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はじめて書き込みさせていただきます。
「正史」と「演義」が混同される原因について、私は「多くの日本人にとって、正史三国志も三国志演義も存在せず、ただ『三国志』があるだけ」だからだと考えています。
日本の歴史で人気のある時代はどのあたりでしょう。桶狭間から大坂夏の陣・幕末・忠臣蔵などが好きと答える人は多いでしょうし、我々もまたそういう人を一般に「歴史好きな人」と呼んでいます。
では、我々はそのあたりの知識をどこから得ているのでしょうか?
答えはおそらく大河ドラマであり、吉川英治であり、山岡荘八であり、司馬遼太郎でしょう(武田信玄好きでも、甲陽軍鑑を読んだことのある人は少ないはず)。山岡荘八で家康を知った人にとって、あの小説に書いてあることが家康の事実と思うはずです。それは決して真実ではありませんが、読者が対立する知識を持たなければ、その事実を真実として認識することになるでしょう。
そして、そういう人達が多数派を占めるようになれば、「家康=山岡荘八の家康」が共通の認識となり、少数派の意見はそれが真実であっても排除・無視されるのが世の常です。ガリレオ=ガリレイはいつの世にも存在するわけです。
三国志だとどうなるでしょう。メディアを動かす立場にいる製作者の年齢と、歴史(自称)番組を好んで見る人の年齢構成を考えれば、現時点では「三国志=吉川英治(≒演義)」だと思います。残念なことに当時は正史三国志が流通していませんでしたから、彼らにとって三国志に正史も演義もありません。「三国志」は1つしか無かったわけです。そういった独占状態が2,30年も続けば、「三国志」の共通認識が固定化されるのも仕方ないのではないでしょうか。
さらに、一度できてしまった共通認識を覆すのは容易ではありません。理科の教科書を見れば、存在もしない「電流」などというものが平然と書いてあり、「ウェブサイト」は「ホームページ」でも通じるようになってしまい、「クラッカー」は「ハッカー」と…(以下略)。
例えば馬超。演義の「親を殺されて復讐に燃える悲劇のヒーロー」と正史の「親を殺した血気盛んで政治力ゼロの馬鹿」ではイメージが違いすぎると思います。また、獅子の兜をかぶっていれば誰が書いても馬超とわかるくらい、イメージも演義で固定化されています。普通の兜をかぶった馬鹿武者の馬超が登場したときに違和感を感じなくなるようになれば、演義偏重時代も終焉を迎えることができるのではないでしょうか。
現在、三国志は正史・小説・ゲームなど多様化しているので、情報の発信の仕方しだいで状況を変えることは容易なはずです。よって、ちくまの和訳を読んだ世代がTV局の製作責任者になる時代になれば、今の状況は少しは変わるものと考えます。私の予想ではあと20年くらいかかると思いますが。
コーエーが新作ゲームで「正史武将しか出ない正史シナリオと、演義武将しか出ない演義シナリオに分ける」ついでに「正史シナリオと演義シナリオで武将の能力値を別にする」としてくれれば啓蒙として一番速いんですけどね。陳到と周倉が一緒にいるシナリオに萎え。
なお、野球を例にすると、
正史派=スポーツとしての野球が好きな人
演義派=チームや選手が好きな人
というのが私のイメージです。
長々と失礼しました。
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