三国志ファンのためのサポート掲示板 ※共同掲示板。話題は三国志関係。横レス歓迎。初心者モードの質問からマニアックな雑談まで
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【791】三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) ジョージ真壁 2004/3/30(火) 3:38 マニアック!

【820】Re:三国志書物の需要と供給 黄虎洞 2004/4/3(土) 9:48
┗ 【824】コンセプトの統一か、明言を ジョージ真壁 2004/4/4(日) 20:25 感謝♪
┗ 【829】Re:コンセプトの統一か、明言を 黄虎洞 2004/4/5(月) 7:14

【820】Re:三国志書物の需要と供給
 黄虎洞  - 2004/4/3(土) 9:48 -

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   ▼ジョージ真壁さん:
読者と書き手と出版社(商売)との問題は、現実の経済活動の中で難しい問題をはらんでおり、一概にこうだとは申せませんが、小生の愚見を申し述べておきます。
現在、三国志ものを執筆される大半の方はライター(三国志関係を良くお書きになる)が中心で、実際の研究者は少ないと思います。
今まで、研究者の間では、三国志のことをすると「あいつは三国中毒だ」とか、蜀のことをすると「蜀中毒だ」とか言われ、「もっと真面目なことを研究しろ」などと言われてきました。因って今まで前後のからみや、論の展開上から「三国」のことに論及が及ぶことは有っても、「三国」を冠した専門研究書は存在せず、今年の三月末になって、渡邉義浩氏の『三国政権の構造と名士』(汲古書院、10000円)が本邦最初の「三国志」を冠した書籍です。
また一般向け雑誌の場合、執筆者全員を研究者でそろえ、絶対正史に依拠とのコンセプトを徹底すれば可能でしょうが、一雑誌の執筆者全員を研究者で揃えるのは困難であり、当然研究者+ライターの方々と言う組み合わせとなります。
研究者の場合は、出版社サイドが何を言っても、「俺は正史の範囲でしか書かないよ、いやなら書くのを辞めるよ」と言えます。なぜなら他に本職を持っているからです。
しかし、書くことで生計を維持されているライターの方々の場合は、そのような勝手な言いぐさは難しいと思います。よっぽど大物ライターで何でも通るような作家樣なら別でしょうが、普通では難しいと思います。
逆に、無理して研究者をかき集めて書かせれば、内容的には歴史的事実に依拠した雑誌になるでしょうが、専門用語の羅列した面白くもない雑誌となり、まるで研究書のダイジェスト版の様になるでしょう。こんな雑誌が本当に大量に売れるでしょうか。
結果、雑誌を売ると言う立場の出版(経済活動)サイドから言えば、ライターの方々と研究者の数人の組み合わせに因る執筆メンバー構成が、一番無難と言うことになるのではないのかと愚考致します。
因って小生の結論でありますが、出版の諸事情に因り執筆者を一元的に統一出来ないと言う現状の中で、読者の方々には、誰が執筆者であるかに因って読み分けるスタンスを持って頂きたいと愚考致します。ここまで三国志ものが氾濫し、多くのフアンがおられる状況を拝見すると、一雑誌の中でも「この人は歴史に依拠しているな」とか「この人は『三国志演義』系だ」とか、読み分ける楽しみを読者の方々に持って頂けたら幸いだなあと勝手に望んでおります。

【824】コンセプトの統一か、明言を
感謝♪  ジョージ真壁  - 2004/4/4(日) 20:25 -

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     どうも、真壁です。


  貴重な御意見をどうもありがとうございました。
  研究者の方々と、ライターの方々の置かれる立場というものが、よく理解できま
した。


 記事を書くのが、研究者+ライターの方々という組み合わせになるのは、仕方ない
ですし、読み物としてのバラエティから考えれば、読者の立場からは、むしろそうで
あってほしいと思います。例えば、別冊宝島の『三国志 曹操 孟徳伝』という本では、
教授や助教授といった、本格的な研究者の方々はもちろんのこと、ライターの方々も、
非常に真面目に分析みたいなものを書いていました。その真摯な態度には好感が
持てますし、内容も、非常に参考になる点が多かったのですが、いかんせんカタすぎて
面白味に欠けたきらいがありました。研究者の方は、立場上、立証されていないことを、
勝手に推測して書いたりすることは難しいこともあるでしょうが、ライターの方は、
比較的自由に書けるところがあると思います。そして何より、ライターの方は、楽しく
読ませる文章を書くプロですから、「三国志はこんなに面白いんだよ」ということを、
再確認させてもらうためにも、ライターさんの存在は必要です。研究者の方では、
表現できないものを、ライターの方には表現してもらいたいところです。


 ただ、繰り返しになるかもしれませんが、私が不思議に思うのは、「なぜ、内容の
コンセプトを統一できないのか?」という点です。研究者の方は、立場上「正史」の
話しかできないかもしれませんが、ライターの方は、「演義」のことでも「正史」の
話題でもできる。となれば、最初に、「この本は、こういうコンセプトでいく」という
取り決めが重要になってくるはずです。それがちゃんとできているのかどうかという
点に、疑問を感じます。例えば、別冊宝島の『僕たちの好きな三国志』という本では、
冒頭に『本書で再現される三国志の世界は「正史」を基礎としている」と高らかに
宣言しています。ということは、出版社側のライターさん方への要求は、「内容は
正史の話」であったはずです。しかし、この本の中身を見るに、演義系の話で満載
です。読者からしてみれば、「これは、ナンなんなのだ?」と言いたくなるわけです。
ライターさん達が、もし、出版社側からちゃんと編集方針をきいていたなら、立場上、
ちゃんと正史の話を書いたはずです。そうなっていないということは、コンセプトを
ちゃんと事前に統一していないのではないか? 要は、編集側の仕事が、テキトー
なのです。読者との約束である、「正史が基礎」という宣言を守ろうという気がまるで
ありません。編集のプロとしてのプライドがないのか、コンセプトを統一するぐらいの
力量がないのか、それとも、三国志ファンを、読者を舐めているのか。私が問いたいの
は、編集側の姿勢そのものです。「別冊歴史読本」や「歴史群像シリーズ」の本も、
要は、編集側に、「俺達は、歴史を扱っているんだ」というプライドがないから、
内容のコンセプトが統一されないままの本を出して、なんら恥じるところがない。

 ナタデココが食べたくて、「ナタデココ」とラベルに書いたデザートを買ったのに、
中に「杏仁豆腐」が混じっていたら、客は怒るに決まっています(もちろん、
杏仁豆腐が好きな人なら、構わないかもしれないですが…)。

「売れれば良いのか!」という話です。もちろん、売れることが大事です。しかし、
本当に商売というものがわかっているなら、その場でただ売れるだけの本を出すの
ではなく、良いクオリティのものを出して、次の本も読者に買ってもらうように
努力するのが、真の出版社(商売人)のあるべき姿ではないのでしょうか? 


 私としてはできるだけ勘弁してもらいたいですが、あえてコンセプトを統一せず、
とりあえず「三国志」の話を集めてみた、という本を出す場合は、最低限、読者に、
この話は「演義」の話なのか「正史」の話なのか、明言して頂きたいものです。
最近刊行された、『週刊ビジュアル三国志』もその類の本だと思いますが、この点に
ついては、それなりに気を使っていたように見えました。それが筋だと思います。

 読者の側にいちいち、「この人は正史の話を書いている」「この人は演義だ」などと
判断させるというのは、正体不明の料理を出しておいて、「材料が何かは、自分の舌で
確かめろ」という料理屋みたいなものです。料理に詳しい人はわかるかもしれないが、
そうでない人には、判断のしようがない。私は、それは、不親切極まりないことでは
ないか、と思います。

「正史と演義の違いなんて、大事なの?」と、それすらわかっていないような出版社
は、その程度の認識で「三国志」の本など出すべきではない。国産なのか、アメリカ産
なのか、という違いが重要なのに、それを気付かず混ぜて売るようなお米屋は、もはや
プロとは言えますまい。


 ということで、またまた同じことを繰り返した感がありますが、いかがだったで
しょうか。また御意見・御感想を賜れれば幸いです。そろそろ、三国志小説についても、
述べていきたいと思っております。


                      ジョージ真壁

【829】Re:コンセプトの統一か、明言を
 黄虎洞  - 2004/4/5(月) 7:14 -

引用なし
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   ▼ジョージ真壁さん:
コンセプトの統一を図れとのご意見はもっともだと思います。
出版サイドとしては一応コンセプトの統一を図っているつもりなんでしょうが、それでもご指摘のような現状が現れているわけで、なかなか解決するのは難しく、出版サイドの因り一層の努力を求めることぐらいしか出来ない現状です。
所で、歴史か演義かと行った場合、もう一つ重要なことがあります。それは、歴史といえば一般的に正史の『三國志』をイメージしますが、『三國志』以外の歴史書(野史)にも三国時代のことが多く書かれています。これらも歴史書です。問題なのは、これらの歴史書の中には、演義のネタになったような話が多くあります。因って歴史系の『三國志』の中に「これは演義系では」と思うような話が時たま出てくることになります。逆に演義系の『三國志』の中にも、「こんな話はどこにあるんだ」と思わせるような荒唐無稽な話が出てきたりすることが有りますが、これは『三国志演義』の元になった『全相三國志平話』の話の一部であったりします。
因って、歴史と銘打ったり、演義と銘打ったりしていても、中身に「あれ」と思わせる話が出てくることは、まま有ります。
とういっても、コンセプトの統一を図るのは、出版サイドの責務として当然の行為であろうと思います。

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