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  • 銅はどこ?
  • 投稿者:仁雛  2005年10月 8日(土) 23:23 JST
興味深く記事を読ませてもらいました。
大澤さんの意見は、貨幣経済に集中しすぎているきらいがありますね。現代の貨幣とあの時期の貨幣は基本的な機能・役割もまた違うものです。文献では貨幣貨幣と言っていますし、古銭も出てはきますが、現実的には現物経済が幅を利かせていたと思います。
それから「銅緑山」ですが、殷の時が最高で、殷は青銅器用の銅をとるために、ここに植民都市を建設したくらいです。言われるとおり漢代くらいであらかたいい鉱脈は取り尽くしたのだと思います(少なくとも当時の技術では)。また大型青銅器を作るわけでもないので、ただ貨幣を造るのに(おそらく枯渇気味であった)「銅緑山」目当てに・・・ということは、ちょっと考えにくいと思います。「銅緑山」にひっぱられすぎた議論でしょう。他にも文献上知られない銅山はあったはずですから。ちなみに三星堆の青銅は雲南省と四川省の間の金沙江あたりのものですよ^^; 文献になんて出てきません(笑)
以上、感想まで♪