三国志小説は「三国志」をベースにした小説のこと。ただあまりにも三国志を題材にした古典小説の「三国演義」をベースにした小説、もしくは「三国演義」から設定なりエピソードなりを一部、拝借した小説が大半なので、世間一般では三国志小説といえば、もっと広義の意味となるんだろう。
小説だけに多かれ少なかれ創作やフィクションの類が混ざってくる。三国志小説の場合、創作が混ざらなければ小説と言い難いだろうし、創作を混ざらないものを求めるならば史書を読んだ方が確実だろう。また多少、創作が混ざっていたとしてもそれが史書の記述と同じと思われてしまうと、果たしてそれが三国志小説と言えるだろうか。
反対に、創作の割合が多いのに、三国志小説のタイトルが史書の名前と同じ場合は紛らわしい。例えば「三国志」という書がいくつもバージョンもあると、一部の読者の誤認を引き起こしている。
三国志小説に限ったことではないが、そういった歴史小説の創作には大きく分けて二種類あると思う。まったくのオリジナルな創作か、歴史的事実を骨格としそれに肉付けをしていくような創作か、その二種類。(またそれらどちらの創作にも歴史的事実と食い違ってくるかどうかでという分類もあるだろう)
私の場合、まったくのオリジナルの創作というのは少ないが、骨格の歴史的事実に肉だか脂肪だかわからないぐらいの創作をつけるので(漬け込むというのが正解か……)、骨格がすっかり埋没してしまって、結果的にまったくのオリジナルの創作っぽくなっている。やはり三国志小説において歴史的事実と創作のさじ加減は難しい。
そんなことをとりとめなく思っているおり、
http://member.blogpeople.net/TB_People/tbp_1243.html
三国志ピープルで面白いweblogを見つける。
http://www.mojika.com/flog/
↑三国志小説論だ。そこの管理人さんが三国志小説を書く際に思ったことなどが書かれていて、三国志小説を書く身にとってあれこれ参考になる。
http://www.mojika.com/flog/archives/2005/04/2.html
例えば「赤菟」について。
もし、私が呂布の馬の赤兔を史書の記述を元に小説に書こうとすると、史書において赤兔の記述なんて、三国志魏書呂布伝の注に引く曹瞞伝の「人中有呂布、馬中有赤兔。」ぐらいしか参考になるのがない、とみなしてオリジナルな創作をしてしまいそうになる。
ここの管理人さんは、三国志+その注と後漢書での「赤兔」の記述の違いに注目し、そこから話を膨らまし、いってみれば、歴史的事実を骨格としそれに肉付けをしていくような創作をしている。
いわく三国志では「赤兔」だけど、後漢書では「赤菟」だと。すぐに手元の中華書局の後漢書をめくってみると、確かにそうだった。
後漢書呂布伝によると
「布常御良馬、號曰赤菟、能馳城飛塹」
となっている。先にあげた曹瞞伝の赤兔の記述よりいくぶんか具体的になっている。
さらにここの管理人さんは「菟」の字から「赤兔」を虎のような外見と描写している。
これも先ほどの後漢書と同じように手元の字通CD-ROM版で「菟」の字を調べると
『4.於菟(おと)は楚の方言、虎。』
と出ていた。
こういったように一つ一つとってもとても参考になるweblogなのだ。
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ご紹介ありがとうございました。しかも古い内容まで見て頂き、大変恐縮です。
こちらこそ、素敵なweblogを公開してくださってありがとうございます。
それと「三国志を題材とした短編小説を執筆する前段階の事」でこちらのことを紹介していただきありがとうございます。
感想掲示板でそういったツリーを興味深く拝見していたんですよ。こうやってweblogである程度、まとまった文をみるとさらなる発見もあり面白いですね。
そうそう、上の私の文に「歴史的事実」(というより史書の記述ですが)以外に「民間伝承」が抜けているのに気付きました。
あと、読者の三国志的な知識をどの程度、想定するか、も難しいですね。私は全然、予備知識のない人にでも読めるようなのを目指したい方です。
しかし清岡さんは、色々なサイトを巡っていますねぇ。僻地の感想掲示板まで見てらしたとは恐れ入ります。
もしそうだとしたら、ごめんなさい。
小説本編以外に感想掲示板も読んでいてためになる(作者にとっては励みになる)、面白いって良いですね。