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9月10日(日)龍谷大学大阪梅田キャンパス&ZOOM
三国志研究会(全国版)例会
14:10-14:50みなと「呉伐に関わる人物伝を読んでみるー王濬伝(その7)」
15:00-15:50竹内真彦「『晋書』景帝紀を読む((その13:完結))」
16:00-16:50教団「第4回 北関東三国志ツアー開催報告(前篇)」
SITE Twi 記事
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9月17日(日)13時東京市ヶ谷
三国志義兄弟の宴
SITE FB Twi 記・三国志の○○ベスト5
・三国志ブラックジャック
・おくまんさんの紙芝居 テーマ:廖化
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清岡さんの言われる通り、該当個所の「牀」を「ベッド」と訳すのは、やはり問題があるように思います。が、筑摩訳は、直接出版社に指摘をしないと訂正はしないと思います(自分は単行本ちくま訳で、中華書局の1行分の訳が抜けているのを見つけて、手紙を出しましたが返事無く、文庫本でたまたま見たら訳されていたのでビックリしました//笑)。
ただ、一昔前は、当該時代は後漢の画像石などしか画像資料がなかったのですが、現在は壁画墓なども見つかっています。それらを見ると、寝台として使う「牀」は実は出てきません。二人並んで座ったりというのはあるんですが^^;
唯一、伝・顧ガイ之の『女史箴図』には、腰をかける位の高さの二人並んで座れるくらい(1人が大の字で寝れそうなくらい)の大きさの「牀」で、屏風を囲い、帷をつけた「寝台」のようなものがありますが、なにぶん伝・顧ガイ之ということで(笑)。「腰をかける」程度の高さのもので、いわゆるベッド状のものが出てくるのは画像史料的には唐代からかと思ってます(すべての画像史料をあたったわけではもちろんないです^^;)。