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初めまして、清岡と申します。
初投稿で読み飽きない長文書き込み、恐れ入ります。
問題提示としてもそうですが、文としても面白く拝見しました。
思えば、昔は三国志関連の書物を探し出しては、ワクワクしながら読んでいたような気がします。
おっしゃるとおり、私も出回っている本に信用ならないという印象があるのと、昔みたいにワクワク感が期待できないのとがあってか、今ではあまり三国志関連の書物を手にとって読むようなことは少なくなりました。
孫ぽこさんのおっしゃっていた「その時歴史が動いた 第64回三国志英雄伝」(2001年8月22日放送)について、放送がある前、ある程度、予想はしていたんですが、実物を見てみるとがっくりした覚えがあります。
その時、ネットでは非難囂々だろうなとおもっていろいろまわってみたんですが、そのほとんどは○○という人物が出なかったとか、●●という人物はそんなんじゃないとか、人物論に終始していて、番組が押しつけようとしていた(ようにみえた)勧善懲悪な歴史観についてはあまり書いているところが少なかったので、がっかりした覚えもあります。
それで、私が感じることはすでに初めの書き込みで書かれておられるので(私は根性がないので、すでに諦めが入ってます・汗)、それ以外で私が三国志を取り巻く現状で感じることを一つ。三国志ファンのこと。
昔、私は「正史派」と呼ばれても特に何も思わなかったんですが、そのしばらく後は少し居心地の悪い思いをしたことがありました。
(※[#T216]←以下、参照リンクでいう「正史派」、「演義派」とは意味合いがズレます)
というのも、私は特に目の当たりにした訳じゃないですが、いろんなウェブのサイトを見て回ると、どうも「正史派」(といっても現状は三国志のちくま訳本をベースとする人々が多数)と「演義派」(と定義されても、現状の多くはよく出回っている三国志関連情報をベースとする人々が多数。「正史派」が自称なのに対し、他称が多い?)の衝突みたいなのがあった(ある?)ようですね。
それぞれの意見を見ると、「正史派」は三国演義などの創作物を歴史として取り上げられることを嫌がり、なるべくそういうところを指摘したり疑問を投げかけたりしたいようで、逆に「演義派」はそれが歴史かどうかは問題ではなく、面白いかどうかの方が問題でして、「正史派」の指摘や疑問を正面から受け止めず、話を逸らし、煙たがるような印象がありました。
この両者が議論することがあっても、そんな調子だから、両者の納得のいく結論は得られるわけではなく、いつしか棲み分けしていたような気がしました。
あと、「正史派」は「真実を知っている」みたいな優越感を感じておられる方も多く、ヒエラルキー的な見方で同じ三国志ファンを見ているような気がします(考えすぎでしょうかね)。
(ここで、そういえばニセクロさんのサイト「偽黒武堂の三国志探訪」の2000年8月28日付けのテキスト「蒼天航路」に、「正史派」はドキュメンタリーの面白さを求めている、というようなことが書かれていたなと思い出しつつ)
私はそういう印象を持っているので、「正史派」とされることを敬遠していました(汗)。それにかといって三国演義や吉川三国志を読んだことのない私は「演義派」ではないですし。
話を戻して、現状では「正史派」&「演義派」の話はあまり聞かなくなったんですが、どうも「歴史系」と「娯楽系」(とでも言いましょうか。無双系ファンはこちらに入る?)の二極化が進んでいるような気がします。どちらが上とか下とかじゃなくて、お互いに「あれは別物」とか「私のようなのが迂闊に足を踏み入れるところではない」とかいった意識で敬遠してるのですかね。
(ここを書き込んでいる人にはそんな極端な方はおられないと思いますが)
もしかすると、出版社もどちらにターゲットを絞って良いものやら迷っているのかもしれません。
どちらかというと「歴史系」にいる私としては「そう敬遠せずに歴史を楽しんでよ」って気持ちが大きいですが、かといってそれを無理強いすると、上記の話の繰り返しです(汗)
私は趣味で三国志を題材とした小説を書いていて、他の人(趣味の領域)の創作物の製作過程にも興味があるんですが、史書に忠実にするということは、創作にとってプラスに働くより、むしろその手間から製作意欲をそぐように、マイナスに働くことの方が目立ちます。
逆のケースとして、私がある程度、史書を調べて小説を書くと、史書に関わってくる部分ばかりに目がいってしまうようで、こちらがみせたい小説のオリジナルな部分はあまり注目してくれないってことが多いです(私の腕が悪いと言えば、それまでですが・笑)
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