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蒼天航路4巻をあえて突っ込んでみる(1)
020704
<<Sandai NEWS 020622

   「蒼天航路」という漫画がある。
   講談社の漫画雑誌「モーニング」で連載されている、三国志漫画だ。
   この漫画、たまに「正史ベースか演義ベースか」ということが話題に上がるらしいけど、どうやら、漫画の魅力はそんなしがらみを超越したところにあるらしく、まさに「ネオ三国志」とのこと。
   だから、「蒼天航路」を読んで、ここは史実と違う、とか指摘するのは野暮なことだと思う。
   と書きながら、史書の立場で「蒼天航路」を突っ込むというような、野暮なことをあえてやってみよう、というのがこの企画。
   きっちり史書をおさえて、書いていこうと思うので、多少、きつい目の表現になるかもしれないけど、返って「蒼天航路」の物語性や演出面のすばらしさが浮き彫りになれば良いなと思っている。

   で、突っ込むところは、このサイトの性格上、孫堅(字、文台)が登場するところ、「蒼天航路」の単行本4巻1)。なお、清岡の持っている「蒼天航路」4巻は第一刷(古本屋で購入・汗)なので、皆さんが目にするのとは若干違うかもしれないことをご了承、願いたい。
   気づいたところから突っ込んでいこうと思う。


(裏表紙右上、曹操が馬に乗る絵)

   私は考古学について詳しくないけど、一般的に、この時代の中国に鐙がないらしいことは知っている2)
 しかし、鐙がないってことは足の踏ん張りが効きにくいから、乗っているだけでも相当な訓練が必要だし、ましてやそれで戦うのだからかなりの技術。
 そう考えると、文台さんは、北に比べて、馬が少ない南の出身なのに、馬のエピソード(西華で落馬)があるなんてすごいことだなあ、と再認識。

(表紙を開けて右側の口絵)「冀州頓丘の県令に新赴任した曹操孟徳は、」

   なんか、いろんな三国志サイトの解説文でありきたりなんで、これにつっこみを入れるのは恥ずかしいけど、まあ、お約束ということで。
   「姓+名+字」表記は、どの史書を見ても見られない(2002年8月17日追記。この後、例外がないかと調べてみたら、結構、見つかる。三國志卷三十五蜀書五諸葛亮傳第五の「徐庶元直」、典論論文の「孔融文舉」)。そういうのはゲームと一部の物書きだけっぽい。メディアの立場だと、「姓」も「名」も「字」も一気に表現できる便利な表記なのかもしれないけど、慣例にあわずかなり無理しているような感じ。一時の便利さより間違いを長い期間、広めてしまうという弊害の方に効果が大きいように思えてならない。
   現在の我々が当時の名前の表記になるべくあわせて、「姓+名+字」表記をやるとしたら、「曹操字孟徳」というような、史書にかかれているように、「字」という文字を間に入れて表記すると良いのかな。

(P.2   臥龍合戦図)

   あの〜、この時期に袁紹軍はないとおもうんだけど。漫画本編でもこの記述がでてくるので、本腰をいれた突っ込みは後回し。
   というか孫堅軍。これじゃ、文台さんが呉から下ひ経由で行軍しているようにみえる。文台さんは単なる役人(県の丞)で、軍は募兵したばかり3)
 ん? まだ黄巾の乱は始まっていないので、文台さんの元に兵卒すらいないような……それとも一人で「俺は孫堅軍」ってノリでしょうか??

(P.27、4コマ目)「曹操様に報告すべきですな」

   これもありきたりすぎて、わざわざ突っ込むのはかなり恥ずかしいのですが、一応……
   目上の人の名(ここでは「操」)はおそれ多いので言いません。この時代の人は親や君主ぐらいからしか名で呼ばれない……でも、本人のいないところでは名を言っていたのかな?
   ってもしかしてこの人、実は曹操より偉い人なのかも……それだとしたら、「様」をつけているのは、おかしいし。(「報告すべき」と言っているから、この人、部下っぽいし)
   漢語と現代日本語の折り合いをつけているのかもしれないけど、「様」をつけてあたかも曹操が上司かなにかだと言わんばかりなのに、名を言っているので、返って無礼
   でも、そういう知識抜きにしたら、「姓+名」様が一番、状況を読者に表現するのに手っ取り早そう。


P.48、2コマ目)夏侯惇「わずか18歳にして会稽郡の反乱を平定した孫堅の兵2万」

   まず前半部分。文台さんはその会稽郡の反乱討伐には確かに参加したんだけど、それじゃ、まるで文台さんが総指揮で反乱討伐したみたいにとれる。実際は臧旻と陳寅の軍4)に文台さんが加わったという状況。その二人の高官の手柄を文台さん一人の手柄と勘違いしてたら、確かにすごい
   それと後半部分。このシーンの後の黄巾退治で、文台さんが所属する朱儁(字、公偉)の軍、その軍に皇甫嵩の軍を併せて、やっと四万あまりなのに5)、そんなにいるわけはない。文台さんの軍は千人もいっていない3)

(P.48、3コマ目)夏侯惇「そしてお前の北には劉表の1万5千   南には袁紹の1万と袁術の8千だ」

   当時、劉表は黨錮の禁で兵を持つどころじゃないだろうし、袁紹や袁術は多分、お役人さん6)。    先の文台さんの件といい、後に群雄割拠する人物たちをこの時点で名を出すことで、伏線みたいなのを張っているんだろうけど、ちと、ほらをふきすぎのような気がします……
   まぁ、ここで読者に、兵数がない曹操と兵数を持っている群雄のギャップを見せておけば、後の曹操のサクセスっぷりが引き立つんだろうけどね。


(P.53、4コマ目)「司徒の王允かと」

   この時期、王允はようやく俸禄六百石の侍御史なので、最高位の一つである司徒なんて夢のまた夢7)。なんだか、時代錯誤。
   というか、王允はこれより数年後に司徒になるんだけど、作者はそのときの官位とごっちゃになっているのか、それか、知ってたうえで、読者にその官位を伏線として覚えてもらうため、あえてそうしたのかのどちらかでしょう。
   まぁ、おそらく、後者だと……と信じている(汗)

   こうやって途中から途中まで「蒼天航路」と史書を比べてみると、史書と異なる部分は大体、「蒼天航路」における物語の大きな流れと、三国志ファンのイメージ(私からすれば過剰すぎるぐらい・笑)に即した構成になっているように思える。結果的に、前者は三国志を知らない人にも入りやすくするように、後者は三国志ファンを納得させるようになっているような気がする(両方とも私の実体験が伴っていない。汗)。

   とりあえず、今回はこのへんまでにして次回に続く。次回はいよいよ文台さん登場のシーン?   いや、まだ決めてないんで(汗)。


1)   李學仁原作、王欣太漫画「モーニングKC-461   蒼天航路   4」講談社刊   1996年4月23日発行   ISBN4-06-328461-1   ちなみに清岡は文台さんの出ている巻しか持っていない   <<戻る

2)   いろんな本に載っているけど、手元にある参考になりそうな文献は林巳奈夫/著「中国古代の生活史」吉川弘文館刊   1992年3月10日発行   ISBN4-642-07311-6のP.99。そういえば、「蒼天航路」をあまり知らない時期にモーニングをぱらぱらと見ていたら、三国志漫画があるなあと思っていたら、鐙が描かれていたので、それ以上、読まなかった覚えが……当時、私は鐙・椅子チェッカー(三国志ものはまず鐙と椅子が出ていないかに目がいく)だったので、そういうことに過剰反応していたみたい。今から考えるともったいないことしたなあ、と。
   (2005年1月27日追記)鐙に関して。「中国古代の服飾研究」という本では前漢(文脈から多分)ですでに鐙があるとされている。→>>参照リンク
   
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3)   黄巾の乱の時の記述「堅又募諸商旅及淮・泗精兵、合千許人、與儁并力奮撃、所向無前。」(三國志卷四十六呉書一   孫破虜討逆伝)から文台さんは呉ではなく淮水と泗水で兵(千人より少ない)を募っていることがわかる。   <<戻る

4)   「熹平元年、會稽妖賊許昭起兵句章、自稱「大將軍」、立其父生為越王、攻破城邑、衆以萬數。拜旻揚州刺史。旻率丹(揚)〔陽〕太守陳寅撃昭、破之。」(後漢書卷五十八虞傅蓋臧列傳第四十八)から。ちなみに文台さんはこの反乱討伐に郡の司馬として参加し、その功で県の丞になる。このことについて、当サイトの「気になるアイツ(臧旻)」が少し詳しい。   >>見に行く   <<戻る

5)   「於是發天下精兵、博選将帥、以嵩為左中郎将、持節、與右中郎将朱儁、共發五校・三河騎士及募精勇、合四萬餘人、嵩・儁各統一軍、共討潁川黄巾。」(後漢書卷七十一皇甫嵩朱儁列傳第六十一)より。皇甫嵩と朱儁の軍、合わせて四万なのに、実は孫堅軍2万なんて控えていたら、中郎将の立場がない(笑)   <<戻る

6)   劉表のこと、袁紹のこと、袁術のこと、順に「詔書捕案黨人、表亡走得免。黨禁解、辟大将軍何進掾。」(後漢書卷七十四袁紹劉表列傳第六十四)、「後辟大将軍何進掾、為侍御史・虎賁中郎将。」(後漢書卷七十四袁紹劉表列傳第六十四)、「舉孝廉、累遷至河南尹・虎賁中郎将。」(後漢書卷七十五劉焉袁術呂布列傳第六十五)より。劉表以外、時期は特定できないけど、劉表と袁紹は大将軍の何進(中央)に招かれているし、袁術は河南尹(中央の役職)になっているし、地方で軍をもっていることはなさそう。   <<戻る

7)   「三公並辟、以司徒高第為侍御史。中平元年、黄巾賊起、特選拜豫州刺史。」(後漢書卷六十六陳王列傳第五十六)より。王允がずっと司徒だなんて、ずっとじじいの黄忠やずっと若武者の趙雲ぐらい変。   <<戻る

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