三国志ファンのためのサポート掲示板 ※共同掲示板。話題は三国志関係。横レス歓迎。初心者モードの質問からマニアックな雑談まで
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【791】三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) ジョージ真壁 2004/3/30(火) 3:38 マニアック!

【815】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) KJ 2004/4/2(金) 14:40
┗ 【819】三国志書物の需要と供給 ジョージ真壁 2004/4/3(土) 2:46 感謝♪
┣ 【820】Re:三国志書物の需要と供給 黄虎洞 2004/4/3(土) 9:48
┃┗ 【824】コンセプトの統一か、明言を ジョージ真壁 2004/4/4(日) 20:25 感謝♪
┃┗ 【829】Re:コンセプトの統一か、明言を 黄虎洞 2004/4/5(月) 7:14
┣ 【830】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです) KJ 2004/4/6(火) 0:07
┃┗ 【834】五虎将軍とホートク公 ジョージ真壁 2004/4/8(木) 1:50 ひと言
┃┗ 【840】Re:五虎将軍とホートク公 KJ 2004/4/8(木) 21:00
┃┗ 【850】アンケートに願いを込めて ジョージ真壁 2004/4/13(火) 2:58 感謝♪
┗ 【835】話がそれますが・・・ 2004/4/8(木) 11:29 雑談
┣ 【836】[ ジョージ真壁 2004/4/8(木) 14:43
┗ 【837】三国志愛…三国志小説と最近の漫画 ジョージ真壁 2004/4/8(木) 14:55
┗ 【1243】Re:三国志愛…三国志小説と最近の漫画 2004/8/28(土) 22:56

【815】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです)
 KJ E-MAIL  - 2004/4/2(金) 14:40 -

引用なし
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   二極化あるいは三極化とされる「歴史系」「文学系」「娯楽系」、
言われてみるとそのように区別できるなぁと感心しながら拝見
させて頂いておりました。

ちょっと横道にそれるかもしれませんが、私の考えを述べさせて頂きます。

私が最初に三国志に興味を持ったのは横山三国志と光栄三国志でしたが
漫画を読み終えると、ゲームに飽きると、すぐに離れました。
五年後、既に社会人となってビジネスの観点から再び三国志に興味を
持ちました。それから数年経ち現在に至っています。

この観点は、ビジネスマンが自己実現のために歴史から学ぶというものです。
過去に戦乱の世を渡っていった大先輩のよいところ悪いところを、
現在の混沌とした経済状況におかれる自分のために活かすのです。

この見方は歴史系、文学系、娯楽系、どれに属すのか難しいところが
ありますが、少なくとも学ぶ対象が正史から引かれたものであろうと
演義から引かれたものであろうと、どちらでも構わないと思います。
そこまで追求する必要もないし、自分が生きる上で、仕事をする上で、
プラスになることを学べるだけでよいのです。多少味付けされてようが、
混同していようが、今の自分によければいいのです。

と、三国志に再熱した当初はそのように考えていました。
いつしか三国志を自分に反映させることがそっちのけとなり、
いわゆる歴史系に住み分けしちゃっている状態です。
といってもあまり考察などせず史実の収集に専念しているだけですが。
さらには三国志Web界でのニーズを把握し、それに如何に応えることが
できるか、という視点でサイト運営を行い、そのこと自体が自分の
本業の仕事の鍛錬になっています。(それはどーでもいいか、)

本の出版もビジネスですし、売れる本を企画するのが普通かと
思います。学術書として出版されるものは別かもしれませんが。
同じような内容の本でもパッケージを変えて新調すれば売れます。
三国志にこれから興味をもってもらうために参照元が正史だろうが
演義だろうが混同してようが、売れて興味を持ってもらえれば
それで構わないのではないかと思います。
ターゲットがビジネス向けか、一般大衆向けかに関わらずです。
だから多くの三国志本は、多くの人に読んで面白いようにできている。

欲しいと思う本がないのは、それだけニーズがないのだと思います。
本を書く人も生活がかかっていますし、特別な必要性がない限り、
売れない本は書かないと思います。

あまりビジネスビジネスと言っていると毛嫌いされそうなので
この辺に留めておきますが、欲するものがなければ自分で作る
という精神が大切なのではいでしょうか。

【819】三国志書物の需要と供給
感謝♪  ジョージ真壁  - 2004/4/3(土) 2:46 -

引用なし
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    どうも、真壁です。
 御意見ありがとうございました。
 このたびは、そこらへんの、「三国志書物における需要と供給は、
一致しているのか?」という点について、一人の客の立場として、
私の意見を述べさせて頂こうと思っております。
 どうぞ、よろしくお願いします。

 蛇足ではありますが、このような比較的カタい内容の話を真剣にでき、
皆さんが真剣に応えて下さるサイトが存在することを、三国志の
一ファンとして、私は非常に嬉しく思います。


 私も商売に絡む仕事をやっていましたもので、「ニーズ」が重要だと
いうことは、よく存じ上げているつもりです。ですが、どうなんでしょう?
果たして、本当に、私が求めるような「歴史系三国志ファンを唸らせる書物」の
ニーズって、ないんでしょうか? これだけ、あちこちのサイトで、
「正史三国志」が語られるようになっているのに、書物にはニーズがない、
というのは、私としてはどうも信じがたい気がするのです。

 私が気になるのは、この話題で「清岡さん」が書いておられた「(演義と
正史の違いが問題だということが)出版社に伝わっていないようだ」という
お話と、「黄虎洞」さんが書いておられた「歴史か『三国志演義』かと言う
問題は、文章を発表する側の意識が、そこまで考えていない」というお話が、
実状に近いのではないか?という点です。ことに、「黄虎洞」さんは、実際に
文章を発表なされる立場の側の方のようですので、その言葉には真実味が
あります。さらに「黄虎洞」さんがおしゃられている『「この文章を見て読者が
どう考えるか」などと言うことは、あまり意識に無いと思います』という
御意見は、衝撃的でした。顧客満足というものが最重視される、商売の世界に
いた私からしてみれば、読者(お客)を意識しない文章、というのは、「顧客を
無視して仕入れられた商品」と同じで、あってはならないものと考えるから
です。もちろん、ビジネス的観点からみるとそうなるが、学者さんやライター
さんにとっては、そうではないのかもしれません。もし、そのくらいの考えで、
出版社が「三国志本」を出しているのだとしたら、出版社側は、売れる題材を
売れないようにして出版している、とも言えるのではないでしょうか?

そのあたりを痛感させられたのが、「別冊歴史読本シリーズ」「歴史群像シリーズ」
の本です。「歴史」とつくからには、「歴史系」が要求するような内容かと言うと、
そうではない。「演義」と「史書」の話が入り混じっている。「歴史」を名乗っている
んだから、出版社よ、プライドを持て、と私は言いたい。だいたい、その題名に
対して、読者から何が期待されているのか、まるでわかっていない。顧客満足を
無視して作られた本だと言えます。
 そもそも出版社側が、「今度の本は、史実の話でお願いしますね」と一言、
コンセプトを統一しさえすれば、解決する話だと思うのですが…。

 おそらく、最近の「正史」ブームを受けて、別冊宝島では、「正史を基礎として
いる」と宣言する三国志本を刊行したのだと思うのですが、この本もいただけない。
「正史ブームだから、正史メインで書けば売れるだろう」という読みは、漠然
とした三国志本を出し続けた出版社より、ニーズの察知という点で、数枚優れて
いて、評価できます。ですが、せっかくの宣言も、中身で裏切っていては、顧客
満足には繋がりません。むしろ、読者としては、裏切られたような気持ちになります。
「正史を基礎としている」と書いているから買ったのに、ライターさん達は、演義
の話ばっかり書いており、腹立たしい。なぜ、ライターさんにお願いする時に、
コンセプトを統一するくらいのことができないのか? 本のクオリティについて、
軽く考えているのか、「三国志」とつければ売れるだろう、と三国志ファンを舐めて
かかっているのか。いずれにせよ、既に絶望している方が多いように思える
「歴史系」のファンを、さらにガッカリさせる事態だと言わねばなりません。
逆に言えば、清岡さんや私のように「昔は三国志本にワクワクドキドキしていた
が失望させられちゃった人々」を、再び「ワクワクドキドキ」させるような本が、
出版されたら、三国志本はもっと売れるものと、私は考えているのですが。

 もちろん、クオリティに関わらず、「三国志本」は出せば売れるからこそ、
出版社もバンバン本を出してきているものと思いますが。売れなくなった時に、
その責任を自らの本のクオリティに帰するのではなく、「ブームが終わったから」
と判断されそうで、怖いところであります。


 というわけで、今回はいかがだったでしょうか? 現在刊行されている本に対して、
少し辛口になってしまったような感があったり、何か同じことを繰り返し言っている
ような感もありますが、また、御意見・御感想などを賜れれば幸いです。


                    ジョージ真壁

【820】Re:三国志書物の需要と供給
 黄虎洞  - 2004/4/3(土) 9:48 -

引用なし
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   ▼ジョージ真壁さん:
読者と書き手と出版社(商売)との問題は、現実の経済活動の中で難しい問題をはらんでおり、一概にこうだとは申せませんが、小生の愚見を申し述べておきます。
現在、三国志ものを執筆される大半の方はライター(三国志関係を良くお書きになる)が中心で、実際の研究者は少ないと思います。
今まで、研究者の間では、三国志のことをすると「あいつは三国中毒だ」とか、蜀のことをすると「蜀中毒だ」とか言われ、「もっと真面目なことを研究しろ」などと言われてきました。因って今まで前後のからみや、論の展開上から「三国」のことに論及が及ぶことは有っても、「三国」を冠した専門研究書は存在せず、今年の三月末になって、渡邉義浩氏の『三国政権の構造と名士』(汲古書院、10000円)が本邦最初の「三国志」を冠した書籍です。
また一般向け雑誌の場合、執筆者全員を研究者でそろえ、絶対正史に依拠とのコンセプトを徹底すれば可能でしょうが、一雑誌の執筆者全員を研究者で揃えるのは困難であり、当然研究者+ライターの方々と言う組み合わせとなります。
研究者の場合は、出版社サイドが何を言っても、「俺は正史の範囲でしか書かないよ、いやなら書くのを辞めるよ」と言えます。なぜなら他に本職を持っているからです。
しかし、書くことで生計を維持されているライターの方々の場合は、そのような勝手な言いぐさは難しいと思います。よっぽど大物ライターで何でも通るような作家樣なら別でしょうが、普通では難しいと思います。
逆に、無理して研究者をかき集めて書かせれば、内容的には歴史的事実に依拠した雑誌になるでしょうが、専門用語の羅列した面白くもない雑誌となり、まるで研究書のダイジェスト版の様になるでしょう。こんな雑誌が本当に大量に売れるでしょうか。
結果、雑誌を売ると言う立場の出版(経済活動)サイドから言えば、ライターの方々と研究者の数人の組み合わせに因る執筆メンバー構成が、一番無難と言うことになるのではないのかと愚考致します。
因って小生の結論でありますが、出版の諸事情に因り執筆者を一元的に統一出来ないと言う現状の中で、読者の方々には、誰が執筆者であるかに因って読み分けるスタンスを持って頂きたいと愚考致します。ここまで三国志ものが氾濫し、多くのフアンがおられる状況を拝見すると、一雑誌の中でも「この人は歴史に依拠しているな」とか「この人は『三国志演義』系だ」とか、読み分ける楽しみを読者の方々に持って頂けたら幸いだなあと勝手に望んでおります。

【824】コンセプトの統一か、明言を
感謝♪  ジョージ真壁  - 2004/4/4(日) 20:25 -

引用なし
パスワード
     どうも、真壁です。


  貴重な御意見をどうもありがとうございました。
  研究者の方々と、ライターの方々の置かれる立場というものが、よく理解できま
した。


 記事を書くのが、研究者+ライターの方々という組み合わせになるのは、仕方ない
ですし、読み物としてのバラエティから考えれば、読者の立場からは、むしろそうで
あってほしいと思います。例えば、別冊宝島の『三国志 曹操 孟徳伝』という本では、
教授や助教授といった、本格的な研究者の方々はもちろんのこと、ライターの方々も、
非常に真面目に分析みたいなものを書いていました。その真摯な態度には好感が
持てますし、内容も、非常に参考になる点が多かったのですが、いかんせんカタすぎて
面白味に欠けたきらいがありました。研究者の方は、立場上、立証されていないことを、
勝手に推測して書いたりすることは難しいこともあるでしょうが、ライターの方は、
比較的自由に書けるところがあると思います。そして何より、ライターの方は、楽しく
読ませる文章を書くプロですから、「三国志はこんなに面白いんだよ」ということを、
再確認させてもらうためにも、ライターさんの存在は必要です。研究者の方では、
表現できないものを、ライターの方には表現してもらいたいところです。


 ただ、繰り返しになるかもしれませんが、私が不思議に思うのは、「なぜ、内容の
コンセプトを統一できないのか?」という点です。研究者の方は、立場上「正史」の
話しかできないかもしれませんが、ライターの方は、「演義」のことでも「正史」の
話題でもできる。となれば、最初に、「この本は、こういうコンセプトでいく」という
取り決めが重要になってくるはずです。それがちゃんとできているのかどうかという
点に、疑問を感じます。例えば、別冊宝島の『僕たちの好きな三国志』という本では、
冒頭に『本書で再現される三国志の世界は「正史」を基礎としている」と高らかに
宣言しています。ということは、出版社側のライターさん方への要求は、「内容は
正史の話」であったはずです。しかし、この本の中身を見るに、演義系の話で満載
です。読者からしてみれば、「これは、ナンなんなのだ?」と言いたくなるわけです。
ライターさん達が、もし、出版社側からちゃんと編集方針をきいていたなら、立場上、
ちゃんと正史の話を書いたはずです。そうなっていないということは、コンセプトを
ちゃんと事前に統一していないのではないか? 要は、編集側の仕事が、テキトー
なのです。読者との約束である、「正史が基礎」という宣言を守ろうという気がまるで
ありません。編集のプロとしてのプライドがないのか、コンセプトを統一するぐらいの
力量がないのか、それとも、三国志ファンを、読者を舐めているのか。私が問いたいの
は、編集側の姿勢そのものです。「別冊歴史読本」や「歴史群像シリーズ」の本も、
要は、編集側に、「俺達は、歴史を扱っているんだ」というプライドがないから、
内容のコンセプトが統一されないままの本を出して、なんら恥じるところがない。

 ナタデココが食べたくて、「ナタデココ」とラベルに書いたデザートを買ったのに、
中に「杏仁豆腐」が混じっていたら、客は怒るに決まっています(もちろん、
杏仁豆腐が好きな人なら、構わないかもしれないですが…)。

「売れれば良いのか!」という話です。もちろん、売れることが大事です。しかし、
本当に商売というものがわかっているなら、その場でただ売れるだけの本を出すの
ではなく、良いクオリティのものを出して、次の本も読者に買ってもらうように
努力するのが、真の出版社(商売人)のあるべき姿ではないのでしょうか? 


 私としてはできるだけ勘弁してもらいたいですが、あえてコンセプトを統一せず、
とりあえず「三国志」の話を集めてみた、という本を出す場合は、最低限、読者に、
この話は「演義」の話なのか「正史」の話なのか、明言して頂きたいものです。
最近刊行された、『週刊ビジュアル三国志』もその類の本だと思いますが、この点に
ついては、それなりに気を使っていたように見えました。それが筋だと思います。

 読者の側にいちいち、「この人は正史の話を書いている」「この人は演義だ」などと
判断させるというのは、正体不明の料理を出しておいて、「材料が何かは、自分の舌で
確かめろ」という料理屋みたいなものです。料理に詳しい人はわかるかもしれないが、
そうでない人には、判断のしようがない。私は、それは、不親切極まりないことでは
ないか、と思います。

「正史と演義の違いなんて、大事なの?」と、それすらわかっていないような出版社
は、その程度の認識で「三国志」の本など出すべきではない。国産なのか、アメリカ産
なのか、という違いが重要なのに、それを気付かず混ぜて売るようなお米屋は、もはや
プロとは言えますまい。


 ということで、またまた同じことを繰り返した感がありますが、いかがだったで
しょうか。また御意見・御感想を賜れれば幸いです。そろそろ、三国志小説についても、
述べていきたいと思っております。


                      ジョージ真壁

【829】Re:コンセプトの統一か、明言を
 黄虎洞  - 2004/4/5(月) 7:14 -

引用なし
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   ▼ジョージ真壁さん:
コンセプトの統一を図れとのご意見はもっともだと思います。
出版サイドとしては一応コンセプトの統一を図っているつもりなんでしょうが、それでもご指摘のような現状が現れているわけで、なかなか解決するのは難しく、出版サイドの因り一層の努力を求めることぐらいしか出来ない現状です。
所で、歴史か演義かと行った場合、もう一つ重要なことがあります。それは、歴史といえば一般的に正史の『三國志』をイメージしますが、『三國志』以外の歴史書(野史)にも三国時代のことが多く書かれています。これらも歴史書です。問題なのは、これらの歴史書の中には、演義のネタになったような話が多くあります。因って歴史系の『三國志』の中に「これは演義系では」と思うような話が時たま出てくることになります。逆に演義系の『三國志』の中にも、「こんな話はどこにあるんだ」と思わせるような荒唐無稽な話が出てきたりすることが有りますが、これは『三国志演義』の元になった『全相三國志平話』の話の一部であったりします。
因って、歴史と銘打ったり、演義と銘打ったりしていても、中身に「あれ」と思わせる話が出てくることは、まま有ります。
とういっても、コンセプトの統一を図るのは、出版サイドの責務として当然の行為であろうと思います。

【830】Re:三国志を取り巻く現状を憂う(長いです)
 KJ E-MAIL  - 2004/4/6(火) 0:07 -

引用なし
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   最初に、真壁さんのご意見を否定しているわけではありません。
基本的に賛成ですが、+アルファとして私の意見を加えたまでです。

それと前回のレスの訂正をいたします。

× 欲しいと思う本がないのは、それだけニーズがないのだと思います。
○ 欲しいと思う本がないのは、それだけニーズが少ないのだと思います。

× 本の出版もビジネスですし、売れる本を企画するのが
○ 本の出版もビジネスですし、売れて採算のとれる本を企画するのが

「少ない」「売れて採算のとれる」と言うべきでした。申し訳ございません。

> 私も商売に絡む仕事をやっていましたもので、「ニーズ」が重要だと
>いうことは、よく存じ上げているつもりです。ですが、どうなんでしょう?
>果たして、本当に、私が求めるような「歴史系三国志ファンを唸らせる書物」の
>ニーズって、ないんでしょうか? これだけ、あちこちのサイトで、
>「正史三国志」が語られるようになっているのに、書物にはニーズがない、
>というのは、私としてはどうも信じがたい気がするのです。

この部分、私がニーズが「ない」と言った上での返答として受け止めます。
私も正史演義等、内容の混同をしてほしくないと思う立場です。
ただ、Web上で正史について語られているからといって日本人全体から見れば
、さらに三国志ファン全体から見れば、ほんの一握りだと思うのです。
ROMのみの見えない実数があったとしてもそれを測定するのは不可能でしょうし、
売れる(売れて採算のとれる)という勝算がたたないからこそ、
私達の欲する本は出版されにくいのではないかと思ったのですね。
(後の黄虎洞先生の出版事情の話を聞くと、この推測もどうかと思いますが)

> 私が気になるのは、この話題で「清岡さん」が書いておられた「(演義と
>正史の違いが問題だということが)出版社に伝わっていないようだ」という
>お話と、「黄虎洞」さんが書いておられた「歴史か『三国志演義』かと言う
>問題は、文章を発表する側の意識が、そこまで考えていない」というお話が、
>実状に近いのではないか?という点です。

正史演義等の違いが分かる人は、それが区別されていないことが問題となりますが、
そもそも正史演義等を区別する必要のない人もいるわけです。
実際の比率は分かりませんが、おそらく多くの人が後者なのではないでしょうか。
出版社側自身も後者の場合があるかもしれません。ゆえに我々はWebサイト上で
正史と演義は違うんだよ、と唄っているのだと思います。ほとんどの人が区別
できているならいちいちそんなことを書くサイトは逆に少なくなってるんじゃ
ないかと思います。特に若い世代から多く三国志に興味を持ち、いずれ去っていき、
その中でほんの一握りの人たちが三国志にはまり、問題を受け止め、ファンとして
居続けるのだと思います。

>顧客満足というものが最重視される、商売の世界に
>いた私からしてみれば、読者(お客)を意識しない文章、というのは、「顧客を
>無視して仕入れられた商品」と同じで、あってはならないものと考えるから
>です。もちろん、ビジネス的観点からみるとそうなるが、学者さんやライター
>さんにとっては、そうではないのかもしれません。もし、そのくらいの考えで、
>出版社が「三国志本」を出しているのだとしたら、出版社側は、売れる題材を
>売れないようにして出版している、とも言えるのではないでしょうか?

出版社側が正史演義等の区別が分かっていて、正史演義等の各エピソードを
ごちゃまぜにしないでそれぞれ別個にきちんと理解してもらうことを望んで
いて、採算度外視で学術的に必要性のあるものであれば、出版すると思います。
それが皆無だとは思っていません。また、そのようなニーズが(多く)あれば
まさに「売れる題材を売れないようにして出版している」ことになると思います。

私は出版界の人間ではないので、詳しいことは分かりません。
でも、ただ「待ち望む」だけでは何も変わらないと思うのです。
それゆえ出版界に求める以外に「欲するものがなければ自分で作る」ことも
ひとつの選択肢だと思うのです。
「一ファンとして、正確な情報が、少しでも多くの人に伝わることを願ってやみません。」
というそのお気持ちを以って三国志等の原文の翻訳にチャレンジしてみては
いかがでしょうか?という漢籍翻訳のお誘いでした。私が反応したのはこの部分でした。

前回レスの冒頭でも述べましたが、三国志をめぐる二極化、三極化の話は
とても興味あります。こちらの話には、まとまった意見を言えませんので…

【834】五虎将軍とホートク公
ひと言  ジョージ真壁  - 2004/4/8(木) 1:50 -

引用なし
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    どうも、真壁です。
 御意見、どうもありがとうございました。


 う〜ん。「歴史系」の三国志ファンは、やはりまだまだ少数派でしか
ないのでしょうか。なんとか、「歴史系」の面白さを、もっと世に知ら
しめたいところです。「待ち望むだけでは何も変らない」という御意見は
ごもっともです。多くの三国志ファンがそうであるように、いつか私も、
史書を題材とした三国志の小説などをものしてみたい、と考えることは
あります。その際には、原文にも挑戦することになると思います。あと、
現地への取材と。はたして、いつになることやらわかりませんが、
見果てぬ夢です。

 今、現実的にやっていることと言えば、明らかに間違っていることを
書いている本のアンケート葉書に、「嘘を書いてはいけません」と書いて
送っていることだけなのが、残念なところです(暗い?)。


 今日も本屋をぶらついていたら、『三国志が面白いほどわかる本』という
のが見つかったので、中身が良ければ買おうと思い、立ち読みしました。
 正史『三国志』の話を、『演義』などとの違いにも注目しながら、時代の
順にわかりやすく解説するというコンセプトの本でした。「わかる本」という
だけあって、かなり丁寧なつくりです。「買おっかな〜」と思い、ページを
進めるうち、またもガッカリさせられる記事に出会ってしまいました。
「劉備が漢中に入った後、五虎将軍に任命うんぬん」の話が、何度も
繰り返し書かれていたのです。この本も、正史の話、と最初に宣言していた
はずではないか? それとも、書き手が無知なのか、無神経なのか? 最初は、
「のちに五虎将軍と呼ばれる…」と「のちに」をつけていたから良いものの、
あとは、「五虎将軍」などというものが、さも歴史の上にあったかのように
書かれていました。正史と演義の違いについて述べているはずのこの本にして
この体たらく。呆れるばかりです。「こんな本に千四百円も出せぬ」と思い、
購入はとりやめました。しかし、腹立ちのあまり、アンケートだけ抜き取って、
文句を書いて送ってやろうか?と思ったぐらいでした。もちろん、そのような
無法は致しませんが。それにしても、いつも思うのですか、本を出す前に、誰か、
「これ間違ってるよ」と注意する人はいないのでしょうか? 
スレッドの冒頭に書いた「曹操配下の武将ホウトク」と、「ホウシゲンのおじの
ホウトク公」を同じ人と勘違いしている研究家などは、あちこちの本で、
同じことを書いています。三国志初心者でも、最初に気がつく同姓同名の
人物なのに、研究家とぬかす人間が気がつかないというのは不思議としか
言いようがありません。


 それはともかく。
 正史演義を区別する必要がない方って、やっぱり多いんでしょうか。
 オールドファンは、「三国志」といえば、「文学系」の話が主流だった
時代の人たちなのでどうしてもそうなってしまうでしょうが、最近の
ファンの方がそうなってしまうのは、私としては、かなり淋しい。


 最近は、劇画『蒼天航路』などのおかげもあって、少しずつ風潮が変って
いっているのを感じますが、やはり、もっともっと「歴史系」で面白い
作品が出てきて、「歴史系」の面白さを世に広げてほしいものです。
 いつか、その一翼を私が担えれば、これほど素晴らしいことはありません。
いや、担わなくても、さっさと「歴史系」の傑作が出て、世につまらない
誤解がなくなれば、それが一番なんですが。


 ということで、つれづれなるままに書いてしまいました。
 また御意見、御感想、御指摘等を賜れれば幸いです。


                   ジョージ真壁

【835】話がそれますが・・・
雑談   E-MAIL  - 2004/4/8(木) 11:29 -

引用なし
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   先のレス、余計なお世話みたいで申し訳なかったのですが、また発言させて下さい。

私は歴史系の方々から見るとまだまだ知識がないせいか、「歴史群像シリーズ」は内容理解に助かったことが多いのですが・・・。演義ではこう変えられたが、実際はこうだよ、と書いてあったのでわかりやすく、なぜ変えられたのか、という過程に興味をそそられました。史実研究の側ではおもしろみに欠けるかもしれませんが、私はここまで深く演義との混在が問題になったからこそ、出版社もあえて両者をあげて説明していると思っていたのですが。その過程を説明しようとした出版社はやっぱりダメなんでしょうか。

話がそれるのですが、産経新聞で日本古代史を研究し、今は「日本書紀」「古事記」を取り上げている「蘇る民族の歴史」という連載をしていますが、今週は「三国志」のいわゆる「魏書東夷伝」の話になり、権力者となった司馬仲達がなぜ景初二年に訪れた倭の使節にだけ銅鏡を百枚も与えたのかや、銅鏡を作成する過程である、景初三年の1月1日に明帝は亡くなった為、12月が2回あり、慌ただしい歴改正を知らぬ工人が、ありもしない景初四年という年号を彫り込んだせいではないか、それこそが真実味を帯びる、などという記事がありました。
「司馬仲達」の文字にひかれたのがきっかけでしたが、こういう側面的な歴史検証を読むとまた三国志の時代背景をつかむきっかけになりますね。
・・・三国志というと出来事をそのまま表さなきゃいけないようなところがありますが、遊び心というのも変ですが、真っ直ぐ見るのとまた違った眼を養うのも必要かなとか。
要は、こういうしっかりとした歴史研究の上で、確かな推測をしようとする姿勢を持った歴史系三国志の本が出るととてもおもしろいと思うのですが。どうでしょうか。

・・・先日の記事で、昔の漫画家は文学や映画など色々なものを研究して漫画を描いているが、最近の漫画家は、その描かれた漫画を読んでから漫画を描くからだんだん小さな狭いものになるとありました。
小説からいうと、三国志小説を読んで、また三国志小説を書くからつまらないのが多くなっているのかな、と。演義読み、それで書かれた小説を読み、また小説を書くから焼き直しのものが多いのでしょう。
歴史系にしろ、娯楽系にしろ、最近は毒気もなく、強烈な印象を与える小説というのがない気がします。ワクワクしないというのは、一方で無難に済まそうとする作者の考えが伝わるせいかもしれませんね。

レスの場所を一カ所で済ましたようで、すみません。

【836】[
 ジョージ真壁  - 2004/4/8(木) 14:43 -

引用なし
パスワード
    どうも、真壁です。
 御意見、どうもありがとうございました。
 どのような御意見でも、私は歓迎です。

 仁さんのおっしゃる『歴史群像シリーズ』の本は、一体どれを指しているのか
わからないので、なんとも言えませんが、私が持っている、三冊ほどは、「演義」
と「史実」の混同が著しく、読んでいたら、何が本当の歴史(とされているもの)
なのかが、さっぱりわかりません。おっしゃっているのは、最近発売された分で
しょうか。もしよろしければ、御教授頂けましたら、また書店で確認してみます。
「>演義ではこう変えられたが、実際はこうだよ」というスタンスは、私としては、
多いにやってほしいところです。そうやって、『三国志』に対する誤解をだんだんと
解いていくことによって、最終的に「歴史系」の面白さに目覚めていただければ、
「歴史系」の人間として、これに勝る喜びはありません。
 まして、『歴史群像シリーズ』が「歴史」を名乗る以上、真実の歴史(とされて
いるもの)をしっかり追って頂きたい。

>・・・三国志というと出来事をそのまま表さなきゃいけないようなところがありますが、>遊び心というのも変ですが、真っ直ぐ見るのとまた違った眼を養うのも必要かなとか。
>要は、こういうしっかりとした歴史研究の上で、確かな推測をしようとする姿勢を持っ>た歴史系三国志の本が出るととてもおもしろいと思うのですが。どうでしょうか。

 まったくおっしゃられる通りです。
 私も、そのような本の出現を待っています。
 もうお読みになられているかもしれませんが、三国志小説では、何度も繰り返し
紹介しますが、陳舜臣『秘本三国志』が、かなり遊び心に満ちています。
 史書の記述をそのまま小説にするのではなく、必ず疑ってかかって、
「すべては陰謀だった」という形にするのが、陳舜臣氏の歴史小説の得意技なの
ですが、この『秘本三国志』でも、あちこちでそういった解釈が見られます。
あと、『三国志』というと、ついつい英雄たちの活躍にばかり目がいってしまい
ますが、民衆にもスポットを当てたこの作品は、やはり素晴らしい。ただ、今
見ると、考察にまだまだぬるいところが感じられます。
 こうやって、史書を前提として書いている三国志小説が、まだまだほとんど
ないのが残念です。

>・・・先日の記事で、昔の漫画家は文学や映画など色々なものを研究して漫画を描いて
>いるが、最近の漫画家は、その描かれた漫画を読んでから漫画を描くからだんだん
>小さな狭いものになるとありました。

 これは驚きですねえ。私とまったく同じことを考えている方が、やはりいたとは。
それとも、いつのまにか、この筆者の影響を私が受けていたのでしょうか。
 最近の『マガジン』や『ジャンプ』などの漫画には、もの凄く、それを感じます。
展開は読めるし、キャラクターは深みがないし。これは何も、私が大人になって
成長したから面白くないのだ、というのとは、ちょっと違うような気がします。
なんだか、『ドラゴンボール』の後半あたりから、漫画はダメになっていったような
気がしてなりません。人生経験も、想像力も、創造力も欠けた人が、漫画を書いて
いるように思われます。話はそれてしまいましたが。

>小説からいうと、三国志小説を読んで、また三国志小説を書くからつまらないのが
>多くなっているのかな、と。演義読み、それで書かれた小説を読み、また小説を
>書くから焼き直しのものが多いのでしょう。

 これは、まったく同感です。想像力も創造力も欠いているのです。
繰り返しますが、史書には、「小説にしたらどうなるだろう?」と想像をかきたて
られる題材が非常に多い。だが、多くの小説家と小説家志望は、そういう想像と
それに対する検証をまったくしないで三国志小説を書いているように見えます。
 たとえば、プロ・アマに限らず、趙雲は人気者で、小説にした人、小説に
したい人が数多くいる題材ですが、本気で趙雲を調べて、想像力を働かせて
書いている人は、私が感じた限りでは見当たりません。ほとんどが、ミーハー
的な内容です。それはそれで良いのだけれども、それは所詮、みんながやって
いることであり、少しも「私だからこそ、これが書けた」と誇れるようなモノでは
ありません。読む側としても、あえて読みたいと思うものではない。
 私に言わせたら、趙雲なんて、よく調べたら面白い人ですよ。テイイクが
「コウソンサンよりエンショウにつきなされ」とリュウタイに語ったように、
世の流れはエンショウにあった時代に、なぜ趙雲はコウソンサンについたのか?
当然出てこなければならないこの疑問が、従来の趙雲小説にはまるで出てこない。
私の考えでは、趙雲の出身地・常山郡真定は、流民の英雄・黒山賊首領の張燕の
出身地でもあり、趙雲は、この張燕の影響を受けていたのではないか? 張燕は
コウソンサンとなぜか結んでおり、それがゆえ、不利と思っても、地元の英雄・
張燕と対立しているエンショウ陣営に行くわけにはいかなかったのではないか?
などと私なぞは想像するわけです。あくまで想像にすぎませんし、よく御存知の
方から見れば、「なんだそりゃ?」という解釈かもしれませんが、こういった
ところを想像し、情景豊かに描かくのが、小説家の小説家たる所以ではないかと、
私は思うのです。呂布をも苦戦させ、エンショウが死んだ後でさえまだ生き残って
いた英雄・張燕と、趙雲との絡みなんて、胸が震えるではありませんか(私だけ?)。
 あと、趙雲と同郷のカコウラン。なぜ、趙雲は劉備について、カコウランは
曹操についたのか? そのあたりの心情を描くのも、小説家の腕のみせどころで
しょう。誰でも知っているような、リュウゼンを救うシーンや、「子龍は一身すべて
これ胆なり」のシーンを描いても、小説家としての評価としては、低くならざるを
えません。
 『北方三国志』が、従来のよく知られたエピソードを、ことごとくカットして、
自分なりの三国志を書こうとしたことは、そういう意味では評価できます。
 しかし、「赤壁では、孔明を活躍させない」とあらかじめ宣言していたので、
従来の三国志とは一線を画したものを期待しましたが、孔明は赤壁で活躍しない
のに、関羽は華雄を斬ったりして、結局、どっちつかずで、何がしたいのか
わからない中途半端な作品だったのが残念です。さらに、自分なりの三国志は
良いのですが、結局、「志を持つことが大事」というような自分の主張を、
三国志の登場人物に仮託することにのみやっきになっており、私としては、
「結局この作者は、三国志の登場人物に対して、本当の意味では畏敬の念を
持っていないし、好きではないのではないか?」という感想を持ちました。
歴史上の三国志の人物たちと、しっかりと向き合っていないのが丸わかり
だからです。
 もちろん、小説を書く人が、自らの主張を小説の登場人物に込めるのは
当然のことですから、とやかく言うことではないのですが。しかし、三国志
の登場人物に対する愛は感じられません。まあ、結局は「演義」も、本当の
意味では三国志の人物を愛していないのがハッキリわかる作品なので、
そういうもんなのかもしれませんが。
 そういう三国志小説が氾濫しているからこそ、私としては、「三国志愛」
を感じる作品に出会いたくなるのかもしれません。そういう三国志小説に
出会える日が来ることを、願ってやみません。趙雲小説も、本当の意味で
趙雲が好きな方が書いた小説を読んでみたいところです。

 ということで、また長々と書いてしまいましたが、いかがだったでしょうか?
また御意見・御感想・御指摘等を賜れれば幸いです。

【837】三国志愛…三国志小説と最近の漫画
 ジョージ真壁  - 2004/4/8(木) 14:55 -

引用なし
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    どうも、真壁です。
 御意見、どうもありがとうございました。
 どのような御意見でも、私は大歓迎です。


 仁さんのおっしゃる『歴史群像シリーズ』の本は、一体どれを指しているのか
わからないので、なんとも言えませんが、私が持っている、三冊ほどは、「演義」
と「史実」の混同が著しく、読んでいたら、何が本当の歴史(とされているもの)
なのかが、さっぱりわかりません。おっしゃっているのは、最近発売された分で
しょうか。もしよろしければ、御教授頂けましたら、また書店で確認してみます。

「>演義ではこう変えられたが、実際はこうだよ」というスタンスは、私としては、
多いにやってほしいところです。そうやって、『三国志』に対する誤解をだんだんと
解いていくことによって、最終的に「歴史系」の面白さに目覚めていただければ、
「歴史系」の人間として、これに勝る喜びはありません。
 まして、『歴史群像シリーズ』が「歴史」を名乗る以上、真実の歴史(とされて
いるもの)をしっかり追って頂きたい。


>・・・三国志というと出来事をそのまま表さなきゃいけないようなところが
>ありますが、遊び心というのも変ですが、真っ直ぐ見るのとまた違った
>眼を養うのも必要かなとか。要は、こういうしっかりとした歴史研究の上で、
>確かな推測をしようとする姿勢を持った歴史系三国志の本が出るととても
>おもしろいと思うのですが。どうでしょうか。

 まったくおっしゃられる通りです。
 私も、そのような本の出現を待っています。
 もうお読みになられているかもしれませんが、三国志小説では、何度も繰り返し
紹介しますが、陳舜臣『秘本三国志』が、かなり遊び心に満ちています。
 史書の記述をそのまま小説にするのではなく、必ず疑ってかかって、
「すべては陰謀だった」という形にするのが、陳舜臣氏の歴史小説の得意技なの
ですが、この『秘本三国志』でも、あちこちでそういった解釈が見られます。
あと、『三国志』というと、ついつい英雄たちの活躍にばかり目がいってしまい
ますが、民衆にもスポットを当てたこの作品は、やはり素晴らしい。ただ、今
見ると、考察にまだまだぬるいところが感じられます。
 こうやって、史書を前提として書いている三国志小説が、まだまだほとんど
ないのが残念です。


>・・・先日の記事で、昔の漫画家は文学や映画など色々なものを研究して漫画を
>描いているが、最近の漫画家は、その描かれた漫画を読んでから漫画を描く
>からだんだん小さな狭いものになるとありました。

 これは驚きですねえ。私とまったく同じことを考えている方が、やはりいたとは。
それとも、いつのまにか、この筆者の影響を私が受けていたのでしょうか。
 最近の『マガジン』や『ジャンプ』などの漫画には、もの凄く、それを感じます。
展開は読めるし、キャラクターは深みがないし。これは何も、私が大人になって
成長したから面白くないのだ、というのとは、ちょっと違うような気がします。
なんだか、『ドラゴンボール』の後半あたりから、漫画はダメになっていったような
気がしてなりません。人生経験も、想像力も、創造力も欠けた人が、漫画を書いて
いるように思われます。話はそれてしまいましたが。


>小説からいうと、三国志小説を読んで、また三国志小説を書くからつまらないのが
>多くなっているのかな、と。演義読み、それで書かれた小説を読み、また小説を
>書くから焼き直しのものが多いのでしょう。

 これは、まったく同感です。想像力も創造力も欠いているのです。
繰り返しますが、史書には、「小説にしたらどうなるだろう?」と想像をかきたて
られる題材が非常に多い。だが、多くの小説家と小説家志望は、そういう想像と
それに対する検証をまったくしないで三国志小説を書いているように見えます。

 たとえば、プロ・アマに限らず、趙雲は人気者で、小説にした人、小説に
したい人が数多くいる題材ですが、本気で趙雲を調べて、想像力を働かせて
書いている人は、私が感じた限りでは見当たりません。ほとんどが、ミーハー
的な内容です。それはそれで良いのだけれども、それは所詮、みんながやって
いることであり、少しも「私だからこそ、これが書けた」と誇れるようなモノでは
ありません。読む側としても、あえて読みたいと思うものではない。

 私に言わせたら、趙雲なんて、よく調べたら面白い人ですよ。テイイクが
「コウソンサンよりエンショウにつきなされ」とリュウタイに語ったように、
世の流れはエンショウにあった時代に、なぜ趙雲はコウソンサンについたのか?
当然出てこなければならないこの疑問が、従来の趙雲小説にはまるで出てこない。
私の考えでは、趙雲の出身地・常山郡真定は、流民の英雄・黒山賊首領の張燕の
出身地でもあり、趙雲は、この張燕の影響を受けていたのではないか? 張燕は
コウソンサンとなぜか結んでおり、それがゆえ、不利と思っても、地元の英雄・
張燕と対立しているエンショウ陣営に行くわけにはいかなかったのではないか?
などと私なぞは想像するわけです。あくまで想像にすぎませんし、よく御存知の
方から見れば、「なんだそりゃ?」という解釈かもしれませんが、こういった
ところを想像し、情景豊かに描かくのが、小説家の小説家たる所以ではないかと、
私は思うのです。呂布をも苦戦させ、エンショウが死んだ後でさえまだ生き残って
いた英雄・張燕と、趙雲との絡みなんて、胸が震えるではありませんか(私だけ?)。

 あと、趙雲と同郷のカコウラン。なぜ、趙雲は劉備について、カコウランは
曹操についたのか? そのあたりの心情を描くのも、小説家の腕のみせどころで
しょう。誰でも知っているような、リュウゼンを救うシーンや、「子龍は一身すべて
これ胆なり」のシーンを描いても、小説家としての評価としては、低くならざるを
えません。

 『北方三国志』が、従来のよく知られたエピソードを、ことごとくカットして、
自分なりの三国志を書こうとしたことは、そういう意味では評価できます。
 しかし、「赤壁では、孔明を活躍させない」とあらかじめ宣言していたので、
従来の三国志とは一線を画したものを期待しましたが、孔明は赤壁で活躍しない
のに、関羽は華雄を斬ったりして、結局、どっちつかずで、何がしたいのか
わからない中途半端な作品だったのが残念です。さらに、自分なりの三国志は
良いのですが、結局、「志を持つことが大事」というような自分の主張を、
三国志の登場人物に仮託することにのみやっきになっており、私としては、
「結局この作者は、三国志の登場人物に対して、本当の意味では畏敬の念を
持っていないし、好きではないのではないか?」という感想を持ちました。
歴史上の三国志の人物たちと、しっかりと向き合っていないのが丸わかり
だからです。

 もちろん、小説を書く人が、自らの主張を小説の登場人物に込めるのは
当然のことですから、とやかく言うことではないのですが。しかし、三国志
の登場人物に対する愛は感じられません。まあ、結局は「演義」も、本当の
意味では三国志の人物を愛していないのがハッキリわかる作品なので、
そういうもんなのかもしれませんが。


 そういう三国志小説が氾濫しているからこそ、私としては、「三国志愛」
を感じる作品に出会いたくなるのかもしれません。そういう三国志小説に
出会える日が来ることを、願ってやみません。趙雲小説も、本当の意味で
趙雲が好きな方が書いた小説を読んでみたいところです。


 ということで、また長々と書いてしまいましたが、いかがだったでしょうか?
また御意見・御感想・御指摘等を賜れれば幸いです。


                       ジョージ真壁

【840】Re:五虎将軍とホートク公
 KJ E-MAIL  - 2004/4/8(木) 21:00 -

引用なし
パスワード
   > う〜ん。「歴史系」の三国志ファンは、やはりまだまだ少数派でしか
>ないのでしょうか。なんとか、「歴史系」の面白さを、もっと世に知ら
>しめたいところです。
Web上ではたくさんいるように感じますが、ファン全体からすると少数派の
ような気がします。Webの三国志界に訪れていないファンもいるでしょうし。
それに正史三国志だけでは行き詰まってしまうこともあり、
三国志ファンである前に歴史ファンでないと続かないんじゃないかと思います。

> 今、現実的にやっていることと言えば、明らかに間違っていることを
>書いている本のアンケート葉書に、「嘘を書いてはいけません」と書いて
>送っていることだけなのが、残念なところです(暗い?)。
このような地道なアンケートが蓄積されてニーズとして把握されるんじゃ
ないかと思います。多分?ですけど、出版社側が読者の意見を聞けるのは
売上状況とこのアンケートだけじゃないでしょうか。
売上は漠然とした価値の測定にしかなりませんが、
アンケートは中身の質を評価してもらう生の声ですからね。
暗くはないですよ〜 ピカピカです。

>無法は致しませんが。それにしても、いつも思うのですか、本を出す前に、誰か、
>「これ間違ってるよ」と注意する人はいないのでしょうか? 
真壁さんが注意しちゃってください。というのは冗談ですが、
いっそのこと、うそつき本特集でも企画してみますか。
三国志マニアにとって「これはうそだ」と思うものをみんなで報告しあうような。
出版社やライターもビクビクしながら注目するような企画として。(しないか…)
けっこう救われる人いるんじゃないかな…。

> 正史演義を区別する必要がない方って、やっぱり多いんでしょうか。
> オールドファンは、「三国志」といえば、「文学系」の話が主流だった
>時代の人たちなのでどうしてもそうなってしまうでしょうが、最近の
>ファンの方がそうなってしまうのは、私としては、かなり淋しい。
最近とか昔とかの問題ではないと思います。
なんらかの形で三国志に触れて興味を持ち、その後の興味の深さに関係する
のだと思います。前述したビジネスマンの例で言えば、
自己実現のために三国志に触れ、ついでに三国志のイロハくらいは
多少知っておこうという程度の人もいるのです。興味の深さがそこまで
なんだと思います。(勿論悪いと言っているわけではありません。)
他にも三国無双から入ったファン、漫画から入ったファン、小説から入ったファン
も同じようなことが言えると思います。
三国志の入り口に立っている人たちをどんどん引き込みたいですね。

【850】アンケートに願いを込めて
感謝♪  ジョージ真壁  - 2004/4/13(火) 2:58 -

引用なし
パスワード
    真壁です。
 御意見、どうもありがとうございました。


 御意見を頂戴し、勇気づけられましたので、これからもガンガン、
アンケートを書いて送っていこうと思います。他のことでは、アンケート
ハガキを送るなんて、メンド臭くてたまらないのですが、どういうわけか、
こと三国志のことになると、体が熱くなり、筆がサラサラと進みます。
そういえば、送ってみたいトリビアも、ハガキだけ用意して、いまだに
書いてすらいません。思うに、体が熱くなってしまうほど、それだけ
テキトーな三国志本が多いということでしょうか。


 注意で思い出しましたが、高校生の頃、ある「三国志モノ」が不満で、
便箋15枚ぐらいに、ビッシリと所見を書いて送ったことがありました。
間違ったことは書いてはいなかったと思いますが、今思えば、狂信的な
マニアの行き過ぎで、若気の至りというところです。


 それはともかく、「うそつき本」を摘発すれば、やはり救われる方が
いらっしゃるのでしょうか。ちょっと古い本も含めれば、かなりの
数にのぼりそうです。


 「三国志の入り口に立っている人たちを、いかにして深みに
  引き込むか?」

 これは、永遠のテーマですねえ。
 私としては、中でも、『歴史系』の方に来て下さると嬉しいのですが。
 そのための第一歩として、『歴史系』の傑作が生まれることを願って
やみません。傑作こそ、人々を深みに引き寄せる鍵ではないかと思って
います。


  ということで、かなり雑談というか、個人的な決意表明みたいに
なってしまいましたが、いかがだったでしょうか?
  また、御意見、御感想、御指摘などを賜れれば幸いです。


                   ジョージ真壁

【1243】Re:三国志愛…三国志小説と最近の漫画
  E-MAILWEB  - 2004/8/28(土) 22:56 -

引用なし
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   すみません、時効でしょうか?(汗)こんなにいっぱい答えて頂いてたなんて・・・。

正史と演義の検証では、歴史群像シリーズ「真三国志一〜三」の最後の方「虚と実の間に揺れる演義の世界」として渡辺精一氏が、毎巻7Pほどで書いていらっしゃいます。演義として出来上がるいきさつまで推理してあって、好きなところです。もう読んでいらしたらすみません。


※漫画は雑誌もTVも見てましたが(途中まで)・・・個人の勇が超人をこえて、手が届かなくなるから現実味が無くなったのかもしれませんね。


趙雲は好きなので(笑)彼と張燕の繋がりは考えたことがありましたが、そこまでは想像したことありませんでした・・・すごいです。最近では、彼は大軍を率いたことがない、というところが興味がありますが・・・彼も記述が案外少ないので、想像すればするほど色んな人生が出来上がりそうです。
「秘本三国志」では曹嵩を殺した彼を見つけた時は、すごい展開に圧倒されてしまいました。ああいうズバッとくる小説の新鮮さが愛おしいですね。

「北方三国志」・・・北方氏は、人間講座で自分が書く体勢ではない・・・おいそれと手がつけられないから、他の時代、人生を経て勉強し、やっと書けるようになったニュアンスのことを言っていたと思います。人間を勉強するのに、三国志に固執していたら出来ないという意味はいまさらになって痛感させられてますが。
彼の志はかなり強烈に、曹操や呂布、馬超など・・・男性的生き方が焼き付けてありましたが、それでも、人間味がある・・・超人的な要素よりも濃いぐらいの生の人間がいて、別の解釈では良かったんじゃないかな・・・と。

・・・演義の羅漢中は、趙雲と同郷で、その為に彼を演義で大活躍させたらしいですから、愛していないとは思いませんが・・・。別伝の容姿含め、たったあれだけの記述で、彼を活躍させ、他の人物も永い年月愛されていくには、とてもつもない想像力が必要だったと思います。また勉強していればこそ、あんなに史実と区別付けにくい壮大な物語が出来上がったのだと、物書きとしては、尊敬していますので。一つの作品を創り上げ、完結するには、やはり書き手の意志の強さと愛情があるんじゃないでしょうか・・・?

ほんとに時効じみた発言ですみませんでした・・・。
<sage>

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