.3097)という事例(※スクリーンに釈文が映し出される)では、民が三州倉に納入した125.54石の穀物が船師に渡され中倉へ運ばれる。  漢代の簡牘では損失に備えた組織が出現した事例があるのに対し、走馬楼呉簡では実際の損失に対する報償する具体的過程が書かれている。王子今先生は「折咸米」の事例がいずれも「入吏(或吏某)所備船師某某年折咸米」という形式であることに着目し、「折咸米」が船師の運送中に損失された部分を指すとした。侯旭東先生は官吏の過失を報償する行為を意味するとする。先の張家山漢簡『二年律令』では第一次的な責任は船人が負うのと同時に官吏が連帯責任を負うことが明示。走馬楼呉簡の「吏所備」は恐らく連帯責任の一部。ただ折咸米が思ったより少なく、運送中にかかる他の必要経費も含まれると見た方が良い。  「[イ就]銭」にも注目。王子今先生はこれを「邑下居民」と関連づけ、使用者が土地の持ち主に支給した租価であると説明。「[イ就]銭」を「運賃の用途に使われる税金」と解釈すれば、居延漢簡や敦煌漢簡の用途と関連づけ理解できる。鳳凰山10号漢墓出土簡牘の「転費」と類似すると考えられる。  漢代では主に徴収する責任者が作った自発的な組織で損失に備えたのに対し、三国呉では多くの部分が官吏により体系的に支払われた。無論、『二年律令』によれば漢代でも官吏により損失分が補填され、三国呉でも自発的組織が形成された可能性は高い。 ○三、水運対象の貨物と範囲―里耶秦簡  江陵鳳凰山簡牘に見える水運貨物は主に穀物と芻藁であるが、F類竹簡に分類される鳳凰山10号墓簡牘には「[台/木]」(※からむし・あさ)や「笥」(※竹や葦で編んだ箱?)などが記される。簡牘の意味については貨物の明細書、運送集団の運賃支給、商業経営帳簿等、様々な見解がある。[台/木]を数える単位は「絜」となっており、『説文解字』の段玉裁注によると「絜」は一束のこと。完成品の[台/木]の単位が「匹」なので、簡牘の[台/木]は縛られる材料または半成品と考えられる。従って[台/木]や笥はこの地域で生産される水運対象と推定。  里耶秦簡にも[台/木]を収穫し半成品を作る中間過程が記される。具体的には脱膠、剥皮、刮青、分劈の過程を経た後、紡織する。里耶秦簡に脱膠で主に使われる[シ區]漬法が見えるため、恐らく[シ區]漬を経た後、出荷される。  走馬楼呉簡では水運対象が主に穀物でそのうち軍糧に使われる事例に注目。断片的な記録だが、軍糧輸送は三州倉→州中倉→倉曹→督軍糧都尉→右節度の順で、軍糧は船師に伝達され水運で運ばれたことは明らか。文献資料に記載される呉の武陵蛮討伐と時期的にも空間的にも重なるので、走馬楼呉簡の軍糧輸送は[シ元]水流域の武陵蛮討伐のためと考えられる。つまり湘水地域の長沙から[シ元]水地域への水運事例。  里耶秦簡にも軍需物資の輸送関連の記録がある。秦始皇34年9月を基準に遷陵県で保管中の弩臂の数量を点検した記録。うち七件が益陽と臨[シ元]で放出と記録。いずれも水系で繋がる。  他所から酉水上流の遷陵地域へ水運で運ばれる貨物も確認される。江陵地域の競陵県蘯陰里の狼仮が故荊の積瓦を求めるために公船を借りていった事例が代表的。他に洞庭の上裙も遷陵地域に運ばれていた。遷陵地域で半成品の[台/木]が搬出されたのと対照的  江陵以南の地域は人と文書の通行も水運に大いに依存。里耶秦簡の里程簡では臨[シ元](常徳附近)から遷陵までの距離が中間の別の地名を経ず910里と記される。これに関し多くの議論があり、この路程が水路か陸路かについて後者を仮定する場合が多い。それは北方地域の陸上の郵の設置と文書伝達システムが南方地域でもそのまま運営されるという仮定が出発点のため。張家山漢簡『二年律令』と居延漢簡には、それぞれ一日に文書を移動すべき距離が規定されており、文書の移動で最速が郵伝によるとするならば、里程簡に地名間の距離が記されているのも、陸上の郵の方法で伝達される距離になる。『二年律令』「行書律」に江陵以北は10里ごとに1郵、索までは20里ごとに1郵設置するが、地形が険しい場合は便利なところに設置できると規定されている。尹湾漢簡だと、東海郡の場合、1県当たり1郵の比率。索すなわち今の湖南省常徳以南の場合、地形が非常に険しい湘西地域は水系にそって県単位で設置されたと考えられる。また一旦水系に沿って移動すれば、陸上のように中間の郵を経る必要がない。[シ元]陵虎渓山簡牘の中に「廷到長安、道涵谷、三千二百一十九里、其四百卅二里[シ元]水」(MIT:43-99)とあるのは[シ元]陵から臨[シ元]もしくは索までは水系に沿って物資と文書が移動されたことを如実に示している。 ○四、漢代墓葬の副葬品よりみた湖南省の水運  簡牘で見た湖南省水運範囲は非常に広い。 (※ここで「時間がないため、簡単に説明すると告知」)  長沙馬王堆駐軍図の地理的背景に対し様々な意見があるが、歴史地理学界では湖南省最南部、九疑山地域に比定。都尉が設置されたところには軍事物資の運送が必須だが、周辺の地形上、水運が不可避。そのため、全体的に見れば遷陵・[シ元]陵という酉水の水系、臨[シ元]・[シ元]陵・敍浦(武陵郡)の[シ元]水の水系、益陽の資水の水系、長沙-州(九疑山)の湘水の水系、これら多くの水系が互いに連結した姿を確認。  漢代墓葬の副葬品を通じ、水運を確認したい。方法はまず水系別に墓葬を整理し、墓葬出土品の陶器・青銅器など材料別に分け相関関係を考える。 ...

2286. 三サポ板五周年記念オフ会二次会
※目次 三サポ板五周年記念オフ会 ※前記事 大三国志展(出土品でたどる三国志)  2008年6月1日17時15分、清岡、三口宗さん、伊比 学さんの三人は東京富士美術館から戻ってきてJR八王子駅から中央本線で立川駅へ向かう。道中、三口宗さんから『Mobile真・三國無双』を見せて貰っていた。あと伊比さんから論文から和訳をかき集めて一つの訳本にするという技法(例『華陽国志』)の話を聞く。それとコピーの話。三口宗さんの話によるとコピーにも機種によって劣化しやすさがあるそうな。  17時半、立川駅西口でUSHISUKEさんと合流。この中で清岡だけはUSHISUKEさんと昨日、会っていた。南側のカラオケルームに行くことに(いつもの如く歌わず話し込むために使用)。  カラオケルームの受付前にはすでに何人か客が待っており、どうやら18時ぐらいまで待つとのこと。どうも法律の影響で16歳未満は18時以降、カラオケルームに居れないとかで(保護者同伴だと時間が変わるとか)、そこで一斉に空くんだろうなんて言っていた。  待っている間、清岡は伊比さんに昨日、USHISUKEさんと話していたことを語っていた。その話の流れで第7回三顧会での玄鳳さんの発表についての話を聞いていた。伊比さん曰く、一般に向けての発表の極意は知識をなるべく出さないこと、と。なるほど。  カラオケルームに移動し、下記のような席位置になる。  清岡  | テ ー ブ ル | →東、出入り口  三口宗さん  伊比さん  USHISUKEさん  まずはUSHISUKEさんに「大三国志展」を見に行った時の様子を報告していた。それからワンドリンク制なので各自、注文する。  清岡「じゃ自己紹介から始めましょうか……我々三人は昼すでにやりましたんで(笑)」 と言ってUSHISUKEさんに自己紹介を振る。そうすると何、話せばいいか聞き返されたので、三国志との出会いと、好きな人物と答える。USHISUKEさん曰く「水境先生(司馬徽)」。そこで昨日の「三国志の宴3」のアンケートでも水境先生と書いていたそうな。特に好きな人物は決めてなくて昨日はたまたま水境先生だったとのこと。  ここで各人がUSHISUKEさんといつ初めて会ったかという話。清岡は第1回三国志シンポジウムのとき。三口宗さんは去年の第2回三国志学会大会のとき。伊比さんは2005年の忘年会のとき。てな感じで少し思い出話に花が咲く。そういや忘年会のときはUSHISUKEさんと清岡を含む計四人で早朝の寒い中、東京駅周辺を彷徨って結局新宿に行った、って話をしていた。  USHISUKEさんは「(今日、オフ会に参加した四人は)それぞれ今日の前に会っているわけですよね」と言うと清岡は「それぞれ四人の対応図を作ります?」とボケたら、USHISUKEさんはさらに「こことここは『敵対』!」とボケを重ねる。  ここでドリンクが来たので「お疲れ~」と。ここでしばしmixi内の三国志関連のコミュニティについて話していた。  その流れでサイト「AKN'S図書館」だったドメイン、akn.toが今、サイト「アルバイト求人ネット」になっているってことを清岡が伝えたら、「AKN'S図書館」は三国志関連の刊行情報がバッチリ載っていて素晴らしいサイトだったという話になった。三口宗さんは他のサイトも含めそういったネット上の三国志関連コンテンツが失われることは恐いので今からログをとっていた方が良いのではと言って、伊比さんはInternet Archiveでログを拾っていくしかないのでは、と返す。そういえば、昔、tRTK CHATの管理人のKz-8さんが三国志サイト専門のアーカイブサイトを作っていたと話す。あとサイト「英傑群像」で閉鎖されたサイト「Angel Fish」の旅行記コンテンツを譲り受けたという事例も伝えた。アーカイブする人が自分のサーバーを持たないといけないとUSHISUKEさんが疑問を呈する。そうです、と答える一同。伊比さんは自らのサイトは旧式なので、ドメインが無くなったら、ローカルで保存しているデータをそのまま別のドメインへ挙げるだけ、と言う。ここで伊比さんの疑問からブログのデータ構造の話。無料ブログサービスのサイトだと、大元が無くなったら消えてしまうな、って話していた。 ※追記 tRTK CHAT閉鎖(2009年6月10日)  ここでまたmixiの話に戻って、普通のサイトだと消してもgoogleのキャッシュやInternet Archiveに残っていることが多々あるが、mixiは消すと痕跡を残さず消えるんで、勿体ないな、という話を清岡が振る。さらに言えばマイミクが消えた(あるいは切られた)痕跡も残さないって話になって、USHISUKEさんから「マイミクを切るという機能があるなんて知らなかったな」という何だかほっとするセリフを聞くことができた。  USHISUKEさんから、「三国志の宴3」でもそうだったが(※同じイベントに参加していた清岡は気付かなかった・汗)、最近、張遼に人気があるのはなぜだろう、って話を振られる。そうすると三口宗さんは『蒼天航路』の影響と言って、伊比さんは『三国志大戦』は言う。三口宗さんによると『三国志大戦』で張遼は使いやすいそうな。そこでDSで新発売されるソフトの話になった。知らない間にあれこれ変わっているんだね。武器とかもあるらしい。 ※関連記事 2008年8月7日『三国志大戦・天』(ニンテンドーDS版)  実はUSHISUKEさんが持っているニンテンドーDSで『三国志大戦DS』をしようとするとアンチウィルスソフトにシャットアウトされて一度も他人と対戦したことないそうな。「いつでも自分との戦い」というフレーズをおっしゃっていたのが妙に可笑しかった。  その後、清岡は三国伝の話を振ったり。部隊兵は売ってない。  あとみんなで『21世紀エジソン』を見たり。この番組で出ていた横山三国志の『三国志占い』についての話の流れで、三口宗さん曰く「三国志関連の出版は出せば売れる」に対し清岡&USHISUKEさん曰く「全然、売れている感じじゃない」と意見の対立を見る。ここで三口宗さんが具体的な例としてマンガ関連が増えていることを挙げた後に、三国志関連の書籍も近頃、次々と目にすることを挙げ、さらにはそれらの書籍の内容について言及する。曰く、見ると内容がショボくて買う価値がない、と。清岡が「初心者にはそれぐらいが良いのでは?」と言うと、三口宗さん曰く「初心者にあれを見せてはいけない」とのこと。その理由として、そういった書籍を初心者に見せると誤った知識を与えてしまい、それを訂正するのに膨大な時間がかかるという。なるほど。伊比さんは初心者こそがそういう本の購買層だ、とコメント。三口宗さんが挙げた具体的な中身の例は、『三国志』などの歴史や『三国演義』などの創作をごっちゃまぜにした内容とのこと。三口宗さんは立ち読みで前と後を見て判別するとのこと。  伊比さんからの話で、そういった書籍で自分が知らないネタに遭遇すると、それは完璧にネタなのか、(その書籍の)誤解なのか、ひょっとしたら新手の話なのか、と三種類に分けられ、今日の「大三国志展」でも諸葛亮が発案した「まきびし」があったが、それも判断に迷うという。清岡は「提供元の博物館が主張したら誰もツッコミを入れられない」、三口宗さんは「要するにでっちあげ」とコメント。さらに伊比さんは「もしくはどこかしらの民間伝承?」と発言。  ここで伊比さんから三国志城にあった諸葛亮の一族の家系図の話になる。そこにあった謎の娘の話(※その場でネットにあるんじゃないの、と調べたが見つからず)。出典のところを見ると明だか清だかの文献になっているんだそうな(※8/17追記。ここらへん清岡の記憶違い。さらに三国志城で確認すると出典の表記はない)。その文献自体、ネタなのではないか、もしくはそういった話はどこからわいてきたのか、民間伝承ならば民間伝承で文学的な価値はあるだろうとか、おっしゃっていた。三国志城自体、撮影禁止なので、伊比さんはその家系図をノートに写し取ったそうな。そういった話を清岡は第8回三顧会に参加した人のブログあたりで見かけた、と告げ、実際、その場で家系図に言及した記事を二例ほど見ていた。後の例の記事について三口宗さんはちゃんと調べていることについて絶賛していた。  そういった出典のわかりにくいって話で、馬岱の字の話がありますね、と清岡が話を振り、さらに「三国志ニュース」のコメント欄で話していた地方志の年代について三口宗さんに聞く。どうやら明清時代にまとめられた地方志らしい。「とりあえず私は『明清時代』に作られたものと聞けば満足」、「地方志でもせめて唐代ぐらいまで遡れれば良いんですが」と清岡。さらに三口宗さんによるとその地方志は清代のものという。サイト「後漢書家頁」の管理人さんによると、その地方志には出典が明記されていないので、清代までしか辿れないと結論(※とは言ってもちゃんと自分で確認しないととやかく言えないのが残念)。一応、清岡から「ファン層によっては出典の確かさは問題にならず、ともかく字(あざな)があることで盛り上がることができれば良いんでしょうね。その思いをも否定したらかわいそうですよ」(※話しながら子義祭りの話を思い出していた)とフォローを入れておいた。(※清岡のノートPCをテーブルに置き、該当する記事を皆で見ながら話をしていた)  そして清岡からこの話のオチとして、2008年6月28日29日公演の「鋼鉄三国志 歌劇舞台~深紅の魂よみがえりしとき~」に「馬岱伯瞻」が出る、と告げると、大うけだった。これを聞いて三口宗さんは見に行こうかな、とおっしゃっていた(笑) 「こういった社会現象は面白いですね。二、三年経てば情報源が判らなくなって我々がしたり顔で語るんでしょうね」と清岡。  ここで三口宗さんからネタとして『まじかる無双天使 突き刺せ!! 呂布子ちゃん』の単行本と『DRAGON SISTER!-三國志 百花繚乱-』の単行本が場に出された。DRAGON SISTER!って張角三兄弟だったんだ、と伊比さん。すごいですよ、呂布子ちゃん、とUSHISUKEさん。実はUSHISUKEさんは『DRAGON SISTER!-三國志 百花繚乱-』の単行本1巻を「早稲田祭2005」で早稲田大学三国志研究会からもらったそうな。ここで呂布子ちゃんのアニメの話をしていた。単行本にアニメに関することがマンガで書かれてある。  そして三口宗さんは「お金が持てば三国志図書館、実際作ってみようかな」とおっしゃっていた。そして清岡から冗談で「三国志城の三国志文庫が競合相手になりますね」なんて言っていた。伊比さんが三国志城を訪れたのは三国志文庫がまだない2004年以前であるため、それは今、どれぐらいあるって話になる。伊比さんが三国志城に言ったときは『三国志研究要覧』が定価で売られていたという話から、それは復刊ドットコムで今も投票を募っている話や、その役割が『三国志研究入門』になったのではという話などをしていた。三口宗さんは『三国志研究要覧』を古本で探しているそうな。  ここで三国志城や三顧会の話をしていた。実際、その場で、ネットから孔明灯が上がった写真や食堂のメニューなどを見ていた。ここで三口宗さんに話を振られ、経験者の伊比さんから東京から青春18きっぷで三国志城へ行く方法を話していた。  ここで中国の民間伝承の話になり、伊比さんによると、曹操が太史慈に薬草の「当帰」を送ったエピソード(『三国志』呉書太史慈伝)が、民間伝承では姜維と姜維の母との話になっているそうな。姜維が魏の領土になってしまった故郷の母を案じ、薬草を送ると返答として「帰ってくるな」という意味の薬草が返ってきたとのこと。  「大三国志展」の話になり、朱然の刺の話や曹全碑の話をしていた。曹全碑の話→李儒の話→やっぱり牛輔の話。USHISUKEさん曰く「三度の飯より牛輔好き」。  牛輔の話→昨日の抽選会の話→『アレ国志』の話→『コミック三国志マガジンWeb版』の話→以上の話を昨日の夜に、近頃の三国志ものとして清岡がUSHISUKEさんに話したという話、と続いて、USHISUKEさんは昨日の夜に、教えてもらったブログ「古代中国箚記」をブックマークした、とのこと。他の人も知らなかったようなので、(清岡から)紹介できてよかった。 ・古代中国箚記 http://ancientchina.blog74.fc2.com/  そこから『廿二史箚記』の話→三口宗さんがコピーを持ってきていた『三国職官表』の話になり、サイト「むじん書院」の話になって、ブログの話(下記)をしたら、三口宗さんは知らなかったんで、(清岡から)伝えられてよかった。 ・思いて学ばざれば ...

2287. 「むじん書院」更新再開の兆し
 サイト「むじん書院」の管理人のむじんさんが「帰ってきた」模様(…って変な表現だけど、これが何かあっている)。  おかえりなさいませー  詳しくは下記ブログ「思いて学ばざれば」の記事「ふー、生きてますよ。」参照。 ・思いて学ばざれば http://d.hatena.ne.jp/mujin/ ・「ふー、生きてますよ。」 http://d.hatena.ne.jp/mujin/20051222/p1  というわけで、上の記事にもあるように「むじん書院」の久しぶりの更新が期待できるのでした。 ・「むじん書院」 http://www.project-imagine.org/mujins/

2288. 三國志12 パワーアップキット
団体:コーエー 機種:Windows 価格:6090円/ダウンロード版5400円 公式サイト:三國志12 パワーアップキット 関連団体サイト:GAMECITY  <前回      関連      次回> ・三国志との関係(備考欄) 三国志を題材としたシミュレーションゲーム『三國志12』のパワーアップキット。初回限定特典は『『三國志12』スペシャルエディットディスク』、『三國志12』シリーズ武将イラスト(25点)、『真・三國無双7』無双武将イラスト(10点)、オンライン対戦用限定武将カード(10点)、名品エディット用イラスト(20点)

2289. 雲漢遥かに(15)
表現形態:雑誌連載 作者:黄十浪 団体:メディアファクトリー 掲載誌:コミック三国志マガジン 価格:無料 関連団体サイト:コミック三国志マガジン <前回      関連      次回> ・三国志との関係(備考欄) 三国志漫画

2290. 三国志 呂布と貂蝉 (9)
ジャンル:ドラマ 表現形態:CS放送 作者:チェン・カイコー/監督 局名:衛星劇場 価格: 関連団体サイト:衛星劇場 <前回      関連      次回> ・三国志との関係(備考欄) 2004年(全35話)。『三国演義』のドラマ化。

2291. LF_NULL
ありません ...

2292. LF_NULL
ありません ...

2293. LF_NULL
ありません ...

2294. LF_NULL
ありません ...

2295. LF_NULL
ありません ...

2296. LF_NULL
ありません ...

2297. LF_NULL
ありません ...

2298. LF_NULL
ありません ...

2299. LF_NULL
ありません ...

2300. LF_NULL
ありません ...

2301. LF_NULL
ありません ...

2302. LF_NULL
ありません ...

2303. LF_NULL
ありません ...

2304. LF_NULL
ありません ...

2305. LF_NULL
ありません ...

2306. LF_NULL
ありません ...

2307. LF_NULL
ありません ...

2308. LF_NULL
ありません ...

2309. LF_NULL
ありません ...

2310. LF_NULL
ありません ...