うちの地域では11:05に最大日食になるんだけど、あいにくの曇り空だった。だけど、その数分前に雲の切れ目から、辛うじて三日月状の太陽(変な表現だが)を拝むことができた。
そういや、後漢末から三国時代あたりで日食といえば、三公クラスの人が免官になるイメージが私にはあるんだけど、何に基づいたイメージかあいまいだったので、この際だから検索かけてみる。
『後漢書』本紀で「日有食之」と検索してみて、ちゃんと引用元を書かず、以下、列挙してみる。
秋七月甲戌朔 、日有食之 。壬午、太尉朱寵・司徒朱倀罷 。 庚子、太常劉光為太尉、録尚書事;光祿勳許敬為司徒。
戊戌晦、日有食之。十一月、太尉劉寵免、太僕郭禧為太尉。
三月丙寅晦、日有食之。夏四月、太尉郭禧罷、太中大夫聞人襲為太尉。
三月辛酉朔、日有食之。太尉聞人襲免、太僕李咸為太尉。
冬十月癸丑朔、日有食之。太尉劉寬免。
丙子晦、日有食之。十一月、太尉陳球免。
九月庚寅朔、日有食之。太尉劉寬免、衛尉許戫為太尉。
夏四月丙午朔、日有食之。太尉馬日磾免、幽州牧劉虞為太尉。
これらを見た第一印象では、そういえば月と太陽の位置関係上、旧暦の晦(月末)や朔(月初)に日食が起こるのは道理だ、と妙に感心していた。
それで本題についてだけど、私のイメージの元は、昔、劉寬について検索しては読んでいたことがあったんだと思い出す。これらの記述を見ると、日食があれば主に「太尉」が免官になっているね。
それでここが「三国志ニュース」ということで、『三国志』ではどうかというと、『三国志』魏書文帝紀の黄初二年六月(紀元221年6月29日、新暦で8月5日)の条に以下の記述がある。
戊辰晦、日有食之、有司奏免太尉、詔曰:「災異之作、以譴元首、而歸過股肱、豈禹・湯罪己之義乎?其令百官各虔厥職、後有天地之眚、勿復劾三公。」
面倒だから(今のところ)訳さないが、太尉を免じるよう上奏があったものの、曹丕が詔で、以後、天地の過ちがあっても、三公を弾劾することを禁じているね。
ここらへんつついてみると、ちゃんと説明した論文はありそうだ。
※参照記事
皆既日食観測ツアーin赤壁(2009年7月20日発4日間)
※リンク追記
・Twitter / @f_nisihara: 日食のせいでクビになった人 in 『後漢書』 - メ ...
http://twitter.com/f_nisihara/status/204187038130507778
※追記
献帝の見た日食(2015年12月)
※新規関連記事
中島みゆき 夜会VOL.4 金環蝕(チャンネル銀河2017年12月17日)
サイト管理者はコメントに関する責任を負いません。