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確かにおっしゃりたい事の意図は理解します。実際、私などがサイトを立ち上げた原点は【演義では呉が過小評価されているから正史の姿を広めたい】という欲求にありますし。
ただ、最近は考え方が多少変化して来まして、【有形無形の様々な三国志の世界観はそのままに自分のスタンスだけしっかりもっておればよい】と思うようになりつつあります。
というのは、実は【正しい姿】というのを追い求めるときりがないからです。
一例を挙げると、私はつい最近まで陸遜は流刑になったんだと思っていましたが、実際、原文をよく見ると流刑になったかどうか微妙だというのが分かりました。また集解訳を読むと、三国志原文のミスも指摘されており、例え、原文を白文のまましっかり読んだととしても、それが【正しい知識である】という保証はどこにもありません。
つまり、私などがインターネットを通じてやっている事もまた【正しい姿】ではありえず、正確な情報を伝える事に拘りすぎると、三国志の世界観の面白さを限定させてしまうものになってしまうのではないか?と感じる事があります。
とは言っても、書籍マスコミに関しては、歴史について語ると銘打つなら、演義基準で歴史の話はすな(怒)という気持ちはよーくよーく分かります。未だにNHK【その時歴史は動いた】の三国志版は最低だったと思っているくらいですしw
ただ、私はインターネットで個々が自分の楽しみとして三国志を語る分には(研究者としてではなく)華雄を切ったのは関羽と思っていようが、それを事実として認識しようが、それを否定する事はできないと思っています。ネットとはそういうモンです。早い話が2ちゃんで毎日のように流れる有形無形の噂を信じるか信じないか?は結局、見る側の責任であり、ネット上に流れる情報というのは信頼性に乏しい物であるという理解の上で、何を信じるか?という目が無ければ、ネット情報を扱う資格はないと思えるからです。
まー結局、何が言いたいのかというと(汗)
【金を取って歴史を語るなら責任を持たんか(怒)】
【ネット情報はそもそも、無責任なもんだからね】
という事ですかね(汗)。
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