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すみません、時効でしょうか?(汗)こんなにいっぱい答えて頂いてたなんて・・・。
正史と演義の検証では、歴史群像シリーズ「真三国志一〜三」の最後の方「虚と実の間に揺れる演義の世界」として渡辺精一氏が、毎巻7Pほどで書いていらっしゃいます。演義として出来上がるいきさつまで推理してあって、好きなところです。もう読んでいらしたらすみません。
※漫画は雑誌もTVも見てましたが(途中まで)・・・個人の勇が超人をこえて、手が届かなくなるから現実味が無くなったのかもしれませんね。
趙雲は好きなので(笑)彼と張燕の繋がりは考えたことがありましたが、そこまでは想像したことありませんでした・・・すごいです。最近では、彼は大軍を率いたことがない、というところが興味がありますが・・・彼も記述が案外少ないので、想像すればするほど色んな人生が出来上がりそうです。
「秘本三国志」では曹嵩を殺した彼を見つけた時は、すごい展開に圧倒されてしまいました。ああいうズバッとくる小説の新鮮さが愛おしいですね。
「北方三国志」・・・北方氏は、人間講座で自分が書く体勢ではない・・・おいそれと手がつけられないから、他の時代、人生を経て勉強し、やっと書けるようになったニュアンスのことを言っていたと思います。人間を勉強するのに、三国志に固執していたら出来ないという意味はいまさらになって痛感させられてますが。
彼の志はかなり強烈に、曹操や呂布、馬超など・・・男性的生き方が焼き付けてありましたが、それでも、人間味がある・・・超人的な要素よりも濃いぐらいの生の人間がいて、別の解釈では良かったんじゃないかな・・・と。
・・・演義の羅漢中は、趙雲と同郷で、その為に彼を演義で大活躍させたらしいですから、愛していないとは思いませんが・・・。別伝の容姿含め、たったあれだけの記述で、彼を活躍させ、他の人物も永い年月愛されていくには、とてもつもない想像力が必要だったと思います。また勉強していればこそ、あんなに史実と区別付けにくい壮大な物語が出来上がったのだと、物書きとしては、尊敬していますので。一つの作品を創り上げ、完結するには、やはり書き手の意志の強さと愛情があるんじゃないでしょうか・・・?
ほんとに時効じみた発言ですみませんでした・・・。
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