三国志ファンのためのサポート掲示板 ※共同掲示板。話題は三国志関係。横レス歓迎。初心者モードの質問からマニアックな雑談まで
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【791】三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) ジョージ真壁 2004/3/30(火) 3:38 マニアック!

【799】二極化と傑作を求む(再び長いです) ジョージ真壁 2004/3/31(水) 7:02 感謝♪
┣ 【800】むしろ三極化? 清岡美津夫 2004/3/31(水) 12:48 追記
┣ 【802】Re:二極化と傑作を求む(再び長いです) 孫ぽこ 2004/3/31(水) 13:46
┣ 【803】Re:二極化と傑作を求む(再び長いです) 孫ぽこ 2004/3/31(水) 14:17
┣ 【804】Re:三極化ではないのかと 黄虎洞 2004/3/31(水) 18:39
┃┗ 【806】議論というより雑談になってしまいますが わちこ 2004/3/31(水) 21:58
┣ 【807】三国鼎立と諸葛亮の北伐 そして柳毅 ジョージ真壁 2004/4/1(木) 11:51 感謝♪
┗ 【808】正史・演義の混同の原因 伊比 学 2004/4/1(木) 11:51 感想
┣ 【813】あみんも待てない二十年  そして電流 ジョージ真壁 2004/4/2(金) 4:16 感想
┃┗ 【843】電流。話の枝葉の部分ですが 清岡美津夫 2004/4/9(金) 12:03 雑談
┃┗ 【844】かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』 ジョージ真壁 2004/4/10(土) 15:21 雑談
┃┣ 【860】歴史創作と解説 清岡美津夫 2004/4/19(月) 22:16 雑談
┃┃┗ 【862】安西先生…三国志が…見たいです ジョージ真壁 2004/4/20(火) 5:46 雑談
┃┗ 【2251】Re:かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』 骨喰藤四郎 2006/3/8(水) 12:07
┃┗ 【2252】Re:かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』 清岡美津夫 2006/3/8(水) 18:49 ひと言
┃┗ 【2254】Re:かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』 骨喰藤四郎 2006/3/9(木) 18:50
┗ 【1374】Re:正史・演義の混同の原因 馬元義 2004/10/17(日) 10:44

【799】二極化と傑作を求む(再び長いです)
感謝♪  ジョージ真壁  - 2004/3/31(水) 7:02 -

引用なし
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    皆様、懇切丁寧な御返事・御意見を下さり、誠にありがとうございます。
 私の長々とした文に、だった一日でこれだけ真摯な回答を頂けるとは、正直思って
いませんでした。三国志について真剣に考える方々がいる限り、日本における三国志が
すたれることはない、と、とても嬉しく思った次第です。

 で、今回は、皆様方の御返事に対して、私が回答させて頂こうと思います。
 本当は、頂いた文のひとつひとつに回答をしたいのですが、そうすると膨大な量に
なってしまいますので、要点をかいつまんで、再び私の考えを述べさせて頂こうと
思います。


  「正史」=「真実の姿」ではない、ということは、私も重々承知致しております。
ですから、私も、「事実でなければならない」と頑なに考えているわけではありません。
それに、それぞれの人々の心に色々な三国志の形があって良いと思います。ですが、
繰り返しになるかもしれませんが、「歴史」として紹介する以上は、ちゃんと調べて
書いてほしいし、フィクションの場合は「演義では〜」などと、ちゃんと説明を入れて
ほしい。今は、その両者がごちゃ混ぜになってしまっているのが残念でなりません。
『三国志』を語る書物は多いですが、「君は演義か、正史か、どちらのことを語っている
のか?」という点だけでいいから、ハッキリして頂きたいところです。

 では、なぜハッキリしてもらいたいのか? 演義のフィクションと正史の記述にある
話を同列に語ることは、意味がないと思うからです。
 こういった喩えが適切かどうかはわかりませんが、今の現状は、ドラマ『白い巨塔』
を見て、「唐沢寿明とは出世至上主義の男だ」と論じているのに似ています。
今更言うまでもないことかもしれませんが、フィクションと史実は、あくまで別の
ものです。別々に論じないと意味がありません。

そういえば、こういう本もありました。

 ある会社の、『三国志登場人物データ』みたいな本では、三国志の登場人物一人
一人に、色々な研究家の方々が分担して「統率力」「戦術戦略」などの点数をつけ
ていくという企画をやっていました。企画それ自体は面白そうな試みですし、色々
な方がどういう解釈をするのかが楽しみで、私はこの本を買いました。しかし、
読んだあと、私は深い溜息が出るのを抑えられませんでした。研究家の方々も、
一人一人価値観が違うから、点数のつけ方にバラツキが出るのはある程度仕方あり
ません。しかし、ある人は「演義」を参考にして点数をつけ、ある人は「正史」を
参考にして点数をつけているので、内容の統一性という点から見ると、もう無茶苦
茶でした。正史の記述と、演義のフィクションという、似て非なるものを、同じ
場所で語ることに意味を感じられません。これは、しつこいようですが、
「江口洋介 優しさ9点。財前教授 優しさ2点」と論じているようなものです。

 ちなみに、統一性とは直接関係ありませんが、この本では劉表配下のカイエツの
義理の点数が、たったの1点。理由は、「三国志ファンには義理を欠く」からだそうで、
もはや言っている意味すらわかりません。


 話を戻します。

 内容の統一という点では、最初の問題提起の文でも紹介致しました、
「この本は、正史を基礎としている」と冒頭で書いていながら、演義の話題が盛りだく
さんの書物も、失格です。冒頭の宣言だけを読んで買ってしまうと、騙されたような
気分になります。この本の恐ろしいところは、本文では、「史書」の記述から、鋭い
考察を展開しているのにも関わらず、本文の下の方にある図解では「演義」を参考に
した図が書かれている点です。「史書」の考察をしているのに、なぜ図は「演義」
なのか? 史実とフィクションを同じ場所で語ることにどんな意味があるというのか?
三国志初心者の方は特に、これを読んだら、何がなんだかわからなくなってしまうの
ではないかと危惧します。

 そういえば、最近『週刊ビジュアル三国志』という本が刊行されていましたが、
ああいうのも、私としては『ビジュアル三国志演義』と題してほしかった。
表紙に「桃園の義」とデカデカと書いてあるので、たいていの人は一目で「演義」
モノとわかると思うのですが、正史『三国志』がこれだけ親しまれるようになって
きた現在において、漠然とした『三国志』という題名で、買わせようとするのは、
いかがなものか。それに、『週刊ビジュアル日本の歴史』の方は、実際の歴史を
考察しているのに、『週刊ビジュアル三国志』がフィクションを題材としている
点についても、誤解を招きかねない要素と言えます。


 これらのことを考えるに、二極化は、むしろ歓迎すべきことではないかと考えます。
『演義』が好きな方は、演義の世界を集中して堪能し、『正史』が好きな人は正史に
集中して満喫する。出版社も、今までのような、三国志ファンという多様なものを
すべて引き寄せようとする中途半端な書物ではなくて、『演義』なら『演義』を特集し、
『正史』なら『正史』を特集するといった、旗幟鮮明な書物の方が、読者には歓迎
され、売れると思います。


  私も、「歴史系」にいる人間かと思います。そして、「歴史系」三国志を
普及させたいと思う人間でもあります。私は、他の三国志のファンの方を「歴史」に
目を向けさせるためには、やはり傑作が欠かせないと思います。私の友人でも、
「『蒼天航路』を読んで、正史に興味が出てきた」という人が結構います。
「娯楽系」の面白さを知らしめる傑作が、『吉川三国志』『横山三国志』などを
始めとして多々あるのに対して、「歴史系」の面白さを知らしめる傑作は、
今のところ『蒼天航路』ぐらいしか思い付きません。
傑作の登場。これこそが、「歴史系」普及のために重要なポイントかと思います。
陳舜臣『秘本三国志』は傑作だと思いますが、劇薬なので、「娯楽系」の方が
読めば、拒否反応を起こす可能性が大です。今まで、「娯楽系」の方々が見落と
していたエピソードなどを、面白く描いた作品が登場すれば、「歴史」にもっと
目を向ける方が増えるのではないかと思っています。
 そもそも、『三国志』が、かくも誤解されたり混同されたりするようになったのは、
『三国志演義』とその焼き直し『吉川三国志』が傑作すぎて、その影響力が多大だった
ことから始まります。その影響力を少しでも和らげ、多くの誤解を解くには、やはり
「歴史系」の傑作が必要なのではないかと思います。


  ところで、
  空想的な三国志でも、私は、面白いものなら大歓迎です。なぜ「演義」が素晴らしい
のかと言うと、「史書」にないオリジナルエピソードでも、血沸き肉踊る展開で、目が
離せなかったり、人間をしっかりと描いて興味深かったりするからです。しかしなが
ら、現在出ている小説を読むと、多くの場合、オリジナルエピソードは、読むのが
苦痛になるぐらいつまらないものが多いような気がします。そういうのを読むたびに、
「小説でじっくり描けば面白そうなエピソードが、正史にはまだまだたくさんあるの
に、なぜこんな下らないオリジナルなど書くのか!」と思ってしまいます。
やっぱり、エンターテイメントである以上、面白さが大事だと思います。自分で面白い
話を作れないなら、三好徹『興亡三国志』の初期のように、演義と史書の面白いところ
ばかりを集めて、歴史的には無謀でも、魅力あるキャラをバンバン伏線に配して、
バッサバッサやってくれた方が、痛快です。


 というわけで、いかがだったでしょうか? もう既に、私自身が述べたことと、
皆様方の御意見が出たあとに、「屋上、屋を架」した感がありますが、いかがで
しょうか?
 今回の私の結論としては、二極化をより進め、「演義」と「正史」の違いを
ハッキリとさせた上で、「歴史系」三国志作品の傑作の登場を待ち、「歴史系」の
普及を促す、ということになりました。現実がそのようになってくれると私としては
嬉しいのですが。
 また、皆様方の御意見を頂戴できましたら幸いです。


                 ジョージ真壁

【800】むしろ三極化?
追記  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2004/3/31(水) 12:48 -

引用なし
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   皆で真面目に書き込み合う雰囲気のツリーも嬉しくなりますね。


以下、何か自己訂正じみてますが
「娯楽系」ファンは特に原典の忠実さを求めていないような気がします(私としてはそれはそれで良いと思いますよ)。
なので、第三の「文学系」(三国演義をベースとした)があると思います。私のまわりには「文学系」ファンはそれほど見かけないのですが、それを加味すると三極化になるのかなぁ、なんて思いました。


それで問題の部分は出版で「三国志」、「三国演義」、その他創作物をごちゃ混ぜにすると(例えば、「三国志」と題して中身がごちゃ混ぜの内容とか)、あまりそういうことを意識しないファンに誤解を与えてしまうってことですね。
これは一部のファンの間で昔から言われていることなんですが、あまり出版側に伝わっていないようですね。ファンがあまり声高に言わないからなのか、出版側が知ってて反映させてないからかわからないですが、「三国志」という単語を外すとよほど売り上げが下がると思われているのかなと想像してます。
(「週刊ビジュアル三国志」[#T734]のタイトルはそういう伝統にのっとっているんでしょうね・汗)


それとご存じでしょうが、一応、閲覧者に対するフォローということで。
「蒼天航路」は正史(というより陳寿の三国志や裴松之の注など)だけを題材しているのではなくて(←あ、閲覧者に対してのお断りです)、正史(というより陳寿の三国志や裴松之の注など)も題材の一つとして取り上げているといったようにきいたことがあります(私自身、「蒼天航路」の一部しか読んでいないので断言できないのですが。イタい参照リンク

それでも三国志の「歴史系」の面白さを世に広めているのであれば、願ったりかなったりですね。

【802】Re:二極化と傑作を求む(再び長いです)
 孫ぽこ WEB  - 2004/3/31(水) 13:46 -

引用なし
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   こういうスレもたまには良いのではないでしょうか?

真壁さんのおっしゃりたい事は、私自身感じてきた部分ですし、共感しています。
ただ、前述しました通り、私自身の感じ方が変わってきた部分があって、実を言うと【人によって認識・評価が違う】という事自体が三国志の面白さの一つではないか?と感じる事があるんです。

これから私が書く事は、三国志を歴史学・史学として捉えるなら邪道も良い所なのですが。

なんでもそうですが、一つのジャンルが興隆する時というのは必ず対立構造というのがあります。プロレスで言うなら馬場と猪木(笑)。政治で言うなら自民党と民主党。自己主張と自己主張がぶつかり合うというのは、端から見ると醜かったり、馬鹿げていたりするもんですが、その対立構造の持つパワーというのは非常に大きい。

実際、光栄ゲームシリーズの人気から始まったと思われる、三国志ブームはもし演義基準だけの世界観しかなければ、いずれ一過性の物として衰退していった可能性すらあります。水滸伝は世界観が一つしかないが故に大きなムーブメントを起こすには到りませんでした。

しかし、そこに正史基準という世界観が割ってはいる事で、新たな対立構造が出てきた訳です。つまり、【えっ?赤壁では諸葛亮は何もやってない??】などという驚きが入ってきた。自分などが三国志を趣味の一つとしていった背景にはコレがあります。全然違う世界観が同じ題材に存在するという不思議です。三国志には他にも魏派・蜀派・呉派と言った対立構造もありますので、実を言うと三国志ファン層を支える根底にはこうした対立構造がどこかに存在していると言えます。

こうした対立構造があるからこそ、熱いw三国志サイトが多々存在するとも言える気がするのです。つまりサイト管理人になんらかの思い入れがあるからこそ、熱くなるのであって、それが無ければそのジャンルは衰退するでしょう。こうした思い入れを導入するには、実は対立構造の存在というのはうってつけなんです。

という視点で考えると、最近ちと三国志ブームが一時期より衰退しつつあるように思えるのは、ファンがスマートになり、所謂棲み分けが進んだ結果、対立構造が発生しずらくなった点にも一因があるのではないか?とすら思えます。それが証拠に棲み分けが進んでいない2ちゃんの熱い事熱い事w

まあそういう訳で、三国志を史学・歴史学として捉えるなら、とんでもない論法ではありますが、最近、私は【いろんな価値観をそのままに三国志の世界観に存在させた方が良いのではないか?】と思っているのです。棲み分けも良いですが、意外に棲み分けなんかしない方が面白いのではないかと。

【803】Re:二極化と傑作を求む(再び長いです)
 孫ぽこ WEB  - 2004/3/31(水) 14:17 -

引用なし
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   とは言っても、真壁さんのおっしゃる通り、歴史に関する本・放送などであるならば、歴史に対して正しい認識を持つべきだという事には同感です。私がNHKの【その時歴史は動いた】を見て失望したというのは、まさにその点です。魏の政治は悪だったなんて、歴史を扱う人間がまともな思考ではじき出した物とは到底思えません。

ただし、これは私が、分類する所でいう、正史派(笑)だから感じる憤怒であって、三国志の世界観全体を考えれば、NHKは良い事をしてくれたのか?という感覚すら最近は持っているんですよね(汗)。あれがディープな三国志ファン向けに作られた物ではなく、夏休みに子ども向けに作られた物だったと考えるなら。

これから三国志に興味を持とうかな?という子どもの立場で考えれば、演義から入るのが正しい姿であろうと思うのです。史学として三国志を捉えると、三国志は他国の一時代の歴史に過ぎず、三国志というジャンルは衰退せざるを得ません。正しい認識の元、歴史学のジャンルとして存在させようとすると、そうなってしまいます。

三国志に人気があるのは、根底部分は演義であり、光栄三国志であり、吉川三国志であり、横山三国志です。最近であれば無双かなw?要するに、三国志というジャンルそのものの事を考えれば、特に三国志初心者は【史実とフィクションがごっちゃになっていた方が良い】のではないか?と思う事があるんですね。つまり

>史実とフィクションを同じ場所で語ることにどんな意味があるというのか?三国志初心者の方は特に、これを読んだら、何がなんだかわからなくなってしまうのではないかと危惧します。

という危惧自体が、もしかしたら私を含めて先達の余計なお節介なのかもしれないなと。何がなんだか分からなくなった方が良いのではないかと。

一例を挙げると、日本史での宮本武蔵像というのは、三国志の世界観に似ている部分があって、史実上の宮本武蔵と吉川氏のフィクションとしての宮本武蔵像がごっちゃになっています。これは史学として宮本武蔵の実像を広めたいと思っている人には憂うべき事態かもしれませんが、実はこうした虚構の存在自体が、歴史への興味への糸口であり、その糸口を無理に整理整頓する必要はないのではないか?と思っているのです。

【804】Re:三極化ではないのかと
 黄虎洞 E-MAILWEB  - 2004/3/31(水) 18:39 -

引用なし
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   ▼ジョージ真壁さん:
歴史か『三国志演義』かと言う問題は、文章を発表する側の意識が、そこまで考えていないと思います。と言うより「この文章を見て読者がどう考えるか」などと言うことは、あまり意識に無いと思います。
出版社から「こういうコンセプトでお願いします」と言われて、「はいはい」と書いているのが現状だろうと思います。
正史やその他の歴史書に依拠してその内容の範囲以内で書き表すのが「歴史(正史)系」で、『三国志演義』に依拠してその範囲以内で書き表すのが「文学(演義)系」だろうと思いますが、現状ではこれ以外のゲームとか漫画とか映画とかテレビドラマとか有ります。
これらの中で、正史とも異なり『三国志演義』とも異なり、架空の人物の活躍や、架空の出来事が登場するのが「娯楽(歴史小説)系」だろうと思います。歴史小説と言うのは出だしと終わりが歴史事実に合っていれば、その過程は如何荒唐無稽の面白い話でもかまいません。そのフイクションの部分を如何面白くするかがエンターテーメントだろうとおもいます。
例えば、「真田十勇士」は娯楽の歴史小説で、如何彼等が活躍しても家康は殺せないのです。殺したら歴史小説ではなく単なるフイクション小説です。殺さないと言うのが歴史のノンフイクションで、架空の登場人物の活躍がフイクションで、これが上手くかみ合った小説が娯楽性の強い歴史小説だろうとおもいます。
実は、日本ではこれだけ三国志のフアンが多いのですが、実際中国語圏の世界では、三国志が映画化されたのは、今までに2回ほどだと思います。個別の曹操とか華陀とか諸葛亮孔明については数本有りますが、三国志自体は極めて少ないです。
これは、正史の内容と『三国志演義』の内容が近い、つまり歴史と小説が近い内容であるため、エンターテーメントにしづらいと言うことだろうと思います。因って『封神演義』とか『隋唐志演義(ムーランの話です)』とか『楊家将演義』とかの方が、はるかに多く映像化されエンターテーメントとしてもてはやされています。
と言うような訳で現在日本には、歴史系・小説系・娯楽系の三種類が存在し、依拠したものの名称を明白にしないまま、それぞれが勝手に正史に依拠とか演義に依拠とか言っているのが現状ではないのかと思います。
純粋に学問的に追究しないならば、どちらであれエンターテーメントとして優れて面白いものが一番愉しいように思います。

【806】議論というより雑談になってしまいますが
 わちこ  - 2004/3/31(水) 21:58 -

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   私は「娯楽系」ファンになるかと思います。1ファンの印象を御参考までに…
私としては、小説や漫画やゲームなどは、おもしろければ史実であろうとなかろうと、「曹操がこんなにかっこいいよ!」とかどうとでも楽しめますが、「三国志のひみつ」といったような情報系の本を読むときは、ある程度は歴史が知りたいという気持ちがありますから、根拠をはっきりしてくれたほうがありがたいと思います。
中学生のとき、自由研究で三国志を調べたんですが、たしか「完訳三国志」という本を参考にしたら、三国演義の訳で、子供心にショックでした(笑)。どちらかというと正史のほうを「正史三国志」とわけることが多いのかもしれませんね。
私ゲームの「三国無双」も大好きで、光栄のだしている「三国無双通信」というファンブックを買ったりするんですが(笑)、正史と演義を比較するコーナーがあったり、関連書籍の紹介も、わりと正史ベースとか演義ベースとかかいてあって、学問ではなく「普及」という水準でいえば親切だし、おもしろいですよ。

【807】三国鼎立と諸葛亮の北伐 そして柳毅
感謝♪  ジョージ真壁  - 2004/4/1(木) 11:51 -

引用なし
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     どうも、真壁です。このたびも御返事、誠にありがとうございました。
皆様の卓見にお触れてして、目からウロコの落ちる思いです。


  なるほど。二極化ではなく、厳密に言うと、「歴史系」「文学系」「娯楽系」の
三者があるということですね。私は、二極化にせよ三極化にせよ、棲み分けが
望ましいと思っていたのですが、「孫ぽこ」さんの御意見を伺い、深く考え込んで
しまいました。
「対立構造があるからこそ人々は熱くなり、三国志に対する興味を喚起する」という
御意見は、まさしく卓見かと思います。この御意見に触れてしまうと、白黒ハッキリ
させたいとする私の意見は、ひどく子供っぽく見えてきます。
 思えば、確かに、「適度な派閥抗争は、会社を多いに発展させる」とも言いますし、
「芸術・文学を始めとする物事は、洗練されると、やがて衰退する」とも言われます。
「歴史系」「文学系」「娯楽系」をハッキリ棲み分けさせて、三国志を取り巻く状況が
スマートになってしまうと、それは、人々の三国志に対する熱を奪ってしまうことにも
なりかねません。「歴史系」「文学系」「娯楽系」の人々が、棲み分けせずに同じ
フィールドで三国志を語り、混沌とした状態が保たれてこそ、三国志ブームの永続に
つながるのかもしれません。混沌とした状態からは、人々は三国志に色々な可能性を
感じることができますが、棲み分けしてしまうと、やがて各方面の極点(洗練)に
辿り着き、人々は、三国志に飽きてしまう。思えば、昔はもっと自由な存在だった
「和服」も、洗練されすぎて、宇宙服のようになってしまい衰退しました。昔は、
粗削りで、色々な可能性を感じさせられた漫画が、絵がキレイになって洗練されて
下らなくなった例は、数知れません。毒と薬に満ちたあの『ドラえもん』でさえ、
今では洗練されて「癒し系」などと言われ、つまらないものになってきています。
「熱」が失われてしまったものの末路は、あまりに悲しい。

  話がすこし逸れましたが、「孫ぽこ」さんの御意見は、誠にもっともなものであると
思います。「歴史系」「演義系」「娯楽系」が魏・呉・蜀のように鼎立し、諸葛亮の
北伐のごとく、各者に抗争(交流)があってこそ、『三国志』が成り立つ、というのは、
まるで寓話のようによくできた話です。


 ですが、私としては、三国志の発展のため、初心者の方の三国志に対する情熱を
惹起するためのある程度のカオスは必要だとしても、それだけだと、やはり淋しい。
いつもまでも、三国志の書物といえば、「歴史」「演義」「娯楽」が一体となって、
何がなんだかわからないモノばかりというのは、三者のどのタイプの人であっても、
三国志ビギナーからマスターへと至る人にとっては、苦痛で仕方ないのではないかと
思うのです。どこの世界でも、極めたい人がいるように、「歴史系」を極めたい人、
「演義系」を極めたい人、「娯楽系」を極めたい人、というのが、いると思うのですが、
このカオスの状態では、「歴史」「演義」「娯楽」のそれぞれの中途半端な知識しか
得られないという心配があります。

 例えば、私を例に取ってみると、「歴史系」を極めていきたいと思っているのですが、
純粋に「史書」の三国志の世界を考察している書物は、驚く程少ない。ちゃんとした
歴史を扱ってそうな、「歴史読本」シリーズや「歴史群像」シリーズですら、演義の話
で満載です。そして、少しある「史書」の三国志を解説している本は、ほとんど、もう
わかりきったことばかり書いていて、「なるほど!」と言わせてくれるような本は、
ほとんどありません。これはストレスが溜まります。最近では、「別冊宝島」の本の
中の一部の記事で感銘を受けましたが、この本でも、「正史を基礎」を宣言しながら、
演義の話が混じるといった具合です。これほど正史『三国志』が読まれる時代に
なっても、公孫度の配下の柳毅に対する考察などが読めるのは、ネットの中だけ、
というのは、いささか淋しい気がします。


  というわけで、今は、カオスと洗練のバランスについて、迷っています。
三国志の今後の発展を思うと、カオスは欠かせないかもしれない。しかしながら、
ステップアップして、よりディープに三国志を語ろうとした時に、ほとんどの
書物や映像メディアがカオスなものしかないというのは、三国志を極めたい人に
とっては、逆に、三国志への興味を頭打ちにさせてしまわないかという危惧が
生じるのです。

  なんだか、観念的な話になってしまい、本来の話題の主旨と離れてきていないか
心配になりますが、また御意見・御感想などを賜れれば幸いです。
  三国志の小説については、後日また意見を述べさせていただこうと考えております。

 
                      ジョージ真壁

【808】正史・演義の混同の原因
感想  伊比 学  - 2004/4/1(木) 11:51 -

引用なし
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   はじめて書き込みさせていただきます。

「正史」と「演義」が混同される原因について、私は「多くの日本人にとって、正史三国志も三国志演義も存在せず、ただ『三国志』があるだけ」だからだと考えています。

日本の歴史で人気のある時代はどのあたりでしょう。桶狭間から大坂夏の陣・幕末・忠臣蔵などが好きと答える人は多いでしょうし、我々もまたそういう人を一般に「歴史好きな人」と呼んでいます。
では、我々はそのあたりの知識をどこから得ているのでしょうか?
答えはおそらく大河ドラマであり、吉川英治であり、山岡荘八であり、司馬遼太郎でしょう(武田信玄好きでも、甲陽軍鑑を読んだことのある人は少ないはず)。山岡荘八で家康を知った人にとって、あの小説に書いてあることが家康の事実と思うはずです。それは決して真実ではありませんが、読者が対立する知識を持たなければ、その事実を真実として認識することになるでしょう。
そして、そういう人達が多数派を占めるようになれば、「家康=山岡荘八の家康」が共通の認識となり、少数派の意見はそれが真実であっても排除・無視されるのが世の常です。ガリレオ=ガリレイはいつの世にも存在するわけです。

三国志だとどうなるでしょう。メディアを動かす立場にいる製作者の年齢と、歴史(自称)番組を好んで見る人の年齢構成を考えれば、現時点では「三国志=吉川英治(≒演義)」だと思います。残念なことに当時は正史三国志が流通していませんでしたから、彼らにとって三国志に正史も演義もありません。「三国志」は1つしか無かったわけです。そういった独占状態が2,30年も続けば、「三国志」の共通認識が固定化されるのも仕方ないのではないでしょうか。
さらに、一度できてしまった共通認識を覆すのは容易ではありません。理科の教科書を見れば、存在もしない「電流」などというものが平然と書いてあり、「ウェブサイト」は「ホームページ」でも通じるようになってしまい、「クラッカー」は「ハッカー」と…(以下略)。

例えば馬超。演義の「親を殺されて復讐に燃える悲劇のヒーロー」と正史の「親を殺した血気盛んで政治力ゼロの馬鹿」ではイメージが違いすぎると思います。また、獅子の兜をかぶっていれば誰が書いても馬超とわかるくらい、イメージも演義で固定化されています。普通の兜をかぶった馬鹿武者の馬超が登場したときに違和感を感じなくなるようになれば、演義偏重時代も終焉を迎えることができるのではないでしょうか。

現在、三国志は正史・小説・ゲームなど多様化しているので、情報の発信の仕方しだいで状況を変えることは容易なはずです。よって、ちくまの和訳を読んだ世代がTV局の製作責任者になる時代になれば、今の状況は少しは変わるものと考えます。私の予想ではあと20年くらいかかると思いますが。

コーエーが新作ゲームで「正史武将しか出ない正史シナリオと、演義武将しか出ない演義シナリオに分ける」ついでに「正史シナリオと演義シナリオで武将の能力値を別にする」としてくれれば啓蒙として一番速いんですけどね。陳到と周倉が一緒にいるシナリオに萎え。

なお、野球を例にすると、
正史派=スポーツとしての野球が好きな人
演義派=チームや選手が好きな人
というのが私のイメージです。

長々と失礼しました。

【813】あみんも待てない二十年  そして電流
感想  ジョージ真壁  - 2004/4/2(金) 4:16 -

引用なし
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    どうも、真壁です。御意見ありがとうございます。


 コーエー新作ゲームで、「演義シナリオ」と「正史シナリオ」に分けるっていうのは、
良いアイデアですねえ。ただ、「演義シナリオ」だと劉虞は君主として登場しないし、
コウソンサンの配下が少なかったり、少し、淋しくなる可能性はありますねえ。

 「正史シナリオ」は、とことんマニアックにやってもらいたいものです。
『信長の野望 蒼天録』などでは、武将が1500人も登場したのだから、『三国志』
でできないことはないと思うのですが。

  あと二十年は辛いので、やはり影響力の大きいコーエーのゲームに期待します。


  これも、おそらくありえないでしょうが、NHK大河ドラマで『三国志』あるいは、
『曹操』でもやってくれないものかなあ、と密かに思っています(この件については、
近々、ちょっとミーハーなスレッドを立てようかな、と考えております)。


  ところで、『三国志』と直接関係ないのですが、「電流」って、存在しないん
ですか? すみません、文系なもので、よく存じ上げません。『三国志』絡みで、
詳しく御教授下さる方がいらっしゃったら、ぜひよろしくお願い申し上げます。


                  ジョージ真壁

【843】電流。話の枝葉の部分ですが
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2004/4/9(金) 12:03 -

引用なし
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   ▼ジョージ真壁さん:
>  これも、おそらくありえないでしょうが、NHK大河ドラマで『三国志』あるいは、
>『曹操』でもやってくれないものかなあ、と密かに思っています(この件については、
>近々、ちょっとミーハーなスレッドを立てようかな、と考えております)。

実現すればこれ以上にない三国志普及なんですが、衣装とかセットとかそろえるのが大変そうですね。日本の歴史物だとノウハウが蓄積されているんで。
お試しに、一週間だけ毎日やるとかでも良いんで、国産「三国志ものドラマ」を見てみたいですね〜


>>三国志だとどうなるでしょう。メディアを動かす立場にいる製作者の年齢と、歴史(自称)番組を好んで見る人の年齢構成を考えれば、現時点では「三国志=吉川英治(≒演義)」だと思います。残念なことに当時は正史三国志が流通していませんでしたから、彼らにとって三国志に正史も演義もありません。「三国志」は1つしか無かったわけです。そういった独占状態が2,30年も続けば、「三国志」の共通認識が固定化されるのも仕方ないのではないでしょうか。
>>さらに、一度できてしまった共通認識を覆すのは容易ではありません。理科の教科書を見れば、存在もしない「電流」などというものが平然と書いてあり、「ウェブサイト」は「ホームページ」でも通じるようになってしまい、「クラッカー」は「ハッカー」と…(以下略)。

>  ところで、『三国志』と直接関係ないのですが、「電流」って、存在しないん
>ですか? すみません、文系なもので、よく存じ上げません。『三国志』絡みで、
>詳しく御教授下さる方がいらっしゃったら、ぜひよろしくお願い申し上げます。

私が返信を入れるとこじれそうですが、こんな意味かなと書いてみました。。。。

例えば「水流」というと、当たり前ですけど、水がある方向へ移動しているんですが、電流の場合、別に電(というか電子)が移動しているだけではありません。確かに電子は金属など物体の中を動くんですが、それ以外にドミノ倒しや連続した玉突きみたいな感じで、電子の押し合いへし合いがあります。
だから、例えば電子の詰まった物体(両端が開いているとする)があるとして、その物体の一方の端から電子何個か入れるとすると、もう一方の端からいくつか電子が飛び出るので(この場合、戻ってくるってのは無し)、あたかも入れた電子がもう一方の端まで流れたように思えるわけです。
これを「電流」と称し、存在するというのはおかしいって考えなんでしょうかね。
(ドミノ倒しでもドミノ自体は移動しませんし)
何より電流の向き(プラスからマイナスへいく)と電子もしくは負の電荷が動く向き(マイナスからプラスへ行く)は逆ですし。
(※こんな適当な説明で良いのでしょうか??)

と、ここまで長々とうんちくを書いたんですが、要は、今さら「電流は存在しない」と主張しても「電流」の言葉がなくなるわけでも訂正されるわけでもないとおっしゃりたいんでしょうね。
それと同じように、日本における「三国志」という言葉の意味が、陳寿撰の三国志も、裴松之の注も、羅貫中の三国演義も、それらの訳もそれらを題材にした創作物もひっくるめたものから変わりそうにないとおっしゃりたいんでしょうね。

電流については、私も今さら変わらないと思うので同感ですが、「ホームページ」、「ハッカー」あたりは何とか本来の意味に戻りそうな予感を私は持ってます(うーん、希望的観測でしょうか……)。
(ついでに「トップページ」ときくと、私は「一つのページのトップ(一番、上)」を連想するので、未だに違和感があります。自分が言う場合は「フロントページ」と言い換えてます)

「三国志」に関して、ここ半年ぐらい私は無駄なあがきをやってますよ。
いちいち揚げ足とったり訂正したりすることはないんですが、自分が言う場合、上記のいろんなものをひっくるめた「三国志」を「三国志系」とか「三国志ジャンル」と言い換えたり、「三国志」とタイトル付けされていても、「横山三国志」とか「北方三国志」と言い換えたりしてます。


あと、「正史」とかつけずに、「三国志」をちゃんと「三国志」といったりしてます(←意味を広義にとられるんで、その後すぐ、頭に「陳寿撰」とつける羽目になるんですが・笑)

【844】かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』
雑談  ジョージ真壁  - 2004/4/10(土) 15:21 -

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    どうも、真壁です。
 電流について御丁寧に解説下さり、どうもありがとうございました。

 なるほど。そういうことだったのですね。ためになりました。
「電流」という言葉がもう頭に染み付いているために、実際にそういうものが
あるかのように思いこんでしまっていました。世の中には、こういう、実際には
違うのだが、存在したり、正しいと思われていることが結構たくさんあるの
でしょうねえ。


 NHK大河ドラマ『三国志』あるいは、『曹操』は、ありえないだろうとはいえ、
是非やってもらいたいと強く思っています。内容は、もちろん『歴史系』で。

 『演義系』は、すでに人形劇でやったから良いでしょう。昔は、あの内容で
良かったんでしょうけど、今あれを、呉ファン(特に『歴史系』)の方が見たら、
激怒モノではないでしょうか。関羽をおびき寄せるために、呂蒙が、罪なき民を
バッサバッサ殺していくなんて、判官びいきもここまでいくと、やりすぎの感が
否めません。そういえば、昔『横山光輝三国志』がアニメでやっていましたが、
あれも、孫堅や孫策の活躍のシーンはカットされているのに、関羽がなぜか
孫策を鍛えるシーンなどがあったりして、私の友人の呉ファンは、屈辱の怒りに
震えておりました。

 私は、たぶん失望するだろうと思って、最初からNHKの『その時、歴史は動いた』
の「三国志」の回は見ていなかったんですが、どうやら予想通りひどい内容だった
ようなので、その贖罪の意味も込めて、NHKには、一度、しっかりとした
『三国志』を、描いて欲しいと考えているのです。


 原作は、陳舜臣氏の『曹操』『秘本三国志』『諸葛孔明』あたりにして、内容を
ミックスさせたら、良いものができるのではないかとニラんでいます。『三国志』は、
どうしても男くさくなりがちですが、大河は、女性も重要なので、そういったことも
考えれば、陳舜臣氏の作品がベストではないかと。よく考えたら、それ以外に、
ハッキリと『歴史系』と呼べる原作がないというのもありますが。

 最近の大河は、あまり途中で歴史的な解説が入らなくなったので、ある程度
知識がないと、「これはどうなっているのだ?」というのがわからないことが多い
のですが、かつて大河でスーパーヒットした『独眼竜政宗』がそうだったように、
話の冒頭で解説を入れ、話の途中でもバンバン解説を入れて、わかりやすく面白く
してくれればこの上ありません。三国志の普及、三国志への誤解の解消には、
大きく貢献すると思います。


 『三国志』の国産ドラマと言えば、純国産とは言えないのでしょうが、辰巳琢郎が
劉備を演じた2〜3時間ほどのドラマが、十年ほど前にありました。
しかし、2〜3時間で三国志を語れるはずもありません。そういえば、本場中国で
作られた映画『三国志』もありましたが、2時間で桃園から赤壁までを一気に
やっていたので、まるで意味不明でした。周倉と趙雲は、なぜかカンフーで
戦っているし…。当時の中学生の千数百円は貴重なのに、友人たちとこぞって
わざわざ劇場に見にいって、えらい損した気分になりました。やはり大河で、
一年じっくりとやるか、清岡さんのおっしゃられるように、短期集中型で、
時間をかけてやって頂きたいところです。


 なぜ本場・中国ではなく、日本の人間が『三国志』のドラマを作らねばならん
のだ?という御意見もあると思います。ですが、私が思うに、日本人だからこそ、
『歴史系』の三国志ドラマが作れるのではないかと。というのは、中国の方は
日本人以上に、生活の中に三国志が入り込んでおり、その入り込んでいる三国志
とはすなわち『演義系』の三国志です。中国の方が、『歴史系』三国志を作る
というのは、日本人が、桃から生まれない『桃太郎』の話を作るのと同じぐらい
違和感があるのではなかろうかと。「原典の話はこうなんです」と言われても、
頭に『演義系』が染み付いているので、なかなか納得できないのではないかと
思うのです(勝手な推測にしかすぎませんが)。『演義系』ドラマでは、本場・
中国に勝てるはずがありません。『歴史系』で、人間を描くことに力を入れれば、
日本でも、高いレベルの『三国志』ドラマができるのではないかと愚考する
次第です。


 で、私は、このサイトにて、「NHK大河ドラマで『三国志』あるいは『曹操』を
やるとしたら、配役はどうなる?」という、まるっきりミーハーで、空想の世界で
あるスレッドを立てさせていたがこうかと思っていたのですが、真面目なこのサイトの
主旨に、どうもあわないような気がして見送っている次第です。


 う〜ん。清岡さんも、御自身でおっしゃられていますが、やはり、三国志における
認識を、誤解のないような形にもっていくのは、やはり「あがき」でしかないの
でしょうか。あがいて、もがいて、その先に光明があることを信じたいところでは
あります。


  ということで、今回は(いつも?)、かなり雑談になってしまいました。
  また、御意見、御感想、御指摘等を賜れれば幸いです。


                     ジョージ真壁

【860】歴史創作と解説
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2004/4/19(月) 22:16 -

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   ▼ジョージ真壁さん:
> NHK大河ドラマ『三国志』あるいは、『曹操』は、ありえないだろうとはいえ、
>是非やってもらいたいと強く思っています。内容は、もちろん『歴史系』で。
>
> 『演義系』は、すでに人形劇でやったから良いでしょう。昔は、あの内容で
>良かったんでしょうけど、今あれを、呉ファン(特に『歴史系』)の方が見たら、
>激怒モノではないでしょうか。関羽をおびき寄せるために、呂蒙が、罪なき民を
>バッサバッサ殺していくなんて、判官びいきもここまでいくと、やりすぎの感が
>否めません。そういえば、昔『横山光輝三国志』がアニメでやっていましたが、
>あれも、孫堅や孫策の活躍のシーンはカットされているのに、関羽がなぜか
>孫策を鍛えるシーンなどがあったりして、私の友人の呉ファンは、屈辱の怒りに
>震えておりました。

人形劇の呂蒙の話は私も聞いたことがあります(昔、見ているはずなのに気付かなかったです・汗)
あれは三国演義とは無関係にただ番組の制作者が良かれと思って(わかりやすいと思って)子ども向けに勧善懲悪にしたんでしょうか(苦笑)
関係ないですけど、私の印象では、三国演義をベースに劉備中心に物語をつくっていくと、孫堅が漢伝国璽を持って都を離れたから反董卓軍が解散したってことになりがちのような気がします。


> 私は、たぶん失望するだろうと思って、最初からNHKの『その時、歴史は動いた』
>の「三国志」の回は見ていなかったんですが、どうやら予想通りひどい内容だった
>ようなので、その贖罪の意味も込めて、NHKには、一度、しっかりとした
>『三国志』を、描いて欲しいと考えているのです。

「その時歴史が動いた 第64回三国志英雄伝」は予想以上の内容でした(汗)
(第一部のテーマであるはずの赤壁の戦いでは、周瑜の名前すら出てませんでした。「呉の武将」と一言。)
「その時歴史が動いた」の番組でわざわざやる必要がなかったと思います。どちらかというと「その時虚構が動いた」だと思いましたし。
当時、何人かの三国志ファンは公式サイトにあるメールアドレスに意見を送ったと思うんですが、その公式サイトに載った意見は賛美するものばかりで批判的なものはまったく載せられてませんでした。
サイトの都合上、載せられなかったんでしょうか。

> 原作は、陳舜臣氏の『曹操』『秘本三国志』『諸葛孔明』あたりにして、内容を
>ミックスさせたら、良いものができるのではないかとニラんでいます。『三国志』は、
>どうしても男くさくなりがちですが、大河は、女性も重要なので、そういったことも
>考えれば、陳舜臣氏の作品がベストではないかと。よく考えたら、それ以外に、
>ハッキリと『歴史系』と呼べる原作がないというのもありますが。

陳先生のは描写があっさりしているので、脚本家や演出家の腕の見せ所かあるのかなぁと想像してます……といっても陳先生の「琉球の風」の原作と大河ドラマを見比べたわけではないですけどね。
歴史系だと、今、文藝春秋で連載している宮城谷三国志でしょうか。
http://gukko123.hp.infoseek.co.jp/←ぐっこさんのサイト「三国迷ぐっこのHP」
の三国志掲示板 CAFE"a Bridge too far"の「★『宮城谷三国志』総合スレッド★」参照)
しかし、私が見た印象ではドラマにするのは難しそうです、史書寄り過ぎて。

> 最近の大河は、あまり途中で歴史的な解説が入らなくなったので、ある程度
>知識がないと、「これはどうなっているのだ?」というのがわからないことが多い
>のですが、かつて大河でスーパーヒットした『独眼竜政宗』がそうだったように、
>話の冒頭で解説を入れ、話の途中でもバンバン解説を入れて、わかりやすく面白く
>してくれればこの上ありません。三国志の普及、三国志への誤解の解消には、
>大きく貢献すると思います。

歴史創作と解説って小説でもマンガでもドラマでもそのさじ加減は難しそうですね。
あまり多すぎると本編の創作と見ている人と距離ができてしまって感情移入できなくなってしまう恐れがあります(距離をおくと冷めた視点で創作を見てしまうと思います)。
歴史としての面白みだけを出すんだったら解説をいっぱい入れれば良いんでしょうね。
(と書きつつ、『独眼竜政宗』を見たことないんで、それはうまく解説を入れ込んでいるのかもしれませんね)

かと言って、まったくないと読んでいる人、見ている人にとって意味がわからなくなりますし。
うまく物語に組み込めれば良いんですが。
これがスポーツの創作ものだと、なにもそのスポーツについて知らない主人公が失敗したりさせて、そのスポーツのルールとか傾向とか主人公に慣れさせる、ひいては主人公に感情移入している(主人公視点である)読者に解説できるっていう少年マンガにありがちな技法を思いつくんですけどね。
だけど、歴史創作の登場人物はすでにその歴史舞台に慣れて当時の常識なども体得しているので、その技法もできそうにないですね。
(ファンタジーだと、現代人の主人公をその異世界に放り込むって技法ですかね)

そういった問題を解消しようとしたのが、歴史小説でよく見られる、導入部分をエッセイにしてしまう技法でしょうか。


> 『三国志』の国産ドラマと言えば、純国産とは言えないのでしょうが、辰巳琢郎が
>劉備を演じた2〜3時間ほどのドラマが、十年ほど前にありました。
>しかし、2〜3時間で三国志を語れるはずもありません。そういえば、本場中国で
>作られた映画『三国志』もありましたが、2時間で桃園から赤壁までを一気に
>やっていたので、まるで意味不明でした。周倉と趙雲は、なぜかカンフーで
>戦っているし…。当時の中学生の千数百円は貴重なのに、友人たちとこぞって
>わざわざ劇場に見にいって、えらい損した気分になりました。やはり大河で、
>一年じっくりとやるか、清岡さんのおっしゃられるように、短期集中型で、
>時間をかけてやって頂きたいところです。

国産で三国志もののドラマってあったんですね。
参考までに見てみたい気がします。
(…とよく思い出すと、国産ではスーパー歌舞伎がありましたね。このツリーの主旨からだと論外ですね・苦笑)

>
> なぜ本場・中国ではなく、日本の人間が『三国志』のドラマを作らねばならん
>のだ?という御意見もあると思います。ですが、私が思うに、日本人だからこそ、
>『歴史系』の三国志ドラマが作れるのではないかと。というのは、中国の方は
>日本人以上に、生活の中に三国志が入り込んでおり、その入り込んでいる三国志
>とはすなわち『演義系』の三国志です。中国の方が、『歴史系』三国志を作る
>というのは、日本人が、桃から生まれない『桃太郎』の話を作るのと同じぐらい
>違和感があるのではなかろうかと。「原典の話はこうなんです」と言われても、
>頭に『演義系』が染み付いているので、なかなか納得できないのではないかと
>思うのです(勝手な推測にしかすぎませんが)。『演義系』ドラマでは、本場・
>中国に勝てるはずがありません。『歴史系』で、人間を描くことに力を入れれば、
>日本でも、高いレベルの『三国志』ドラマができるのではないかと愚考する
>次第です。

中国で史書準拠の三国志ドラマをきかないのは、日本で史書準拠の水戸黄門や宮本武蔵がないのと同じ理由でしょうね、きっと。

【862】安西先生…三国志が…見たいです
雑談  ジョージ真壁  - 2004/4/20(火) 5:46 -

引用なし
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     どうも。真壁です。
  御意見、どうもありがとうございました。


  御意見に関連して、また、つれづれなるまま、三国志について
語らせて頂こうと思います。


>人形劇の呂蒙の話は私も聞いたことがあります(昔、見ているはずなのに気付かなかったです・汗)
>あれは三国演義とは無関係にただ番組の制作者が良かれと思って(わかりやすいと思って)子ども向けに勧善懲悪にしたんでしょうか(苦笑)


 人形劇は、私も全部を見たわけではないので、断言はできませんが、呂蒙の話は
悲しすぎます。「わかりやすいと思って、子供向けに勧善懲悪にした」のだとしたら、
それは明らかに判断ミスだと思います。世の中の人々を啓蒙すべきNHKが、子供
向け番組で、「世の中は、善と悪とに割り切れる」というような単純化された世界観を
子供たちに教え込むがごとき物語をやるとは何事でありましょうか。

 だいたい、『三国志』とは、ひとつの物事を三者(三国)の視点から捉えられる
物語であり、子供達にも「それぞれの立場によって、人々の考え方は異なる」
ということを理解させるにふさわしい作品かと思います。それをあえてブチ壊すとは、
「なんのために三国志を題材にしたのだ!」と思わずにはおれません。


 日本での子供向け作品は、
「悪(とされるもの)は、かならずしも悪とは限らない」
「悪(とされるもの)は、彼らなりの論理で生きている」
というような、「物事は一面ではない」ということを(意識的にか無意識的にか)主張
しているものが多いように思われます。当時ヒットした『キン肉マン』『ガンダム』
『北斗の拳』『キャプテン翼』『ウルトラマンシリーズ(再放送)』なども、そういった
作品でした。子供達は物心ついた時から、そういう作品に触れているので、単純な
勧善懲悪モノを喜ぶのは、せいぜい小学校低学年ぐらいまででしょう。三国志を
理解するぐらいの、小学校高学年の子供が、単純化されたキャラクターを喜ぶとは
思えません。むしろ、「うさんくさい」「幼稚くさい」と思うのが関の山でしょう。
その点からも、「わかりやすいと思って、勧善懲悪にする」という考え方は、誤り
だと思います。


 上の考え方から言うと、『演義』も、ひっかかってきそうですが、幸か不幸か、
『演義』の場合は、悪役曹操の悪行を、「これでもかこれでもか」と書き込んである
ために、かえって、曹操が魅力的になってしまっており、「単純化している」とは
簡単に言えない領域になっています。まあ、それでも鼻につくので、ホンモノを
求める人々が、『歴史系』へと誘われるのだと思います。


>
>「その時歴史が動いた 第64回三国志英雄伝」は予想以上の内容でした(汗)
>(第一部のテーマであるはずの赤壁の戦いでは、周瑜の名前すら出てませんでした。「呉の武将」と一言。)
>「その時歴史が動いた」の番組でわざわざやる必要がなかったと思います。どちらかというと「その時虚構が動いた」だと思いましたし。
>当時、何人かの三国志ファンは公式サイトにあるメールアドレスに意見を送ったと思うんですが、その公式サイトに載った意見は賛美するものばかりで批判的なものはまったく載せられてませんでした。
>サイトの都合上、載せられなかったんでしょうか。


『その時歴史が動いた』シリーズは、比較的真面目に歴史を考察しているように
見えたんですが、そんな調子では、この先「これ、ホンマかいな?」と懐疑的に
なってしまいそうです。それとも、『虚構が動いた』になってしまったのは、
三国志の回だけなのでしょうか。心配です。


>陳先生のは描写があっさりしているので、脚本家や演出家の腕の見せ所かあるのかなぁと想像してます……といっても陳先生の「琉球の風」の原作と大河ドラマを見比べたわけではないですけどね。
>歴史系だと、今、文藝春秋で連載している宮城谷三国志でしょうか。
>(http://gukko123.hp.infoseek.co.jp/←ぐっこさんのサイト「三国迷ぐっこのHP」
>の三国志掲示板 CAFE"a Bridge too far"の「★『宮城谷三国志』総合スレッド★」参照)
>しかし、私が見た印象ではドラマにするのは難しそうです、史書寄り過ぎて。


 『宮城谷三国志』!!!!
 前に見た時は、まだまだ一般的な「三国志」の範疇外の部分をやっていたので、
しばらくすっかり忘れていましたが、そちらのサイトのスレッドを見ると、もう
だいぶん「三国志」領域に入っていたようですね。迂闊でした。『宮城谷三国志』を
読まずして、「歴史系の三国志小説がない!」と嘆いていたのだから、我ながら
「無知とは恐ろしい」、といったところで、非常に恥ずかしい思いです。
 これを教訓とし、さらなる精進を重ねていきたいと思っております。


 したがって、まだサッパリ読んでいませんが、『歴史系』の「柱」となるべき
作品として、たいへん期待しています。


 陳先生の作品を、そのまんまドラマにしようとすると苦しいので、女性の視点、
民衆の視点、人間ドラマ、という要素だけを頂戴して、あとは脚本家や演出家の
腕に期待する、といったところが理想です。


>歴史創作と解説って小説でもマンガでもドラマでもそのさじ加減は難しそうですね。
>あまり多すぎると本編の創作と見ている人と距離ができてしまって感情移入できなくなってしまう恐れがあります(距離をおくと冷めた視点で創作を見てしまうと思います)。
>歴史としての面白みだけを出すんだったら解説をいっぱい入れれば良いんでしょうね。
>(と書きつつ、『独眼竜政宗』を見たことないんで、それはうまく解説を入れ込んでいるのかもしれませんね)
>
>かと言って、まったくないと読んでいる人、見ている人にとって意味がわからなくなりますし。
>うまく物語に組み込めれば良いんですが。
>これがスポーツの創作ものだと、なにもそのスポーツについて知らない主人公が失敗したりさせて、そのスポーツのルールとか傾向とか主人公に慣れさせる、ひいては主人公に感情移入している(主人公視点である)読者に解説できるっていう少年マンガにありがちな技法を思いつくんですけどね。
>だけど、歴史創作の登場人物はすでにその歴史舞台に慣れて当時の常識なども体得しているので、その技法もできそうにないですね。
>(ファンタジーだと、現代人の主人公をその異世界に放り込むって技法ですかね)
>
>そういった問題を解消しようとしたのが、歴史小説でよく見られる、導入部分をエッセイにしてしまう技法でしょうか。


 話は少しズレるかもしれませんが、私は昔、「三国志」の小説や漫画を読んだ
際に、必ずといって良いほど、大きな不満を持ったのです。その不満とは、
「現在地や、戦場、勢力範囲などの情報が、わかりにくい」ということです。
日本の話だったら、駿河・三河などという地名が出てきても、だいたいどこら
へんのことかがわかりますが、中国の地名ではそれがまったくわからない。
「現在の河南省」とか言われても、どこのことやらサッパリです。話の主役は、
今どこにいるのか、どこで、どこから攻めてきたどのような勢力を持つ敵と
戦っているのかを把握していないと、「三国志」の話も、三分の一は、楽しめ
ないような気がするのです。陳舜臣『秘本三国志』では、比較的何度も地図が
登場しましたが、多くの作品は、巻頭か巻末にテキトーな地図がついているだけ
です。これでは、どうにもなりません。戦争や移動のたびごとに、丁寧な地図を
表示してくれれば、登場人物達の感情も、より理解しやすくなると思うのですが。


 NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』では、当時ではまだ斬新だった(?)CGを
駆使して、地図を広げて、今、どこでどうなっているのかがわかりやすく解説
されていたりもしていました。『三国志』をドラマ化するなら、こういったこと
もやってもらいたいところです。


 さらに、空想(妄想)を進めて、NHK大河ドラマ『曹操』では、第一話は、
劇画『蒼天航路』の導入部のように、ちょっとした曹操への解説から始めて、
ババンと主題歌(曲)へ。主題歌が終わると、いきなり張角の顔のドアップが。
私が考える張角役の第一候補「京本政樹」なら、クールに「蒼天すでに死す、
黄天まさに立つべし」と唱えます。第二候補「ショーケン」なら、『利家とまつ』
の明智光秀役で見せた「愛宕百韻」のように、「蒼天すでに死すゥー。黄天まさに
立つべしィー」と特徴のあるイントネーションで絶叫する。そこで、「西暦
184年…」と簡単な解説が入り、いよいよドラマが開始する。

 …以上、妄想でした(妄想三国志ドラマ・キャスト案募集中)。


>
>国産で三国志もののドラマってあったんですね。
>参考までに見てみたい気がします。
>(…とよく思い出すと、国産ではスーパー歌舞伎がありましたね。このツリーの主旨からだと論外ですね・苦笑)


 国産ドラマは、どうということはない内容だったと記憶しています。
 確かテレビ東京系でやっていたと思うのですが、ビデオになっているのか
どうかはわかりません。
 感心した覚えも、怒り狂った覚えもないので、まあ無難な内容だったのだと
思います。


 スーパー歌舞伎は、テレビで「泣いてバショクを斬る〜死せる孔明」のあたりを
ちょっと見ましたが、あれはあれでよくできていると思いました。客席・視聴者の
皆様が、「あれはフィクションだ」と理解していることを祈ります。


 ということで、今回もかなり雑談でしたが、いかがだったでしょうか?
 御意見、御感想、御指摘等を賜れれば幸いです。


                   ジョージ真壁

【1374】Re:正史・演義の混同の原因
 馬元義  - 2004/10/17(日) 10:44 -

引用なし
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   始めて書き込みさせてもらいます。よろしく。

よく、三国志正史と演義を混同しない為にはあえて、正史・演義の両者とも
熟読するのがいいと思います。ご存知の通り正史は歴史書で演義は歴史小説です。
演義を読んで正史を読み、「本当はこんな人物だったんだ」と感銘を受けるも然り、正史を読んでその後演義を読んで「こんな描き方もあるのか」と思うのも
いいと思います。ただ、演義はあくまで、民間伝承の伝説を一挙にまとめて書物化したものです。演義を本当の「三国志」と認識することは横山三国志や北方三国志を「三国志」として認識すると同義ではないかなと自分は考えています。

ここの掲示板に始めて書き込みをしたのに、愚見を並べてすみません。

【2251】Re:かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』
 骨喰藤四郎  - 2006/3/8(水) 12:07 -

引用なし
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   > 『三国志』の国産ドラマと言えば、純国産とは言えないのでしょうが、辰巳琢郎が
>劉備を演じた2〜3時間ほどのドラマが、十年ほど前にありました。
>しかし、2〜3時間で三国志を語れるはずもありません。

三国志の大地−長江・黄河1万キロの旅というテレビ東京系で、
やっていたドラマですね。古谷一行が諸葛亮役で、確か陳寿が解説?しながら
すすんでいったというような記憶があります。
 虎牢関ですが、http://www.arachina.com/attrations/sanguo/yizhi/hlg.htm
こちらによると、
"虎牢関は河南省鄭州市の西北部16キロの・緜辰砲△襦」
「虎牢」という地名は、西周の穆王がここで虎を飼っていたことに由来する。"
とのことです。
"特に、三大英雄、呂布がここの名声を大きくしている。"
ところで、この三大英雄の他は誰なんでしょうか?関羽、張飛でしょうか?

【2252】Re:かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2006/3/8(水) 18:49 -

引用なし
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   ▼骨喰藤四郎さん:
>> 『三国志』の国産ドラマと言えば、純国産とは言えないのでしょうが、辰巳琢郎が
>>劉備を演じた2〜3時間ほどのドラマが、十年ほど前にありました。
>>しかし、2〜3時間で三国志を語れるはずもありません。
>
>三国志の大地−長江・黄河1万キロの旅というテレビ東京系で、
>やっていたドラマですね。古谷一行が諸葛亮役で、確か陳寿が解説?しながら
>すすんでいったというような記憶があります。

別のツリー[#T1592]で話題になってますね。
一度、どんなドラマだったのか見てみたいです。

> 虎牢関ですが、http://www.arachina.com/attrations/sanguo/yizhi/hlg.htm
>こちらによると、
>"虎牢関は河南省鄭州市の西北部16キロの・緜辰砲△襦」
>「虎牢」という地名は、西周の穆王がここで虎を飼っていたことに由来する。"
>とのことです。
>"特に、三大英雄、呂布がここの名声を大きくしている。"
>ところで、この三大英雄の他は誰なんでしょうか?関羽、張飛でしょうか?

虎牢関のことはここのツリーの別のブランチの記事[#1519]で書かれてますよ。
まぁ観光地として売り出すのでしたら、歴史への正確性にこだわるより日本人に馴染みの深い三国志関連とつなげる方が結果的に集客が見込めるのでしょうね。
あ、三大英雄とはおっしゃるとおり、劉備、関羽、張飛のことでしょうね。三国演義の「第五回:發矯詔諸鎮應曹公、破關兵三英戰呂布」にもでてますし。
あと付け足すとしたら三国演義成立以前の元代の雑劇の「虎牢關三戰呂布」にも出ているようですし(と書きつつちゃんと読んでないですが・汗)

【2254】Re:かなり雑談 NHK大河ドラマ『曹操』
 骨喰藤四郎  - 2006/3/9(木) 18:50 -

引用なし
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   ▼清岡美津夫さん:
ありがとうございます。
元記事は二年も前のものだったのですね。すいません
あのドラマを見たのは中学生くらいだったと思いますが、劉備と諸葛亮が夕日を
浴びながら語り合っていたシーンをなんとなく覚えています。

元代のものにでていましたか。
それより前からあの三人は特別だったんでしょうね。
やはりあの三国志のことを知るためには、その前の時代はもとよりその後の時代
の事についても知っていかなければいけませんね!

ところで、こちらで聞いていいものやらわからないのですが、諸葛亮が風を起こそうとした、寿命を延ばすための儀式をした、という話がありますよね?
ああいうのをそんな馬鹿なと思っていたのですが、それは今の感覚でそう思う訳ですが、当時としては大真面目にしていたということはないでしょうか?

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