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三国志フェス2011 終了後(2011年9月10日)


  • 2013年9月 1日(日) 00:01 JST
  • 投稿者:
    清岡美津夫
  • 閲覧数
    1,447
ショー 三国志フェス2013

※関連記事 三国志フェス2013(横浜2013年9月28日)

 引き続き、2013年9月28日開催「三国志フェス2013」のPRのための、「三国志フェス2011」のメモの続き。もう「三国志フェス2011」が終わっていて、直後の打ち上げの様子で、書くこともそれほどなく、前三回より短い。


※前の記事 メモ:三国志フェス2011 終了まで(2011年9月10日)

・中華料理・京急蒲田で有名な餃子の来富市場・珍味楼【飲み放題宴会】と岩盤浴エステRoseサロン
http://www.kaho-chen.com/

 2011年9月10日19時過ぎて全てが作業を終え(結局、追加料金が発生したのか清岡は未だ知らず)、来富市場に向かう。打ち上げの会場に入ると一つの和室の大部屋に四十人ぐらい詰まっていて、中華机が幾つかあり、それを7、8人が囲んでいた。聞くところによると、昨年と同じ打ち上げ会場とのことだ。
 予め青木さんに席を空けておくよう頼んでおいたので、清岡は最も北側で窓際のテーブルの青木さんの隣に座る。すでにコース料理は運ばれており、打ち上げが始まっており、まず清岡は飲物と食べ物の確保に励む。そのテーブルではしばし盛り上がる話題もなかったんだけど、順々にベタに自己紹介から始まり、やがて話題の中心は『三国志大戦』になる。

※関連記事 2005年春「三国志大戦」(リアルタイムカードアクション)稼働

 清岡と青木さんはそれに馴染みないので、他の人たちが親切に説明しようとする。その気持ちは有り難いんだけど、専門用語が多く清岡はどうも説明不足に感じ、かといって疑問点を一つ一つ尋ねるのも会話の流れを止めてしまうのでそのまま静観していたら、いつの間にかそこらへんの料理を食べ尽くしたり手元のグラスをすぐ空けたりになっていた。だけど、対する青木さんは、それと正反対で興味津々であれこれ話に乗ったり、人物の描かれたカード群を見せる人に対し嬉々として食い付くように見たりと、百点満点のリアクションをとっていて感心することしきりだった。そのせいもあってか、会話に参加する一人一人のテンションと声とが大きくなり、「三国志大戦」およびその用語は隣のテーブルまで届いたようで、何人かそれに興味在る方々がこちらのテーブルに来て、その分、一人一人のスペースが狭くなった。かくして清岡は心理的にも物理的にも疎外された形となり、居たたまれなくなり、フェードアウトするように静かに目立たず他のテーブルへと移った。

 極端にも北の端のテーブルから入口近い南西の端のテーブルに移る。そこにはUSHISUKEさんがいらっしゃったものの、やはり主催団体の代表とあって、大人気で清岡の話す隙がない。やはりチャーハンにがっついたりと、食事を進めつつゆるりと待つと、哲坊さんがいらっしゃったり、といくらが話す機会ができた。
 そのテーブルにはドラマ『三国志 Three Kingdoms』配給のSPOの人たちがいらっしゃったので、空き時間がないかタイミングを見計らい、かつ元居たテーブルで青木さんに空き時間がないかタイミングを見計らっていた。一旦、USHISUKEさんにその旨を切り出すも「今、取り込んでいるんで、後で良いんじゃないですか」と返される。終了時間が近付いている気がしたので内心あせりつつも機会を伺う。

 ようやく機会が巡ってきて青木さんにご足労願って、南西の端のテーブルで顔合わせ。下記のリンク先にある関係で、今回とは別のSPOの方と青木さんは面識があるとかで。

※関連記事 イケメン“三国志”特集!!(ミステリーボニータ2010年12月6日)

 話の内容は詳しく書ける訳はないのだけど、書くのに当たり障りのないことでは、日中韓米のドラマの性質の違いの話は興味深かった。それを聞いた清岡はアメリカのドラマのテンポが好みで、大河ドラマは退屈に感じすぐ集中力が途切れてしまうって口にしていたっけ。そんな感じで、青木さんの横で大人しく話を聞いていると、SPOの方から清岡を指して「(青木さんの)マネージャーの方ですか?」と言われたのが打ち上げでの一番のツボだった。漫画家のマネージャーって何やねん(笑)

 そんな感じで打ち上げの一次会は終了し、二次会は通りを挟んで西側の中国家庭料理 ニーハオ 別館(地下1階)だ。20人ぐらい参加したんじゃないかな。

・元祖羽根付き餃子(ギョーザ) 蒲田ニーハオ/TOPページ
http://www.nihao.co.jp/

 そこでは通路を挟みお座敷の二つのテーブルがあって、女メイン、男メインに別れ、話していたものの、終電等の理由により徐々に人が抜けていき、最終的には一つのテーブルにみんな集まっていた。清岡はおさっちさんと哲坊さんとローカルトークしていたことが印象に残った。話題は多分、三国志フェスについてかな。それと少し離れた所に、東洋史の院生が座っておられたので、「それじゃ、あの書評、読みました?」と遠隔射撃のように清岡から口走っていたのが印象に残ったか。

※関連記事 西晉「儒教国家」と貴族制(2010年10月28日)

 24時前にその二次会も終わり、そこで多くの人は帰り、スタッフと哲坊さん等8人で魚民に行き、そこで三次会となる。

・居酒屋で女子会ならモンテローザが運営の居酒屋
http://www.monteroza.co.jp/

 哲坊さんは途中でお帰りになられたんだが、後の方になると、みんな酒が回っちゃっていて、話がループしている様が見られた(良いように言えば繰り返しされることによりフレーズが洗練されていったというか)。イベント担当スタッフだった想さんから「夏と言えば三国志フェス、と言うぐらいにしたい」、音響技術担当スタッフだった益永さんから「ほとんどが素人のスタッフがやる気だけであんなにまとまった動きだったのに感心した。これ以上を望むんだったら組織力が欲しい」というような旨をおっしゃっていた。おさっちさんからは自らが職人気質であり、もし主催者になれば無難なところに収めてしまい、その点、USHISUKEさんのような資金面等でリスキーだが大胆でとても魅力的な企画(例えばコレクション展とか)は発想すらできないとおっしゃっていた。想さんの何度目かの同じ発言に対し、純粋な好奇心から清岡は「三国志祭じゃダメなんですか?」と蓮舫議員っぽいことを申し上げたが(もちろん量的に言えば三国志祭の方がはるか上)、やはりもう酒が回っていて生産的な議論には発展しなかった。

※関連記事 第五回三国志祭(2011年10月9日10日)

 閉店時間の関係で27時過ぎに終了。その後、具体的に誰かは書かないけど、清岡を含め4名はその中のある方の家に向かう。行く前は三国志トークで明かすとか合宿とかいうテンションだったが、いざ着いてみると、やはり皆さん、眠りに着いてしまう。

 清岡はノートPCでデータ整理した後、29時半ごろにその家を後にする。最寄りの駅から乗り継いで東京駅に向かいお土産買って、そこから31:10発の昼特急高速バスに乗る。9:00ぐらい到着の足柄サービスエリアまで熟睡していた。そこのスターバックスのホワイトモカ トールサイズ ショット追加はとても美味しく頂けた。(※以上、2011年10月21-31日に断続的に書き記す。次回の三国志フェスの開催が決まり、それに日が近付けば、PRの意味でもこれらを三国志ニュースに移植する可能性あり →※追記。というわけで移植完了!)

※次回記事 ノート:Mini三国志フェス in レキシズルスペース(2012年10月13日)

※追記 メモ:三国志フェス2013が始まるまで(2013年9月27日)

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