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2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感1


  • 2006年8月 3日(木) 23:32 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    3,116
教育機関 会場の一番後ろからとった写真。 今年も三国志シンポジウムがあるということで、大東文化大学に出かける。前回は東松山キャンパスだったけど、今回は板橋キャンパス。前回より都心に近い。

・告知ニュース
http://cte.main.jp/newsch/article.php/342
・前回の雑感
http://cte.main.jp/newsch/article.php/152

 今回は土曜日開催とということで金曜の夜から夜行バスで東京入りし、新宿で時間をつぶし、池袋に行き、東武東上線で最寄り駅の東武練馬駅で降りる。
 前回の高坂駅と違って、少し離れたところでスクールバスがあったようで、たまたま通っていた大学関係者らしき人に聞き、先を急ぐ。
 スクールバスがちょうどきていたけど、満員だったので次のバスを待つ。おかげで座れた。バスの中は高校の制服の人が多い。会話の内容も塾のテスト勉強をしているとかしていないとか初々しい。
 9時45分ぐらいに板橋キャンパス到着。場所を一号館101教室と覚えていたので急ぐ。
 101教室の外にKJさんを見かけたので手を振り、合流する。
 入り口で三国シンポジウムの冊子(以下、レジュメと表記)や中国学科のパンフレット、アンケート用紙、質問用紙など貰う。

 101教室は前回のところより、面積にして四分の一程度に縮小されたような感じで、人数もそれに合っているような感じだった。やはり去年は中国学科設立記念という意味合いもあって勢いはすごかったんだなぁ、と。
 あと高校生の制服も前回よりかなり少なくなっているような印象があった。

 それからKJさんのとなりの席におじゃまし、荷物をそこへ置く。
 その後、初対面の三口宗さんと顔合わせし、げんりゅうさんに挨拶し、開演を待つ。


○学科主任挨拶 大東文化大学文学部中国学科主任 門脇 廣文

 開演の10時。まず大東文化大学文学部中国学科主任の門脇廣文先生からの挨拶。この日は三国志シンポジウム、次の日は三国志学会第一回大会、さらに次の日は第五回中国古代小説文献与数字化研討会があるということでほぼ三日間、三国志づくしで楽しんでくださいということをおっしゃっていた。
 ここでマイクは司会の大東文化大学文学部中国学科助教授の中川諭先生にバトンタッチし、三国志シンポジウムに大学院生向けの講義があることが知らされ、一般視聴が可能であることが告げられた。

 そして壇上には基調報告をされる四川省社会科学院・四川大学教授の沈伯俊先生と通訳をされる田中靖彦先生が立たれる。

○第一部 報告

○基調講演「小説『三国志』の主要な内容」
    四川省社会科学院・四川大学教授  沈 伯俊

 何やら沈先生が中国語でおっしゃった後、田中先生が「みなさん、おはようございます」と通訳される。それに合わせ会場も「おはようございます」と挨拶。さらに中国語とその訳の挨拶があって、今回の報告の概要が述べられる。どうやらその都度、訳すのではなく翻訳原稿を田中先生が読み上げる形のようだ。確かにそっちの方が時間の短縮になる。ちなみに内容はほとんどレジュメのまま。
 あと私的に残念なのは『三国演義』を小説『三国志』とすべて言い換えているところ。とっさに他の報告のタイトルもみたけど、それはどうやらこの報告だけじゃなく三国志シンポジウム内の他の報告にも当てはまるようだ。この後の講演ではこういった小説『三国志』のみならず陳寿の『三国志』からも引用されていたため混同されかねない箇所が何度か出ていた。個人的には余計な親切心を出さずにそのまま『三国演義』にした方が余計な誤解が生じず良いのではないかと思っていた(むしろ憤りを感じていたぐらいだけど)。そのためさらにややこしいんだけど、この記事やこれ以降の記事では小説『三国志』を『三国演義』と言い換えている。

 発表の内容は三国演義の内容とそれがどう人々に影響を与えたかなどを論じてある。
 まず三国演義に見られる6つの「第一」(→一番)をあげる。以下、要約列挙。

・成立から600年経つ、十分に成熟した長編小説の第一の作品
・登場人物の多さ第一。1200人以上
・これをベースとして作られた作品のジャンルの広さ・数の多さとも第一
・関係する名所・旧跡の数第一。数百カ所
・関連する伝説物語の数、そして広範囲で第一
・中華民族の精神と生活に対する影響第一。

 三国演義自体、古い時代の考え方に基づいているから当然、封建思想の考え方が残されているのはやむを得ないが、全体的に中国伝統文化の優れたところが現れている、と説明。それにより「人々は国家のため、民族のため、理想のために突き進んでいくことができる。」とのこと。※「」内はレジュメの引用。以下、たびたびその様式を使う。

 その後、話がより詳しいものとなっていく。そのひとつひとつの流れは、まず一般的な認識を出しておいて、それに対する反論や同意などを交え解説していく流れが多い。

 その始まりが三国演義の重要な部分について。多くの人々はそれは「謀略」と思うとのこと。沈先生はそれが全面的なものではなく、戦争描写の優れたところが最も印象強いとのこと。それは作者の考えが色濃く出ている。
 それから三国演義と「道」の関係の話。「道」に次ぐものは「術」。三国演義は「道」に即して書かれており、作者の理想を代表する諸葛亮は計略にたけたすばらしい人物。曹操の謀略も優れているが、謀略により描かれ方が違うと解説。「国家の統一や社会の進歩に役立つような」謀略は肯定的に描き、「人を傷つけ己を利」する謀略には容赦なく批判し攻撃するとのこと。
(ここで読み上げるだけの田中先生からのコメント。田中先生は自身が曹操ファンだと告白し、耳が痛いと・笑)
 そのため三国演義は「はっきりとした道徳性を持ち、人民を根本とするという思想を規準している」とのこと。こうした三国演義の優れた点を四つあげられるそうな。それら四つが個別に解説されていく。

一、国家統一へのあこがれ

 作者が時代の脈拍を感じ、「多くの人民が国家統一を追求しようとする強烈な願望をはっきりと表現した」そうな。
 そんな三国演義だが、一般的にその内容は合久必分、分久必合(合して久しければ必ず分かれ、分かれて久しければ必ず合す)という言葉でよくまとめられる。沈先生はこれを安易な意見にすぎないと解説。それは明代の三国演義にはその言葉がないからこれで作者の創作意図を述べることができないからだそうな。
 作者は「分裂」の時期をひどく悲しみ、特に力を入れて描いているのは「英雄豪傑たちが再び全国を統一しようと戦いに苦しみ奮闘している偉大な姿」とのこと。

二、政治と政治家に対する選択

 三国演義は「“尊劉貶曹”(劉備を尊び曹操を貶める)」という考え方で論じられることが多いと切り出す。それに対し、三国演義成立以前の宋代にはこの考え方が存在すると説明。例の蘇軾の『東坡志林』の訳文を引用している。
 「尊劉」は姓が劉だからというわけではないとのことで、劉表、劉璋、霊帝を例に出して、劉備集団が「上報國家、下安黎庶」(「国家に報い、庶民を安らかにする」)という目標に向かって努力をおしまないと解説。さらにこの集団は劉備の「仁」、諸葛亮の「智」、関羽の「義」は羅貫中の道徳観に一致すると解説(しかし礼記にある四徳が「礼」以外、全部そろっているなぁ)。一方、「貶曹」。曹操が「奸雄」の典型で、漢に忠誠せず、たびたび民衆を殺戮し、優れた人物を虐げるからだそうな。その一方、大胆で巧妙な計略は肯定的に表現されている。歴史的な合理性があると説明。

三、歴史的経験についての総括

 三国演義は三国時代をまとめたもので、「人心を得ること、有能な人材を招くこと、謀略を重視することと言う三つ」が重要。それを軽視した人物、董卓、袁術、袁紹を紹介。それに対し劉備、曹操、孫権の優れた点を紹介。

四、理想的な道徳の追求

 「羅貫中は「忠義」という観点を道徳的規準」にしている。そこには多くの人々が三国演義に対し二つの誤解を持っていて、それを紹介している。

(一) 「桃園の誓い」の中心的価値は何か?

 「桃園の誓い」といえば多くの人が「不求同年同月同日生、但願同年同月同日死。」(「同年同月同日に生まれることを求めずとも、同年同月同日に死ぬことを願う」)を連想し、中心的価値と考えるが、実はこれは表面的。
 「則同心協力、救困扶危;上報國家、下安黎庶」(「心を同じくして協力し、国を救い危うきを扶(たす)け、上は国家に報い、下は黎庶(一般民衆)を安んじる」)に価値があり、特に「上報國家、下安黎庶」に劉備、関羽、張飛の政治目標があるとのこと。ここらへんが「一般的な通俗文芸を超越し、新しい精神世界に到達することができた」とのこと。
 「不求同年同月同日生、但願同年同月同日死。」はよく民間で真似され、「時にある種の民間結社や犯罪組織の間で」使われるが、それは「桃園の誓い」の目標に反する。

(二) 諸葛亮は「愚忠」(愚かな忠義)か?

 諸葛亮の「忠」を常に「愚忠」という人がいるがそれは一方的な見方だ、と。三国演義を注意深く読むと諸葛亮は「愚忠」などではなく、「帝王の師」という身分。「諸葛亮は劉備の主たる補佐役であるとともに、また劉備の心の指導者でもあった」とのこと。→諫めの言葉を拒んで失敗したのが呉の討伐。

おわりに

 三国演義の主題を一言でまとめるならば、「国家統一へのあこがれと忠義の英雄の賞賛」とのこと。国家統一へのあこがれ(政治思想)が縦糸、忠義の英雄の賞賛(道徳的基準)が横糸となり、座標軸を作り上げている。


 「…といった内容です」と田中先生が読み上げ終え、それから沈先生が中国語でなにやら言った後、田中先生が訳すというスタイルに戻る。
 どうしてこういう文(レジュメ)をしたかというと、長年、研究する中で、深く感じることがあったそうな。中国人はよく知っているだけでなくたいへん詳しいが、にも関わらず誤解というものもあり、こういった誤解は日本にもあったのではないか、と述べられる。
 あらぬ誤解を消したいという願いからこういう文を書いたそうな。この問題をみなさんが議論することを願っているとのこと。

 というわけで10:40ごろ終了。そこから司会の中川先生のコメント。感じ方、捉え方は人それぞれで、それから我々日本人は中国人の本質に迫るのは難しいなどなど。


・2006年7月29日「三国志シンポジウム」雑感2に続く
http://cte.main.jp/newsch/article.php/377

※追記 三国志飴(2010年9月16日)

※追記 週刊 三国志 ~芸術鑑賞会にむけて~(2010年10月15日-12月17日)

※追記 四川省を満喫しよう!(2014年7月26日)

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