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【791】三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) ジョージ真壁 2004/3/30(火) 3:38 マニアック!

【810】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) むじん 2004/4/1(木) 16:38
┗ 【814】(Re) 三国志の状況を格闘技に喩える ジョージ真壁 2004/4/2(金) 4:28 感謝♪

【810】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです)
 むじん E-MAILWEB  - 2004/4/1(木) 16:38 -

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   こんにちは、むじんです。

ご意見を伺いますと、以下、4つの立場が明確に区分されてないような印象を受けました。

(a)正史を題材にとって学問を追究する(史学)
(b)正史を題材にとって娯楽を追究する
(c)演義を題材にとって学問を追究する(文学)
(d)演義を題材にとって娯楽を追究する

また、学問の側(a,c)が娯楽追究(b,d)の成果を取り入れることはない一方、娯楽の側(b,d)が学問追究(a,c)の成果を取り入れることは正当な手続きであるというのもポイントです。したがって市場に流通する娯楽本が、正史から話を取ってきたり、あるいは演義から取ってきたりするのは別段奇異なことではなく、b,dを区別する必要はないように思われます。

また正史、史実という二つの語の混同もあるように見受けられました。

とりあえず気付いたのは以上の通りです。

【814】(Re) 三国志の状況を格闘技に喩える
感謝♪  ジョージ真壁  - 2004/4/2(金) 4:28 -

引用なし
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    どうも、ジョージ真壁です。

 むじんささん、御指摘・御意見、どうもありがとうございました。
 このたびは、御指摘に対しての、私の回答と、意見を述べさせて
頂こうと思います。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。


>ご意見を伺いますと、以下、4つの立場が明確に区分されてないような
印象を受けました。
>
>(a)正史を題材にとって学問を追究する(史学)
>(b)正史を題材にとって娯楽を追究する
>(c)演義を題材にとって学問を追究する(文学)
>(d)演義を題材にとって娯楽を追究する
>
>また、学問の側(a,c)が娯楽追究(b,d)の成果を取り入れることは
ない一方、娯楽の側(b,d)が学問追究(a,c)の成果を取り入れることは
正当な手続きであるというのもポイントです。したがって市場に流通する娯楽本が、
正史から話を取ってきたり、あるいは演義から取ってきたりするのは別段奇異なこと
ではなく、b,dを区別する必要はないように思われます。


 なるほど。おっしゃられているように、4つの立場の境界について、少し(かなり)
曖昧だったかもしれません。改めて、私の意図を明確に宣言させていただきますと、
むじんさんの区分で言うところの、(b)(d)を、ハッキリ区別してほしい、という
ことになります。「同じ娯楽(先だっての皆様の御意見にある「娯楽系」とは意味が
異なる)なんだから、その成果をぶち込んでやれ」というのは、勘弁してほしい、
という嘆きなのです。

  なぜなのか。

  これは、レスリング・格闘技の世界で喩えるとわかりやすいかもしれません。
(プロレス・格闘技ファンの方々のお怒りを買うかもしれませんし、御存知ない方
にとっては、意味不明な喩えかもしれませんが、御容赦下さい)


 むじんさんの区分における四つの区分を、格闘技界で言えば、下のようになるのでは
ないかと思います。

(a)真剣勝負を、スポーツとして鑑賞する。(アマレス・相撲・他のアマ格闘技)
(b)真剣勝負を、娯楽として楽しむ。(K−1。プライド等)
(c)ショーとしての戦いを、スポーツとして鑑賞する。(一部のプロレス団体等か)
(d)ショーとしての戦いを、娯楽として楽しむ。(一般的な興行プロレス等)


(b)と(d)は、同じ格闘技であり、「娯楽」を求めている点では同じだが、
一方は「真剣勝負(真実に近いもの)」、一方は「ショー(フィクション)」という
明確な違いがあります。そして、「娯楽として楽しむ」と一口に言っても、当然、この
両者は、「求められている娯楽内容」の中身も違ってきます。もちろん、人に
よって様々な楽しみ方もあるでしょうが、(b)の場合は主に、「真剣勝負における
その内容と結果を堪能し、誰が一番強いのかを確認する過程」を楽しむのに対し、
(d)は、「勝負に至るまでの派閥抗争・因縁・パフォーマンスなどの前フリから
堪能し、対決での技の応酬・展開の起承転結という物語」を楽しむものと考えます。
同じ格闘技であり、娯楽ですが、お客が要求するものは、まったくの別物です。

三国志も同じで、娯楽として三国志を捉えていることは同じでも、「歴史系」「文学系」
「娯楽系」の各者が求めている内容は、まったく別物だと考えております。

  今、三国志の本などで行われていることは、真剣勝負に勝とうとしている武蔵
と、お客さんを見て楽しませたいグレートサスケが、同じリングに上がっている
ようなもので、見ている方としては、その意味を理解できません。格闘技の世界で
言えば、「人気者二人をリング戦わせれば、いいってもんじゃないやろ」という
ことになります。

両者は、明確に区分されてこそ、その本領が発揮されるものと考えます。
(もちろん、格闘技の場合は、グレートサスケがK−1のリングに上がる可能性が
ないわけではありませんが、その場合、主旨は統一されます)

以上が、私の最初の主張での主旨です。


 というわけで、格闘技で喩えてみましたが、いかがだったでしょうか?
かえって意味不明になったかもしれない、との危惧もありますが、その場合は、
御容赦下さい。また、御意見、御感想などを賜れれば幸いです。


                    ジョージ真壁

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