・公益財団法人祇園祭山鉾連合会
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※昨年記事
京都祇園祭 前祭 後祭(2023年7月17日 24日)
上記の京都市観光協会のサイトにあるように、京都の祇園祭は毎年7月に開催されている。山鉾が街中に立てられる宵々々山、宵々山、宵山、前祭:7月14日-16日(今年は日祝火)、後祭:21日-23日(今年は日月火)と、それらの山鉾が街中を回る、山鉾巡行、前祭:7月17日水曜日9時出発、後祭:24日水曜日9時30分出発。
それでどこが三国と関係するかというと、下記関連記事にあるように、今年も前祭:孟宗山、菊水鉾、後祭:鯉山といったところだろうか。
※関連記事
京都祇園祭山鉾巡行に孟宗山(7月17日)
7月16日 京都祇園祭宵山に菊水鉾
7月16日 祇園祭宵山に鯉山
以上の文は昨年記事のコピペなんだけど、今年は上記関連記事から転載編集しつつ何が三国と関係するかまとめてみる。ちなみに宵山(15日-16日)は四条通と烏丸通に自動車一方通行
・孟宗山:前祭宵山では烏丸通錦小路通下るところに建っている。近くの建物に孟宗が祀られる。
孟宗は改名前の姓名で呉の国の人。立伝されておらず、『三国志』巻四十八呉書三嗣主伝での亡くなる記述の注に引くところの「呉録」に、孫呉の主君の孫晧字元宗の字(あざな)を避け孟仁と改名したことが載る。同じ注に引く『楚国先賢伝』に、孟仁の母は筍をたしなむが、その時冬で無論、筍も生まれておらず、それでも孟仁が竹林に入って哀嘆すると筍が出てきて、皆、それを至孝のことと感じたと載る。後世、このエピソードをもって孟宗は二十四孝に選ばれるのだけど、しかし雪はどの時代で加筆されたんだろう。
・菊水鉾:前祭宵山では室町通四条通上るところに建っている。お茶席が13日-15日13時-21時,16日12時-21時に2500円である。
現地に行っても特に三国とのつながりは読み取れないが、(現在はどうかわからないが)駅近くで「祇園祭 宵山・巡行ガイド」と名付けられたフライヤが配られていて、それに魏の文帝(=曹丕)のエピソードが載る。それはどんなのかというと、より正確に宗懍/著、守屋美都雄/訳注『荊楚歳時記』(平凡社1978年、東洋文庫324)p.207「九月 (四一)九日、宴会と登高・菊酒」のp.209訳注(6)「菊花の酒」にある天文年間(1532-1555年)刊の『塵添壒囊鈔』巻一の話を引用する、p.211の。
━引用開始━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
九月九日、菊の花は彼の鬼の眉とて、酒に入れて之を飲めば、万病を去って命長し、菊の花の薬なる由緒を云わば、昔、魏の文帝、七歳にして即位し給う。或る時、相者の云わく、御寿十五に過ぐべからずと。王、叡聞あって歎き給う時、彭祖と云う仙人、帝の徳を感じ奉り、酈県の菊を折って之を献ぜり。帝、是を服御して命を延べ給うこと七十なり。彼の菊の薬なる因縁は、周の穆王、八疋の駒に乗って八極に至らずと云う所なし。
━引用終了━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※酈県は後漢で言うところの荊州南陽郡。
もちろん史実と違うのだけど、つまり早死するところを、菊水によって曹丕が延命したという話。
・鯉山:後祭宵山では室町通蛸薬師通上るところに建っている。
厳密には三国関係ではないのだけど、『三国志』で記される時代より少し遡り、それは『後漢書』伝五十七党錮列伝での李膺伝においてで、この時、朝廷は日に日に乱れ、綱紀は崩れ落ちるも、李膺は品格をひとり保ち、名声をもって自ら高くした、とのことで、士でそこへ近づける者は、登龍門と言われたそうな。その登龍門の話には注がつき、「辛氏三秦記」によると、河津を一名に龍門と言い、川は険しく通じず、魚の類は上に上がる事ができず、江湖と海の大魚は龍門の下、数千と低く集まり、上がれず、上がれば龍となるとのこと。この登龍門に鯉が上がって龍になることにちなんだ山鉾。
なので、三国関連で分けるとすると呉・魏・後漢
※7/15追記。この記事を元にして動画を逆輸入的に埋め込んでみました。
・三国志ニュース定期便 京都祇園祭×三国志 2024年7月14日
https://youtu.be/hYlekkCtnG4
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