今日8月27日は何苗の忌日、あるいは卒去した日。勿論、例の如く旧暦。
何苗は元の姓が朱で、『続漢書』志十三 五行一に「皇后同父兄何進為大將軍、同母弟苗為車騎將軍、兄弟並貴盛、皆統兵在京都。」とあり、何進が何皇后の同父の兄、何苗が何皇后の同母の弟であるため、何苗は何進の血の繋がらない弟ということになる(※追記。2013年10月26日に「中央研究院 兩千年中西曆轉換」で確認して「28日」から「27日」に訂正)。
・『後漢書』紀八孝靈帝紀
(光熹元年)八月戊辰、中常侍張讓・段珪等殺大將軍何進、於是虎賁中郎將袁術燒東西宮、攻諸宦者。庚午、張讓・段珪等劫少帝及陳留王幸北宮德陽殿。何進部曲將呉匡與車騎將軍何苗戰於朱雀闕下、苗敗斬之。
※関連記事
8月25日は何進の忌日
上の漢文にも書かれているけど、上記関連記事で書いたように紀元189年8月25日(光熹元年八月戊辰)に何進が宦官の中常侍の張讓・段珪らによって殺害された。その二日後(庚午)に、その部曲の将の呉匡が何苗を素より怨んでいて、宦官と共に謀ったと疑い、北宮の朱雀闕の下で戦い、何苗を殺害したという流れ。
※追記
8月28日は張讓・段珪の忌日
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