【PR】
9月10日(日)龍谷大学大阪梅田キャンパス&ZOOM
三国志研究会(全国版)例会
14:10-14:50みなと「呉伐に関わる人物伝を読んでみるー王濬伝(その7)」
15:00-15:50竹内真彦「『晋書』景帝紀を読む((その13:完結))」
16:00-16:50教団「第4回 北関東三国志ツアー開催報告(前篇)」
SITE Twi 記事
【PR】
9月17日(日)13時東京市ヶ谷
三国志義兄弟の宴
SITE FB Twi 記・三国志の○○ベスト5
・三国志ブラックジャック
・おくまんさんの紙芝居 テーマ:廖化
サイト管理者はコメントに関する責任を負いません。
つまりは銅山は名前が知られていない(文献に出てこない)ところにも、大鉱脈はあって、なおかつ古代ではかなり遠方であっても(流通していて)利用されていたということです。
それから三国に分かれてからも、かなり流通・交易もありましたから。呉の朱然墓の漆器は、蜀で生産された漆器が多いです。
ということで、わざわざ軍事的に支配下に置かなくとも、通貨の原材料を供給することはできるのであって、
当時廃山に近い存在になっていただろう「銅緑山」目当てにわざわざというのは、銅山にちょっと引きずられすぎた考えだということです。
もちろん着眼点は面白いですし、地域のさまざまな資源を利用しようとして版図を広げることは当たり前のことですけども。